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第12話:「交渉」という名の修羅場


王都の大通りから一本入った、薄汚れた裏路地。冒険者ギルド本部の裏口にあたるそこは、埃と、安いエールの酸っぱい匂いが充満していた。 ギルドマスターの法外な要求(金貨一万枚)を蹴り、交渉を決裂させた黒田哲也ら三人は、重い沈黙の中にいた。

「……『起業』する、だと?」 最初に沈黙を破ったのは、騎士団長バルガスだった。彼の声には、黒田の『鋼』に対する『尊敬』と、今現在の『机上の空論』に対する『苛立ち』が、矛盾したまま同居していた。 「教授! 俺はあんたの『鋼』には感謝している! だが、今は『理論』で遊んでいる場合じゃない! 現実にオークが『王立工房』を嗅ぎまわり、ティトやヘイデンが危険に晒されているんだぞ!」

「バルガス団長の言う通りだ」レオンハルトも、若き王代理として、焦りを隠せない。 「教授、説明してくれ。『ギルド』以外に、一体誰がゴブリンやオークと戦える? 『市場』を『起業』するとは、どういう意味だ?」

黒田は、二人の焦燥を、いつもの冷静な『学者』の目で見つめていた。 「レオン。バルガス団長。あなた方は、また『固定観念』に囚われている」 「またそれか!」バルガスが吼える。 「ええ、何度でも言います」黒田は、銀縁のメガネを押し上げた。 「あなた方は、『武力サービス』を提供できるのは、『冒険者ギルド(既存の大企業)』だけだと思い込んでいる。違いますか?」

「事実だ!」 「いいえ、違います」黒田は断言した。「あのギルドは、もはや『武力サービス』を生み出す『組織』ではない。あれは、ギルドマスターが『依頼マーケット』を独占し、冒険者リソースから『手数料ピンハネ』だけを吸い上げる、『命のカルテル』です」

黒田の脳裏に、先ほどのギルドホール(酒場)の光景が焼き付いていた。 仕事がなく腐っている『新人』たち。 仕事を選び、遊んでいる『ベテラン』たち。 そして、その両方を『非効率』なまま放置し、『金貨一万枚』という「交渉カード」としてだけ利用した、ギルドマスターの『腐った経営者』の目。

(……実家の倒産処理(修羅場)を経験した。あのギルドマスターの目は、親父(先代)の会社を食い物にした『古い幹部』の目と、全く同じだ)

黒田の実家は、かつて地方の老舗企業だった。だが、杜撰ずさんな経営と、変化を拒む『古い幹部』たちのサボタージュによって、倒産した。彼は、その「修羅場」を、当事者として経験している。 あの時、黒田は「無力」だった。 だが、今は違う。

「『アントレプレナーシップ(起業家精神)』の基本は」と黒田は講義を始めた。 「『エフェクチュエーション』。すなわち、『今、手持ちの資源リソースで、何ができるか』から逆算することです」

「我々の『手持ちの資源』は何か?」黒田は二人に問う。 「王室の『権威レオンハルト』、王立工房の『生産物(鋼と白磁)』、そして、私がデザインする『システム』。これだけだ」 「それだけでは、オークとは戦えん!」バルガスが反論する。 「まだあります」黒田は、ギルド本部の、薄汚れた壁を見つめた。

「『ギルドマスター』が、最も『価値がない』と見ている『資源リソース』。……それこそが、我々が『引き抜く』べき、最大の『資産』です」


「教授、本気か?」 レオンハルトは、黒田が指差した『資源』を前に、ゴクリと唾を飲んだ。 冒険者ギルド本部の、隅にある薄暗い酒場。ギルドマスターの『VIP席』とは正反対の、最も冷遇されたテーブル。 そこに、一人の男がいた。 『”片目の”グレイ』。 かつては王国最強とうたわれたAランクパーティのリーダー。だが、10年前、ギルドマスターの『無謀な』指示による任務で、パーティは壊滅。彼だけが、片目と、足を引きずる『名誉の負傷(という名の、引退勧告)』と共に生き残った。 今では、ギルドの片隅で、新人育成(という名の、雑用)を押し付けられ、燻っている。

