第13話:アントレプレナーシップと「新ギルド」
王都がまだ薄霧に包まれている早朝。
冒険者ギルド本部の正面玄関、その扉を塞ぐように、一枚の巨大な羊皮紙が掲示された。
それは、王代理レオンハルトの署名と「王室の紋章」が押された、公式の『勅令』だった。
昨夜、黒田哲也と『片目のグレイ』の間で交わされた「起業」の密約は、黒田の『S+の知性』がデザインした『システム』に基づき、一夜にして『国家プロジェクト』へと昇華されていた。
「……なんだ、ありゃ?」
「王室からのお達しか? また税金の話か……」
朝の仕事を求めてギルドに集まってきた冒険者たち――そのほとんどが、ギルドマスターからまともな仕事も回されず、日銭に困る「新人」たちだ――が、その勅令を訝しげに読み始めた。
「……『王立リスクマネジメント組合』、設立布告……?」
「なんだ、そりゃ。新しい税金か?」
だが、彼らが読み進めるにつれ、その目は「疑念」から「驚愕」へ、そして「熱狂」へと変わっていった。
勅令に併記されていたのは、黒田がデザインした、新組織の『募集要項』だった。
【王立リスクマネジメント組合(通称:新ギルド)組合員募集】
最高顧問: 王室筆頭顧問 黒田 哲也
教官長: "片目の" グレイ
提携: 王立工房、王国騎士団
<我らが『組合』が、君たちに提供するもの>
一、最強の『装備』を無償貸与する。
王立工房が製造した、バルガス騎士団長『御墨付き』の『新型・鋼鉄剣(Kuroda-Steel)』を、組合員に『標準装備』として貸与する。
(※従来のギルドのように、命金で、なまくらの『銅の剣』を買う必要はない)
二、君たちの『命』に『価格』をつける。
これが我々の『保険』である。
任務中に『負傷』した場合、王室が治療費を『全額補償』する。
任務中に『死亡』した場合、遺族(指定者)に『弔慰金』として、『王室手形(金貨100枚相当)』を『即時支給』する。
三、最強の『教育』を提供する。
ギルドマスター(あの蛇野郎)が腐らせていた、伝説のAランク冒険者『"片目の"グレイ』が、教官長として『直々』に、君たちを『死なないための実戦訓練(OJT)』で鍛え上げる。
<君たちに『求める』もの>
一、最初の任務(OJT): 東部『王立工房』周辺の街道警備、およびオーク・ゴブリン斥候の掃討。
一、報酬: ギルドを通さない、『王室手形』による『直接支払い』。
「……おい。これ、本当かよ……?」
一人の若い剣士が、ゴクリと唾を飲んだ。
「『鋼鉄の剣』が……タダ?」
「死んだら……金貨100枚? 家族に?」
「グレイ様が……あの『片目のグレイ』様が、直々に教えてくれるだと!?」
新人たちにとって、それは「夢物語」だった。
彼らは、ギルドマスター(あの蛇野郎)に法外な『手数料』を払わされ、なけなしの金で買った『銅の剣』で、危険な『雑用(ゴブリン掃除)』に送り込まれ、怪我をすれば『自己責任』と突き放され、仲間が死んでも『銅貨一枚』の補償もなかった。
黒田哲也が提示した『新しいシステム』は、彼らが『冒険者』になってから諦めていた、全ての『安全』と『尊厳』を『保証』するものだった。
「俺……行くぞ!」
「待て、馬鹿! これは、ギルドへの『裏切り』だぞ!」
新人たちが熱狂と恐怖の間で揺れる中、ギルド本部の扉が、乱暴に開かれた。
現れたのは、ギルドマスター『ヴァリス』(あの蛇野郎)だった。
その顔は、自らの『財産(=新人たち)』が奪われようとしていることへの『怒り』で、真っ赤に染まっていた。
「貴様らァッ! 目を覚ませ!」
ヴァリスは、黒田が掲示した『募集要項』の羊皮紙を、怒りに任せて引き剥がそうとした。
だが、その羊皮紙の『両脇』に、音もなく立っていた二人の『騎士(バルガスの部下)』が、無言で剣の柄に手をかけた。
「……っ!」
ヴァリスは、それが『王命』の掲示であり、手出しが許されないことを悟り、手を引っ込めた。
彼は、代わりに『恐怖』で新人たちを縛り付けようとした。
「この『学者(黒田)』の甘言に騙されるな! 貴様ら、ギルドに登録した時の『誓い』を忘れたか!」
ヴァリスは、ギルドが持つ『最強の武器(固定観念)』を抜き放った。
「『ギルド法』! 大陸全てのギルドに共通する『法』だ! 一度所属したギルドを『裏切った』者は、『破門』され、大陸の『どのギルド』でも二度と仕事はできなくなる! それでもいいのか!」
「「……!」」
新人たちの顔が、再び『絶望』に染まる。
そうだ。『鋼の剣』も『保険』も魅力的だが、『破門』されれば、冒険者としての『未来』が、完全に断たれる。
「そうだ、ヴァリス殿の言う通りだ!」
ヴァリスの背後から、彼の『既得権益』を共有する、Aランクの『ベテラン冒険者』たちが、ニヤニヤしながら現れた。
「新人は、俺たちの『雑用』をこなし、俺たちの『おこぼれ』で生きるのが『伝統』だ」
「学者様の『夢物語』に乗って『破門』されるか、俺たちの下で『現実』を生きるか。……選ぶがいい」
『恐怖』と『伝統』による『脅迫』。
ギルドマスター・ヴァリスは、これで『騒動』は鎮圧できると確信していた。
