第19話:「塩(しお)」が「鉄(てつ)」に変わる日
王立工房は、黒田哲也の『二重戦略』の下、奇妙な静けさと熱狂に包まれていた。
バルガス団長と宰相オーレリアスが視察する『表』の工房では、ティトとヘイデン、そして武具ギルドの親方たちが、黒田の設計図に基づき『セラミック・プレート・アーマー(粘土の鎧)』の試作に、しぶしぶ取り組んでいた。
オーレリアスは「こんな『泥遊び』で『金』になるのか」と不満を漏らし、バルガスは「三日後の『強度実験』で、お前の『首』が飛ぶのが先だ」と、黒田への敵意を隠さない。
城内へは、「アデニア王国は『鉄』を諦め、『粘土』と『豚』に活路を見出そうと『迷走』している」という『情報』が、黒田の計算通りに流れていった。
だが、水面下。
工房の、コークス炉の『熱』が届かない、最も『冷たい』資材置き場。
黒田は、この国で最も『信頼』できる『部下』だけを集めていた。
若き王代理、レオンハルト。
『新ギルド』の査定官筆頭、ガノンド(元・重戦士)。
そして、黒田の『理論』に『イノベーション』の『快感』を覚えた、陶工ヘイデン。
「教授。本当に、こんな『ゴミ』で……?」
ヘイデンが、目の前の『二つの山』を前に、戸惑いの声を上げた。
一つは、ガノンドが『南部・死の盆地』から『呪いの資源』として持ち帰った、『岩塩』の『塊』。不純物を含み、黒ずんでいる。
もう一つは、ヘイデンが『窯』の『燃料』として『廃棄』し続けていた、『魔石のクズ』。熱も光も『中途半端』な、文字通りの『産業廃棄物』だ。
「ガノンド。あなたの『日記』によれば、この『呪い』は、馬を『病気』にした」
「ああ」ガノンドは頷く。「『水』に『毒』が染み出しているようだった」
「ヘイデン。あなたの『廃棄物』は、『高温』にならない」
「はい。コークス炉の『代わり』には、とても……」
「完璧だ」
黒田は、二つの『ゴミ』を前に、断言した。
「レオン。我々は、今から『錬金術』を行います。いえ、『化学』です」
黒田は、ヘイデンに『指示』を出した。
それは、陶工としての『常識』を、根底から『否定』するものだった。
「まず、呪いの『岩塩』を『水』に溶かせ」
「次に、その『塩水』を、大鍋に入れろ」
「そして、その鍋を、『魔石のクズ(廃棄物)』の『火』で、ただひたすら『煮詰め(につめ)』ろ」
「きょ、教授!?」ヘイデンが抗議する。
「そんな『弱火』では、何も『焼け』ません! 陶器は『熱』が全てだ! 『中途半端』は『失敗』を意味します!」
「(……パラ経の学生(A君)が、『中途半端な知識(理論)』は『就活』に『役に立たない』と、決めつけた時の『目』だ)」
「ヘイデン」黒田は、静かに彼を諭した。
「あなたは『陶器』の『固定観念』に囚われている。『高温』が『善』だと」
「だが、『料理』はどうだ? 『肉』は『弱火』でじっくりと『焼く』だろう?」
「『目的』が違えば、『最適』な『手段』も違うのです。我々の『目的』は、『焼く』ことではない。『水』だけを『蒸発』させ、『呪い(不純物)』を『分離』させることです」
黒田の『理論』に、ヘイデンは(またしても『常識』を『破壊』される『快感』を覚え)黙って頷き、大鍋に『魔石のクズ』をくべ始めた。
『廃棄物』は、頼りないが、しかし『確実』に『熱』を生み出し、大鍋の『塩水』を、コトコトと煮立たせていく。
数時間後。
大鍋の『水』が、全て『蒸発』した。
ガノンドが、息をのむ。
「……白い」
鍋の底に現れたのは、『呪い』の『黒ずみ』が『嘘』のような、『純白』の『結晶』だった。
黒田は、その『結晶』を、指にひとつまみ取り、レオンハルトの『前』で、自らの『舌』に乗せた。
「…………」
黒田は、目を見開いた。
「(……京堂大学の、安い『食堂』の『塩』より、遥かに『旨い』……!)」
「教授!」レオンハルトが、慌てて黒田の腕を掴む。
「『毒』だったらどうするのだ!」
「いいえ、レオン」黒田は、興奮を抑え、冷静な『学者』の顔で『分析結果』を告げた。
「これは『毒』ではない。『富』だ」
彼は、ガノンドに『結晶』を差し出した。
「ガノンド査定官。あなたの『日記』の『答え合わせ(検証)』だ。舐めてみろ」
ガノンドは、戸惑いながらも、その『呪い』だったはずの『白』を、口に含んだ。
「……!」
ガノンドの、戦闘で『片目』を失ってすら『動じなかった』『顔』が、生まれて初めて『驚愕』に『歪んだ』。
「……『塩』だ。いや、『塩』より……『旨い』……?」
「熱が、『呪い(マグネシウムなどの『苦り』)』を、水と一緒に『飛ばした』のです」黒田は説明した。
「我々は、『呪いの土地(南部・死の盆地)』という『鉱山』と、『廃棄物(魔石クズ)』という『燃料』を手に入れた。
――この『精製塩』は、アデニア王国の『独占資源』になります」
「だが、教授」
執務室に戻るなり、レオンハルトが『現実的』な『懸念』を口にした。
「その『塩』が、『鉄』の『代わり』になるのか? 素晴らしい『調味料』であることは認める。エドム村の『豚』と『組み合わせる』『戦略(プロジェクトB)』も、理解した。だが、『武器』がなければ、魔王軍には勝てん!」
「だから『武器』を『買い』に行くんですよ、レオン」
