妖しいスピリッチャー眼鏡 4
今回は怖くないです。
太平洋戦争の話になるので、少し難しくなっちゃってます。
一つの解釈としてご容赦ください。
登場人物
岩見沢莉子 今年19歳だが高3。中学入学が一年遅れたため。身長158センチ。体重は30キロ台。痩せすぎでよく倒れる。前回ゆきずりの浮遊霊と自分の祖母の霊を涼子と浄霊した。父は大学教授。自宅に父の書斎があるため教養があって理屈っぽい。口が悪い。占い師や涼子にもうすぐ死ぬと言われているが、たいして気にしていない。
斉田心美 今年19歳だが高3。高一の時にアイドルをやっていてダブったため。莉子と同じく『農業電気政治経済大学附属高校』に通う。クラスは別。身長145センチ。横浜の実家から莉子の家にきた。よくしゃべる。莉子とは小学校四年からの親友。フリマでオヤジが『スピリッチャー眼鏡』と言っていた『霊が見えてその声も聞こえる眼鏡』を買ったため、えらい目にあった。
神宮寺ニキータ涼子 18歳高3。身長164センチ。新宗教系の女子校に通う。霊能者。中学の時はお祓い師ニキータとして名をはせていたが、半年で引退。霊が見えて人の心が読める。人の過去や現在の状況と憑依霊や未来が視える。幽体離脱もする。心美に憑いた小悪魔を祓った。莉子の死を予見したので運命を変更しようと奮闘中。
神宮寺ロバート優利 涼子の兄。22歳。身長156センチ。
行雲寺観幸 ぎょううんじミユキ。10歳。身長140センチ。莉子のいとこ。ミユキもその母も涼子と同じ宗教をやっている。霊能者。守護霊は鎌倉時代の尼僧・水蓮。
猪瀬真理凛 17歳高3。乙女座。身長は157センチ。莉子と同じ農電大附属高に通う。涼子と同じ宗教に入っている。スポーツ万能。動画配信でフォロワーはそこそこ多い30万人。心美とは『オカルト研究同好会』の仲間。霊能者だが霊視は波があって視えたり見えなかったりする。霊の声や人間の心の声は随時聞こえる。
岩見沢正人 莉子の弟。16歳。身長170センチ。
岩見沢孝司 莉子の父。47歳。身長170センチ。秩父にある大学の歴史学教授。
根岸竜二 正人の親友。15歳高一。身長180センチ。空手・剣道初段。中学の時はケンカで埼玉を制した。
根岸薫子 竜二の姉。17歳高3。生徒会長。身長167センチ。
1
私は岩見沢莉子。
寝ている。
重い。金縛りだ。身体が動かない。またかい。
目は開いた。暗い部屋が見える。
上に髪の長い女。シルエット。黒くて赤っぽい。
やけにでかい。髪の長い男か?
いや、裸だ。腰のラインがやっぱり女だ。顔はよくわからない。
首を絞めてくる。
苦しい。この間のやつは絞められても効かなかったが、こいつの握力半端ない。
死ぬ。
ハッと目が覚めた。
電気はついていないが、さっきよりずっと明るい部屋。
カーテンの隙間から日差しが。
起きてカーテンを開けた。
怖かったあ・・・
七月
期末試験も終わって試験休みに入った。
時間は十時過ぎている。でも早く起きた方だ。
リビングでは、心美がソファーでスマホを見ながらくつろいでいる。格好は黒Tシャツにショートパンツ。
「莉子おはよー」
「おはようさん」
心美は横浜の自宅を出てうちに来た。空いていた父の寝室を使っている。
うちはマンションだが5LDK。珍しいらしい。父の先輩の教授が分譲購入したものを安く借りている。
遅い朝食にする。トーストを焼く。
心美「ウチの学校の生徒ってさー、マリリンのせいかは知らないけど、部活の掛け持ちしてる人が多いよねー」
「正人もアニメ研究部と筋トレ部に入ったよ」
「筋トレ部って、ボディビルの大会目指すの?って聞いたら、そこまでしない人も多いらしいよ。それは自由なんだって。正人のやつ、竜二に「運動もしろよ」って言われて剣道部に入れられそうになったから、断るために筋トレ部に入ったってさ。」
冷蔵庫からバターを出す。
心美。今日もよくしゃべる。私よりも弟の事情に詳しい。
こ「竜二って、ケンカ裏トーナメントの優勝者じゃん?だから格闘技系の部活の先輩方がみんなで奪い合ったんだって。だから生徒会が『共有』って決めたんだって。面白くない?」
「まったく朝からよくしゃべるわね。」
「もう朝じゃねーし。」
「十時は朝だよ」
心美は反論を無視して話し続ける。『十時が朝か?』の論争は面倒だったのだろう。
「でも竜二のやつ、色んな格闘系の部活の練習をローテーションさせられてるって。文句も言わず色んな部活に顔出して。それはそれで楽しいんだってさ。変わってるよね?いい加減なやつだよねー」
トースターがチンと鳴った。まだ熱いトーストをサッと皿に乗せる。そこにバターを塗り、あとはパックのコーヒーをカップに開けて電子レンジで温める。
「ふ〜ん。竜二って猪瀬みたいだね。」
「マリリンも夏は忙しいってよ。夏休みは大会が多いからね。」
「猪瀬って一年生の時に色々な部活の体験レポートした動画が当たったから、学校公認で今も全部の部活に出てるんだよね?」
レンジがピヨピヨ鳴った。コーヒーを出して一口飲む。
心美「私は運動神経でできている、なはんて言うのよ。」
「フッ。調子に乗ってる」
「でも、どの部活も上手くって、レギュラー入りしてるのもたくさんあるってさ。正人のアニ研にも在籍してるし、この前顔出したらしいよ。」
「文化系も全部なんだ。」
「今年の夏も配信しまくるって。ゴルフにサッカー、野球に空手に弓道、ソフトボール、バスケ、テニス、ボウリング、柔道に剣道、『ナギナタ』まで出るんだって。」
「あいつ成績もいいから生徒会の部活動委員なんだよね。いつ勉強してんだ。」
トーストにかじりついてコーヒーで飲み込む。
「こらあ。野菜は?」
「野菜ジュース飲む」
「バカもの!野菜ジュースは清涼飲料水だ。繊維をとれ繊維を。刻みキャベツがあるだろが。」
「噛むと顎が疲れる」
「レンジであっためたらシナッとして量が減るのだ。」
「え?頭いいね。」
「本ばっか読んでないで家事も勉強しな。いいお嫁さんになれんよ。」
心美はパックの刻みキャベツを皿に入れてレンジに入れて温めてくれた。
「母ちゃんかよ。私には相手がいねえって。」
「莉子の性格なら本当はマリリンよりモテると思う。」
「はっは。それはどうかな。急に褒めるし。ありがとよ。部活動委員って何やるの?」
トーストを噛む。
「グラウンドとか体育館の利用時間とかで部長たちを集めて会議を仕切ってるって。竜二の「共有」を決めたのもマリリンらしいし。」
「竜二が『剣道は格闘技だ』って言うから『あああ』って今さら納得した。」
「竜二も夏休みは剣道と柔道の試合があるんだって。」
レンジがピヨピヨ鳴った。
心美は見た目の量が減った刻みキャベツにソースとマヨネーズをかけた。
「それはカロリー高いよ」
「うるさい。いいから食いな。で、正人のやつは最近家では何やってんの?私何もなければけっこう朝方だから、休みになってから会わないんだよね。」
「試験休みも夏休みも暇らしいよ。アニ研は午後からだって。毎日夜遅くまでダラダラして朝寝してる。でも薫子に生徒会の手伝いに呼び出されるって。」
キャベツを噛む。味が濃い。トーストに合うと思った。
心美は私が食べるのを見てニッと笑ってからソファに寝そべった。
こ「アニ研って何やってんの?正人って絵ェ描けるの?」
「アニ研は制作する人もいるけど、正人はもっぱら『評論』の方だって。TVアニメを詳細に解説して評論した『会報』を発行するってさ。」
「正人も莉子に似て理屈っぽいからねえ。兄弟そろって評論家だ。キシシ」
心美は笑いながらスマホを取り出して寝ながら見始めた。
「TVアニメ録画をみんなで見てヤイヤイ言いながら、絵の上手い部員たちが短編アニメを制作するんだって。」
「それも面白そう。莉子も好きそうだけど?」
「部活に参加するのはめんどくさい。私は学校が終わったらすぐ帰って寝たいから部活はやらない。」
「ダラダラしてるだけじゃん。私も忙しいのに。」
心美は前髪をいじりながらスマホで自分の動画のコメント欄をチェックしている。
心美は個人の配信アイドル活動があるので部活はやっていない。
でも去年はダンス部や軽音部に呼ばれて文化祭に出ていた。ダンスはキレキレでセンターだったし、軽音部ではボーカルで踊りながらメタルソングを歌った。みんなも絶賛だったから実力は確かだ。それも配信されている。
「莉子の部屋にもアニメのDVDとか原作ラノベとかコミックス化したのとかいっぱいあるじゃん?」
「うん。最近はミユキが借りてって見てるよ。」
「正人に聞いたけど、莉子が「あのマンガは主人公がボケカワイイ路線だったのに急に陰キャになってブレブレだったけどスポーツ部分は燃える」とか「あのマンガはアニメ化されたらストーリー変にされた」とか「あの異世界マンガは最初の謎の少女との出会いは秀逸すぎて感涙ものだけど、作者が霊とかイマイチ信じてないからこっちもイマイチ面白くない」とか「あのマンガは実際の怪異を扱ってるからマンガを置いておくと体調が悪くなる」だとか言いたい放題みたいじゃん?」
「そんなこと言ったっけ?知らーん。どの漫画よ。」
「こっちが聞きたい。」
玄関のドアホンがピンポンと鳴った。
「誰よ朝から」
「涼子っぺでしょ?」
トースト片手に行ってみると、神宮寺ニキータ涼子だった。
りょ「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
面倒なやつが来た。
りょ「え、面倒とか言わないで。分かるんだからね?」
「それが面倒だっちゅうねん」
相変わらず当然のように私の思いに返事する。
涼子はあの一件以来、毎週うちに来ていた。試験休みに入ってからは泊まっていく日もある。心美のように気づいたら居る事もあり、朝起きて来て涼子がいたりするとビックリさせられる。
服装は休みでも制服。ブラウスに赤い柔らかいリボン。グレーグリーンの膝下スカート。靴下は黒。
ローファーを足を後ろに上げて立ったまま脱いでいる。
新宗教系の学校でお嬢様教育を受けている割にガサツ。
りょ「ええ?ガサツとか言わないで。お嬢様なのは学校だけだもん。」
また当然のように心を読む。でもムッとしている表情もいちいちカワイイ。
涼子は横を向いているがちょっと笑った。カワイイと言われるのは本当は嬉しいらしい。
「今日は早いね。どうしたの?」
涼子「用事がなきゃ、来ちゃいけないの?私たち、お友達でしょ?」
カワイイこと言うが、言ってることは猪瀬と同じだ。あいつは一度会って一言でも交わせばみんな友達なのだそうだ。
りょ「はい。この本あげる。」
ソフトカバーの『霊界の秘密』という本。涼子がやっている宗教から出ている本。
本を貰うのはこれで四冊目。内容について論争してもいいのだが、言い負かして泣かれても面倒なので、二つ返事で受け取ることにしている。内容は難しくない。一ページに十一行とかで二百ページちょっとなので私なら三時間程度で読める。
でも、このところと言うか、ばあちゃんの一件ぐらいから、涼子は馴れ馴れしくなった気がする。自分の生い立ちを話したせいかもしれない。
『士は己を知る者のために死す』という言葉があるが、人間、秘密を共有すると親近感がわく。それを聞いた中学二年の時、自分の好きな人の名前を言って、みんなのも聞こうとしたら、すごく引かれて、後で「莉子はあいつが好きなんだって」と裏で噂され・・・なんて恥ずかしい事があった。思い出すと悲鳴が出てしまう。そういうのは『コミュ強』『コミュ達』が、色んな話術の中でそうして行くもので、『コミュ弱コミュ障』の私には無理だった。
涼子はスリッパに履き替えてパタパタ廊下からリビングへ。
心美がソファーから言う。
「涼子ちゃんおはよー」
りょ「おはよー」
「あれ涼子?今どうやって入ってきた?カギは?」
りょ「開いてたよ。」
「心美ィ・・・」
心美「涼子ちゃん来るの知ってたから開けといたよ。」
「物騒だろ」
「合鍵もあげといたけどね。」
「こらぁ、私の許可なく複製すんな。」
こ「ええ?どうせ、いいって言うでしょ?」
「言うけどさ。」
涼子「ごめんなさい。ありがとう」
「いいよ。来たい時に来な。」
涼子はニコッと笑った。
「ありがとう。無くさないように大事にするねっ。」
何だ、その可愛い言い回し。しかも笑顔。いつもの私なら「涼子の宗教仲間が大勢来て私を拉致した上に家財道具を売り払うかも」ぐらいの意地の悪い冗談で牽制する所だけど、言う気がなくなる。
女の私にしてそうなのだから、正人や竜二なら何でも許してしまうだろう。魔性。
「で?本当は遊びに来たんじゃないんでしょ?」
りょ「うん。軍人さんの霊が居るって聞いたんだけど。居ないのよね。」
「ああ、ミユキが言ってたね。居ない?あ、でも竜二が来たら居なくなるぐらいだから、涼子が来ても居なくなるんじゃないの?」
涼子「そうなのかなあ。ま、いいけど」
言うと涼子は息を深く吸ってゆっくり吐いて落ち着いた目をした。
と言うか真剣でゾッとするような重みを感じる眼。お祓いモードか?
涼子は言う。
「軍人さんの霊が憑依するっていうことは、莉子さん、何かと戦ってるz?」
「は?」
「憑依する側とされる側の考えていることは同じなの。いくら前世が巫女さんでも、そんな修行もしていないんだから、何でもかんでもは憑依しない。」
心美「ええ?それ面白そう。オカ研の動画ネタにしたい。」
「どこが面白いの?軽薄ね。じゃあさ、私って、死にたくて、悪口言いたくて、戦って?鬼みたいにサディストで、妖怪みたいに訳わかんなくて悪魔みたいだっての?ひどくない?ぶっ飛ばすわよ。」
心美「あははっ!」
涼子「妖怪は本質を人に見せないの。悪魔は人の欲や怒りを増幅させる。悪魔は偉い人や頭のいい人を惑わすイメージだけど、本当は大小たくさんいるから誰にでも憑くのよ。悪魔の考えの基本は嫉妬と支配欲。嫉妬心は人を不幸にしたい気持ちよ。」
「ん?まあ、それは分かるけど。」
涼子「誰でも、悪魔の思いを出せるし、神仏のような思いも出す事ができる。そういう自由な思いというものをなるべく神仏の方向に向けるのが信仰よ。」
「うん・・明快な答えだね。明快すぎる・・・」
涼子にとって当たり前の『信仰』というもの。影響されていく自分。でも、論争して否定するのも何か違う気がする。そもそも生い立ちから違うので今まで出してきた結論が違うのは仕方ない。でも私として『信仰』というものを受け入れた時、私の未来は変わるのか。
いや、涼子の言う『死の未来』など気にしていない。これからの人生の話。私の中の『方針』に合っているのか、変えるべきか変えないべきか。いやそもそも私の方針ってなんだ?
