第27話:「救済」という名の投資
偽札事件の衝撃から、数週間が経過していた。
アデニア王国の城下町は、以前の「信用不安」による疑心暗鬼から一転、奇妙な「熱気」と「期待」に包まれていた。
その中心にあるのは、王宮の広場に特設された「王室手形 交換所」だった。
「(来たな……)」
黒田哲也は、レオンハルト、そして護衛のバルガス団長と共に、城のバルコニーからその光景を見下ろしていた。
ドワーフの国から緊急招聘された最高の職人たちが、黒田の「設計図(バージョン2.0)」を、わずかな期間で完璧に「実装」してくれた。
レオンハルトの精緻な肖像画(ドワーフの特殊技術)。光にかざすと浮かび上がる小麦の穂の「透かし」。二つとして同じ番号のない「シリアルナンバー」。そして、魔石の粉末を混ぜた「特殊インク」。
もはや、生半可な偽造団が手出しできる「コスト」の代物ではなかった。
だが、問題は「モノ」ではない。
どうやって、この「新手形(V2.0)」を、既に「旧手形(V1.0)」と「偽札(V1.5)」が混在して汚染された市場に、スムーズに移行させるか。
バルガスが、忌々しげに広場を指差した。
「教授。あの行列を見ろ。本物の『V1.0』を持っている連中に混じって、『V1.5(偽札)』を掴まされた『被害者』どもが、大勢並んでいる」
彼は、黒田に向き直った。
「どうする? あの『偽札』を掴まされた連中を、『同罪』として罰するのか? それとも、『損』をさせたまま泣き寝入りさせるのか? どちらにせよ、不満は爆発するぞ」
レオンハルトも、難しい顔で黒田を見た。王としての「公平性(罰則)」と「慈悲(救済)」の間で、判断がつきかねていた。
黒田は、その二人の「固定観念」に対し、静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
「バルガス団長、レオンハルト殿。二人とも、根本的な『前提』が間違っています」
「なんだと?」
「彼ら(偽札被害者)は、『バカ』でも『罪人』でもない。
――彼らは、『私の設計ミス』の、被害者です」
黒田の声には、偽札を発見した時と同じ、静かだが揺るぎない「熱」がこもっていた。
彼は「学者」として、自らの「理論」の不備を、何よりも重く受け止めていた。
「人を罰することに、この国の貴重な『人的資源』を割くべきではない、と私は申し上げたはずです。ましてや、我々の『ミス』の被害者を、罰するなど」
「しかし、教授!」レオンハルトが食い下がる。「それでは『示し』がつかない! 偽札と知らずに使った者もいれば、『知ってて』使った悪人もいるはずだ!」
「京堂大(パラ経)の学生でも、もっとマシな『インセンティブ設計』を理解しますよ」
黒田は、レオンハルトの「王としての正論」を一蹴した。
「レオンハルト殿。よく聞いてください。
我々が今、この交換所で『買う』べきものは、彼らの『古い紙切れ』ではありません。
我々が、この『新手形(V2.0)』という『資本』を投じて、今まさに『買う』べきもの……。
それは、『国民の、王家に対する“信用”』そのものです!」
黒田は、バルコニーの縁に乗り出すようにして、広場の群衆を見つめた。
その目は、現実世界で怠惰な学生たちに「理論」を説いていた時とは比較にならないほど、優しく、そして熱かった。
「あの行列に並ぶ『被害者』こそ、我々が『信用』を証明すべき、最も重要な『最初の顧客』です!
彼らを『罰し』『見捨てた』ら、どうなるか?