「――なんと、旧態依然とした『カルテル(独占禁止法違反)』でしょう」
その時。
群衆をかき分け、黒田哲也が、王代理レオンハルトと共に、ヴァリスの前に立った。
黒田の顔は、京堂大学(パラ経)の、どうしようもない学生の『不可』を宣告した時と同じ、冷徹な『教授』の顔だった。
「……黒田教授。何の用だ。ここは『商人』の『市場』だ。学者の『机上論』が通用する場所ではない」
ヴァリスは、勝利を確信し、黒田を嘲笑った。
「ヴァリス殿。あなたに、二つの『勘違い』を正しに来ました」
黒田は、指を一本立てる。
「一つ。ここは『大陸のギルド』の支部である前に、『アデニア王国』の『領内』です。すなわち、『ギルド法』よりも、『王法(この国のルール)』が優先される」
「なっ……!」
「二つ」と黒田は続ける。
「あなたは『ギルド』を『市場』と仰った。だが、ギルドが『市場』として機能するためには、最低限の『義務』がある。『王国の防衛(という名の、依頼)』に『誠実』に応え、『構成員(冒険者)』の『安全』を配慮する、という『義務』だ」
黒田は、ヴァリスに『最後通牒』を突きつけた。
「あなたは昨日、王室からの『公式な依頼(東部警備)』を、『金貨一万枚』という法外な価格で『拒否』した。これは、王室への『反逆』であると同時に、『構成員(新人たち)』から『働く機会』を奪った『背任行為』だ」
「な、なんだと貴様!」
「(……ゲーム理論。彼の『選択肢』を、私が『デザイン』する)」
黒田は、ヴァリスに「現実」を突きつけた。
「選択肢A(協力):
今すぐ、『新ギルド』への移籍を『自由』とし、『ギルド法(破門)』の適用を『放棄』する。
そうすれば、レオンハルト殿(王室)は、あなたの『過去の背任行為』を不問とし、あなたの『ギルド』の存続を、一応は、認める」
「選択肢B(敵対):
もし、あなたが『ギルド法(破門)』を一人にでも適用し、我々の『王立ベンチャー(新ギルド)』の設立を『妨害』したと『認定』された場合」
黒田の言葉を、レオンハルトが、王代理としての『王命』で引き継いだ。
「――その瞬間、私は、『アデニア王国冒険者ギルド』の『王室認可』を『永久に剥奪』する。
あなたは『王命反逆罪』と『業務上横領(手数料ピンハネ)』の罪で、『拘束』されることになる。……バルガス団長!」
「……ここに」
黒田たちの背後から、重い足音と共に、騎士団長バルガスが、抜身の『鋼の剣(ティト作)』を持った部下(騎士)を引き連れて現れた。
バルガスは、黒田の『やり方(経済学)』は嫌いだが、黒田の『結果(鋼)』は、今や誰よりも信頼していた。
ヴァリスは、顔面蒼白になった。
『大陸のギルド法』という『虚構の権力』が、
『王国の法(逮捕)』と『騎士団の武力(鋼)』という、圧倒的な『現実』の前に、粉々に砕け散ったのだ。
「……わ、わかった」
ヴァリスは、膝から崩れ落ちた。
「……移籍は、『自由』だ……」
その言葉が、全ての『ダム』を決壊させた。
「「「うおおおおおおおッ!!」」」
「俺、移るぞ!」
「『鋼の剣』だ!」
「グレイ様についていく!」
新人たちが、雪崩を打って、ギルド本部に『脱会届』を叩きつけ、黒田たちが設置した『新ギルド(王立リスクマネジメント組合)』の『仮設テント』に殺到した。
「……来たか」
そのテントの『前』で、腕を組み、待っていたのは、『片目のグレイ』だった。
彼の片目は、自分と同じように『希望』と『不安』に満ちた、百人を超える『新人』たちを、一人ひとり、見据えていた。
「(……俺の、新しい『パーティ』だ)」
そこへ、バルガス団長が、自ら馬車を引いて乗り付けた。
荷台の覆いが外される。
ガチャガチャガチャ!!
黒田の理論とティトの技術が生み出した、黒く鈍い光を放つ『鋼の剣』が、百本、山積みになっていた。
「……新ギルド『教官長』、グレイ」
バルガスは、馬車から降り、グレイに(かつての同僚Aランクへの敬意を込め)剣を一本、投げ渡した。
「……教授からの『贈り物』だ。使いこなせ」
グレイは、その『鋼』の剣を掴んだ。
それは、彼が10年前に使っていた『伝統』の剣より、遥かに重く、硬く、そして『信頼』できる『理論の塊』だった。
グレイは、集まった新人たち(まなでしたち)に向き直り、その『鋼』の剣を、天に突き立てた。
「貴様ら! 『保険』だ『鋼』だと浮かれるな!」
グレイの『現役』の声が、王都に響き渡る。
「俺が、貴様らを『死なせない』だけだ! 俺の『授業』についてこれない奴は、ここで『死ね』!」
黒田は、腐敗した『命のカルテル(旧ギルド)』を、一滴の血も流さず、『経済理論』だけで『解体(M&A)』し、自らの『管理下(王立ベンチャー)』に置くことに成功した。
「レオン」黒田は、静かにレオンハルトに告げた。「これで、『王立工房』の『防衛』ラインが確保できました」
「ああ……」
「グレイ教官長」黒田は、グレイに歩み寄る。
「あなたの、最初の『講義』を始めましょう」
黒田は、東の空……『王立工房』の方向を指差した。
「『教室』は、東部街道。『教科書』は、あなたの『経験』。
――そして『期末試験』は、そこに潜む『オーク』です」