涼子「莉子さんは悩みすぎだと思うの。過去を振り返るのはいいけど、悩むのと反省は違うの。反省は神仏の目で自分を振り返って、智慧を得ることなの。悩んで辛くなることや、自分を裁く事じゃないの。」
「そうなんだ。」
心美「なんか、涼子ちゃん急にトップギア入ったね。」
りょ「悩みには同じ悩みを持っていた霊が来るわ。だから悩む時間はなるべく減らすことが必要。過去の苦しいことで悩む『持ち越し苦労』と、まだ来ていない未来のことで悩む『取り越し苦労』に没頭しそうな時は、その思いを一旦停止させて現在のことを考えた方がいいわ。今、与えられている事を振り返る。」
「う〜ん」
これも『教え』なのだろう。こういう涼子には勝てる気がしない。
「はい。すいません。」
涼子は困ったような顔をした。そして「ごめんなさい」と言った。
「え、何がごめん?」
「いろいろ言っちゃって。莉子さんに悔しい思いさせる気じゃなかったの。」
「悔しかないよ。『救い』の一環なわけでしょ?」
「う〜ん。ごめんね。」
「謝ることじゃない。」
「そうね。」
心美が口を挟んだ。
「でも、普通は友達にいきなり説教はしないよ。『怒ってるの』ってなっちゃうじゃん。」
「ああ、そういうこと?ごめんの意味がわかんなかった。」
涼子は自分で言っていて『友達にこれどうかな?』と自信がなくなったらしい。
心美「莉子は友情に疎いからね。」
「ああ?そういう言い方はない。」
涼子は軽くポンと手を叩いた。そして言う。
「はいっ。じゃあ軍人さんの霊を祓いましょう。」
「ああ、その前提の話なのね?」
「ちょっとは反省しないと霊が戻ってきちゃうし」
心美「は〜ん。そういうことね。」
「軍人さんの霊はどこいったの?」
心美「聞かないで。知らないよ。」
「ミユキは何て言ってたっけ?」
ミユキは小学生。試験休みはないからまだ学校。
心美「学校とここを行ったり来たりしているって。」
「う〜ん。私ってたまに軍人さんっぽいこと言ってるのかなあ?そうでもないでしょ?」
心美「でも莉子は戦争中の歴史のことにも詳しいじゃん?」
「書斎に本があったからね。でも流れを一通り知ってるぐらいだよ。父さんほど詳しくはない。」
涼子「多分ここにその霊と縁があるものがあるんだと思う。」
「何だろ。涼子見てくれる?」
心美「私も眼鏡で見てみる!」
父の書斎。
六畳ちょっとの部屋。壁三面に本棚が天井まであって、窓は少ししか見えず片側しか開けられない。それには棚の裏に手を突っ込んで鍵を開けないといけない。マホガニーの机と椅子。黒革張りの2人がけのソファー。机の上にはDVDプレイヤーと十四インチのモニターがある。それに加えて、父がいなくなってから正人に言って部屋の真ん中に三段の小さい棚を入れて私の部屋の読まないラノベとDVDを移動したので、かなりせせこましい。
私も正人もよく父とここで本についての話をした。休みには『講義』と言うにはラフでアバウトな話を延々とここでしたものだった。その前はやる気のない頃の私がひたすらここでDVDを見ていた。今も大してやる気はないが。プレイヤーは壊れたので二台目。最近はミユキがよく利用している。
涼子「黒く見えるところとかないですか?嫌な感じがするところとか」
涼子と眼鏡の心美があちこち本棚を見回す。
私は入り口に立っている。二人を見守る。自然と腕を組んだので現場監督みたいだ。
こ「ねえ涼子っぺ、今度の配信出てよ。」
りょ「やだあ。顔出したくない。」
こ「その顔がいいのにもったいない。でも顔出さなくても霊の話は視聴数が稼げるよ。覆面で出ない?」
りょ「やあよ。マリリンの配信にマスクして出たらいろいろ言われて、生き霊まで来たからやだ。」
こ「あ、莉子のホラーDVDから黒い煙が出てる。」
りょ「そうね。でもそれじゃない。あれよ。」
涼子は机の横の本棚を手に持ったボールペンで指し示した。
そこは手が入らないが、父の論文集が置いてある。父は歴史学の教授。
ジャージ姿の正人が書斎をのぞいた。
「何やってんの?」
「ばかやろこらあ。休みの日も早起きしな。昼夜逆転するぞ。」
「僕は姉ちゃんじゃないから夜更かししても遅刻はしないよ。」
「一言多い。用事もないくせに遅刻とか言うな。」
心美「ちょうどいいや。正人、机動かして。」
「やだよ。僕は下僕じゃねえし。」
「猪瀬のこの前の一言が刺さってんのか?困ったぞ。」
涼子がこっちを見た。
正人「あ、涼子さん、おはようございます。」
涼子「正人君おはよう。」
正人「つっ、机ですか?どっちに動かします?」
「ばかやろ」
心美「正人シネ」
へらっとした正人が机を動かすと、ビニール製のA4ファイルに閉じられた論文が見えた。
心美がその中の一つを本棚から抜いて机の上に置いた。ホコリ舞い散る。
表紙に『大東亜戦争勝利の条件』と書いてある。父の若い時の論文。
心美「すごいの出てきた。莉子こういうのも読んだの?」
「いやあ、父さんがなんかの説明の時に引っ張り出したのはよく見たけど、まともに読んだことはない。」
正人「これって父さんが助教授から教授になった時の論文じゃん?今さら何?」
心美「ミユキが言ってたね。あの霊『日本は戦争に勝てた』って言ってるって」
涼子「お父様にこれを書かせた霊かもしれないわ。」
「ここ、学校と近いしね。じゃあ父さん関係の霊かあ。あっちに行けばいいのに。」
正人「あ、でも父さんの今の立場は『それでもやっぱり負けた』ていう解釈だから、この論文はダメだったって言ってたよ。」
「ふ〜ん」
心美が正人の後ろをジッと見ている。
正人「そのメガネで見るのやめろよ。怖えだろ?」
心美「赤っぽい女の霊が見える。ピンクかなあ。でもすっげえリアル。ハッキリ見えるのは生き霊なのよね。髪は長いわね。うつむいて、前髪で顔が見えない。見せたくない?」
正人は目をすがめて、嫌な事をこれ以上我慢できないかのようにつぶやいた。
「・・・ええ?」
生き霊・・・それって私の首絞めたやつ?
「そいつって、はだか?」
「いやあ?制服だなあ。莉子?それ何言ってんの?」
涼子は腕を組んで首をかしげて上目遣いにして考え込んでいる。何そのカワイイ姿。
心美「涼子ちゃんも見える?これは何?」
涼子「言わない。」
心美「えっ」
即答。考え込んでたのに超早い。涼子は何考えてるかわからん。
涼子「恋愛がらみの事には踏み込まない事にしてるの。上手く行っても行かなくても憎まれる事が多いから。」
その時、正人の携帯が鳴った。
正人はポケットから携帯を出してそのまま部屋を出て行った。
「はいはい。え、今から?」
遠ざかる声。
心美「ええ〜?何あれ?女?」
「薫子だよ。生徒会の手伝いでよく呼び出されるから。」
心美「でも涼子ちゃんて誰と誰が付き合ってるとかって分かるの?」
涼子「ん?うん・・・見ればその人の関係する人が見えちゃうから。」
心美「ええ〜?すごおい!マリリンは、その人がそういう事を心で言ってないと分かんないってよ?」
涼子「心美さんだってそれで見ればいいでしょ?」
心美「ええこの眼鏡すごおい!今度見てみる!」
涼子「やめた方が良くてよ。」
急にお嬢様言葉。これは学校でもやってんな?
涼子「そういう相談多いの。私の能力知ってる人は知ってるから。ここに来るのも半分はその理由。逃げてきてるの。」
「霊能者も大変だね。」
りょ「そうなの。」
正人は廊下を横切って着替えを持ってゆき、ササッとシャワーを浴びて制服に着替えて出て行った。
心美「早あ。怪しいね。様子を見に行こうぜ。」
りょ「およしになった方が良くてよ。」
心美「面白いじゃん。気になるし行ってみようよ。」
心美と私は制服に着替えて学校に。
心美「別に私服でも怒られないと思うよ。」
「休日でも私服では入りずらい気がして。」
四階の生徒会室に行った。
ドアをそっと開けて中の声を聞く。
涼子は「およしに〜」なんて言ってたが結局ついてきた。
会議ができるように机と椅子が置いてあり、奥にパーティションで区切られた場所がある。
そこから声が聞こえてくる。
「あのね。この前、言った事なんだけど。」
「あれは・・・断ったじゃん。」
「でも、正人くん・・・君もさあ・・・」
「・・・」
薫子と正人の声。
心美が眼鏡をかけたまま、なんだかニヤけている。
心美の眼鏡を取ってかけてみた。
パーティションの向こうの二人が見えた。
『正人くん好きじゃないのかな。嫌がってないから、いいと思ったのにな。』
やっぱこの眼鏡すげえ。薫子の心の声がクリアに聞こえてくる。
『断ったのにな。』
正人の声も聞こえる。薫子は告白したのか。正人のやつ断ったのか。
『姉ちゃんが原因とは言えないしな。』
あん?はあ?なんつったこの野郎!
何だ?私が原因って?
あたしの体調が悪いから?
私がいるから付き合えないって?
だから断られた薫子が怒って生き霊が来たんか?
「バカヤロー!!」
心美と涼子がビクッとした。薫子と正人も驚いた顔でこっちに出てきた。
「ふざけんな!お前のことだろ!私が倒れた時、誰かいないと困るから?だから付き合えないって断るんか!お前の人生だろ!私を言い訳にすんな!あたしが死んでたらあたしのせいだろ!お前の邪魔になるってんなら死んでやるよ!」
涙が流れた。
みんな黙る中、私の鼻をすする音だけが部屋に響いていた。
薫子が意を決したように半歩前に出て言った。
「あの、莉子さん違います。」
「何が!ふざけんな!お前もそんなんで諦めんじゃねえ!うう、」
クッソ情けない。眼鏡を外して涙を拭った。
心美が眼鏡を受け取った。
正人「違うよ姉ちゃん。誘われたのは映画だよ。」
薫子「そうです。アニメ好きなはずなんだけど、断られちゃって」
「はあ?誤魔化すんじゃねえ!」
正人「ちげえよ。ダセエから言いたくなかったけど、姉ちゃんが何見たか知らないけど『アンハッピーエンドの映画はどんなに絵が良くても後味悪いから見るなよ』とか言うからさ。で、生徒会長の誘ってくれた映画って実はプレミア試写会で公開前に見ちゃったんだよね。二回目だし、オススメできない映画だから「それあんまり好きじゃない」って断っちゃったんだ・・・あの、聞いてる?」
ダメだ。間違えた。一瞬くらっとして気が遠くなった。四人の視線を感じて胸がドクドクして顔が熱い。
でも、生き霊が来てたぞ。
「でも、でもさ」
言えないけど、どこまで進展してるか知らないから言えないけどさ、薫子は正人が好きなんだろ?
私が邪魔で殺したいほどさ。だから生き霊が、
涼子「莉子さん。多分違う。違う生き霊だと思います。正人さんの方は莉子さんは見てないでしょ?」
ん、確かに正人のを眼鏡で見たのは心美だ。制服を着てたらしい。
それに薫子は思ったより小さい。あの霊は随分デカくて重かった。
間違った。
う〜ん。間違えて怒り狂って、ハズイ。ハズハズハズ!シニタレベル千二百。
正人「姉ちゃんが俺のこと考えてくれてるのはわかったよ。ありがとう」
「やめ正人」
薫子「莉子さんって優しいのね」
「ヒイイ!キャーア!」
全力で走る。逃げ帰る!
涼子「莉子さん走ってっちゃった。」
心美「あ、じゃあ私たち探しに行くわ。倒れてると困るし。ね正人」
心美は僕にウインクした。そして二人は去った。何しに来たんだ。
沈黙。気まず。
沈黙を言葉で埋めよう。
「あ、あの、そうだ。ランチにしませんか?」
「あ、ああ、もうお昼ですね。ウフ。」
姉ちゃんの誤解。
でも、誤解でもない。思えば四月から、
薫子「この前、ひどいこと言っちゃってごめんなさい。埋め合わせをしたいの。」
「今度、五月の球技会の準備、手伝ってくださる?その後ランチしません?」
「大学の講堂でゲーム選手権があるの。生徒会枠で観戦チケットもらえたの。」
「この映画の前売り券、手に入ったんだけど。」
毎月なんだかんだと誘われている。
生徒会への勧誘かと思ったが、それにしては誘う時、モジモジしていて可愛らしい。
普段キビキビしていて、結構命令調なのに。
「じゃあ、行きますか」
出ようと歩くとシャツの背中をつままれて、くっと引かれた。
「まって」
「え?」振り返った。
「あの・・・」
生徒会長の顔がいつもにも増して白い。血の気が引いている。震える両手を胸の前でぎゅっと握っている。
「お姉さんの言った事なんだけど」
「あ、ああ、気にしないでください。姉そそっかしいんで」
「ちがう」
「・・・」
どうしよう。何か言うべきか、何も言わないべきか、
「・・・」
生徒会長はぎゅっと目を閉じた。そしてカッと目を開いて僕を睨んで叫んだ!