「彼だ」黒田は確信していた。「彼こそが、ギルドマスターが最も恐れ、最も『価値がない』フリをし続けている、『最高の人的資本』だ」

レオンハルトの「王弟代理」の権威を使い、黒田はグレイを酒場の個室に「呼び出した」。 ギシ、と音を立てて椅子に座ったグレイは、その片目で黒田とレオンハルトを射抜いた。その眼光は、引退してなお、バルガス団長にすら匹敵する凄み(すごみ)があった。

「……何の御用だ、王室顧問殿。それに、レオンハルトまで」 グレイの声は、長年使っていない剣のように、錆びついていた。 「俺は引退した身だ。ギルドマスター(あの蛇野郎)への『口利き』なら、他を当たれ」

「グレイ殿。私は、たった今、ギルドマスターと『交渉決裂』してきたところです」 黒田は、オドオドもせず、激昂もせず、ただ淡々と『事実ファクト』を告げた。 「東部工房の警備に対し、彼は『金貨一万枚』を、前払いで要求なさいました」

グレイの片目が、わずかに見開かれた。 「……フン。奴らしい。で、カネが払えんから、俺に『泣きつけ』にきたか? 学者様。俺は、王室あんたらも、ギルド(あいつら)も、信用しちゃいねえ」

「結構です」 黒田は、用意していた羊皮紙とインクを取り出した。 「私は、あなたに『口利き』を頼みに来たのではない」 「……では、何だ」

「私は、あなたという『最高の資産』を、ギルドマスター(あの無能な経営者)から『買収バイアウト』しに来ました」

「……買収?」 「ええ」黒田は、まるで新しい『ゼミ』の組織図を作るかのように、羊皮紙に『システム』を書き殴り始めた。

「グレイ殿。あなたに、新しい『組織』の『トップ』になっていただきたい」 「組織?」 「『王立リスクマネジメント組合(Royal Risk-Management Union)』。……私が今、この場で『起業』する、『王立ベンチャー』です」

グレイは、訳が分からないという顔で、黒田の書く羊皮紙を覗き込んだ。

「あなたには、この『組合』の初代『教官長マスター』をお願いしたい」 「俺が……マスター?」

「ええ。あなたは、腐った『ギルドマスター』ではない。新人ルーキーを『育てる』、真の『マスター(師匠)』だ」 黒田は、ギルドマスターが提示した『金貨一万枚コスト』ではなく、グレイの『インセンティブ(動機)』に、直接『理論』を叩きつけた。

「まず、『組合』の『業務』です」

「業務①:教育(OJT)」 「あのギルドで燻っている『新人』たち。彼らに『仕事(東部工房の警備)』を与えます。ただし、ギルドを通してではありません。我々『組合』が、彼らを『直接雇用』する」 「馬鹿な!」グレイが初めて声を荒げた。「素人ルーキーを、あの『東部(前線)』に送るだと!? あんた、あの蛇野郎マスターと同じだ! 新人を『使い潰す』気か!」

「だから、あなた(グレイ)が必要なのです」 黒田は、グレイの反論を待っていたかのように、続けた。 「『王立工房ティト』が作った、バルガス団長の愛剣を折った、あの『鋼の剣』。あれを、この『組合』に所属する新人に、『標準装備』として『無償貸与』します」 「……なんだと?」 グレイは、あの『鋼』の噂を耳にしていた。バルガスの剣が折られた、と。

「そして、『教官長マスター』であるあなたが、その『最強の武器』を持った新人たちを率い、『安全な』東部街道の警備任務(=今回の依頼)を、『実地訓練(OJT)』として『指揮』するのです」 「……俺が、教えると?」 「『王立工房』が『武器ハード』を提供する。あなたが『知識ソフト』を提供する。これで、死なずに済む新人が、どれだけ増えるか。……試算してみませんか?」

