第11話:組織論と「命のカルテル」
「――『分業』。これが、我々が手に入れた『鋼』と『白磁』を、ティトとヘイデンという『天才』の手から、『凡人』の手へと移す、最初の『道具』です」
王立工房の、夜を徹した熱狂から一夜明けた朝。
黒田哲也は、王城の一室で、レオンハルトただ一人を「学生」とした『集中講義』を再開していた。
昨夜、あれほどの「革命」を成し遂げたにもかかわらず、黒田の表情に高揚感はなく、むしろ(パラ経の学生に『期末レポート』の課題を出す時のように)冷徹ですらあった。
「レオン。あなたが昨夜見た『熱狂』は、脆い。それは『個人の才能』と『金貨への欲望』という、極めて不安定な『属人性』の上に成り立っている」
黒田は、羊皮紙に、現実世界で講義に使っていた図を、記憶を頼りに書き殴っていく。
「アダム・スミスは『国富論』で説いた。ピン(針)を作る工場で、一人の職人が全ての工程(鉄を伸ばし、切り、研ぎ、頭をつける)を行えば、日産20本が限界だ」
「だが」と黒田は続ける。
「『鉄を伸ばす専門家』『切る専門家』『研ぐ専門家』……と、工程を『10人』で『分業』すれば、日産『4万8千本』が可能になる、と」
「よんまん……はっせん!?」
レオンハルトは、その桁違いの数字に息をのんだ。
「一人の天才が『鋼の剣』を三日かけて一本作るのが、今の工房です。しかし、『鋼を打つ工程』『焼き入れする工程』『研ぐ工程』に『分業』させ、それぞれに『凡人(職人)』を配置すれば、三日で『十本』が作れるようになる」
「……!」
「我々が今すぐすべきは、『天才』を『教師』に変え、彼らの『技術』を、単純作業に『分解(マニュアル化)』すること。そして『凡人』を『労働者』として『再教育』することです。これぞ『生産性』の向上……アダム・スミスの『見えざる手』の、本当の姿ですよ」
レオンハルトは、黒田の講義に没頭していた。この『理論』こそが、国を根本から変えると確信していた。
だが、その『講義』を、けたたましい鐘の音が引き裂いた。
「敵襲! 敵襲ゥッ!」
城壁の「鐘」だった。それも、王都のものではない。東……『王立工房』の方向から、狼煙が上がっている!
「馬鹿な!」
レオンハルトが窓に駆け寄る。
「工房は『内陸』だぞ! 魔王軍の斥候が、あんな深くまで!?」
「(……来たか)」
黒田は、冷静に事態を分析していた。
(危惧した通りだ。あの『煙』と『音』、そして『熱』は、夜陰に紛れても隠しようがない。敵の『斥候』が、あれを『新型兵器工場』と判断するのは、あまりに『合理的』だ)
数時間後。
王城の軍議室は、怒号に包まれていた。
血相を変えて王都に取って返してきたのは、騎士団長バルガスだった。彼の鎧には、オークの『血』と、工房の『泥』がこびりついていた。
「レオンハルト若! 教授! どういうことだ!」
バルガスは、黒田の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄る。
「『王立工房』が、ゴブリンとオークの混成部隊に襲撃された! 幸い、常駐させていた騎士団(バルガスの部下)が撃退したが、職人に死者3名、負傷者12名! 建設中だった『窯』が、二基破壊された!」
「なっ……!」レオンハルトが絶句する。
宰相オーレリアスは「私の『金』が!」と、金貨(磁器)のことしか頭にない叫びを上げた。
「黒田教授ッ!」
バルガスは、怒りの矛先を黒田に向ける。
「あんたの『鋼』は、確かに凄かった! それは認める! だが、あんたが『富』だ『効率』だと浮かれて『煙』を上げたせいで、敵を呼び寄せた! 職人たちが死んだのは、あんたのせいだぞ!」
「……団長」
黒田は、バルガスの感情的な非難を、冷静に受け止めた。
「あなたの『防衛』の『非効率』が、彼らを死なせたのです」
「なんだと!?」
「あなたは『工房』という『点』しか守っていなかった」
黒田は、地図を広げる。
「『王都』から『工房』へ至る『道(=物流路)』。そして、『工房』から『粘土』と『石炭』を運ぶための『道』。これらの『線』の防衛が、ゼロだった」
「ぐっ……」
「敵は、その『無防備な線』を伝って、工房(点)に到達した。違いますか?」
「……その通りだ」バルガスは、歯噛みする。「だが、騎士団の『数』は有限だ! 王都の守りを薄くするわけにもいかん! 工房(あんな辺境)の『道』を守るためだけに、全騎士団を割くことなど、できん!」
「ええ。だから『アウトソーシング』するのです」
「あうと……?」
「『外注』ですよ、団長」
黒田は、バルガスが最も嫌う『合理的』な提案を口にした。
「騎士団(=正規軍)が『王都』と『工房』という『重要拠点(点)』を守る。ならば、斥候の討伐、街道の警備、輸送の護衛といった『雑務(線)』は、民間の『専門家』に任せるべきです」
バルガスは、顔をしかめた。
「……『冒険者ギルド』か」
「ええ。彼らに『王室手形(=カネ)』を払い、働いてもらう。それが最も『効率的』です」
バルガスは、心の底から「学者(カネ勘定)のやり方だ」と反吐が出そうだったが、『鋼』に愛剣を折られた事実が、彼に「反論」を許さなかった。
(……この学者の言う通りにするしか、ないのか)
その日の午後。王都の「冒険者ギルド」本部。