「私と付き合って欲しい!」
反射的に目を閉じた。目を開くと生徒会長は答えを待っている。その手と唇がワナワナしている。
あの会長が、可哀想なぐらい緊張して、今にも泣き出しそう。
けなげだ。もとから嫌いじゃない。好きなタイプだった。伝えよう。
「はい。ありがとう。」
会長が「はっ」と息を吸い込んだ。大きな口を開けてフルスマイル。顔には赤みが差した。
と思ったら泣き顔になって震える手で口を押さえた。
何か言おうとしたら、会長は右手で口を押さえて何も言わないまま、左手を向けて「ごめんね。ありがとう」みたく何度もうなづいた。いや、読心術などできないが確かに伝わるものだ。
2
走っていたけど、苦しくて倒れるのは嫌なので早歩き。
恥ず。いや、さっきの事は考えないぞ。考えん。
マンションに帰ってきた。ソファーかベッドに入って寝てしまいたい。早く忘れるんだ。
エレベーター、廊下、ドア、開ける。
ミユキが玄関で膝を抱えて座っていた。
「え、何してんのミユキ?」
「スマホに連絡来てないの?友達に憑いていた子供の霊を送ってあげたら疲れちゃった。フラフラしてたら先生が帰りなさいって」
「じゃなくて。なら部屋で休んでればいいじゃん」
「隣の書斎でガタガタ音がして怖いの」
「ポルターガイストか」
「たぶん軍人さんの霊。」
「来たか。」
私も玄関に座って一休みした。
「ミユキ?お前『たぶん』って、そいつ見えないの?」
「色々一通り説教したから、私には会いたくないみたい。莉子ちゃんたちと話したいみたいよ。」
「ああそう。」
コトン、バタンと書斎で音がした。
来るように言っているかのように。
程なく心美と涼子が帰ってきた。
出迎えたミユキを見るなり涼子は「あら大変だったね」と言って両手を合わせた。分かるんかい。
ミユキも両手合わせて二人で祈る。
眼鏡をかけた後なので霊的な光が見える。
上からサーッと光が差してミユキを照らすと、その身体が光を帯びて、白かった頬に赤みが差した。
ミユキ「涼子さん。ありがとー!」
ミユキは涼子にキュッと抱きついた。涼子も背中を抱いてミユキの頭を撫でた。
子供の役得だな。でも私は別に抱きつきたくない。
書斎に向かう。
心美の眼鏡をまた借りた。
心美「私も見たいんだけど。」
「でも父さんが絡んでるから私の責任。もし祟るなら私の方に来るでしょ?」
心美は両手を合わせてわざとらしく言った。
「まもってくれるの?男前!」
「ばかやろ。男じゃねえ」
書斎のドアを開けると、私のDVDやラノベが床に散らばっていた。やられた。
動かした机の横、論文集のある棚の前に緑の軍服の人が立っていた。顔は若い。二十代かも。
言葉が聞こえた。
『ふん。男だ女だ恋愛だ?俺の十五から二十歳は毎日訓練さ。』
走ったり這いつくばったり、士官に竹刀で背中を叩かれたり、そんな姿が見えた。
『将来の?お前らが、お気楽に生きられるように?俺たちは命を捨てたのさ。』
「嫌味だねえ」
『後世のお前らが殺さなければならなくなる前に、敵を殺し、敵に突撃して死んだのさ!』
唖然。閉口。すげえ嫌味。
「あの、それは申し訳ないけど、暴れないで」
『それを?日本軍は凶暴だったって?現地の女を犯したって?日本軍全部がそうだったわけじゃねえ!我らは皇軍ぞ!天皇陛下の軍隊ぞ!バカやってたのは一部の心の弱い連中だ!』
バチン!とラップ音がした。
「何ですか急に?」
心美「莉子?霊の人なんか言ってるの?」
「ご立腹だわ。」
『俺を放っといて弟の恋愛沙汰を見に行ったろが!』
「あああ。」
『俺は意見があるんだ!』
また、バチン!とラップ音がして棚のDVDが床に落ちた。
「ああもう!やめて!あたしの!」
『ふん。そんなもの何の値打ちもない。』
床に座って拾い集める。
涼子「強い霊。雄弁に語るし、物理現象まで起こせる。」
「もういい。じゃあ聞こうか?いや、私が霊の言ってる事を話すよ。」
ミユキ「危なくない?」
涼子「危なそうなら護るわ。」
リビングに父さんの論文を持ってきてローテーブルの上に置いた。
みんなソファーに座った。緑の軍服の霊は私の隣に座った。詰襟が緑の学生服みたいで、なんかカッコいい。
正人も帰ってきた。軽くランチして来たそうだ。薫子は家の用事で帰ったという。
でも終始ニヤけてるし、メガネのせいで告白の様子も見えてしまう。でも言わない。弟の恋愛なんて興味ない。
霊『大体、昔は告白なんてせずとも周囲が決めてくれたもんだ。男子が破廉恥な事を言うもんじゃない。』
「それは嫉妬なの?」
『いや、俺は結婚なんかよりお国のために命を捧げる事を選んだ。それについて後悔はない。俺は志願兵で、自ら職業軍人の道を選んだ。』
正人が「姉ちゃんたち昼食べてないでしょ?」と、小皿に分けたサンドイッチやお菓子とパックのジュースをみんなの前に置いた。気が利く。
『食いながら真面目な話か。行儀が悪いな。でもよかろう。お前が倒れてもいかん。』
「あ、優しい」
『俺は悪霊とは違う。お前に取り憑くのだって、お前が義憤にたぎった時に吸い込まれるように同化するんであって、祟る気など毛頭ない。』
涼子「それはどうかしら?祟る気がなくても結果は同じになっている場合が多々あります。」
『ふん。光る女の圧迫感にも負ける気はない。俺は神の前に一点の恥ずるところも無い。』
涼子「そう言う悪魔もいるんです。信念が強いばかりで人を受け入れない霊です。」
心美「やだあ、霊と雑談しないで。私にも教えて。」
「ごめん心美。じゃあ霊の人、話して。ばあちゃんの時みたく、かいつまんで私が話すよ。」
俺は言ったように職業軍人だった。
昭和十六年、日本は欧米の経済封鎖に対抗するため、油田がある南方、今で言う東南アジアに進軍した。俺は陸軍空挺部隊としてボルネオに輸送機から落下傘で降りた。
「ボルネオは今のインドネシアの北あたりかな?落下傘はパラシュートね。」
心美「スカイダイビングか!」
霊は不満げにしたが続けた。私も聞いてそのまま話す。
でもな、俺が降りたところは運悪く岩場でな。そこで足を折った。当時の日本軍人は死ぬことに美学を持っていた。『武士道は死ぬことと見つけたり』という言葉が有名な江戸時代に書かれた『葉隠』という本にあって、それが若い兵士の愛読書だった。職業軍人は皆、死を恐れなかったぞ。のちに『学徒動員』で召集される学生とかにその武士道精神を持てと言うのは酷だったかもしれん。
「あの、ちょっとゆっくり喋ってね。古い用語が分かりずらい。」
『俺は着地の時に運悪く足を折った。もう戦えないから死のうと思っていたが、上官や同期の連中が止めてくれた。俺は地元民に助けられながら港まで行き、三日後に来た輸送船で日本に帰った。治療が悪くて歩けるものの戦場で走ることなどはできなくなった。しかしな、後で聞いたら俺の上官や同期はマレーに転戦し、敵の機関銃トーチカに突撃して死んだと分かった。俺は生き残ったことを悔やんだ。』
昭和十七年。俺は内地の政治将校の付き人となり、その後、愛国心教育を推進するため都内の学校を回ることになった。その後は駐留兵として学校教育を監督する役目をしていた。
『八紘一宇・人類は一家』とか『大東亜共栄圏』とかを現場教師に教えさせる、そういう立場だった。のちには英語の使用禁止とか、共産主義者の摘発にも関わった。
昭和十九年。子供達は米軍の空襲を避けるために地方に疎開した。俺は軍歴だけは長かったので、当時の階級は軍曹だったが、内地に残っていた軍人の中では階級の高い方だった。子供達のいる埼玉、千葉、栃木、群馬と東京を往復し、防火訓練と軍事教練を指導した。竹槍で敵を刺す訓練や、背の低い者は敵に飛びついて噛み付く事を教えた。
戦後、霊になって米兵を見た時、その『デカさ』に唖然となった。実際に子供たちが教練のように米兵を殺せたか?それは疑わしく思った。しかし、根性を養う訓練であったとすれば無駄では無い。
他にも敵の爆撃機が銀色で綺麗だなどという女学生を見て、教師に張り倒すよう言った事もある。
行き過ぎがあった事は俺もよく分かっている。
昭和二十年三月。東京大空襲があり、住民を山の手の高台に避難させている時に自分は逃げきれず焼け死んだ。
その後は霊として日本のあり方を見つめて来た。
「う〜ん。言ってて難しいや。」
『ま、戦前の軍人の言う事だ。それは許せ。』
正人が食べ終わったお菓子やサンドイッチの包装を片付けた。
涼子が言う。
「あなたは死んだことがわかっていて地上にいるんですか?」
来た。説得する気だ。
『まあな。教育は俺の天命だ。日本を守るために魂をこの大和の国に留めおいているのだ。』
涼子「天国に一度還ってから、また降りて来たということ?」
『いや。八十年以上ずっと地上にいる。その間、俺の意見と似た考えの人間に意見を言わせたりして来た。その論文は俺がお前の親父に入って書かせたものだ。』
心美が私の眼鏡をサッと奪った。
「ちょっとやめなって」
もう眼鏡をかけている。
「あらカッコいい。映画の人みたい。」
「祟るかもって言ったでしょ?」
「そんな雰囲気じゃなかったし、その時はその時よ」
心美は眼鏡を返して来た。これで心美も、しばらくは霊視と霊聴ができるだろう。
涼子「八十年も。その間、考えの違う人たちに害を与えた事はありますか?」
『そういう霊たちもいる。でも俺は教育者だ。戦っても一兵卒に過ぎん。それより俺は考え方を教える能力の方が高い。だから『日本は勝てた。日本も強い国だった』と知らしめようとそればかり考えて来た。』
涼子「戦場には悪魔が暗躍すると言います。軍人系の悪魔もいる。軍人系の思想家で地獄の無間地獄に隔離されている霊人もいるわ。あなたが過去に反対の考えの人に取り憑いて殺したり、その考えの間違いで大勢を狂わせて不幸にしてたなら、そういう地獄に行き、地上に同じような考えの人がいたら波長があって憑依してしまう。」
霊『う〜ん。違うな。俺は、そういうんでは無い。残念だが足を折って戦場には立っていないし、日本でも生前も死後も『殺し』はやってないし、正しい事実を教えたいと願っている。共産主義者の摘発にも関わったが、それは国民全員強制であって、兵士の自分が断れるものでもない。見逃してやっても、やっぱり他から密告されて捕まってしまったしな。』
涼子「・・・でも、自分の考え方を分かってほしいと言って地上に居続けるのは承認欲求が強すぎるのではないですか?それは自己顕示欲というものではないですか?
『う〜ん、分からんかなあ。自己顕示欲などではない。欲望など兵士になった時から捨てている。帝国軍人は日本のために戦い、日本のために死ぬ。それが俺の在り方だと信じている。』
涼子「あなたは誰に怒っているのですか?怒りは魂を毒し、害するのです。自分のために怒っているのではないですか?」
『個人的な怒りとは言えんな。正義の怒りだ。欧米の植民地主義、アメリカのルーズベルト大統領やアメリカ民主党そして日本をダメにしたアメリカ占領軍。諜報活動で日本をダメにしたソビエト共産党。あるいは今の中国共産党の国際的スパイ活動。日本もどんどん左傾化しておるわ。こんな事を許しておいてはいかん」
「あなたは霊です。霊には霊の居場所がある。もうこの世のことは諦めて一度あの世に帰ってください。あの世にもそういう仕事があるでしょうから」
『それもミユキに聞いた話だな。でも日本神道的には『成仏』ってないのよ。しかし『上の世界』があることは知っている。お呼びがないから行く気はない』
「それは行こうと思わなければダメですよ。あなたは謙虚になった方が良いと思う」
『謙虚だよ。俺は生粋の帝国軍人だ。いつも自分を滅して日本の神々を信じ『現人神』である天皇陛下を信じ、『忠君愛国』『滅私奉公』日本に殉ずることを考えている。』
「あなたは、本当に信仰を持っていますか?神を信じていますか?真剣に祈れば誰かが必ず助けに来るはずです。誰も信じず孤独なのでは?孤独で寒いのは地獄ですよ。」
『何を言っとるか。俺は天皇陛下と日本の神々を信じていると言っておるだろが。無神論と戦うために縁ある人に働きかけて意見を言わせて来たのが俺だ。』
涼子「う〜ん。確かにたまに莉子さんのお父様とかに入って学生たちに話してますね。お父様、TVの時は天国の神道系の霊人が話してるけど、この軍人さん変わった人だわ。」
なんかダメだな。跳ね返されてる感じがする。
心美「なんだか難しそう。昔の大人の人だし」
涼子は言う。
「でも憑依は罪です。誰かを利用して思うように動かす事は罪なんです。」
『いや、俺も相手に入りこむ事は滅多にできない。隣に立って囁くぐらいが普通だ。ミユキの守護霊だって囁いたりはしてるだろ?』
涼子「あなたは一度天上界に帰って、色々知るべきです。あの世に帰れば秘された歴史も知ることが出来ます。知らずに犯す罪は大きいのです。もし、様々な人を自分の憑依の対象と考えて居るのならば、私はあなたを祓い封じ込めなければならない。」
来た。涼子、本当にやるのか?
霊人は無言で涼子を見る。涼子は相変わらず燦々と光っている。
霊『良かろう。祓ってくれ。俺は日本を守るために戦後ずっと存在して来た。守った子孫が神々の代わりに俺を封じると言うなら、俺はそれを甘んじて受けよう。消滅させるなり、封印するなり好きにするがいい。』
涼子は黙って霊をじっと見た。
霊は言う。
『俺は日本を愛している。日本人を愛している。お前たちも愛している。』
霊の胸の辺りが白く光った。その光が私の胸に入って温かくなった。
霊『俺は日本人やアジアの人のためと思って戦うように教育された。それは間違ってるとは思っていない。本当の意味で、日本とアジアを救うために俺たち帝国軍人は命を捨てた。欧米の植民地主義と戦った。だから、今の世界は人間平等、人種平等が正しい事だとされているはずだ。昔はそうじゃなかったんだよ。アフリカやアジアの有色人種は、武力を持った白人の奴隷さ。日本もそれを真似してしまったのが罪だと言うなら、それは甘んじて受ける。でも俺は、俺の魂は、神の前に立っても恥ずかしいところは一つもない。』
涙が出た。心が熱くなった。この人は本当にそう思っているのだろう。
涼子も泣いている。
ミユキ「この人の考え方はそんなに邪悪じゃないの。たまに怒鳴るけど。でも、日本は勝てたっていう話がしたいらしいの。」
私が聞いてみる。
「日本が勝てた方がいいと思っているんですか?」
霊は涙を拭いて言った。
『今の日本をみろ。男は女のようにナヨナヨし、女はガツガツと上を目指して男のようだ。戦争に負けたせいで占領軍に信仰を骨抜きにされマルクス主義を導入され無神論教育をされたせいだ。戦前の日本は世界の五大強国の一つであって世界一の大国を目指していた。その誇りを失い、欧米の言うなりだ。今や中国や韓国の言うなりになりつつある。戦前と同じにしろとは言わない。でも日本を建て直したいとは思わんのか?お前たちの新宗教だって政治部門があって同じような事言ってるんじゃないのか?』
涼子はうつむいた。
ダメだな。成仏させるっていうより、向こうが正しい気がしちゃう。
涼子はポツリと「私には祓えません。」と言った。
涼子が黙ってしまったので、そのままみんな時間を過ごしていた。
