第14話:「保険(インシュアランス)」という名のシステム
東部街道。
王都から『王立工房』へと続く、生命線であり、同時に魔王軍の斥候が潜む最前線でもある。
その道を、緊張した面持ちで進む、百人近い一団がいた。
彼らが、黒田哲也の『アントレプレナーシップ(起業)』によって生み出された、「王立リスクマネジメント組合」――通称『新ギルド』の、栄えある第一期生たちだった。
「全員、二列縦隊を維持しろ! 索敵を怠るな!」
隊列の先頭で、馬(この世界に来てから黒田に「馬術くらいは覚えてください」とレオンハルト経由で叩き込まれた)にまたがる黒田の隣で、徒歩の『教官長』、”片目の”グレイが、錆びついたとは思えない鋭い声で指示を飛ばす。
彼の背には、あの『鋼』の大剣が、異様な存在感を放っていた。
「おい、見たかよ……」
隊列の後方で、新人の一人、カイルという名の若い剣士が、隣の仲間に小声で囁いた。
「俺たちの腰にある『剣』。ティト様が作った『鋼』だぞ……。バルガス団長の剣を折ったっていう……」
「ああ……」
仲間も、緊張で強張った顔で頷く。
「だが、俺が握りしめてんのは、こっちだ」
彼が、革鎧の内ポケットから、守護札のように取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。
黒田が『デザイン』し、レオンハルトの『王室印』が押された、真新しい「保険証書」だ。
そこには、黒田が定めた『システム』が、この世界の誰もが理解できる平易な言葉で、しかし厳格に記されていた。
【王立リスクマネジメント組合・組合員補償規定】
一、任務中ノ負傷ニツイテハ、王室ガ治療費ヲ『全額補償』スル。
一、任務中ノ殉職ニツイテハ、王室ガ指定遺族ニ『弔慰金(金貨百枚相当)』ヲ支給スル。
(署名:王代理レオンハルト / 筆頭顧問 黒田哲也)
「死んだら、金貨100枚……」
「俺の村じゃ、一生かかっても稼げねえカネだ……」
「これがあれば、母ちゃんに……」
彼らが『旧ギルド』で得られたのは、『自己責任』という名の『絶望』だけだった。
だが、黒田の『新ギルド』は、彼らの『命』に、王国史上初めて『価格』を与えたのだ。
「(……まだだ)」
黒田は、馬上で、この『熱狂』を冷徹に『分析』していた。
(今は『鋼の剣』と『保険』という『アメ』で、彼ら(ルーキー)の『インセンティブ』を刺激しているにすぎない。だが、これだけでは『組織』は回らない)
黒田の『S+の知性』は、この『王立ベンチャー』が抱える、次の『経営課題』を正確に把握していた。
課題①:『教育』の不足。
教官は、現状『グレイ一人』。彼一人が、百人の『素人』を鍛え上げるには、あまりに『リソース(人的資本)』が不足している。このままでは、東部街道が『教室』ではなく『墓場』になる。
課題②:『リスク査定』の不在。
今、この『保険』は、「全ての任務(ゴブリン討伐も、オークとの戦闘も)」を一律に補償している。
(これでは『保険』ではなく、ただの『バラマキ』だ。すぐに『財政破綻』する)
(京堂大学(パラ経)の学生(A君)ですら、もっと『マシ』なリスク管理をするだろう……いや、あいつはしないか)
黒田は、王国経済という『破産企業』を再生させるのと同じ『理論』で、この『新ギルド』という『ベンチャー企業』を『デザイン』し直す必要があった。
その日の夕方。
東部街道の『中間地点』に、古い『宿場町』の廃墟があった。グレイは、ここを『新ギルド』の『前線基地』と定めた。
新人たちが、慣れない手つきで野営の準備を始める中、黒田はグレイとレオンハルト(彼は護衛を兼ねて、この『起業』の最前線に同行していた)を、廃墟となった『酒場』の一室に集めた。
「グレイ教官長」黒田は、早速『本題』に入った。
「今日の『模擬訓練』、拝見しました。……ひどいものですね」
日中の行軍は、グレイによる『実地訓練(OJT)』も兼ねていた。
