第6章 魔法土鍋とスープの約束
――アリア視点――
台所に漂う香りが、いつもより濃い。
玉ねぎを炒める甘い匂いに、刻んだハーブの青さが重なっていく。
「……うん、いい感じ!」
アリアは木べらを握り、煮込み鍋——いえ、“魔法土鍋”の中をそっと覗き込んだ。
金色の紋様が淡く輝き、ゆらゆらと湯気を立ちのぼらせている。
リサが肩越しに覗き込みながらため息をついた。
「この鍋、ほんとにすごいですね。火を止めても温度が下がらないなんて」
「魔法で温度を保ってるの。しかもね、使う人の魔力に反応して、
“その人にちょうどいい温かさ”になるんだって」
「……つまり、お嬢さまが作ったスープは、誰が飲んでも心まで温まるってことですか?」
「そういうこと!」
アリアは得意げに笑い、木べらを置いた。
今日は特別な日。
兄アルノルトが王城の同僚を連れて屋敷にやってくるのだ。
「新しい魔法道具の試作品を見たい」と言っていたけれど、
きっと口実。マシュマロのお礼を言うために違いない。
彼の隣に来るという人物――レオン・ハートウェル。
あのマシュマロ事件の張本人。
アリアは少しだけ胸を高鳴らせた。
⸻
玄関のベルが鳴る。
「お嬢さま、お客様が」
リサの声に、アリアはエプロンを整えて駆け出した。
扉の向こうには、見慣れた兄の姿。
その隣には、淡い灰色の瞳をした青年が立っていた。
「久しぶりだな、アリア」
「お兄さま! 来てくださって嬉しいです!」
「王城の同僚のレオン・ハートウェルだ」
「はじめまして。あなたが噂の“発明令嬢”ですか」
レオンの声には、からかい半分、興味半分の響きがあった。
アリアは少し頬を赤らめて笑う。
「発明だなんて……ただ、便利な魔法を作るのが好きなだけです」
「便利、ですか。マシュマロもそうでしたが——
あなたの“便利”は、どうも心まで柔らかくするらしい」
アルノルトが小さく咳払いをした。
「おい、レオン」
「ははっ、すみません」
⸻
食堂に案内すると、魔法土鍋がテーブルの中央に置かれていた。
中では、色とりどりの野菜が柔らかく煮えている。
「これが……例の新作か?」
「はい! 《地風調和土鍋》です!」
「名前までつけたのか」
「もちろんです!」
アリアは誇らしげに蓋を取った。
ふわりと、湯気とともにやさしい香りが広がる。
「どうぞ召し上がってください」
レオンが最初に匙を取った。
一口食べて、眉を上げる。
「……これは、すごい」
「お口に合いました?」
「合うどころじゃない。
温度が、まるで“食べる人に合わせてる”みたいだ」
アリアは嬉しそうに頷いた。
「はい。それがこの魔法土鍋の秘密です。
魔力の流れが食べる人の魔力と共鳴して、
“その人に必要な温もり”を伝えるんです」
アルノルトは静かにスプーンを口に運び、目を細めた。
スープの優しい温かさが胸に広がる。
マシュマロのときと同じ、心の奥まで届くような温度。
「……アリア」
「はい?」
「おまえの魔法は、不思議だな。
どんなに冷たい場所でも、誰かの心をあたためる」
その言葉に、アリアは照れくさそうに笑った。
「お兄さまが、寒い中でも頑張っているからです。
だから、少しでも温めたくて」
レオンはそのやり取りを黙って見つめていた。
やがて、口元に微笑を浮かべる。
「……この兄妹、やっぱり似てるな」
アリアとアルノルトが同時に「え?」と首をかしげる。
レオンは軽く肩をすくめた。
「真面目で、優しくて、誰かのために動いてしまうところですよ」
静かな笑い声が食堂に広がった。
窓の外では、夕日が屋敷の庭を黄金色に染めている。
テーブルの上の魔法土鍋が、ゆらゆらと湯気を立ち上げ、
まるで家族の温もりそのもののように輝いていた。