黒田は、『新ギルド』が『旧ギルド』から『接収』した、あの『膨大』な『データベース(地図と報告書)』を、床一面に広げていた。
「我々が『鉄』を買っていたのは『北』の自由都市連合でした。そこは今、魔王軍の『経済封鎖』の下にある」
「では、『塩』は?」
「ガノンド」黒田は、データベースの『仕分け』作業を命じていた『査定官』に問う。
「『塩』の『需要』が、この国『以外』で、最も『高い』場所は、どこだ?」
ガノンドは、ボロボロになった『交易台帳』を、指差した。
「……教授。『北(自由都市)』も『南(帝国)』も、『海』を持っている。塩は『自給』している。彼らにとって、我々の『塩』は『価値』がない」
「だが」とガノンドは続けた。「たった一つ、『例外』がある」
ガノンドは、地図の、誰も『市場』として『注目』していなかった『一点』を、指差した。
アデニア王国の『南西』。
『死の盆地(塩)』よりも、さらに『南』。
険しい『竜の背骨山脈』に、完全に『閉ざされた』、謎の『地下王国』。
「――『ドワーフ』だ」
ガノンドが、報告書を読み上げる。
「彼らは『山』に住み、『海』を持たない。
『塩』は、彼らにとって『金』と『同価値』。
現在、彼らは『南の帝国』から、『竜の背骨山脈』を『大回り(おおまわり)』する『危険』な『ルート』で、『法外』な『価格』で『塩』を『買わされている』……と、この『30年前の『噂』』にはあります」
「そこだ」
黒田は、全ての『ピース』が『はまった』ことを『確信』した。
レオンハルトが、息をのむ。
「教授……まさか、我々が『ドワーフ』に『塩』を『売る』というのか?」
「『売る』、などという『生易しい』ものではありません、レオン」
黒田の『S+の知性』が、この『ゲーム』の『最終デザイン』を『描き出す』。
「我々(アデニア)の『比較優位』は、何か?」
黒田は、黒板(特注品)に、二つの国の『資源』を書き出した。
【アデニア王国】
・『有り余る』資源(強み):『精製塩(呪いの岩塩)』『魔石のクズ(廃棄燃料)』
・『不足』する資源(弱み):『鉄』『高度な鍛冶技術』
【ドワーフ王国】(※黒田の『仮説』)
・『有り余る』資源(強み):『鉄鉱石』『世界最高の鍛冶技術』
・『不足』する資源(弱み):『塩(食料)』『安価な燃料(鍛冶用)』
「……見えませんか、レオン」
黒田は、二つの国が『パズル』の『ピース』のように、完璧に『噛み合う』『図』を指差した。
「我々が『ドワーフ』に『輸出』するもの」
「その一。『精製塩』。彼らが『南の帝国』から買うより『遥か』に『安く』、『高品質』な『命』を、我々が『供給』する」
「その二。『魔石のクズ(廃棄燃料)』です。彼ら(鍛冶屋)にとって『燃料』こそが『命』だ。『コークス炉(高品質)』の『熱』を知らない彼らにとって、我々の『中途半端な熱(廃棄物)』は、『安価』で『安定』した『鍛冶』を『可能』にする、『最高の『資源』』になる」
「我々(アデニア)の『ゴミ』が、彼ら(ドワーフ)の『宝』になる」
「彼ら(ドワーフ)の『日常』が、我々(アデニア)の『宝』になる」
「これぞ『比較優位』の『貿易』です!」
レオンハルトは、黒田の『理論』の『美しさ』に『戦慄』しながら、最後の『問い』を投げかけた。
「……では、教授。我々は、その『見返り』として、ドワーフから『何』を『輸入』する? 『金』か?」
「いいえ、レオン」
黒田は、この『ゲーム』の『勝利』を、初めて『笑顔』で『宣告』した。
「『金』などという『重い(非効率な)』ものは、要りません」
「我々が『輸入』するもの」
「――**『鉄』**です」
「「……!」」
「魔王軍が、『合理的』に『北』の『鉄』を『封鎖』した」
「我々は、敵の『合理的』な『思考』の『裏』をかき、
『スパイ』の『監視』が『一切届かない』、『非合理的』な『南西』の『山脈』から、
『塩』と『交換』する『形』で、『新しい『鉄』の『交易路』』を、『秘密裏』に『開拓』する」
レオンハルトとガノンドは、もはや『言葉』を失っていた。
「ガノンド査定官!」黒田が『命令』を下す。
「『新ギルド(グレイの部隊)』の『精鋭』と、『鋼の剣』を持った『新人』、選抜『30名』を『招集』しろ」
「これは『戦争』ではない。『交易』だ」
「『表向き』は、『新ギルド』の『新人訓練(OJT)』として、『南部・死の盆地(呪いの塩)』の『再調査』に行かせると、『城内』に『報告』しろ」
レオンハルトが、黒田の『意図』を読み、頷く。
「城内への『偽情報』だな、教授」
「ええ」黒田は、王城の、宰相オーレリアスがいる『上層階』を見上げた。
(敵が、我々を『鉄を諦め、粘土鎧(プロジェクトA)と豚ブランド(プロジェクトB)に『逃げた』』と『誤認』している、この『三日間(バルガスがくれた猶予)』が、勝負だ)
(我々は、敵の『計算』の『外側』で、本当の『生命線(鉄)』を『確保』する)
黒田は、自分の『知性S+』が、この異世界で初めて、まだ見ぬ『同業者』との『チェス』に、心から『高揚』しているのを感じていた。
(京堂大学(パラ経)の学生(A君)は、退屈な『定石』しか打ってこなかった)
(だが、お前は違うらしいな。
――この『盤面』、どちらの『合理性』が『上』か、勝負と行こう)