霊も始めは色々言っていたが、私たちもだらだらしていたら居なくなった。
そのうち日が暮れた。
正人「夕飯は?カレーでいい?」
涼子「手伝います。」
正人「ああ、イイですよ。レトルトあっためるだけだし」
「涼子座ってな。ナヨナヨ男に仕事させな。」
正人「誰がだよ。」
涼子は苦笑して私の横に座った。
みんなでまたソファーに座った。
ミユキ「前に、あの世の偉い軍人さんを呼んで連れて行ってもらおうとして、私の水蓮さんに頼んだけど逃げちゃったの。」
「神の力で成仏させられないの?ああ、仏の力?あるいは消す?もったいないか。」
涼子「霊魂は不滅なの。私たちの前に現れなくはできる。でもどこかに存在してる。念力の集合体とかなら消滅させるなりすることはできるわ。でも魂は消せない。成仏するのは、本人の執着がなくなって、納得すれば自然に上がれるんだけど、本人の意思が固いと難しい。」
心美「頑固そうだったね。でも莉子、アメリカに日本が勝てると思う?あのアメリカでしょ?」
「あのってどのアメリカか知らんけど、戦前は日本の海軍は強かったらしいし、空母って、戦闘機飛ばす船持ってる国は日本とアメリカ・イギリスぐらいだったって。でもGDPで言うとアメリカの方が何十倍もあって、」
心美「GDPなんて言われても分からん」
霊の声がした。
『簡単に言うと国力だな。でも明治の日露戦争だってロシアは日本の十倍の国力と言われたのに勝利したんだぞ。俺は職業軍人だ。やり方によってはアメリカにも勝利できたと確信している。』
「来ちゃったよ」
かけっぱなしだった眼鏡を心美に渡した。
「あんたのクラスの選択教科日本史でしょ?」
心美「まだ室町時代だよ。近代史に入る前に卒業しちゃう」
霊 『それは評価の難しい近代史を学校の方で教えたくないんだろう。大学で教える方針なのだろうな。』
涼子「日本が勝ったら世界はどうなったでしょうか」
『アメリカに勝てば世界最強だな。当時の満州のようにアジア各地と世界を近代化する。アメリカやヨーロッパには少し没落してもらうだろうな』
涼子「生活水準で言うと欧米の方が相当上だったから、彼らは日本人の言う事を聞きたくないでしょうね」
「具体的には?どうやったら勝ったの?」
正人がカレーを運んできた。
霊『おまえはあの論文を読んでないんだったな。まずは真珠湾攻撃だ。あの戦いは勝利と言われているが、現在は不十分だったと言われている。ハワイを占領しアメリカ西海岸に攻め込み、パナマ運河を封鎖し米本土攻撃。それからの和平案提示。これが第一の作戦案だ。これは、って聞いてるのか?』
みんなカレーに夢中だった。
代表して答える。
「なんか凄そうだと思う。でもそれで勝利できるかできないかよく分からない。」
心美「パナマ運河ってどこだっけ?」
ミユキ「エジプトにあるやつだよ。」
霊『あれはスエズ運河。』
「ミユキ、霊にツッコまれたぞ。」
ミユキは真っ赤になってうつむいた。
涼子「そんなこと言われても、みんなピンときてません。」
『ど素人め。もっと歴史を勉強しろ。戦争史を学べ。』
「父さんにきてもらう?でも「成仏させる為に話して」って言ってもな・・・」
心美「そういう軍隊の話は男子がやることだよね?」
正人「でも僕だって戦争の暗い悲しい話なんて聞きたくない。」
霊『悲しくはないさ。勝つ話だ。』
「リアリティーがないよね。」
『バカもん。ロシア・ウクライナ戦争だって、イスラエルのことだって構図は似たものがあるんだ。日本人は戦後教育のせいで軍事否定だが、欧米人は軍事も勉強する。これは帝王学の一つだ。ずるいと思わんか?』
「それは自衛隊の人とかがやればいいんじゃないかな。」
心美「じゃあ涼子ちゃんのお兄さんは?元自衛官でしょ?」
涼子「ああ、適任かも。お兄ちゃんは高校卒業して、自衛隊入って基本訓練が終わって普通科に三年いて、四年めに自衛隊員辞める前、半年ぐらい『戦史研究部門』の手伝いをしていたらしいから。」
「四年めってずいぶん半端だけど」
涼子「だってもし戦争になったら、左翼政権だったら『戦う命令が出ない』って事もあるかもしれないから、そうしたら日本が守れない、って言って、『やってられるか!』って辞めちゃったの。今は政治家を目指して勉強中。」
心美「ヤダかっこいい。今のお仕事は?」
涼子「今はゼネコン。ちょうど二年めに入った所よ。」
「心美ぃ。そいうの好みだったっけ?」
心美「写真!写真ないの?」
霊が呆れる。
涼子はスマホの写真を見せた。
金髪童顔。隣の涼子より背が低い。涼子の身長は私より五センチぐらい高いから、お兄ちゃんの身長は私と同じぐらいか。
涼子「お兄ちゃんは父似なの。」
別の写真。白い半袖ワイシャツにチノパン。腕の筋肉がいい。ダンスユニットにいそう。私は細マッチョ好き。
心美「ヤダ可愛いー」
涼子「あのでも、兄は金髪ハーフで目立ちゃってるのに自衛隊員のなかでしごかれても平気だったぐらいで、『男の中の男』みたいな人だから簡単に言い寄るような女の人はみんな振られるけど?」
心美「ええ〜?このルックスで男っぽいなんて好きになっちゃう!」
ダメだこいつ。フラれる。いや、フラれろ。
3
翌日。土曜日。
昼前に、涼子と一緒に小柄な男性がやって来た。
金髪童顔のハーフっぽい男。今日はデニムに紺色のTシャツ。胸にNAVYと書いてある。
顔は涼子に少し似ている。目は涼子のように黒くて青い。でも目つきはライオンのように強く、視線恐怖症気味の私は長く見ていられない。
心美は彼を見た瞬間、大口を開けてパシッと手を叩いて喜んだ。
男「どうも。神宮寺ロバート優利です。」
心美「斉田心美です!よろしくねっ!」
心美は手を出した。握手だ。
優利はそっと握手に応じた。
心美はそれだけで、にま〜っとした。
涼子はそそくさと靴を脱いでスリッパに履き替え、中に入っていった。関わりたくないかのように。
心美「なんて呼べばいいですか?」
優利「神宮寺でもロバートでも優利でもいいよ」
心美「じゃあ優利さんでいいですか?」
心美こらあ。手を離せ。ずっと握手してるんじゃない。
と思ったら、優利が私を見た。思っていることが聞こえたみたいに。涼子の兄だったらそれはあり得る。
でも初対面は苦手。異性ならなおさら。うつむいた。肩がすくんだ。
この前のチンピラは異性に入っていない。ノーカウント。
優利「君は?」
「い、岩見沢です。」
ゆ「フッ。涼子が言った通りだ。莉子のことは聞いてるよ。」
「よ、呼び捨て?」
ゆ「高校では先輩じゃなければみんな呼び捨てだったけど、ダメか?」
「え、いいけど、じゃあ私、優利くんって読んでいい?」
心美は手を離して両腕を下にビンと伸ばして私に怒る。
「ちょっとぉ!なんで差をつけるわけ?私がさん付けなのに!」
「そんな怒る?」
優利「あっはは!なんて呼んでもいいよ」
心美は優利が笑ったので「ウフ」と笑顔で誤魔化した。
ミユキもニコニコしている。
「ぎょううんじミユキです。どうぞ上がってください。昼食を用意してます。」
ゆ「しっかりしてるね。ありがとう。」
優利は靴を脱いでミユキについて奥に入っていった。
心美「ヤダかわいい〜」
「失礼でしょ?ねえ、いきなり告るのだけはやめてね?フラれて気まずいのはヤダ。」
こ「ええ?そんな女だと思ってるわけ?心外だわ。でも今日告るのもアリか。ウフフ」
ウフフじゃねえ。言わなきゃよかったかも知んない。
リビング
今日の昼食は、心美特製の肉じゃが。昔「男は肉じゃがが好き」と女子に言われていたが、男子の間ではそうでもなかったという肉じゃが。その話をしたら心美は「作ってから言わないでよ。お兄さんのために作ってるのに」と怒ったが、「肉じゃがはそのままカレールゥを入れて軽く煮ればそのままカレーになるのよ。そうだ莉子、頑張って長引かせて!夕食はカレーにして私が料理のうまい家庭的な女だとアピールするのよ!」と言っていた。呆れる。
みんなソファーに座った。
正人は「生徒会に呼ばれた」と、よそ行きの服装で出かけた。正人の服装なんか知らんが、デートだろう。
エプロンをつけた心美が給仕する。胸に『piyo piyo』とひよこの絵が描いてある。
いつもはエプロンなんか付けた事がない。やってんな?
「先に召し上がってください。」
涼子と優利は両手を合わせて「いただきます」と言って食べ始めた。一瞬、食事前の祈りが始まるかとドキドキしたが、考えればミユキはそんなこと言った事がないので、その辺はゆるいらしい。つられて私とミユキも両手を合わせて「いただきます」した。
心美が自分の分をローテーブルに置いてから、エプロンを近くで脱いで席に着く。近くで脱ぐ?やってんな?
服装はOL風ワイシャツをラフに来て、下は短パン。シャツの裾は外に出しているので、短パンが見えづらくて履いてないかに見える。やってんな?ギルティ。
前に「男は女子のワイシャツ姿が好き」と言っていた。やってる。やってしかない。有罪。
肉じゃがを食べる。私の皿は涼子の半分の量。あんまり食べると吐くから。心美よく分かってらっしゃる。
優利は食べながら言う。
「涼子は金欠か。学生の悲哀だよな。」
涼子「やだ、ごめん。言わないで。後で返すから。」
優利「いいよ。要らない。なんかの時に交通費出してくれ。」
心美「ええ?涼子ちゃんち、お金持ちじゃないの?」
優利「うちの収入は平均ぐらいだろね。」
先月は、ばあちゃんのことで、私と折半で山梨までの交通費を出したし、しかも毎週うちまで来ている。
あの時の交通費は『ばあちゃんの甲州金貨で払う』と言ったが約束通り半分しか受け取らなかった。
涼子は「お祓いで見返りを期待するようになったら危ないから」と言っていた。意固地なやつだ。
涼子がこっちを見た。伝わった。こういうのも慣れて来た。言う。
「涼子の教団だって祈願代とかとるんでしょ?」
「とるよ。それはこの唯物論の世の中で信仰を広げないといけないんだからお金は要るよ。タイム・イズ・マネーだけど逆にマネー・イズ・タイムでもあるの。お金で時短ができるのよ。」
むむ。スラスラ言うけど普通の高校生はそんなこと言えないぞ。
優利「あっはっは!涼子も信者歴は長いしな。」
「兄ィ、私の心読まないで」
優利「フッ。涼子は月に何回も両親がいる山梨の研究所に通ってたんだが最近行けてなくて泣いてたろ?」
涼子「言わないでって。」
「え、泣くぐらいなら交通費受け取ってよ」
涼子「欲が出ちゃうのが怖い」
心美「本当に修行みたいだね。私なら三倍はいただくわね。」
優利「霊能者は悪霊と関わるから自分で戒律を持ってないと危ないのさ」
言いながら優利は肉じゃがをかきこんで、ご飯を食べて味噌汁をすすった。
心美は満足そうに微笑んでそれを見ている。よかったね。まあ本題に入ろう。
「でさ、あの軍人さんって憑依霊で不成仏霊なの?」
涼子「そう。天上界の霊なら明るいし孤独じゃないし。あの人も心根は悪くないと思うんだけど、戦争のことにこだわりがあって執着しているから地上にずっといるんだと思う。」
ミユキ「千恵子おばあちゃんは?戦前生まれだからわかるでしょ?天国から来てもらおうよ。」
「でも『戦争なんか辛いばっかりで何にもいい事ない』って言ってたよ?『日本は勝てる』なんて言ってる霊と話したくないでしょ?」
緑の軍服の人が現れた。
『負け戦だからな。負けたらいいことなんて一つもないさ。戦争は絶対負けちゃダメなんだ。』
実はこの人、朝からいる。
リビングのGンダムのフィギュアを倒したりして存在を主張するので、心美と代わる代わるあの眼鏡をかけて「やめてよ」とか制止したりしていた。
そのせいで優利くんのオーラが見える。涼子のようにオーラがデカくて後光もデカい。二人して霊光を放っている。ミユキだってこうして見ると結構光っている。でも光の大きさは涼子の四分の一もないだろう。色は涼子が白っぽい黄色だが、優利くんは赤っぽい。
心美は思いに答えるように私に言った。眼鏡をかけた後は思いもわかってしまう。
「そうかな。二人とも金色にしか見えないけど。ああ、ミユキちゃんも。莉子は青いよ。」
こいつは、前にこの眼鏡をかけて一日中電車に乗って関東の心霊スポットを回ったやつだから、大勢のオーラも見比べたのだろう。人を見る目は私と違うのかもしれない。
涼子「そうね。綺麗な青。好き。」
好きとか言うな。
涼子「ウフ」
普通のその辺の浮遊霊とかは、ミユキぐらいになら寄ってくるのだが、涼子のようなギンギンの光を見ると萎縮して逃げてしまう。でもこの軍人の霊は平気で喋る。相当念力が強いらしい。
霊『あのばばあも当時は子供だからな。戦争で割を食うのは女と子供だ。だいたい女は戦争の話は嫌いだ。男だって女子供を護れなかったら悔しくて天国なんか行けんだろ?』
「でもさ、日本が占領した相手の国も、やっぱりいい事なんて無かったんじゃないの?」
霊『白人の占領下で奴隷扱いよりはいいだろう。当時は『白人優位説』で白人が有色人種より全てにおいて上だと連中は信じていたから人種差別はそれは酷いものだった。欧米人がキリスト教で『人を殺すなかれ』と言われているのに戦争で人を殺せるのは、異教徒は人間じゃないと思ってる証拠だろ?・・・でも占領された側がどう思うかはどうにも出来んから、日本の支配も『いい事なし』と言われたら、まあ認めよう。』
優利「へえ、認めるんだ。この人すごいね。」
『軍人てのはリアリストだ。突き詰めれば、政治信条に関わりなく勝利のために突き進むものだと思っている。でも当時の政治信条を言えば、日本だって『大東亜共栄圏』でアジアの近代化をして欧米に対抗しようと思ってはいた。建前じゃない。本当に信じていたやつは沢山いた。台湾の統治はうまくいっていたし、朝鮮や満州にもインフラ投資して近代化したのは日本だぜ?建前だけで命がかけられるか?』
「う〜ん。よくしゃべりますねえ。」
『生きてればジジイだからな。ジジイは話が長いものさ。で、当時言っていたのは『人種差別撤廃!打倒・植民地主義!』だ。それは欧米は絶対言われたくない事だったよな?当時の日本人の主張は今の欧米諸国も隠蔽したい事実だろうよ。』
優利くんは「うんうん」と言いながらご飯と味噌汁を空にした。
でも、ごもっともなんだけど、この人「未成仏」っていうか、成仏する気がないから「不成仏」なんだよね。
ミユキ「日本は勝てたとみんなに知らせたい、のよね?」
みんな大体食べ終えたので、心美は立ち上がって片付け始めた。
ミユキ「あ、あたし手伝う。」
涼子は立ち上がらない。両手を広げて膝の上に乗せて、弥勒菩薩像のように半眼のままじっと座っている。
涼子の頭に上から光線が降りている。その光が涼子の頭から燦々と周囲に広がって、なんか心地良い雰囲気になっている。
涼子「光で結界を張っているの。こういう話をしていると軍人さん系の不成仏霊が集まってくるから。」
優利「じゃあその日本が勝てるプランって聞いてみようか。」
「父さんにも聞いてみようか。歴史学者だし、この論文書いた人だから。」
横に置いてあった父さんの論文『大東亜戦争勝利の条件』をテーブルに置いた。
優利くんがとって読んだ。
私は携帯で電話する。呼び出しの間、優利くんに補足。
「あ、父さんの今の意見は違うってよ?」