黒田とレオンハルト(護衛兼)は、バルガス団長とギルドマスターの「交渉」に立ち会っていた。
ギルドマスターは、腹の出た、蛇のような目をした中年男だった。
「――というわけだ、マスター」
バルガスは、学者(黒田)の理論に従うのが不本意極まりないという態度で、依頼書を叩きつけた。
「東部街道の『ゴブリン・オーク斥候』の掃討、および『王立工房』への輸送路の警備。これを、ギルドの『総力』を挙げて請け負ってもらう。王命だ」
ギルドマスターは、その依頼書を鼻で笑った。
「バルガス団長。ご冗談を」
「……なんだと?」
「『東部』? あそこは魔王軍の『前線』ですぞ。そんな『自殺行為』に、誰が行くというのです?」
「王命だと言った!」
「王命では、腹は膨れませぬ」
ギルドマスターは、そろばんを弾きながら、いやらしい笑みを浮かべた。
「おまけに『王立工房』には、ギルドの『職人』たちを『裏切り者』に変えた、あの『学者様』がおられるとか。……我々『ギルド』は、『伝統』を重んじる。そんな場所の『警備』など、虫が好かんですな」
黒田が『職人ギルド』を崩壊させた情報は、既に『冒険者ギルド』にも伝わっていたのだ。彼らは、黒田を「ギルドの敵」として警戒していた。
「貴様……!」バルガスが剣に手をかける。
「お待ちを、団長」
黒田が、冷静に前に出た。
「マスター。あなたの『言い分』は、わかりました。つまり『伝統』や『虫が好かない』という『感情論』ではなく、『合理的』な『価格』が折り合えば、受けてくださる。そういうことですね?」
「……ほう。学者様は、話が早い」
ギルドマスターは、黒田が「カネ」で解決しようとしていると見て、さらに傲慢な態度に出た。
「結構です。では、見積もりを。東部への冒険者派遣、Aランクパーティの拘束……そう安くはありませぬぞ? この国の『銅貨(悪貨)』ではなく、『王室手形(良貨)』で、金貨『一万枚』分。前払いでね」
「いちまん……!?」
レオンハルトが、その法外な金額に声を上げた。
それは、王立工房の設立予算の「半分」に匹敵する額だった。
「足元を見おって!」バルガスが激怒する。
「これが『市場価格』です。嫌なら、騎士団様がご自分で行けばよろしい」
ギルドマスターは、交渉決裂、とばかりに椅子にふんぞり返った。
バルガスは「もはやこれまで!」と交渉を打ち切ろうとした。
だが、黒田は、ギルドマスターではなく、ギルドの「中」を、冷ややかに『観察』していた。
(……おかしい)
黒田の「S+の知性」が、このギルドの『非効率性』に気づいていた。
(このギルドは、活気がない)
ギルドの酒場は、昼間だというのに、やることがない「低ランク」の新人冒険者たちで溢れかえっていた。彼らは、薄いエール(酒)で、なけなしの銅貨を消費している。
その一方で、奥の「VIP席」では、数名の「高ランク」のベテラン冒険者たちが、ギルドマスターと共に酒池肉林の騒ぎをしていた。
『新人』は、仕事がなく、燻っている。
『ベテラン』は、仕事を選び、遊んでいる。
そして、ギルドマスターは『東部(=危険だが、金になる)』という、黒田の『巨大な依頼』を、交渉の『道具』にこそすれ、本気で『遂行』しようとしていない。
「(……なるほど。『職人ギルド』が、親方による『知識のカルテル』だったとすれば)」
黒田は、この組織の『病巣』を瞬時に見抜いた。
「(ここは、マスターとベテランによる『依頼のカルテル』だ。新人(労働力)を『教育(投資)』せず、手数料だけで食い物にしている、『ブラック組織』そのものだ)」
黒田は、ギルドマスターの法外な要求に、静かに首を横に振った。
「マスター。交渉は、決裂です」
「ほう? 良いのですかな、学者様。工房がまた襲われても」
「ええ。結構です」
黒田は、バルガスとレオンハルトに「帰りますよ」と促した。
「教授!?」
ギルドを出た途端、レオンハルトが黒田に詰め寄った。
「どうするのだ! 金貨一万枚は無理だが、彼らの『武力』は必要だ! このままでは、ティトやヘイデンが!」
「バルガス団長もだ! このままでは『鋼三千本』の計画が!」
バルガスも、初めて(自分の武器のために)黒田と「利害」を一致させて、焦っていた。
黒田は、騒がしい大通りから一本入った裏路地で、足を止めた。
「レオン。バルガス団長。あなた方は、また『固定観念』に囚われている」
「「は?」」
「『武力』を提供できるのは、『冒険者ギルド(既存の大企業)』だけだと思い込んでいる」
黒田は、先ほどのギルドで見た「燻っていた新人たち」の顔を思い出していた。
(実家の倒産処理(修羅場)を経験した。あのギルドマスターの目は、親父(先代)の会社を食い物にした『古い幹部』の目と同じだ)
黒田は、「知識のカルテル」を崩壊させた時と同じ、冷徹な『戦略家』の笑みを浮かべた。
「(『アントレプレナーシップ論』の基本だ)」
「レオン。あの『ブラック組織』を、改革する必要はありません」
「では、どうするのだ!?」
「――ギルド(既存市場)を改革するのではなく、ギルドの『外』に、新しい『市場』を、我々が『起業』するのです」
黒田の『社会実験』は、「工場」から、ついに「金融」と「保険」という、国家の『根幹』へと、その手を伸ばそうとしていた。