「……フン」グレイは、片目で黒田を睨む。「わかっている。あいつらは『クソ』だ。剣の振り方も、盾の構え方も、まるでなっていない。『鋼の剣』を持っただけの『案山子』だ」
「(武器だけ良くしても、OSが貧弱では意味がない。自明の理だ)」
「だからこそ」と黒田は続けた。「我々には、早急に『教官』が、最低でも『10人』は必要です」
「馬鹿を言え」グレイは吐き捨てた。「『教官』だと? この国で『人を育てられる』ほどの『経験』を持った奴らは、どこにいる?」
「『旧ギルド』の『VIP席』か?」とレオンハルトが皮肉を言う。
「あいつら(ベテラン)は、クソだ」グレイは即答した。「あいつらが教えられるのは、『新人に酒を奢らせる方法』と『楽な依頼をピンハネする方法』だけだ」
「では、あの『VIP席』に『いない』ベテランは?」
黒田の、静かな問いが響いた。
「……?」
「グレイ。あなたのように、『実力』はあったが、『引退』せざるを得なかった者たち。……ギルドマスター・ヴァリス(あの蛇野郎)に『疎まれ』、腐っていった『元・Aランク』『元・Bランク』たちです」
グレイの片目が、カッと見開かれた。
「……まさか、学者様。あんた、『あいつら』を、この『新ギルド』に?」
「ええ。あなたが『現場(東部街道)』の『最高指揮官(COO)』なら、彼らには『本部(王都)』の『最高知識責任者(CKO)』になってもらいます」
「ちーふ……?」
黒田は、レオンハルトに向き直った。
「レオン。我々が、この『新ギルド』という『ベンチャー』の『企業価値』を上げるために、今すぐ『M&A(人材買収)』すべきは、あの『腐った旧ギルド』そのものではありません」
「――旧ギルドが『不良資産』として『捨て置いた』、最高の『人的資本』です」
三日後。王都。
旧ギルド本部の『向かい』の空き家が、レオンハルトの『王命』によって、凄まじい速度で改装されていた。
そこには、黒田がデザインした『王立リスクマネジメント組合・王都本部』の、真新しい『看板』が掲げられた。
それは、旧ギルド(ヴァリス)への、あからさまな『経済的宣戦布告』だった。
その『新ギルド本部』の、二階。
黒田が『臨時執務室』として使うそこには、およそ「冒険者」とは思えない、場違いな『男たち』が、十数名、集められていた。
ある者は、片足を引きずり。
ある者は、片腕が(魔物の呪いか)細く萎え。
ある者は、酒に溺れ、Aランクだった頃の面影もないほど、落ちぶれていた。
彼らは皆、『片目のグレイ』のかつての『同僚』であり、『ライバル』だった者たち。
ギルドマスター・ヴァリス(あの蛇野郎)に『逆らい』、あるいは『使い潰され』、ギルドの片隅で『引退(ご隠居)』の身を余儀なくされていた、元・一流の『ベテラン』たちだった。
「……グレイ。お前が『王室』に寝返ったという噂は、本当だったか」
片足を引きずる、元・Aランクの『重戦士』が、吐き捨てるように言った。
「で、なんだ。『学者様』。俺たち『ゴミ』を集めて、何をしようってんだ? 『王室』の『捨て駒』にでもなれと?」
彼らの目は、死んでいた。
『鋼の剣』に目を輝かせた『新人』たちとは、真逆だ。
彼らは、『知っている』のだ。ギルドがいかに『腐って』いるか、王室がいかに『無関心』か。そして、自分たちの『命(価値)』が、もはや『ゼロ』であることを。
「皆様」
黒田は、オドオドもせず、彼らの『絶望』のオーラを、正面から受け止めた。
「本日、皆様をお呼びしたのは、皆様に『剣』を取っていただくためではありません」
「……ほう?」
「むしろ、皆様には、二度と『剣』を『握らない』仕事をお願いしたい」
黒田は、この世界の誰も知らない『新しい職業』を、彼らに『発明』してみせた。
「皆様に、なっていただくのは、『保険査定官』です」
「……ほけん? さてい?」
「皆様。あなた方には『筋力』はないかもしれない。だが、あなた方には、あの『新人』どもが、金貨100万枚を積んでも買えない『最強の資産』がある」
黒田は、会議室の黒板(レオンハルトに特注させた)に、チョーク(これも特注だ)で、力強く書き殴った。