心美がキッチンから言う。
「でもそれじゃ、霊の声がお父さんには聞こえないよ。」
「そっか、」
優利「その時は俺に霊を入れて話してもらうよ。」
「そんなのも出来るんだ。すごいね。」
優利「神様は入れられないけどね。普通の霊なら出来る。一時間も出来ないけどね。」
「父さん出ないわ。メールしとく。」
心美「ラインは?」
「苦手なの。」
「何がよ」
「失敗してみんなに失言したら怖い」
「そんな事ないよ」
結界の光を供給しつつ涼子が言う。
「うふ。私も苦手。」
「ほら見ろ。」
心美「原始人どもが」
気にせず『電話して』とメールして置いた。
父の大学は埼玉の山奥の秩父にある。池袋から西武線で二時間。来てくれとは言えないが、元は父の縁で来た霊なのだから、父にも責任を取らせたい。
この前、秩父の父母に会いに行った時、車中で本を読んでいた。あれは『パラレル世界の数学的説明ー虚数の世界』という本だった。難しいが数式部分を飛ばせば意味が分かるので購入した本だった。高校受験までは数学が得意だったが、オタク化が進んで今や方程式も解けない。
心美が食後のコーヒーを運んでくれた。気が利くが、私のためじゃない。優利くんのためだ。
心美「これは涼子ちゃんから。」
小皿にホールから八分の一に切り分けたチョコレートチーズケーキが。
涼子「んん、私のばあちゃんから」
「ありがとう。ばあちゃん気が効くね。」
でも涼子は器用だ。不成仏霊の軍人さんを残して周囲に結界を張ったという。そして今はくつろいでいる風だがたまにチラッと外を見るので他の霊が近づくのを警戒はしているらしい。
優利くんは論文を読みながらコーヒーをすすった。
ロバート優利。涼子の兄。女をすぐふる、というから気難しいのかもしれない。
私なんかは口が悪いから話す自信がない。
でも、それでいいんだ。付き合いたいわけでもないし、仲良くする必要もないんだ。
優利くんは顔を上げて私を見た。
ゆ「肩すくめてどうした?」
「え、そうだった?」
反射的に肩が上がっていた。無意識に縮こまっていた。無意識は困ったものだ。
優利くんは論文に目を通しながら言う。
「でも涼子に聞いたイメージと違って慎ましい女じゃん」
「は?私の事?つ、慎ましい?」
心美が言う。
「この人、人見知りなの。」
優利「ちょこんとしてて、かわいいじゃん。」
「か、かか、可愛いとか言うな。縮こまってただけ」
ゆ「好きとかじゃねえからな。誤解すんなよ。」
「はあ?き、聞いてるぞ。すぐに女振るって。そのくせに女を褒めるんじゃない。お前、悪い男だ。」
ゆ「あはは!やっぱり涼子の言う通りガンガンにくるやつだな。面白れえ。」
「おまえら、って涼子もだけど、口に気をつけろ。周りを煽ってんぞ。」
ゆ「アハハハハ!」
心美「あんたの方が口悪いじゃん。」
でも思ったよりも優しい。涼子が『男の中の男』とか言うから、どんなドS男かと思った。
優利くんは、褒めたり好感を伝えたりして気を遣ってくれた。
でもその事実が不本意だったりする。それにまたキツイことを言ってしまった。
大体、家族以外の異性と話す回路がない。
そんな私を責めるでもなく笑ってくれた。好きになっちゃうからやめて欲しい。
心美が睨んでいる。分かったよ。邪魔しないし。そうだった。今はみんなに心の中が筒抜けだった。
心美「優利さんは、涼子ちゃんと比べて霊能力はどうなの?」
ゆ「同レベルかなあ。でも、見る見ないはコントロールできる。」
それすごいな。
優利くんは論文を閉じて言った。
「そろそろ始める?」
4
優利「でもすごいな。よく勉強してるわ。あなたのお名前は?」
霊が言う。
『俺は芹沢勇次郎。大正十年生まれ。大東亜戦争開戦時は二十歳だった。俺の意見を君らに分かるように言うなら、まず本来の敗戦までの流れを言ったほうがいいな。』
「だいたい知ってる。」
ミユキ「ぜんぜん知らない。」
心美「私も。」
『当時はABCD包囲網と言っていた。アメリカは石油を禁輸して日本に圧力をかけていた。ブリティッシュがイギリス、ダッチはオランダな。二つの国は東南アジアを占領して植民地にしていたし、チャイナの中国とは戦争していたしな。』
ミユキ「なんで?」
『日中戦争はな、本当に簡単に言うと、明治維新からだよな。当時の朝鮮が徳川幕府を倒した明治新政府を認めなかった。で、朝鮮の後ろ盾は当時の中国すなわち『清国』だった。朝鮮を巡って『日清戦争』が起きて、富国強兵政策に成功していた日本は勝った。その前から列強各国が中国大陸を分割支配していたのもあり、清国は滅びて群雄割拠というか統一政府がない状態になって、外国排斥運動もあって治安状態も荒れた。ロシア嫌いのイギリスが当時はナンバーワンの覇権国だったし日英同盟もあったから、日本に中国の事を任せようという事で、中国に日本は影響力を行使した。ロシアが軍事的にも中国東北部に入ってくるようになって、それと戦ったのが『日露戦争』。それに勝った日本はアジアから称賛された。その後、ロシア革命で、ロシアが共産主義国のソビエト連邦になって、中国北部にモンゴル共和国を作った。日本がそれに対抗して中国東北部に満州国を作って、列強各国と、大きくなってきた中国国民党政府が反対、もしくは共同統治させろと言ってきた。日本はそれを廃して孤立。その後、統一政府となって力を盛り返してきた中国は日本排斥運動を繰り返して戦争になった。』
ミユキは首を傾げた。
『中国も日本も主張があるし、中国の当時の政府は今は台湾政府で、とか、この辺は錯綜していて難しいからな。解釈をめぐってよく揉めるところだ。それにキツイ話も多くて若いうちは受け止めきれん事もあるかもしれん。成長後に、現実の人間の習性を知った大人のクールな頭で歴史を学ぶ必要があるよな。戦争の理由は自衛といえば自衛だし、侵略と言えば侵略だ。その辺は政治家とか学者が決めればいい。俺は軍人として勝利の方法を考えるのだ。』
「なんか釈然としないけど、」
優利「まいい。じゃあ、戦争に勝つ四つの案のうち、第一の案からいこうか。」
『待ってくれ。戦争の流れを言わないと分からんだろ。アメリカが石油禁輸して、困った日本は昭和十六年十二月、東南アジアに出て油田をぶん取った。そして、ハワイにはアメリカの海軍基地があった。それを攻撃して日本への攻撃を封じてしまおうとしたのが、同年十二月の真珠湾攻撃だな。だが、攻撃には色々取りこぼしがあって、四か月少し後の、翌十七年四月には、もう米軍が反撃に出て東京を空襲。焦った日本はその二か月後、六月にミッドウェイ海戦で米海軍に決戦を挑んだが大敗。さらに二か月して八月、米軍は訓練された新兵を投入し、ガダルカナル島周辺で、半年の激闘が続いたが翌十八年二月に撤退。以後敗戦が続く。翌年十九年六月にはサイパン島を取られ、米長距離爆撃機B29の攻撃圏に日本全土が入った。五か月後、十一月から日本各地が空襲され、翌年昭和二十年三月に東京大空襲。六月には沖縄が占領され、八月に広島長崎に原爆が投下されて、日本は無条件降伏。敗戦、占領された。こういう流れだな。』
優利「で、どう勝つ?」
『第一案は、米本土攻撃作戦。これは戦前に日本帝国海軍の艦隊司令官の一人、山口多聞が上進していた案だ。まず、ハワイ占領。米西海岸に攻め入って占領。中南米のパナマ運河を占領して米東海岸から太平洋への戦艦侵入を防ぐ。そして撤退を交換条件に日本の要求を通し、早期停戦講和に持ち込む。』
「う〜ん。凄そう。」
心美「何がすごいかわからない。」
ミユキ「うん。」
優利「実際の真珠湾攻撃というものは、日本が空母から爆撃機や魚雷攻撃機を送ってハワイを攻撃した。航空機で戦艦を四隻も沈めたのは大事件で、世界史的に大きな軍事作戦の転換だったんだ。戦艦っていうのは、現代の核兵器のような最終兵器であって、もし戦艦が都市攻撃したら砲撃されて壊滅するからね。それを空母から飛ばした魚雷攻撃機で沈めるというのは画期的な新しい戦術だった。この後は、戦艦より空母の方が強いということになった。」
霊『でも、米軍の空母二隻は近くの島に戦闘機を運ぶ名目で真珠湾を離れていた。本当はアメリカ側は真珠湾攻撃を知っていて、わざと攻撃させたと言われているが、表向きは今でも『スニーキーアタック』汚い奇襲攻撃だと非難されている。』
優利「それはよく言われていますね。当時のアメリカ大統領ローズヴェルトは『戦争しない』という公約で当選していたけれど、対ドイツ戦争に参加したくてウズウズしていて、アメリカの参戦世論に火をつけるために日本は利用されたと言われていますね。」
霊『まあ、政治のことはいいんだよ。おれは軍事的に勝利は可能だったと言いたい。』
心美「ああ、これって映画のパールハーバーの事なの?」
「あれは恋愛映画だよね。」
霊『映画なんてのプロパガンダ浸透の道具だからな。戦中のハリウッドでは『日本人は敵・中国人は友達』みたいな映画を作ってたんだ。』
「映画オタクの私も一定のメッセージを感じることはよくあるわ。」
『でな、真珠湾基地は攻撃不可能と言われていた鉄壁の要塞だった。そこを大混乱させて戦艦や戦闘機を破壊した事で日本の艦隊司令官はそのぐらいの結果で良しとして、周辺にいるかもしれない米空母の追撃が怖くて逃げてしまったのさ。真珠湾基地にはまだ燃料備蓄施設もあったし、艦船の修理用ドックも健在。司令部だって機能していた。だから、二か月後には空母艦隊による反撃が始まったし、防ぎたかった米海軍による東京攻撃も四か月後には行われてしまった。その後も大破させたはずの空母がハワイドックで修理されてまた攻めてくるなんていうことが何度もあった。司令長官の山本五十六は『首都攻撃できるとすれば一年後』ぐらいに見ていたが、それほどの被害ではなかったという事だ。』
この軍人さんよく知ってる。すごいな。
優利「米海軍司令官のチェスターニミッツも『石油備蓄をやられたら六か月は軍が動かせなかった』と言ってる。」
「はあ。優利くんもよく知ってるね。」
心美が「言われた!」みたいに悔しがった。なんだよ。
霊『俺は陸軍軍人だから、武器の半分をやられたぐらいでは負けないのは知っている。攻め込んでいって敵の大将を倒して占領して住民を統治するまでやって初めて勝利と言える。だから、必要だったのは、殲滅攻撃と占領。占領できないなら軍の支援補給施設の徹底破壊だ。』
優利「うん。でも、今、芹沢さんも海軍批判したけど、旧日本軍は陸軍と海軍の仲が悪くて連携作戦は難しかった。陸軍では『アメリカとの戦争は海軍が勝手に始めて勝手に負けた』と言ってたぐらいなんだ。」
霊『陸軍は日中戦争と南方作戦がメインの戦いだったからな。』
優利「軍隊の基本は『陸主海従』で陸軍を上に置かないとうまくいかないんだ。」
ミユキ「なんでそうなっちゃったの?」
『それは日露戦争で海軍が大勝したからだな。ロシアのバルチック艦隊を全滅させたのは世界的にも大事件で海軍司令の東郷平八郎は、世界的な英雄になった。だからそれ以来、日本では陸軍と海軍は同格とされたんだ。』
優利「大きな敗因の一つだよね。」
うん。感心する。
心美「ゆっ優利さん、よく知ってるね!き来てもらってよかったに!」
心美は「噛んだ!」と悔しそうにうつむいて肩をすくめた。
優利くんはそれを見て「かわいいね」みたく微笑んだ。
霊『だが、ミッドウェイ海戦の時は陸軍も行ってミッドウェイ環礁を占領する予定だったから、ハワイ占領計画もあらかじめ予定されていれば出来なくはなかった。』
優利「でも、当時の日本軍にそういう発想はないよね。フィリピンでの要塞攻略だって空母や戦艦が使えていたらもっと早く終わったし、大量の捕虜だって海上輸送できた。そういう、うまく早く終わったかもしれない戦いはいっぱいあった。」
霊『そうだろ?日本軍が米西海岸に上陸作戦をした場合、米軍側は中部のロッキー山脈まで撤退して抵抗戦をすると言ってた。当時の米軍はあまり戦争をしていなかったから、弱く、自信もなかった。つけ込むことはできたはずだ。』
優利「でも、米軍は太平洋戦争では終始潜水艦攻撃を続けているから、もし陸軍の将兵たちが乗った船を一隻でも沈められたら、陸軍としてはそんな西海岸までの長距離の海上移動はもうしないですよね。」
『ならば、海軍陸戦隊を増員し派遣する。』
優利「たとえば一年で早期停戦が実現しても、米軍は巻き返してくる。ハワイ奪還からサイパン攻略。結果は同じかもしれないですよ。」
霊『そこで第二案だ。』
5
心美が眼鏡をかけてから私に差し出した。
「そろそろ見えなくなってきたでしょ?」
「んにゃ?まだ見えてるよ。」
「人によって違うのよね。」
ミユキは携帯で真珠湾攻撃を検索して読んでいる。
涼子はまた瞑想の姿勢に戻った。
心美は少し乗り出して優利くんをじっと見ている。どんな表情も見逃さないというかのように。やりにくそう。
優利「第二案とは?」
霊『まず真珠湾攻撃を徹底して米海軍の反撃を半年遅らせる。』
優利「半年も一年も変わらないと思うよ。」
霊『いや、新兵器開発にとっては大きい。』
優利「ああ、そっちに持ってくのか。」
「ん?」
心美「何なに?」
霊『米海軍の攻撃が全て半年遅れになるならば、日本本土への空襲も半年遅れになる。日本への初空襲は十九年十一月だったから、五月に。東京空襲は二十年の九月になる。』
「でも、アメリカには原爆があるし、いくら空襲が遅れても原爆開発のマンハッタン計画は遅れないから八月に使えるようになってるのは変わらないんじゃない?」
心美「莉子も詳しいじゃん。」
「いやこれは、詳しくなくても分かるじゃん。」
心美「そうなのミユキ?」
ミユキ「私に聞かないで」
心美「原爆かあ。怖いなあ。莉子は平気なのね。本とDVDと某チューブばっかり見ててTV見てないから感覚が違うんだわ。」
「ちょっとは見るよ。原爆が怖いのもよく知ってるよ。」
霊が腕を組んで身を伸ばした。そしてもったいつけてから言う。
『・・・日本も原爆を作っていた。』
心美『ええ?そうなの?うそ、怖いい。』
「怖くないくせに。」
心美が睨む。もう、分かったよ。
霊『昭和二十年八月十二日に、当時日本領だった北朝鮮東部の『興南地区』の海上で大爆発があり、直径一キロメートルのキノコ雲が上がったそうだ。そこにはすぐにソ連軍が侵攻してきて占領され、研究者が捕まっちまったが、日本は終戦時には核兵器を完成させていた。』
「それは知らなかった。本当なの?」
優利「本当らしい。戦前から東京の理化学研究所で核兵器の開発がなされていたのは事実だ。まあ、そこも二十年四月に空襲されてダメになってしまったが。」
霊『空襲後、研究所は京都に移転、さらに興南地区に移転された。移転に四ヶ月かかったというから、もし半年も空襲が遅れたら、日本は核戦力を持てたことになる。これが第二案『核抑止力作戦』だ。』
「はああ。すごいね芹沢さん。」
『いや、当時の日本人がすごいんだ。』
心美「それは米軍の人たちをみんな核兵器でやっつけちゃうの?」
優利「いや、どこかで象徴的に一発使えばいい。兵士たちを殺す必要はない。」
『歴史では、戦後はアメリカとソ連が互いに核兵器を向け合って牽制し合う『冷戦時代』になった。今も大国のスタンスは変わらない。もしも日本が核兵器を持っていたら、互いに脅し合うだけで実際に戦争はしない『日米冷戦』に持ち込めたかもしれない。』
