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第29話:貫通と「比較優位」の凱旋


黒田哲也が立案した「王都=ドワーフ間 ハイウェイ整備プロジェクト」が始まってから、一月が経過した。

アデニア王国は、その短い期間に、物理的にも、そして人々の意識の上でも、劇的な変貌を遂げつつあった。

王都の城壁から西を眺めれば、以前は荒れ地と獣道しかなかった平原に、ドワーフの「石工技術」と、黒田が導入した「雇用インセンティブ」によって動く労働者たちの「熱量」とが融合し、真っ直ぐな「石畳の道」が地平線へと伸びていた。

「……信じられんな」

城壁の上で、騎士団長バルガスが、その光景を眺めながら唸った。

彼の隣には、いつものようにフィールドノートを片手に「現場(市場)」を観察する黒田と、王としての自信を急速に身につけつつあるレオンハルトがいた。

「何がです? 団長」黒田が、ノートから顔を上げずに尋ねた。

「全てだ」バルガスは、無骨な手で胸壁を叩いた。「あの道だ。あれを作っているのは、元を正せば『犯罪者』や『ならず者』どもだ。だが、今のアイツらの顔を見ろ。俺の騎士団の『訓練』よりも、よほど生き生きとした顔で『労働』に励んでいる」

「インセンティブ(報酬)が、明確ですから」

黒田は、淡々と答えた。「彼らは『罰』のために働いているのではない。『自分の生活(パンと手形)』のために働いている。人間は、罰せられる時より、合理的な報酬を得る時の方が、よほど高い『生産性』を発揮するものです」