「――それは『経験』です」
黒田は、集まった「元・最強」の『ゴミ』たちに、彼らの『本当の価値』を『再定義』する「講義」を始めた。
「あなた方は、『知っている』」
「『ゴブリン5匹の巣』と、『オーク2匹の斥候』。どちらが『危険』か?」
「『ゴブリンの弓(A)』より、『オークの棍棒(B)』の方が『死亡率』が高いこと。『B』は『盾』を貫通し、『骨折(=長期離脱=治療費高騰)』のリスクを生むからだ、と」
「『東部街道』の『三本目の樫の木』の『裏』には、必ず『ゴブリンの斥候』が潜んでいること!」
ベテランたちが、息をのむ。
それは、彼らが『命懸け』で手に入れた、『暗黙知』そのものだった。
「その『経験』こそが、我が『新ギルド』の『保険料』を決める『価格表』になるのです!」
黒田は、黒板に『システム』を書き出す。
【新ギルド・リスク査定システム(黒田モデル)】
①『査定』:
『教官』が、依頼の『危険度』を、自らの『経験』に基づき、『S、A、B、C、D』の5段階で『査定』する。
②『価格設定』:
黒田が、その『査定(S~D)』に基づき、『保険料(ギルド天引き)』と『任務報酬(王室手形)』を『決定』する。
(例:Dランク(ゴブリン掃除)=保険料1%、報酬5枚)
(例:Sランク(オークの巣)=保険料20%、報酬100枚)
③『教育』:
『教官』は、査定した『危険箇所』や『攻略法(暗黙知)』を、『マニュアル化』し、『新人』に『教育(OJT)』する。
黒田は、死んだ目をしている『元・重戦士』に、チョークを突きつけた。
「あなた(重戦士)が、東部街道の『安全マップ』を作る」
「あなた(元・弓使い)が、『ゴブリンの弓』を『安全』に回避する『マニュアル(テキスト)』を作る」
「あなた(元・魔術師)が、『新人の装備』と『任務ランク』が『釣り合っているか』を『査定』する」
「剣を振るうより、遥かに『高度』で、『重要』な仕事です」
「……俺たちの『経験』が、『カネ』になる、と?」
元・重戦士が、震える声で尋ねた。
「カネ?」黒田は、首を横に振った。
「『カネ』ではありません。『命』です」
黒田は、集まった全員の『目』を見た。それはもはや『ゴミ』の目ではなかった。
「あなた方の『経験』が、この国の『新人』たちの『命』を救う『システム』になるのです。
――そして、その『対価』として、王室は、あなた方に『教官』および『査定官』としての『給与(王室手形)』を、あなた方が『引退』する前の『Aランクの報酬』と同額で、お支払いします」
「「……!」」
『誇り』と『実利』。
黒田の『アントレプレナーシップ』は、この国で『死んでいた』はずの『最高の人的資本』を、完璧な『インセンティブ設計』で、丸ごと『買収』した。
「……黒田教授」
片足の元・重戦士が、ゆっくりと立ち上がった。
「……俺は、もう『戦士』じゃねえ。だが、『教官』としてなら……『グレイ』と共に、働かせてもらう」
「俺もだ!」
「『マニュアル』作り、面白そうだ!」
『王立リスクマネジメント組合(新ギルド)』は、この瞬間、『現場』と『本部(ベテラン査定官)』という『両輪』を手に入れ、黒田の『理論』の上を、凄まじい速度で回り始めた。
その時だった。
執務室のドアが、乱暴に開かれた。
「教授! グレイ教官長から、緊急の『伝令』です!」
伝令兵(ルーキーの一人)が、血相を変えて叫んだ。
「東部街道にて、ゴブリン斥候団と『接触』!」
「新人カイルが、恐怖で『命令』を無視し、突出!」
「敵の『矢』を受け、左腕に『負傷』!」
「……ただいま、グレイ教官長の指示により、彼を『王都』へ『後送』中とのこと!」
黒田は、静かに頷いた。
「わかった。レオン、王室の『医務官』の手配を。元・重戦士殿、あなたもです」
「え? お、俺か?」
「はい」
黒田は、彼に『最初の仕事』を与えた。
「――我が『新ギルド』、『保険適用事例・第一号』の『査定』を、今からあなたに、やってもらいます」