「へええ。」
優利「その後は?歴史上はその後、米ソは軍備拡張競争をして、生産力に劣るソ連が負けて国家崩壊してソ連邦の各国が独立してバラバラになった。日本も占領地を失ってバラバラになるかな?実際の日本の敗戦も、一つの日本崩壊だよね。」
『もし冷戦に負けても、この場合はアメリカに占領されるわけではないから、日本人のアイデンティティが不当に変えられることはない。でも日本は負けないと思う。日本は神の国であって、神々が味方にいる。現場のミスが繰り返されなければ勝ち続けるはずだ。』
「そういう考え方は怖いね。」
優利「見通しの甘さを信仰心を盾に誤魔化すのは良くないね。それも旧日本軍の思想の特徴の一つだ。俺も信仰者であるけれども、人間の命がかかったことに関しては限りなくリアリスティックに考えたい。水が半分しかないと見るか、半分もあると見るか。半分もあると思えば勇気は出るけど、大勢が生きるために必要な水の量は決まっているんだ。」
『まあ、思想のことはいい。俺は軍人なんだ。』
優利「それ、言い訳に使ってないですか?」
霊は黙った。
優利「芹沢さんは、この場合、ソ連との関係はどうすべきだったと思いますか?」
『ソ連という国は唯物論・無神論で平等主義。でもあいつらの目指すものは悪平等、結果平等であって、働こうが怠けようが同じ給料だ。しかも王政廃止だから天皇制も廃止を言うだろう。同盟はできない。向こうが核開発に成功しないうちに国家崩壊させないといけない。』
「過激。」
『いや、ロシア革命だって日本の諜報機関が後押ししたと言われているから、そういうことは出来るはずだ。』
優利「知ってると思ったんですが、当時の日本の外相にもソ連との同盟を考えている人はいたし、ソ連は世界を共産化するために各国にスパイを送り込んでいたし、戦前の軍部にも共産主義思想は広がっていて、ソ連を好ましく思っている人はたくさんいたと言いますよ。もし日米冷戦になったら日本はソ連と友好的になって、結果的には共産革命を起こされるか、それに近い政治変革になるでしょう。そうしたら反対派の大規模な逮捕・拘留・処刑が続くでしょう。ソ連の暗黒政治が日本で行われます。」
『その外相は失脚させられたんだよな。俺は当時若かったから、上の世代が共産主義だったかなんて分からなかった。お前は日本が共産化するというのか?』
優利「戦後の日本は占領政策でアメリカが日本を弱めるために共産主義を故意に導入された、というのですが、日本はアメリカに占領されていて、解放されてからも影響下にあったから共産主義国家にはならなくて済んだのではないですか?芹沢さんの考えでは、欧米に対抗しているうちにソ連共産党に飲み込まれてしまう可能性が高いです。特に、欧米の経済封鎖は続くでしょうから、ソ連の資源が必要になる。日本人は同盟国に甘いから核技術を供与してしまう可能性は高いです。」
「ごめんね、優利くん。日本が同盟国に甘いというのは?」
霊が答えた。
『日英同盟だな。今だに好感を持って教えられているが、あれは利益も大きかったがデメリットも相当高かった。ロシアとの戦争をさせられた可能性が高いし、中国という暗黒大陸を任されて抜けられなくなってアメリカとの戦争まで仕掛けられた可能性はある。イギリスに散々持ち上げられ上手く使われたのかもしれない。そして世界の覇権がアメリカに移る時、日本も地べたに叩きつけられた感じはあるな。』
優利「国際政治の厳しさですね。」
霊『日本が共産国になったら、天皇陛下も皇室一家も処刑だな。寺社も全部壊されてしまう。習うのはロシア語とキリル文字だ。それが日本と言えるかどうか。日本滅亡だな。』
優利「アメリカ占領軍にも日本語禁止という意見はあったらしいです。でもそうはならなかった。結局、ソ連に対抗するために神を信じる国の自由と繁栄を見せる必要があった。ソ連の属国になったらベトナム戦争の代わりにアメリカ軍と第三次大戦ですよ。その時は毒ガス枯葉剤戦争だけではなくて、核戦争になるかもしれません。その場合、文字通り日本滅亡です。」
『良くないな。でもそれなら第三案がある。』
6
しつこいな。第四案までだっけ?まだ半分か。
ソファーから立ってトイレ。帰り際に冷蔵庫を開けてパックのコーヒー牛乳を持ってきた。
テーブルの空いたカップに注いで行く。
心美「気が利くね。正人みたい。血は争えないな。」
ミユキもトイレに行った。
優利「じゃあ、第三案は何ですか?」
トイレのドアがチャッと開いた音がした。リビングからトイレは見えない。ミユキめ。話が聞きたいらしい。
霊『ドイツと共闘してソ連を倒す。』
「ミユキ!トイレのドア開けっぱなしにしないで!」
ドアが「バン!」と閉まった音がした。
優利「あはは。」
涼子も瞑想のままニコッとした。
心美「あの子もたまに荒っぽいからね。」
霊は続ける。
『当時もシベリアのソ連軍と戦うという案はあった。石油確保の『南方作戦』に対する『北進作戦』だな。結局、南方作戦を選択したが、これは両方できた作戦だ。』
優利「昭和十六年六月、ドイツはソ連と戦争を始めた。当時は『日独伊三国同盟』で日本とドイツは同盟していた。ドイツは日本に参戦要求して来た。七月、日本軍は、中国東北部の満州に七十万の軍隊を集結させ『演習』を行い、いつでも攻め込める体勢だったが、司令部は八月九日に北進作戦の中止を決定。ドイツ軍は十月にはソ連の首都モスクワ目前で攻めあぐねて他の軍事拠点を攻める命令が出て、ソ連軍はシベリアの戦車隊を西に運び、独ソ戦に投入してドイツ軍を敗走に追い込んだ。」
ミユキが戻って来た。ソファーにちょこんと座った。
霊『だからもし、その時攻め込んでいたらソ連軍は二方面作戦をしなければならなくなり、動揺する。ドイツ軍の士気は上がり、冬が来る前に一気にモスクワを落としたかもしれない。しかも戦車隊をシベリアに貼り付けて動かせず、反撃は難しい。』
優利「アメリカがソ連に軍事物資を供与し始めるのはその年の十一月からなので、それまでに首都を落として政治幹部を倒してしまえばソ連の負けは決定的ですね。でも当時のソ連軍も結構強いですよ。日本軍も被害が大きいでしょう。しかも日本だって南方と北進の二方面作戦です。海軍の対米戦争を加えると三方向作戦。」
霊『いや、小競り合いでいいんだ。戦車隊を引きつければいいだけだから。』
優利「う〜ん。日本軍はそういう卑怯な戦いを好まないのでは?それにアメリカの反撃がきついでしょう。」
霊『いや、イギリスが負ける。イギリスはドイツ海軍の潜水艦Uボートの輸送船攻撃による海上封鎖で相当の物資不足になっていたし、昭和十六年、十七年ならまだイギリスに暗号解読される前だったからやりたい放題だった。』
優利「いや、でもまだ勝つには苦しいでしょう。」
霊『ふふん。その頃、日本の連合艦隊は昭和十七年四月にはインド洋にいてイギリス東洋艦隊を打ち破っていた。日本空母からの攻撃でかなりの被害を受けて植民地のケニアまで撤退した。インド洋の制海権は実は日本が奪った状態だった。だから、もしインドの英国軍攻撃やペルシャ湾攻略などに日本が乗り出し、イギリスが艦隊を失い、インドの支配権を失い、物資も来なくなったとすれば政権が倒れるかも知れない。イギリスに親ドイツ政権などが立てば、アメリカは立場を失い、ヨーロッパから手を引くだろう。』
「軍事のことって言ってたのに政治的になってるよ。」
優利「うん。でも一理あるが、後付けが過ぎると思う。それに十七年の四月には『東京首都攻撃』があったはずだけど?あれを受けたらインド攻略どころじゃない。日本の艦隊は撤退して太平洋警備をする。あの『ドーリットル爆撃』と呼ばれる首都攻撃の狙いはそれだ。」
霊『いやあ、私の案なら真珠湾は殲滅したから半年は動けない。十七年の四月ならアメリカ空母艦隊はまだ動けない。』
優利「いやいや、東南アジアやオーストラリアには、アメリカやイギリス、オランダの艦隊がいた。それが来るかも知れない。」
霊『あれは弱かった。それにアメリカの空母を同盟国のオーストラリアまで引いて行って石油や物資を補給して攻撃するとしても、オーストラリアへの資源はインドから輸入していた。インド洋を制圧してたなら、それを封鎖することができる。東南アジアの油田は日本が押さえているから彼らは使えない。』
優利「アメリカ西海岸の石油がある。たとえ遠くてもタンカーでも作ってそれを運ぶだろう。もしイギリスが負けて劣勢になるぐらいなら米軍はそこまでするのでは?」
霊『アメリカは戦後の世界覇権を奪うことを考えていた。イギリスを最後は見捨てるかも知れない。』
心美「なんかエキサイトしてるけど」
「勝ちそうな感じなのよ。」
優利「いやあ、でもそれは四方面作戦だよ。ありえない。今の衛星監視技術でもないとそんな広範囲の総合作戦はできないよ。当時だったら軍事の神様でも居ないと無理だよ。」
『でも勝ちそうだろ?兵員的には中国大陸には二百万人の日本陸軍将兵がいたから、インドに削ってくる事もできる。』
優利くんは黙った。
心美「優利さん、頑張って」
霊『あれ?これって俺の講義を聞く会じゃないの?勝負じゃないと思うんだが。』
優利「じゃあ、イギリスに勝ったとして、アメリカとはどう戦う?」
霊『当時のドイツの軍事技術は最高だった。長距離ミサイルをイギリスまで打ち込んでいたし、ジェット戦闘機もあった。核兵器も独自開発していて、イギリスの妨害工作で頓挫したことになっていたが、十九年の終わりにポーランドで二回も大規模爆発実験を行なっていて、これが核兵器だったという話もある。広島原爆がドイツ製だったという話まであるんだ。』
ミユキ「それ本当なの?」
優利「広島型と長崎型の原爆が違うのは知ってるね?広島型爆弾の米国での実験記録はないんだ。いや、でも真偽不明の歴史の闇情報ですよ。」
心美「でもそれ、ヒットラーのナチス・ドイツですよね?私でも知ってる。」
優利「そうだね。ナチスは『ゲルマン民族主義』です。たとえ大型Uボートから核弾頭搭載のV2ロケットをアメリカに打ち込んで勝ったとしても、次は日本ですよ。」
『同盟国なのに?』
優利「ヒトラーの書『我が闘争』には『日本人は劣等民族』ぐらいの記述があるんです。彼らは裏切る。」
『いや、当時俺もそれを日本語訳で読んだが、そんな記述なかったぞ。』
優利「出版社が気を回して削除したんです。」
『何い!許せん!出版社もマスコミも信用できん!』
「ナチスがUFOを作っていたという話もあるわよ。」
心美「ねえ、急にオカルト情報をぶっ込まないでよ」
優利「いや、昔TVでやってたから割と有名だ。」
ミユキ「そうなんだ。」
涼子も意外そうな顔をした。
優利「その場合、ナチスはユダヤ人迫害とかもするぐらいだから、劣等民族の日本人なんて宇宙技術供与の代わりに肉食宇宙人の食糧として売られてしまうかも知れないな。アメリカにもそんな噂がある。」
『でもヒトラーの暗殺計画もあった。あれがいなければ理性的なドイツ人は日本との同盟の価値をわかるはずだ。』
優利「甘いっすね。ナチスが滅びたことは正しいと思う。もしナチスが勝ったら、彼らはヒトラーの思想的結論で動く。」
『思想は知らない。おれは軍事に生きるのだ。』
ゆ「彼らは劣等民族と同等の立場ではいられない。世界を支配したナチスはその暗黒政治を地球に及ぼし、悪想念が地球を覆い、地球が自浄作用を起こすため、天変地異が来ます。地球規模の。多分ポールシフトですね。」
「あ、知ってる。地球の回転軸がぐるりと移動して、世界規模の大津波が襲うって。シベリアの氷漬けのマンモスは大きな力でひしゃげるように折り重なってたみたいに書いてある本があった。『神々の指紋』だっけ?」
心美「聞くな。しらーん!」
優利「その前に宇宙人にも善悪両方いるから、宇宙の警備隊的な宇宙人が地球を『消毒』しに来るかも知れなせんね。」
『フッ。地球ごと滅びるって?ハハハ。じゃあまだ第四案がある。』
うわ、しつけえ。
7
テーブルの上の携帯が震えたので、ビクッとした。
着信音はいつもオフ。外出中に目立ちたくない。
父からTV通話。いつも父は私の顔を見たがるのでこうなる。いつもは一旦拒否して電話で掛け直すが、今日はそのまま出る。
「ああ父さん?」
金縁メガネに白髪混じりの父の顔。正人に似ている。思えば、まともに父の顔を見るのは久しぶり。視線恐怖症気味なので気の知れた家族の目など見る必要もない。よほど変なことを言ったり怒ったり泣いたりしなければ。
『をっ?どうした莉子。電話くれなんてメールは心配になるだろ?要件を短く書けよ。』
「ごめんごめん。なんかねー・・・父さん信じるかな。うちに軍人さんの霊が出てさ、前に話した涼子が説得したんだけど、戦争のことで色々言いたかったらしくて上手く行かなくてさ、今涼子のお兄さんの元自衛官の人と話してもらってる。」
父『ほおお。まあなー、莉子も寝言が激しいからな。』
「はあ?怒るよ?」
父『ごめんごめん。嫌味じゃなくてさ。莉子は小さい時から、実際に千恵子おばあさんしか知らない箪笥の開け方とか、明日は大雨降るよーとか、はっきり寝言言うから不思議ではあったんだ。「お前はこうなるぞ」とか言われて、これが結構当たるから怖いんだ。』
「そうなの?寝てるから知らない。」
心美「うん。たまに夜うるさいよ。」
「自覚がない。ミユキの言う『江戸時代の巫女さん』ってコレ?」
ミユキが横で芹沢さんに聞いている。
「芹沢さんってUFO信じるの?」
『ああ、俺がお付きだった政治将校が陸軍情報部関係だったらしくて、そんな話いっぱい聞いたよ。陸軍戦闘機『隼』をゆうゆう追い抜いて行った銀色の皿のようなものとか、天皇陛下に会いに来た、皮を剥がれたうさぎのようなものの話とかな。ヒトラーだって黒魔術やってたらしいし、異星人召喚とかあってもおかしくない』
「ミユキ!面白そうな話を電話中に横でしないで。」
父『ああミユキちゃん元気かな。顔が見たいな。』
「ええ?そんな暇ないのに。」
スピーカー設定にしてから携帯のカメラをミユキに向けた。めんどくさ。
ミ「あ、莉子ちゃんパパだ。わーい。」
ミユキが手を振った。後ろの心美も手を振った。
女の声がした。『あらあ、心美ちゃん?可愛くなって。』
心美「ああ莉沙子さん。お久しぶりです。」
莉沙子は母さんの名前。あれ?あたしカメラマンかよ。面倒なことになったぞ。
『莉子ちゃん!お顔見せてお顔!』
「うっさいなあ。はいよ。」スマホを裏返した。私を少し太らせた感じの母さんが見えた。
『あらあ、少し太ったんじゃない?』
「心美に食わされるから。」
『あら!お礼言うのよ!』
「うっさいなあ。父さん?早くしてよ。」
画面に戻ってきた父が言う。
『交霊会でもやってるってことかな。その軍人さんの霊はなんて言ってるの?』
これまでの霊の主張を父に説明。
『ああ、それは論文に書いたやつだねえ。懐かしいな。二十七歳の時のやつだから二十年前だな。当時の教授が気に入りそうな内容だったし、その論を軸に広範囲に話を展開したから『総合的にできている』って言われて教授になれたんだけど、今思うと軍事的には勝てたけど政治的にはバツなんだよね。』
