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第9章

朝靄を割り、乾いた草履の音が屯所の広間に響いていた。

「告知だ」――その言葉とともに、隊士たちは次々と集められる。


浅葱の羽織が幾重にも重なり、広間は熱と呼吸に満たされていた。

しかし、その場に漂うのは熱気ではない。

誰もが息を潜め、何事が告げられるのかを待ち構える――重く冷たい緊張だった。


やがて、足音が近づく。

広間の入り口に現れたのは局長・近藤勇、そして副長・土方歳三。

その姿を認めた瞬間、ざわめきかけていた声はぴたりと止み、場は凍りついた。


二人が中央に進み出る。

近藤は表情を崩さずに隊士たちを見渡し、一拍置いて低く告げた。

「――本日、重大な告知がある」


広間を埋める数十の視線が一斉に彼へと集まる。

しかし、言葉を続けたのは土方だった。


「……新選組一番隊組長、沖田総司を――」


一瞬の間を置いて、副長の声が轟く。


「古賀隼人に、一時的に代える!」


広間に爆ぜたその声は、雷鳴のように響いた。

次の瞬間、沈黙は破られ、ざわめきが奔流のごとく押し寄せる。


「な、何を……!」

「古賀殿だと……?」

「一番隊を……あの沖田さんから……?」


驚きと動揺が波紋のように広がり、浅葱の羽織がざわりと揺れる。

握りしめられる拳、交わされる視線。

広間は今や戦場さながらの緊張に満ちていた。


土方は腕を組み、そのざわめきを切り裂くように一歩前へ出る。

鋭い眼光が一人一人の顔を射抜き、息を呑ませた。


「静まれ!」


雷鳴のような一喝に、全員の声が途絶える。

畳に落ちた沈黙は、先ほどまでよりもなお重く、痛烈だった。


土方は睨み据えたまま、低く、しかし広間の隅々まで響き渡る声で言い放った。


「この決定に――異議がある者はいるか」


張り詰めた空気が張り裂けんばかりに広間を満たす。

喉が鳴る音すら聞こえる静寂。

浅葱の羽織の影がわずかに震え、隊士たちは互いの顔を見やる。


「……いるなら、名乗り出ろ!」


再び響いた副長の声は、まるで刃の一閃のごとく場を裂いた。


広間にはただ、重く冷たい沈黙と、隊士たちの荒い息遣いだけが残された。


「――納得できません!」


鋭い声が広間を切り裂いた。

一人の平隊士が立ち上がり、畳を踏み鳴らして拳を震わせる。

その顔は赤く火照り、眼は血走っていた。


「一番隊は、新選組の柱です! その組長を……そんな簡単に代えるなんて……!

我らの命を懸けて戦う力の拠り所を奪うも同じこと! そんな馬鹿な話があってたまるか!」


その叫びに呼応するように、次々と声が重なった。


「そうだ! 一番隊は沖田さんの隊だ!」

「俺たちはあの剣に背を預けてきたんだ!」

「古賀殿には悪いが、総司さんより劣る剣で俺たちを導くと言うのか!?

……そんな不安な隊で、命を懸けろと!?」


言葉は熱を帯び、呻きのように広間を満たしていく。

浅葱の羽織が波打ち、怒りと不安の吐息が渦を巻く。


「俺は信じられねぇ! 一番隊の看板を下ろせば、新選組の誇りはどうなる!」

「沖田さんの剣こそが、新選組の魂だろうが!」


叫びは畳を揺らし、刃を交える前の戦場のごとき熱気が広間を飲み込んでいく。

その熱に晒されながら、古賀隼人は拳を握りしめ、胸の奥に冷たいものが沈んでいくのを感じた。

――やはり、事はそう上手く運ばない。


その時だった。


入口に三つの影が差し、場の空気が一変した。

沖田総司、斎藤一、永倉新八――。

三人が堂々と会場に現れた瞬間、さながら嵐が止むようにざわめきは凍りついた。


永倉新八が一歩前に出て、鋭い声を放った。


「……お前ら、何が不満なんだ?

副長も言ったろうが、『一時的』に変えるだけだ!」


その一喝に一瞬は静まりかけた広間だったが、すぐに別の声が響いた。

「――それでも納得はいきません!」


声の主は若い平隊士。だがその瞳には炎が宿っていた。


「我らは一番隊! 新選組の柱にございます!

