第24話:黒田哲也 vs 敵の「エコノミスト」
魔王軍の背後に「学者」の存在を確信した黒田哲也。
王城の「作戦室」(旧・黒田の研究室)は、今やアデニア王国における「経済戦争」の最高司令部と化していた。
黒板には、黒田のチョークによって、「アデニア王国(我々)」と「魔王軍」の間に引かれた複雑なゲーム理論の図式が広がっている。
「教授。宰相は……まだ、あの部屋で『重商主義』の講釈を垂れている」
レオンハルトが、うんざりした顔で報告する。黒田の指示により「二重スパイ」と化した宰相オーレリアスは、厳重な監視下(という名の軟禁)に置かれ、その「インセンティブ(=生存)」は完全に黒田の掌にあった。
「結構。実に『彼らしい』」
黒田は、薄めすぎたインスタントコーヒーを一口すすり、冷ややかに応じた。
「レオンハルト殿。敵の『エコノミスト』が本物であるなら、彼は今、何を『期待』していると思いますか?」
「期待、か……」レオンハルトは腕を組む。「オーレリアスが、我々の『小麦手形』の情報を流した。敵は、我々の経済が『混乱』することを期待しているのでは?」
「その通り。ですが、それだけでは足りない」
黒田は、黒板に書き殴られた「宰相(重商主義)」の文字を指で叩いた。
「敵は、オーレリアスを『イデオロギー(金こそが富)』で釣った。なぜか? 敵は、オーレリアスを『アデニア王国の古い体制の象徴』として『合理的』だと判断したからです」
「合理的?」
「ええ」黒田は頷く。「敵の視点に立てば、私(黒田)のような『異物(=近代経済学)』が介入するまで、この国は『重商主義』と『重農主義』、そして『精神論(バルガス団長)』という、極めて『非合理的』だが『予測可能』な体制だった」
バルガス団長が、隣で「むっ」と眉をひそめたが、宰相の裏切り(という事実)を突きつけられた後では、彼の「精神論」も影を潜めていた。
「敵にとって、最も『合理的』な勝利とは?」
黒田は、自問自答するように続ける。
「軍事力で『侵攻』することではありません。それは『コスト』がかかりすぎる。兵士(人的資源)も、食料(兵站)も、魔力も消費する」
黒田は、チョークを手に取り、黒板に決定的な答えを書きつけた。
「敵の『最適戦略』= アデニア王国の『自滅』を待つこと」
「これです」黒田は、レオンハルトとバルガスに向き直った。
「敵は、オーレリアスからの情報(=黒田の改革)を聞き、『こいつら(アデニア)は、自ら墓穴を掘り始めた』と確信したがっているのです」
「……」
「ならば、我々が取るべき『カウンター戦略』は一つ。
――敵が『期待』する通りに、我々は『失敗』しているフリをする」
数日後。宰相オーレリアスの執務室。
「軟禁」という名の監視下で、オーレリアスは憔悴しきっていた。
彼が信じた「金」の理論は、黒田という「紙切れ」の理論に完膚なきまでに論破され、今や彼の「生存」という唯一のインセンティブは、その黒田に握られている。
目の前には、魔王軍の「連絡役」が、秘密裏に姿を現していた。
「……公爵。先の『海路(ルートA)』の情報、見事であった。我が主も、貴公の『理論』への忠誠に感服しておられる」
連絡役は、オーレリアスが「二重スパイ」であることなど露ほども知らず、彼を「同志」として扱っている。
「フン……」
オーレリアスは、黒田に「指示」された通りの『脚本』を、迫真の(あるいは、やけくそ気味の)演技で読み上げ始めた。
「魔王様に伝えていただきたい……! あの『学者』め! ついに馬脚を現したぞ!」
「ほう?」
「アイツが発行した『王室手形(紙切れ)』……あれが、城下で『大混乱』を引き起こしておる!」
オーレリアスは、黒田が用意した「偽の報告書」を叩きつける。
「『小麦』の現物と交換できる、などという『幻想』は、初日で破綻した! 備蓄庫の前に民が殺到し、暴動寸前よ! レオンハルト若も、ついにあの学者を見限り、私に『金』による経済の立て直しを……再び、要請してきたわ!」
連絡役の目が、わずかに光った。
(……やはり、『紙』で経済が回るはずなどないのだ)
(あの『学者』は、所詮、現実を知らぬ『異物』だった)
連絡役は、オーレリアスの「重商主義者」としての『合理的』な報告を、疑いなく受け取った。
「素晴らしい……! 公爵。魔王様は、貴公のような『真の富』を理解する者が、この国を『正しく』導く日を待っておられる。引き続き、『学者』の『失敗』を報告せよ」
連絡役が闇に消えた後、オーレリアスは、汗だくのまま椅子に崩れ落ちた。
彼の「二重スパイ」としての役割は、始まったばかりだった。
さらに数日後。王城の作戦室。
新ギルドの密偵が、決定的な報告をもたらした。
「報告します! 王国東部の国境線にて、魔王軍の『積極的侵攻』の動きが、完全に『停止』しました!」
「なんだと!?」
バルガスが、思わず立ち上がる。
「はい。占領地での『防衛体制』に移行。前線の部隊は、兵站の備蓄を始めた模様。……まるで、『長期戦』に備えるかのように」
レオンハルトが、息を飲んで黒田を見た。
「教授……これは」
黒田は、薄めすぎたコーヒーの、最後の一滴を飲み干した。
彼は、黒板に書かれた「敵の『最適戦略』」という文字を、チョークで力強く丸で囲んだ。
「ビンゴ、です」
黒田の「知性S+」が、敵の「知性」の思考を完全に読み切った瞬間だった。
「バルガス団長。敵が攻めてこないのは、『慈悲』でも『恐怖』でもありません。それが彼らにとって『最もコストが安い』勝利の方法だと、今、確信したからです」
「……」
「敵は、オーレリアス(という信頼できる情報源)からの『朗報』を受け、こう判断したのです。
『アデニア王国は、勝手に自滅してくれる。我々は、その“死体”を拾うだけでいい』と」
黒田は、窓の外を見た。
そこには、黒田の「王室手形」によって、少しずつ「信用」を取り戻しつつある、静かな城下町が広がっている。
「(現実世界(パラ経)では、学生に『先生の理論は役に立たない』と切り捨てられた俺が)」
「(異世界では、敵の『学者』に、『お前の理論(王室手形)は役に立たない(=失敗する)』と、『偽装』を仕掛けている……)」
黒田は、この状況の皮肉さに、乾いた笑いを浮かべた。
「レオンハルト殿。バルガス団長」
黒田は、二人の「生徒」に向き直った。
「敵が『待つ』という『合理的』な戦略を選んでくれたおかげで、我々には、この国で最も価値のある『資源』が手に入りました」
「資源……?」
「――『時間』です」
黒田は、新しいチョークを手に取った。
「敵が『我々の自滅』を待っている、この『時間』こそが、我々が『本当の経済改革』を成し遂げるための、最大のチャンスです」
黒田の目は、宰相や魔王軍(敵)ではなく、―アデニア王国の「内政」――を見据えていた。
「戦争は『軍事』から『経済』へ。本当の戦いは、ここからですよ」