グレイは、黙り込んだ。彼が、10年前に失った『パーティ』。あの時、こんな『装備』と『指揮官』がいたら、誰も死なずに済んだ。

「……だが、学者様。戦場リスクは、それでもゼロにはならん。必ず『事故』は起きる。その時、あんたはどうする?」 グレイの片目が、黒田の『本質』を試すように光った。

「それこそが、この『組合』の『本丸コア・ビジネス』です」 黒田は、羊皮紙に、この世界には存在しない『概念』を書き記した。

「業務②:『保険インシュアランス』」

「……ほけん?」

「ええ。我々が『起業』するのは、単なる『傭兵団』ではない。『保険会社』です」 黒田は、レオンハルトの権威を指差した。 「この『組合』に所属する冒険者が、任務中に『怪我』をしたら、王室レオンハルトが『治療費(王室手形)』を全額支給する」 「万が一、『死亡』した場合、遺族(あるいは本人が指定した者)に、金貨100枚相当の『見舞金(王室手形)』を支払う」 「!」

「ギルドマスター(あの蛇野郎)が提示した『金貨一万枚』。あれは、彼個人の『懐』に入る『コスト』です」 「だが、我々が用意する『金貨一万枚』は、あなた方『組合員(冒険者)』の『未来』と『命』を守るための『投資ファンド』です」

「グレイ殿」黒田は、立ち上がった。 「あの『守銭奴』の下で、才能ある新人が『死んでいく』のを、黙って見ている『引退生活』か」 「それとも、私の『システム(保険)』と『最高の武器(鋼)』を使い、この国から『無駄な死』をなくす『教官長マスター』になるか」

「――あなたの『インセンティブ』は、どちらですか?」

グレイは、震えていた。 『恐怖』ではない。『歓喜』でもない。 自らが失った『全て(仲間)』と、守りたかった『全て(新人)』、その『全て』を救う『システム(理論)』が、今、目の前の『学者』によって提示されたことへの『戦慄』だった。

グレイは、ゆっくりと立ち上がると、錆びついたはずの『騎士』の礼を、黒田哲也(学者)とレオンハルト(王)に取った。

「……学者様。あんた、何者だ? あんたは、あの『守銭奴』とは違う。あんたは『命』に『価格システム』をつけ、それを『守る』と、本気で言っている」 「『リスク』を『可視化』し、『管理マネジメント』する。それが私の仕事です」

「……乗った」 グレイの片目が、10年ぶりに『現役』の光を取り戻した。 「あの腐ったギルド、解体するのを手伝わせていただく。ただし、学者様……『王立リスクマネジメント組合』とは、長すぎる。『組合ギルド』は『組合』だ」 グレイは、ニヤリと笑った。

「――俺たちの『新しいギルド』だ」

黒田は、ギルドマスターという「腐った経営者」との交渉(修羅場)を意図的に決裂させ、「現場のキーマン(グレイ)」を引き抜くという『アントレプレナーシップ(起業)』で、組織を内側から崩壊させる道を選んだ。

レオンハルトは、黒田が「カネ」ではなく「システム(保険)」で「グレイ」を動かしたことに、もはや尊敬を通り越して、畏怖すら覚えていた。

「レオン」 個室を出ながら、黒田は次の指示を出す。 「すぐに『王立リスクマネジメント組合』設立の『勅令』の準備を。我々の『王立ベンチャー』の、最初の『起業ファウンデーション』です」 「バルガス団長」 「……お、おう」 「『はがね』三千本。ティトに『分業』を指示します。うち『百本』を、至急『組合グレイ』に回します。よろしいですね?」

「……承知した、教授」 バルガスは、もはや黒田の『戦略』に、一切の口を挟めなかった。


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