『王家は、結局、自分たちの都合で紙切れを発行し、問題が起きれば民に損を押し付ける』
――そう、敵が期待した通りの『自滅(信用不安)』が、今度こそ現実になります!」
黒田は、レオンハルトに向き直った。
「だから、我々が取るべき『合理的』な戦略は、一つしかありません」
交換所が、開かれた。
最初に呼ばれたのは、先日「偽札だ!」と騒ぎ立てていた、あの布地の商人だった。彼は、衛兵に「偽札所持」の罪で連行されるのではないかと、青い顔で震えていた。
交換所の窓口に座っていたのは、レオンハルト本人だった。
そして、その隣には、黒田哲也が「鑑定役」として控えていた。
「お、王よ……。わ、私めは、その……」
商人が、震える手で、数枚の「旧手形(V1.0)」と、例の「偽札(V1.5)」を差し出した。
レオンハルトは、黒田に指示された通り、厳かに告げた。
「面を上げよ。その手形、確かに確認した」
黒田が、V1.0とV1.5を素早く仕分ける。
レオンハルトは、V1.0の枚数を確認した後、バルガスが予想しなかった行動に出た。
「布地の商人殿。貴殿が所持していた『旧手形』は10枚。そして」
レオンハルトは、黒田が仕分けた「偽札(V1.5)」の束を手に取った。
「そして、この『我々の不手際によって』貴殿の手元に渡ってしまった『不良品』が5枚」
レオンハルトは、その偽札を、側近に渡された「無効」の箱に捨てた。
そして、新手形(V2.0)の束から、「15枚」を数え、商人に差し出した。
「なっ……!?」
商人は、目を剥いた。
「お、王よ! これでは15枚……偽札の分まで……!?」
「そうだ」
レオンハルトは、黒田の「理論」を、自らの「王の言葉」として、広場全体に響かせた。
「聞け! アデニアの民よ!
この『偽札』は、我が顧問、黒田哲也の『設計ミス』であり、それを承認した『私』のミスである!
『システム』の過ちは、民ではなく、王家が償う!」
「よって!」
レオンハルトは、完璧な偽造防止が施された「新手形(V2.0)」を、高々と掲げた。
「本日、この場に持ち込まれた『旧手形』および『偽札』は、その真贋を問わず、全てこの『新しい手形』と、一対一で交換することを、王の名において宣言する!」
広場が、一瞬、静まり返った。
そして次の瞬間、地鳴りのような「歓声」が爆発した。
「うおおおお!」
「王家は、俺たちを見捨てなかった!」
「この手形こそが『本物』だ!」
「損」を覚悟し、罰せられることすら恐れていた商人たちが、完璧な「新手形(V2.0)」を手にし、涙を流して喜び、レオンハルトの名を、そして「クロダ顧問」の名を叫んだ。
バルコニーの上で、バルガス団長は、その「士気」が、自分がどれほど訓練(精神論)を施すよりも、遥かに高く、熱く、一瞬で爆発したのを目の当たりにし、ただ立ち尽くしていた。
「……教授。貴様は」
バルガスは、隣に立つ学者に畏怖の念を込めて呟いた。
「『カネ』ではなく、『信用』で……人の心を『買った』のか」
黒田は、熱狂する群衆を見下ろしながら、静かにフィールドノートを取り出した。
彼は、その熱狂には目もくれず、ただ、交換所の「導線」が滞っていないか、衛兵の「配置」は適切か、ということだけを、冷静にメモしていた。
「団長」
黒田は、顔も上げずに応じた。
「私は『買占め』をしただけです。市場が『不安』という『不良債権(偽札)』を抱えて『暴落』する前に、王家(=中央銀行)が『買い支え』を行った。
――ただの『合理的』な『経済政策』ですよ」
黒田は、熱狂する群衆に、現実世界(パラ経)の学生たちに、決して見せることのなかった「優しさ」を込めた、静かな笑みを浮かべた。
「さて、レオンハルト殿。
『信用』は、固まりました。
敵が『待機』してくれている、この『時間』。
国民が『信用』を取り戻してくれた、この『熱量』。
この二つを『原資』に、次の『投資』を始めましょう」
黒田は、作戦室の地図を指差した。
「次は、この国の『血管(物流網)』を、再設計します」




