第4.5章 マシュマロと白い贈り物
春の陽射しがやわらかく台所を照らしていた。
窓の外では小鳥が鳴き、リサが鼻歌を歌いながら食器を拭いている。
そんな穏やかな時間の中、アリアは真剣な顔でメモ帳に何かを書き込んでいた。
「……お嬢様、また新しい魔法の研究ですか?」
「ううん、今日は“お菓子”なの!」
「また、ですか」
「また、じゃないの! 今度は“特別”なのよ」
アリアは顔を上げると、目をきらりと輝かせた。
「兄様に、プレゼントを作りたいの」
「……アルノルト様に?」
「そう! いつも助けてもらってるし、叱ってくれるのも優しさだと思うの」
リサは手を止めた。
お嬢様がそんな風に人のために何かを作ろうとする姿を見るのは、
この屋敷の誰にとっても嬉しいことだった。
「それでね、前の世界には“ホワイトデー”っていう日があったの。
お礼の気持ちを甘いもので返す日!」
「……また、前世の不思議文化ですね」
「でも素敵でしょう? だから今日は“マシュマロ”を作るの!」
⸻
問題は、そこからだった。
「リサ、泡立て器って、どこにあるの?」
「……その単語、初めて聞きました」
アリアは腕を組み、うんうんと考え込んだ。
「つまり、空気を入れてふわふわにする棒が必要なのよ!」
「棒で……空気を……? つまり、混ぜる魔法の応用ですか?」
「そう! じゃあ、風魔法で回転させれば──」
次の瞬間、ボウルの中の卵白が爆音とともに宙を舞った。
「ひゃっ!? お嬢様!!」
「きゃーっ! 泡が飛んだぁぁ!!」
甘い香りの嵐と共に、白い雫が台所じゅうに飛び散る。
その惨状を見て、アルノルトが駆け込んできた。
「アリア! 今度は何を降らせた!?」
「ちょっとだけ風を強くしたら、泡が元気に……!」
「元気にも程がある!」
怒鳴りながらも、アルノルトは結局、袖をまくって手伝っていた。
「……これでいいのか?」
「うん、兄様上手! もう少し優しく、円を描くように!」
「誰に命令してると思ってる」
「だって兄様、真面目にやると上手なんだもん」
リサが小さく笑う。
この二人のやりとりを見ると、どんな混乱も楽しくなるのだった。
⸻
やがて泡は見事なツヤを帯び、
マシュマロのもととなる生地が完成した。
アリアは火魔法でオーブンを温め、
慎重に生地を流し込んで焼き上げていく。
部屋の中は、焦げる寸前の砂糖の香ばしさと、甘い空気で満ちていた。
「……できた!」
白くてふわふわ、まるで雲を切り取ったようなマシュマロ。
アリアは一つをそっと包み、兄の前に差し出した。
「兄様、これ、日頃のお礼に。
前の世界では“ありがとう”を甘いもので返す日があったの」
アルノルトは一瞬言葉を失い、
それから、静かにマシュマロを口に運んだ。
「……甘いな」
「ふふっ、わたしの気持ちが入ってるから」
「……そうか。なら、苦情は言えんな」
その横で、リサが小声でつぶやく。
「糖度、危険です」
三人の笑い声が、午後の光に溶けていく。
オーブンの中では、まだ余熱が小さく灯っていた。
──ベルリーネ邸に、またひとつ甘い記憶が増えた。