「フン……」

バルガスは、黒田のその「合理的」という言葉に、もはや反論する気力も失せていた。

なぜなら、彼の「騎士団」そのものが、黒田の「経済学」によって、最も大きな「恩恵」を受け始めていたからだ。

その時、地平線の道の先から、大きな砂埃と、割れんばかりの歓声が上がった。

「来たぞ!」

「第一便だ!」

ハイウェイ整備プロジェクトの「貫通」を祝う、最初の「公式馬車隊」が、王都の西門に凱旋したのだ。


王都の広場は、熱狂に包まれていた。

民衆は、この「道」が自分たちの生活を変える「希望」であることを、肌で感じていた。

「見ろ! 鉄だ!」

「ドワーフの国の、ピカピカの鉄鉱石だぞ!」

馬車の荷台から降ろされる、高品質な「鉄」。

「それだけじゃない! 小麦だ! 地方の村の、新鮮な小麦がこんなに!」

別の馬車からは、王都では高騰していたはずの「小麦」が、次々と運び出される。

レオンハルトが、バルコガスが、そして広場に集まった全ての人々が、目の前の「富」に歓声を上げた。

だが、黒田だけは、その熱狂の中心で、まるで「テストの結果」を採点する教授のように、冷静にその「中身(内訳)」を分析していた。

「教授……やったぞ!」

レオンハルトが、興奮して黒田の肩を掴んだ。「あなたの言った通りだ! 道が繋がり、物資が流れ始めた!」

「いいえ、レオンハルト殿」

黒田は、興奮する若き王を、静かに制した。

「まだ、私の『講義』は終わっていませんよ。

――なぜ、この馬車隊が『鉄』と『小麦』を同時に運んできたか、説明できますか?」

「え?」レオンハルトは虚を突かれた。「それは、ドワーフの国と、地方の村、両方から買ってきたからだろう?」

「では、その『買い付け』に使った『カネ(手形)』は、どこから?」

「それは、王家が……」

「違います」

黒田は、熱狂する群衆の中で、レオンハルトとバルガスに、経済学の「真髄」の一つを説き始めた。

その声は、現実世界(パラ経)で燻っていた頃には決して出せなかった、自らの「理論」が「実践」によって証明されたことへの、深い「優しさ」と「情熱」に満ちていた。

「思い出してください。

我々(アデニア王国)が、王都からドワーフの国へ送った『第一便』の馬車。あれに、我々は何を積みましたか?」

「我々の……『塩』だ」とバルガスが答えた。

「その通り!」黒田は、まるで正解した生徒を褒めるように頷いた。

「我々のアデニアは、『塩』は豊富だが、『鉄』は不足していた。

ドワーフの国は、『鉄』は豊富だが、『塩』は貴重品だった。

――これが『比較優位』です」

黒田は、広場で荷下ろしを続ける馬車を指差した。

「あの馬車隊は、まず王都の『塩』をドワーフの国へ運び、その『売り上げ(手形)』で、ドワーフの『鉄』を買い付けた。

彼らは『鉄』を積んで、王都へ『直帰』することもできた。

ですが、彼らは『ハイウェイ』の『途中』にある、あの疲弊していた『地方の村』に立ち寄ったのです」

「なぜか?」

「その村は、『小麦』は豊富だが、『鉄(農具)』が不足していたからです」

黒田は、フィールドノートに、美しい「循環図」を描いてみせた。

① 王都 →(塩)→ ドワーフの国

② ドワーフの国 →(鉄)→ 地方の村

③ 地方の村 →(小麦)→ 王都

「馬車隊は、ドワーフから仕入れた『鉄』の一部を、地方の村で『農具クワやスキ』として売却した。

村人たちは、その『鉄』の対価として、自分たちが持て余していた『小麦』を喜んで差し出した。

そして馬車隊は、その『小麦』を積んで、王都へ戻ってきたのです」

黒田は、息を飲むレオンハルトとバルガスに、結論を告げた。

「レオンハルト殿。我々は、この『物流網ハイウェイ』という『投資』によって、『一銭の手形カネも使わずに』、この大量の『鉄』と『小麦』を手に入れたのです!」

「なっ……!?」

「これが『経済が回る』ということです!

『富』とは、金庫に眠る『きん』ではない!

『モノ』と『モノ』とが、『カネ(手形)』を仲立ちにして、滞りなく『交換』され続ける、この『循環フロー』そのものが、『富』なのです!」

その「講義」は、バルガス団長にとって、どんな戦術書よりも衝撃的だった。

彼は、広場で荷下ろしされる「鉄」を見た。あれがあれば、兵士の「槍」や「鎧」が、今までの半分以下の「コスト」で調達できる。

同じ「予算(手形)」で、二倍の「軍事力」が手に入る。

「経済」とは、「カネ勘定」ではなく、「いくさ」そのものだったのだと、彼は初めて理解した。

その時だった。

熱狂する群衆をかき分け、一人の老人が、黒田の前に進み出た。

それは、かつて黒田の「商業(虚業)」を真っ向から否定した、「重農主義」の信奉者、あの農務大臣だった。

農務大臣は、黒田の前で、深く、深く頭を下げた。

「……黒田、顧問殿」

その声は、震えていた。

「私は……間違っておりました。『富』は『土地』からしか生まれぬと信じ、あなたの『商業』を、あなたの『道』を、蔑んでおりました」

彼は、顔を上げた。その目には、かつての「固定観念」ではなく、切実な「願い」が宿っていた。

「私の故郷の村も、まだ『道』が通じておりません。

どうか……どうか、教えていただきたい!

どうすれば、我々の村も、この『循環』に、この『富の流れ』に、加えていただけるのかを!」

黒田の「経済学」が、ついに王国の「古い体制」の、最後の砦を「論破」ではなく「救済」によって、陥落させた瞬間だった。

黒田は、農務大臣に、まるで「補習」を希望する生徒に向けるように、優しく微笑んだ。

「もちろんです、大臣。ですが、順番(優先順位)があります」

黒田は、作戦室の地図を思い浮かべた。

「まずは、あなたの領地の『生産性(小麦の石高)』と『現状の物流コスト(課題)』を、正確に『データ』として提出してください。

――『合理的』な『投資計画書』から、一緒に始めましょう」



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