それを軽々しく動かされては、柱の誇りが地に落ちます!」


その叫びに、周囲からも声が次々と上がる。


「一番隊は沖田組長の剣によって立ってきた!」

「俺たちはあの背に命を預け、戦ってきたんだ!」

「古賀殿には申し訳ねえが、沖田さん以上の組長はあり得ねえ!」


声は重なり、怒号のような熱となって広間を震わせた。

浅葱の羽織が揺れ、拳が握られる。

それは恐れからでも、反抗心からでもなく――一番隊に属する者たちの誇りの叫びだった。


「いくら永倉組長のお言葉とはいえ……これは引けませぬ!」


その言葉が放たれた瞬間、広間の空気は刃のように張り詰めた。

新選組の魂の中枢――一番隊をめぐる葛藤が、ついに露わとなったのだった。


ざわめきに揺れる広間。

永倉新八が腕を組み、やれやれと首を振った。


「……どうするよ、総司?」


促すような声に、沖田総司は一歩前へ進み出た。

月光を浴びたようなその姿に、広間は息を呑む。


「――副長の言う通り」


その声は静かだが、広間の隅々まで届いた。

「今日より、新選組一番隊組長は……古賀隼人殿に一時、任せます」


途端に、再び声が爆ぜる。


「そんな馬鹿な!」

「納得できませぬ!」

「一番隊は沖田さんの隊だ!」


激情に任せた叫びが幾つも重なり、空気を震わせた。

しかし沖田は顔色を変えず、澄んだ声で続けた。


「……お主たちが、一番隊に誇りを持ってくれていたこと――心から感謝する」


その言葉に、隊士たちの喉が詰まった。

沖田総司の目はまっすぐに彼らを見ていた。


「知っている者もおろう。……私は病に侵されている。

存分に剣を振るうことができず……このままでは、お主たちの一番隊への誇りに泥を塗ってしまう」


その声は決して弱々しくはなかった。

むしろ、自らの弱さを告げることすら覚悟した者の、揺るぎなき強さがあった。


「私は、悩みに悩んだ末……この答えを出した。

私もお主達同様、一番隊組長である事を誇りに思っている。古賀殿に剣筋で負けるとは思わない」


そうだ!と隊士達は沖田総司の言葉を支持する。


その一言に、古賀隼人の胸が刺されるように痛んだ。

拳をぎゅっと握り、歯を食いしばる。


だが次に放たれた言葉は、その胸を震わせた。


「……だが同時に、私の剣筋は古賀殿の剣筋に勝てぬとも思っている。そう思わせる、それほどの侍だ。故に私は託した。古賀殿が一番隊に泥を塗るなど――あり得ない! 決してな!」


その言葉は、剣豪沖田総司が生涯をかけて培った剣と魂の重みであった。

浅葱の羽織を揺らすざわめきは、今度こそ凍りついた。

誰も声を挙げられなかった。


永倉新八が腕を組み、吠えるように言った。

「聞いただろう! これは総司が己の誇りを懸けて言ったことだ!

侍が侍を認めたんだ――それ以上の証があるか!」


続けざまに、斎藤一が前へ出る。

冷たい双眸が広間を掃き、静かな声で告げた。

「古賀隼人の剣を、この目で見た。疑うなら――まず、この俺を越えてから言え」


その言葉は雷鳴のごとく重く広間に落ちた。

誰も斎藤の前に出ようとはせず、ただ息を詰めるばかりだった。


沈黙を切り裂いたのは、土方歳三であった。

副長は鋭い眼光で隊士たちを見渡し、ゆっくりと口を開いた。


「……異議のある奴はもうおらんだろうな」


声は低く、しかし雷鳴のように広間を震わせた。

浅葱の羽織を纏う者たちは、皆目を伏せ、拳を握りしめる。


その時、土方は傍らの古賀を鋭く見据え、そして呼んだ。


「古賀」


その名が広間に響いた瞬間、全員の視線が一斉に古賀隼人へと注がれる。

土方は一歩前へ進み、古賀を隣に立たせた。


「今日より――古賀隼人が新選組一番隊組長だ!」


その声は広間を震わせ、天井をも揺るがすかのように轟いた。


沈黙の中で、誰もがその言葉を飲み込み、歴史の歯車が確かに音を立てて回った。




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