芹沢霊は不服そうにした。
優利「ちょっと俺に入ってもらうよ。お父さんと話してもらう。」
「涼子のお兄さんに入ってもらうから話して。」
父「へえ、面白いなそれ。チャネリング能力か。」
携帯を向けると優利くんは携帯に挨拶した。
「あ、どうも。涼子の兄の優利です。今から霊入れますから。」
『どうぞ。』
ソファーに座る優利くんは目を閉じて深呼吸して呼吸を整えて、手のひらを上にして少しだけあごを引いた。
軍人さんの霊が優利くんに重なった。
スッと目を開けた優利くんが言う。
「芹沢勇次郎だ。大東亜戦争開戦時は二十歳だった。」
父『じゃあ、第四案から聞かせてください。』
優利「まず時系列で行くと、昭和十六年七月にシベリアに侵攻、ソ連軍を引き付けてドイツの優勢状態を作る。そして十六年十二月までに南方戦線に進撃。石油を確保する。同日、真珠湾攻撃、戦艦、軍用機、地上設備を殲滅。可能なら陸軍が揚陸しハワイは占領する。そして周辺の島、正史でも取ったウエーク島とかグアム島とか、後で取ろうとしたミッドウェイ島を占領する。それで首都攻撃を防ぎ、そして日本の空母艦隊はインド洋まで移動し、翌十七年四月、インド洋で英国東洋艦隊を打ち破り、インド独立を早期支援し、ペルシャ湾周辺の油田をもらう。そうするとインドから海路運ばれる物資が滞ってイギリスが劣勢になる。そうするとイギリスは敗戦寸前だ。」
『うんうん。』
優利「そこでドイツとの同盟を破棄し、連合国に早期講和を持ち込む。これが最終第四案『真・早期講和』だ。その後は、核抑止力を完成させないといかん。」
『うんうん。』
優利「講和条件は欧米のアジアからの撤退。地元勢力への軍事支援も禁止。日本の交換条件は対ドイツ参戦。」
『うん。でもアメリカがそれを飲むかな?』
優利「満州国の承認は諦めてもいい。逆にアメリカの中国進出を許す。あるいは商業進出を後押しする。日本軍は撤退しても良い。それなら実利主義のアメリカは講和に乗ってくる。」
すごい。いや、手のひら返しがすごい。
優利「日本生き残りのためならこのぐらいはしないとね。」
父が言う。
『満州の権益は、日露戦争で死んだ将兵十万人の血で勝ち取ったものだから、撤退はできないよ。アメリカはさあ、明治時代の日露戦争の早期講和を仲介して日本を勝たせて恩を売って、満州鉄道の共同経営をしようと言ってきた。日本がこれを蹴った時、アメリカの日本殲滅計画が設定された。これは『オレンジ計画』という。『強力な日本陸軍との衝突は避けて、日本海軍を殲滅。制海権を奪い日本を飢餓状態にして屈服させる』という方針だった。流れを見たらその通りだろ?』
「ええ?計画通りなの?」
『そうなんだ。恐ろしい事実だろ?ソ連は『日本のソ連侵攻をさせず、日米を互いに争わせる』という策謀計画を持っていた。これもその通りやられた。中国国民党は『日本軍を広大な中国大陸に引き込み長期戦を強いてアメリカの参戦によって叩かせる』という戦略だった。日本の戦略は?』
優利「南方に出て石油確保、米軍の進撃を海軍で防ぎ早期講和。ソ連とは中立。日中戦争は早く決着をつけようとしていたが。出来なかった。」
『戦略で後手に回っている。場当たり的だね。』
ずいぶん論がキレるな。父さんすごいぞ。
優利「国防はそういうもんだろう。敵に対応して場当たり的に臨機応変でないといかん。」
『では、日本の戦争の『大義名分』は?』
優利「それは、もちろん『大東亜共栄圏の建設』『打倒・植民地主義』だ!アジアから欧米列強を追い出し、アジア人の共同体を作る事だ!」
『聞こう。アジア人が共に栄える世界を作る。中国はアジアではないのかな?』
そうだよね。矛盾している。
優利「最近の中国を見ればいい。助ける必要もなく助けるに値しない。周辺国の支配をうかがい。他国領を自分のものだと主張する。まるで盗賊。アメリカにあの時渡してしまえばよかったのだ。そして潰し合えばよかったのだ。」
過激な。
『怒ってるね。ではもう一つ聞こう。アメリカが中国を支配するのは植民地支配ではないのかな?』
だよね。『打倒!植民地主義』だったのにそれは言えない。
優利「構わない。今、中国が目指しているものはそれだ。海軍を強化して植民地を作り利益に変えることだ。」
『それは『マハンの海軍戦略』だね。ひと時代前の、人権とかを考慮していない思想だ。彼は現実を解説しただけだが、ヨーロッパ各国はそういう帝国主義思想を採択したためにアフリカ・東南アジア・南米など各地で悲劇と罪を生んだ。思想には毒と薬があるんだ。対独参戦も、米国を中国に進出させることも、日本人の思想から見て不可能だ。国民から到底許されることではない。』
優利「軍人の自分には思想は必要ない。政治もいらない。ただ軍人として勝つ方法を考えている。」
『いや、残念だが、戦争というのは政治の手段の延長であると言われている。これはクラウゼビッツだが、僕は政治が軍事の上になければならないと思うよ。そうでなければそれは先軍政治であり独裁国家のそれと同じだ。』
優利「う〜ん。」
『中国だって清朝の頃、アヘン戦争後、欧州各国にズタズタに分割されてかわいそうな状態だったからね。日本をそうされたくないというのが明治志士たちの思いだった。尊王攘夷・富国強兵が昭和二十年まで続いていたのさ。』
優利「でも、なぜ負けた?尊王攘夷も富国強兵も国防のためだろう?」
『戦争の目的、大義名分が『日本生き残り・国防』だけだったならば、たとえ醜く同盟国を見捨て、敵に寝返ってでも生き残ろうとしたはずだ。しかし大義は『大東亜共栄圏・打倒植民地主義』だったから、日本の兵士たちは『武士道精神』でアジアに命を捧げてしまった。戦前の軍人はそういうふうに教育されたからね。』
優利「確かに・・・忠君愛国・滅私奉公か・・・」
『武士道は死ぬことと見つけたり、だね。日本のソルジャーたちはみんな死に急いだだろ?イエス様の言葉のように自分を麦の一粒のように捨ててアジアの平安のために自己犠牲してしまったのさ。』
優利くんは、いや、芹沢霊は黙った。
確かに、どこかの東南アジアの首相か大統領かが「日本はアジアの母」と言っていた。日本が負けて撤退した時、オランダやイギリスが東南アジアに再び攻めてきた。日本兵たちが「独立しろ」と言ってから去ったので、アジア人の彼らは独立戦争を戦った。有志の日本兵は現地に残って地元民と一緒に戦った。それは本で読んだ。
『日本の武士道はアジアを救った。大日本帝国の滅亡と引き換えにね。』
芹沢霊が笑った。優利くんの声で。
「なっはっは!・・・」
そして泣いた。震える声で言う。
「なら、しょうがないな。ハハッ。」
優利くんが鼻をすする。
心美がオロオロした。そして言った。
「あの、優利さん泣かないで。私勉強になりました。歴史に詳しくなりました。」
優利「フッ。歴史か。俺に取っては現実さ。」
『戦争が始まると人心が荒れるからね。悪いことをした兵士もいたと思う。でもそれはみんな言っているから僕は言う気がない。でも、ぼくは研究者だから話が通じるけど、もう戦争を実際に指揮していた人も死に絶え、戦闘経験ある人も死に絶え、戦争被害を受けた人さえも、あと二十年もしたら死に絶えるよ。あの世ではともかく、地上ではもう戦争を分かる人はいなくなってしまうよ。新しい戦争はごめんだが、もう、時代が変わってゆくのではないのかな。』
優利「時代・・・」
『勝つ話も、所詮は「もしも」の話であって敗戦した世界の人間には勝利した場合のメンタリティは持てない。これも夢物語なんだよ。』
『夢・・・』
「やがて技術が進めば、兵士が要らない時代が来る。将官もいらなくなり、政治イコール軍事になるだろう。』
涼子が口を開いた。
「芹沢さん。もう天上界に行ってください。そしてあの世から私たちを指導してください。」
芹沢はじっと黙っていたがニコッと笑って言った。
「それも面倒だな。大変そうだ。」
芹沢は上を向いた。
顔が光に照らされその霊体が消えながら上がってゆき、心があるとされる胸の部分だけが光の玉となってシューッと上空に消えていったように見えた。
みんな呆然と上を見ていた。
優利くんは涙を拭いてティッシュで鼻をかんだ。そして言った。
「行っちまったな。」
あんなに存在感があった芹沢さんが跡形もなく居なくなった。
夕食は心美の予告通り、肉じゃがカレー。
食後、涼子とミユキを部屋に送り、正人を部屋に追い返して二人にしてやった。
でも意味はない。
私も眼鏡をかけた後で離れたリビングの心美の心が読めるし、涼子もミユキも霊能者。何の意味もない。
見えなくてもイメージで二人が見えてくる。
優利「上がったと思うよ。言いたいことみんな言ったから満足したんじゃないかな。」
心美「私も言いたいこと言っていいですか?」
ゆ「あ、あの俺、涼子と同じで霊能者だから、」
こ「言いたいんです。命短しですから。言えば成仏しますから。」
「あ、じゃ、どうぞ。」
「え、やだあ、もっと雰囲気良くして下さい。」
「え、めんどくせ」
「やだ。めんどくせはない。」
「ごめん。・・・言いたいことは何ですか?」
「あ、いい感じ」
「お前ぇ。ちゃんとしろよぉお前も」
「お前はないよね、こ、心美と呼んで」
「・・・心美。」
「プッ!」
「おおい。こらあ」
「ごめん。照れちゃった」
「もう言わねえ」
「えやだ、もう一回」
「心美ちゃん?何が言いたいの?」
「何だと思う?」
「チ・・・知ってるけど?」
「・・・」
ばかやろ心美早く言え。イライラする。
涼子がこっちにきて横に立った。一緒にリビングの様子を伺う。
心美「あ、そうだ。この眼鏡で優利さんの考えてること読んじゃおう。これで対等でしょ?」
ゆ「え、汚くない?」
「お互い様よ」
心美が眼鏡をかけ、じっと優利を見る。
ゆ「よせ、あ、でも考えないもん。歌うたっちゃうもんね。タッタラッタタッタッター」
こ「あははは!かわいい!」
ゆ「こらあ、年上だぞ」
その時、リビングに何か来た感じがした。
イメージが見える。黒い和服をてれっと着崩した武士。幕末風?
『優利は政治家を目指すぞ。苦労するぞ。やめておけ』
こ「え、なめないでください苦労するからって好きな人を諦めたりしませんから」
『そんなに遊んでやれんぞ。政治家は最悪、命の危機もあるぞ。』
「平気です。もしさらわれて脅しに使われそうになったら自害して見せます。」
『お前は武家の女か』
優利くんの守護霊かな。霊に突っ込まれてるし。
心美め、もう我慢できん。優利も何が『男の中の男』だ。女にここまで言わせて恥ずかしくないんか!
優利が沈黙した。聞こえたかな。
心美「ごめんね優利さん。嫌ならもう言わない。」
優利「嫌じゃないよ。でも付き合ったらお前のこと命懸けで守らなきゃいけないじゃん。」
心美の『きゅん』が聞こえた。
「守って」
「・・・俺と付き合って欲しい。」
「はい!喜んで!」
私も右手を握って「イエス!」と言った。
涼子は浮かない顔。
小声で聞く「あれ何で?あの霊が言ったみたく、さらわれちゃう?」
「あれは覚悟を聞いたのよ。そういう予言じゃないわ」
「じゃ何で?」
「うん・・・振られなきゃいいけど。」
心美がキャッキャ言ってるのが聞こえた。
あいつ・・・優利くんに言わせたな?
私にはできん。そんな高等テクニック。
8
日曜日
姉たちがどこに出かけたかは知らない。
僕は映画の帰り。楽しいランチだった。生徒会長と、いや薫子さんと。
以前よりは緊張しなかった。今日は帰ってから肩こりが気になるなんて事はないだろう。
昔、埼玉の戸建てに住んでいる頃、竜二の家に遊びに行ってお姉さんの薫子さんに会った時は「クラスにいたら美人ランク上位だろうな」と思っていた。それに頭がとても良いし、竜二にも優しかった。自分の姉が『強め』なので「こんな姉ならよかったのに」と思っていたが、竜二が『喧嘩上等』で埼玉で名を挙げた頃から、うちと同じ『暴力姉』になった。でも最近は殴っても蹴っても竜二には効かないので地味に痛い技をやってくるのは竜二も嫌だそうだ。でも成長したらよりさらに美人になった。
薫子さんは生徒会の仕事があるそうで学校まで彼女を送った。
明日も僕が選んだ映画を見ることを約束して今日は別れた。
何がいいかなと、今やっている映画を脳内検索する。歩きスマホ禁止。
学校から地下鉄の駅まで商店街を歩く。
でかい女?が電柱に隠れて向こうを覗いている。
ダボっとしたジャージ。白地に大きな紺色の斜めストライブ。うちの運動部のジャージ。何部だったか思い出せない。
髪はクセ毛で長く、後ろに流れるようなウエーブがかかっている感じ。
顔は美人。切れ長のツリ目。雑誌モデルで見たような顔。
女が振り向いた。目が合った。ヤベ、見過ぎた。
女「何だおめえ。」
「え?」
低音。コワ。
女「おめえも涼子さんをつけ回してんのか。」
「え?」
女がツカツカ歩いてくる。無表情で怖い。
目の前に立った。
でかい。上から睨んでいる。僕より十センチ以上身長が高い。百八十センチ超えた女。九十いくかも。体型は胸以外は竜二みたいだ。横幅があるが腹は出ていない感じ。ジャージをまくった二の腕は筋張っていて強そうだ。
向こうに見える喫茶店から、紺色ジャージに紺の袴の猪瀬真理凛と心美と姉ちゃんと涼子さんが出てきた。その後ろからエンジ色のジャージに紺の袴の竜二が出てきた。
ああ、こいつらは剣道部の助っ人だ。七月の終わりに大会がある。
姉ちゃんたちは猪瀬真理凛に捕まったんだな。みんなで喫茶店でランチか。
竜二と目が合った。手を挙げて大声で言う。
「おう正人!何やってんだ!」
「え?あの、」
目の前のでかい女の顔を見上げた。
猪瀬「松井礼良じゃん?何やってんの?」
女が小さく「ヤバい」と言った。
女は笑顔を作ってから向こうを向いた。ヤバい奴だ。
女「やだぁマリリン。レイラちゃんって呼んで!」
一オクターブ以上高い声。まじでヤバい奴。
心美「あらやだ。ノーデン大付属の三大スターがそろっちゃった。」
姉「あんた三大って、自分で言ってて恥ずかしくないの?」
十メートル以上離れてるが昼時のこの商店街は人が少なくてよく声が聞こえる。
こいつが松井礼良か。テニス全国高校大会二回連続優勝。バトミントン全国大会優勝。芸能事務所にスカウトされて雑誌の企画で女子サッカーと女子野球に挑戦して、めちゃめちゃカッコいいので女子ファンが一万人ぐらいいるらしい。
猪瀬「私のチャンネルにも出てもらったんだよ。二回も。『全国優勝松井レイラに挑戦!』で探してみて。」
心美「二回目の『全国優勝松井レイラにいじめられた!』の回ではマリリンがテニスでフルボッコされて。それが好評だったね?アレ結構視聴数伸びたよね?」
猪瀬「あの動画は不本意!松井が強すぎんの。」
みんな近づいてきていたが、涼子さんだけ来ない。
横を向いてうつむいていて、遠目にも美しいが、こっちを見ていない。
みんなそれに気づいて立ち止まった。
松井「神宮寺さん。こ、こんにちわ!」
涼子さんは無視した。こっちを見ない。
竜二は「聞こえたんかな?」と言いながら少し戻った。
涼子「あの人、私に付きまとってるんです。私、帰ります。」
お?
姉「え?」
心美「嘘お!」
松井は作ったような貼り付けたような笑顔で言う。
「付きまとってないです。話しかけたりしないから。」
う、こいつ常識ねえ。話しかけないということは付きまとってるって事じゃんか。
涼子さんは向こうを向いた。
竜二が涼子さんに近づいて言った。
「神宮寺さん?あんたもそういうのは良くねえな。一度ちゃんと向き合って「嫌だ」って言った方がいいよ。」
おい竜二・・・涼子さんに向かってよくそういうこと言えるな。でもあいつはただのケンカ上等筋肉バカじゃなくて良識はある方だ。
竜二「嫌なら嫌ってちゃんと言わなきゃダメじゃん。黙ってると向こうもつけあがるよ。」
竜二ィ・・・もっともなんだけど、ストーカー相手に向き合ってどうこう言うのは愚策だぞ。第三者がいないところで暴走する恐れがある。これは危険だ。
松井を見ると顔が怒りに染まっている。頬がフルフルしている。
涼子「竜二くん。私だって怖いんだよ?」
竜二「今なら大丈夫だよ。みんな居るんだし、ノーは言っとかないと」
涼子「でも、だって・・・」
しかし涼子さん竜二に親しげだな。松井のイライラが伝わってくる。
涼子「ねえ、無理言わないで。」
竜二「無理じゃねえよ。」
ああ、竜二は涼子さんを美人扱いしないからだな。あいつ、涼子さんを『外人顔』って言ってたし、あいつの好みは目が切れ長の日本風美人だった。
姉も涼子さんに近づいて言った。
「そうよ涼子。言わなきゃ分かんないよ。」
松井が怒鳴った。
「お前は黙ってろよ!」
何で?どうかしてる。
姉も言う。
「はあ?・・・あんた初対面だよね?」
松井「涼子さんを呼び捨てするのはまだ早い。」
もうだいぶ親しいのにな。
姉は怒っていたが急に青くなった。目をそらしてうつむいて肩をすくめた。
初対面と認識したら怖くなったらしい。
松井が一歩出た。
そのジャージの裾を掴んで止めた。こんなでかいのにやられたら、姉なんかイチコロだ。
松井「何だよてめえは!」
松井は自分の服を掴んで、ぎゅっと引いて僕の手を振り払った。
もう一度掴もうとしたら松井に肩をトンと押された。後ろにタタッとよろけた。
竜二が来る。
「おい。正人は何もしてねえだろ?」
松井は向こうに向き直った。チラッと僕を見る。「来るなよ」と言うかのように。
松井は腕をブラブラ振って、軽くトントンジャンプし、竜二が近づいてくるのを無表情で待っている。
ケンカする気だ。この女かなりケンカ慣れしてる。
猪瀬「おい、ダメだそいつ」
どっちに言った?
近づく竜二の胸に松井の横ゲリが当たった。竜二は三歩ぐらいタタタッと後ろによろけた。
松井はそこにグルンと回って、後ろ回し蹴りを打ち込んだ!
竜二のあごに松井のかかとが、ガッチンとクリティカルヒットした!
アレは痛い。でも難しいぞ。見事。
竜二は横に倒れた。脱力してうつ伏せになった。気絶した?
でもすぐに立ちあがろうとしたが、ガクッとまた両膝をついて両手を地面についた。
竜二は四つ這いになって首を振った。
猪瀬「レイラは中学二年で女子空手で試合と型で全国優勝してるんだ。」
言いながら猪瀬はツカツカ歩いてきて松井に言う。
「お前も手加減しろよバカ」
猪瀬は手を伸ばして、松井にデコピンした。
松井はおでこを左手で押さえて涙声で言う。
「だって涼子様になれなれしいんだもん!私の方がずっと前から大好きなのに!」
げ。
みんなも唖然とした。猪瀬だけが冷静に突っ込んだ。
「ガキか。」
漫才のように裏手でポンと松井の肩を叩いた。
松井は何も言わない。猛獣使いか。
涼子さんが言った。
「とにかく、あなたの願いには応じられません。帰ってください。」
松井はそれを聞いてフルスマイルで喜んだ
猪瀬「何喜んでんの!怒られてんのよ!」
猪瀬は松井の腹をぽこぽこ殴った。松井は全然怒らない。
松井「だって、初めてまともに話してくれたんだもん。うう〜っ」
泣いた。顔をしかめて泣いている。情緒不安定だな。危な。
猪瀬は泣いて屈んでいる松井の頭を両手でぐしゃぐしゃにした。
よく触るなあ。危な。
姉ももう怖がってはいない。唖然として見ている。
涼子「これ以上私の友人を傷つけたら許しません。帰ってください。」
うんん。かっこいい。
松井はまた笑顔になった。
涼子「帰って下さい!」
松井「ハイ。」
松井は笑顔で手をひらひら振って帰って行った。
竜二がゆっくり立ち上がった。
竜二「強ええ。何あいつ。」
「お前もアレ喰らってよく立てるな。」
涼子「みんなとにかく帰ろ。」
商店街。人の少ない時間とはいえ、見物人が数人いる。
竜二「じゃあ、オレ練習に戻るわ。正人も相手見て喧嘩しろよ。」
「それお前だろ」
竜二は振り返らずに手を振った。かっけえやつ。ノされたけど。
猪瀬「私、午後の練習遅刻する。言っといて!」
竜二は振り返らずに、親指を上げた。了解らしい。
地下鉄で喋りまくる猪瀬。
「あいつとは一年の時から友達だけど、ガキなのよねー。美人が好きだし、かっこいい男も好き。でも最近はあいつの方がカッコいいから、美人ばっかり追いかけてるって言ってたけど、私それ涼子のことだって最近分かった。天然だから意外と心が読みづらいんだよね。」
心美「でもあの子、女子人気すごいよね?」
姉「すっげえ怖いんだけど。猪瀬は何で大丈夫なの?」
猪瀬「行動パターンが分かってるから。あいつガキなのよねー。でも、小さい時に両親が亡くなってて寂しがりやだからね。スキンシップに飢えてるんだと思うよ。どっか触ってやると落ち着くみたい。」
「僕も触ったけど。背中」
猪瀬「背後からはダメよ。殺し屋みたいなもんだから反射的に攻撃してくるからね。」
「こえ。」
猪瀬「ストーカーじゃなくて莉子ピの弟だって気づいたから殴られなかったんだよ。そのぐらいの理性はあるみたい。」
心美「あの子バイ?それともビアン?」
涼子「ビアンってなんですか?」
姉「レズビアンのことよ。」
涼子「ああ・・え」
涼子さんは急にうつむいて恥ずかしそうにした。かわゆい。
「フフ。でも姉ちゃんに当たりが強かったけど?」
猪瀬「最近涼子が莉子ピの家によく来てるから嫉妬なんじゃないの?」
涼子「やだあ」
猪瀬「実際、涼子の追っかけは多いみたいよ。」
涼子「やだあ」
猪瀬「あ、でも『この前ナンパしてきた大学生また居たからシメといた』って言ってたよ。」
姉「ボディーガード気取りか。」
い「あいつ『ストーカーはみんな捕まえて身分証取り上げて住所チェックしてスマホに入れてる』って言ってたよ。これ、去年の時だから、あいつ結構前からやってると思う。」
涼子「やだ。」
猪瀬「フッ、でもつきまとってるやつの中で、ちゃんとした奴らが『紳士同盟』を組んで抜け駆け禁止にしてるってさ。だから竜二が近づきすぎで怒ってたのかな?」
涼子「やだよう。」
姉「何が紳士だ。ちゃんとしてたらストーカーしないよね?」
心美「涼子ちゃんを密かに見る会だわ。」
涼子「もうやー」
涼子さんが、ちょっと涙ぐんでる。
猪瀬「でも涼子を誘拐するのは難しいよね。いろんな奴に見張られてるから。きっとヒーローのように駆けつける奴がいっぱいいるよ。」
涼子さんは答えず、目を指で拭った。
確かにずっと見ていたくなるような美人だけど、そいつら何人いるんだ?
姉「でもさ、君たちの教団ではそういう悪い奴をやっつける祈願とかないの?」
涼子「う〜ん。悪霊撃退とかはあるけど、人間に対しては・・・」
猪瀬「生き霊返しとかはあるよ。」
りょ「悪霊が居なくなると、それが憑いていた人も力を失っておとなしくなる事はよくあるけど、でも、明らかな悪い人は警察に相談した方が早いわ。」
姉「あら意外に常識的。そうなんだ。でも日常出くわす嫌な奴みんなに祈願してたらお金が持たないよね?」
涼子「そうね。嫌な人と会う事は世の常だから。二千六百年前の釈尊の時代から『四苦八苦』の一つ『怨憎会苦』と言われてる。」
姉「来たわ。仏法オタク。」
涼子さんは姉の言葉を気にせず話す。
涼子「そういう憎い人に、こっちも怒りまくるのは最悪よね。動物と同じ。一つは人間は『仏子』と言って、神仏の子だから、相手の立場も完全に否定できないと思って、何で相手がそうなのかを考える。自分にもそういう面がないかを反省する。『立ち向かう人の心は鏡なり』って言葉もある。」
姉「でも嫌な奴にも自覚させてやるべきだよ。おまえ嫌なことをしているんだぞって」
涼子「そうね。言われっぱなしは良くないわ。相手を反省させるための注意や反論は必要だけど、動機には『愛』が必要。慈悲と言ってもいいけど、憎しみをそのままぶつけるのは地獄よね。あくまでも天国的な自分を失わないことが大事。」
姉はあごに手を当てて考え込んだ。
涼子「二つ目は、こっちが見方を変えると向こうも変わるってこと。この人も仏子だ、と思って良い面を見てそこを褒めるようにしていると、相手も良い面を出して付き合ってくれるようになる。実際、良い人に変わってくる。『拝み出す』という言い方もあるけど。」
姉「それさ、悪い奴に肩入れする感じ?たまに善悪わかんない奴がいるじゃん。この前の奴とかさ。」
猪瀬が言った。
「褒めてから注意するのは経営者の基本だけどね。」
姉「経営者って!あははっ!」
涼子「本当にみんなに迷惑をかけていて、みんなを危険にしているような人は滅多にいないけど、そういう場合は神仏の側にある人間として戦わなくてはならない。」
心美「ああ、あの気合いはそこから出るのね。」
涼子「信仰があれば天使が来てくれるから神仏の光が相手を反省させてくれるよ。悪霊は祓ってくれる。」
姉「そうやって教団に入れようとすんなよ。」
猪瀬「にゃははっ」
涼子「でも、これは霊的ネットワークだし。本当のいい宗教なら信仰心があれば守ってくれる。」
姉「そうなんだろうけど、生きた人間を撃退する秘技とかないの?『縁切り』とか『不動金縛り』とか密教みたいな『秘儀』。」
姉ちゃんも詳しいじゃん。
涼子「う〜ん。」
猪瀬「人間も霊だから、なんかあるだろうけど、うちの教えとしてはそこまでのものは無いよ。どっちみち神仏を信じない人は使えない。」
涼子「でも、莉子さんの言ってるのは『呪い』に近いわ。うちの教団は呪いはやらないの。人の不幸は祈ってはならない。自分も不幸になるから。」
猪瀬「『念いは主語が消える』って言われてる。『あいつ死ね』のあいつが消えて『死ね』だけが働き始めるんだって。」
姉「んげ、怖。」
涼子「そう。だから呪いが相手に効くこともあるし効かないこともあるけど、自分に対しては必ず帰ってくる。思いや言葉は実現するの。だから良い思いで、打ち消していく事が大事。」
姉「それってアメリカの自己実現系の思想かな。」
涼子「それはマリリンの方が詳しいけど、『自分やみんなが良くなって、神様の御心に叶いますように』って祈らないと危ないわ。」
姉「そんなの珍しいでしょ?ネットなんて『◯ネ』と『◯ロス』がパレードじゃん。」
涼子「だから危ないの。その願いには悪魔が強力するから。悪魔は願いを叶える代わりにその人の大事なものを奪ってしまう。いえ、『叶えるよ』って騙すだけのことの方が多いけど。」
みんなしばらく沈黙した。
僕の疑問を言ってみる。いや、姉のような宗教思想へのじゃなくて。
「でも、涼子さんは竜二に親しげだったよね?松井レイラのアレはそのせいかも。」
姉が『お前ごときが質問するな』みたいな目で睨む。いいだろ別に。
涼子「あの子話しやすいの。莉子さんの家で一回話したけど、萎縮したり極端に大事にしたりされないから楽なの。蹴られちゃったから後で会った時に謝るわ。正人さん、ごめんなさいって先に伝えてくださる?」
正人さんだって。照れる。あ、でもこういう事か。
「あ、はい。でもあいついい加減だから気にしてないと思う。」
涼子「そんな人いない。」
優しいな。でも竜二が傷ついてるのを読み取ってるとか?そんなこと言ったらあいつバカだから惚れちゃうぞ。
心美「でも、涼子ちゃん前から大勢にストーカーされてるって話だったけど、涼子ちゃん人の思いが読めるんだったらその自覚ないの?」
涼子「そういう男性の怖い思いとかは感じる。でも、波長が合っちゃうと生き霊が来ちゃうから、なるべく無視して考えないようにしてるの。」
姉「大変だねそれ。」
地下鉄が最寄駅に着いた。みんな降りて歩きながら話す。
姉「私の首絞めた生き霊、松井かも。体型が似てた。あいつ水泳もやってるの?」
心美「何で?」
姉「生き霊が裸に見えた。」
猪瀬「にゃははは!裸で水泳はしないよ。でもそれ本当に松井かも。あいつ家ではほぼ裸族だから。ショーツぐらいしか履いてないこと多い。人が来たらロンT着るぐらいの適当女。」
姉「ウッソ」
心美「フッフ、裸族って?はっは笑っちゃう。おかしい。」
お前もパンツにTシャツだけの事多いだろが。似たようなもんだとツッコミたい。
でもエスカレーターで話す話題じゃない。電車の中はまだ空いていたから良いが、サラリーマンとかが前に居るのに裸族の話とか僕は信じられない。
姉「知らんけど迷惑なんだけど。涼子の方が私に近づいてきてるのに何で私の首絞めるかな」
涼子「ごめんね莉子さん」
心美「だからでしょ?自分は無視されて近づけないんだもの。嫉妬よ嫉妬。でも涼子ちゃん好かれる原因に心当たりないの?猪瀬みたく昔、お祓いしてない?」
猪瀬「確かに涼子の事は好きだけど」
涼子「やめてマリリン」
猪瀬「こう冷たいの。にゃははん。涼子はみんな好きだよ。」
姉「こんな美人で可愛いのが『あなたを救いたいの』なんて言ってきたら誤解するって、男も女もみんな好きになっちゃうよ。」
顔を赤らめる涼子さん。
みんなじっと姉を見た。
姉「なーによ。見んなよ。私は女に恋愛感情ないし。ノーマルです。ストレートとも言う。涼子、ほんとに知らない?」
涼子「知らない。」
エスカレーターを降りる。また階段。
心美「でも昔のお祓い師時代の事、あんま覚えてないんでしょ?」
涼子「うーん。」
猪瀬「あいつも背が伸びたのは中二からだって言ってたから姿が今と違ったかもよ。涼子何かやってるかも」
涼子「でも、私の宗教は同性愛は要注意なの。私に気がなくてもあっちがああいう、ベトベト好き好き言ってくる感じじゃ、そういうことにされちゃうじゃん?問題になっちゃう。困るの。」
姉「イスラム教か。」
涼子「そんな厳しくないけど」
地上に出た。
猪瀬「じゃああたしも涼子に嫌われる前に練習に戻ろっと。」
姉「喋るためについてきたんか。」
心美「マメな子なのよ。」
猪瀬「にゃはは!バイビー。」
手を振って軽くテテテと階段を降りていった。
5に続く。
戦争の話はこの4と7だけです。前回、後書きで4と6と書いたのですが、6にするつもりだったのですが、全体に学園ホラー要素少なめなので次回はちょっと怖目のを入れてみたくなりました。結果、全体で14ぐらいになるかと思います。霊的テーマで書いていくつもりです。
戦争の話で別に作品を書こうかと思っています。
あと『パラレル世界の数学的説明』という本は存在しません。あればいいなを書いてしまいました。




