9.下山
どれくらいの日が経過しただろうか。私は薬の開発に没頭していた。地震のせいで貯蓄してあった薬が全部ダメになったからだ。けど陛下と蛇女が来て以来、客はパタリと来なくなってしまった。やはりあの話は本当だったのだろうか。
「客も来ないのに熱心に薬を作って君もよほど退屈だと見えた」
「お前はどう思う?」
「どれについてのどうか言ってくれぬと困るのう」
「あいつらの話が本当だったとして、研究者に薬を転売した奴がいるって話」
「それか。ふむ、まぁ十中八九そうであろうな」
「本当に? そもそも私の薬なんかに頼らずとも自力で開発する可能性だってあるよね」
私にできたのだから他の人にできないという説は間違っている。私にできたからこそ他の人にもできるはずだ。極限まで追い詰められていたとはいえ、それで他の人にできない理由になるだろうか。
「そもそもの論。お主はこの時代の人間ではないと自覚すべきじゃな。その時代によって信ずるものは異なってゆく。それは神だったり、偶像だったり、或いは科学か。そういった理論が複雑に絡み合い時に摩訶不思議な現象に発展することもあろう。その特異点が君であった、と吾輩は思うで」
それっぽい説明には聞こえるけどやっぱり納得ができない。そういった理論を今の人が理解していないとどうして言い切れるのだろう。
「仮に君の言う通り自力で開発したとして、それならなんで隠れて研究するんかって話しよ。そんな偉業を達成するんやったらもっと堂々としてたらいいんじゃ。コソコソ研究してるのは後ろめたい何かがあるか、誰かに触られたくない物があるっていうのが自然やと思うで」
「それは一理あるかもしれない」
「せやろ? 魔女の薬なんて滅多に手に入らん物があるんやから普通の施設に置いとくわけないんじゃ」
こいつの話は鵜呑みにはできないけど時々的を射る。ただでさえ私の薬は変な効用があるからもしもの可能性を嫌うのは十分理解できる。もっともあの2人の話を信じ切ってしまうのも危険ではあるが仮説としては十分か。
「でもそうなったら誰が研究者に売り払ったかって話だよね」
もしこの説が本当なら腹が立つこと極まりない。あんなに真摯に向き合ったのに全部嘘だったなんて何も信じられなくなる。
「研究が未完成やったんならタイミング的にはあの惚れ薬欲しがってた女子辺りからかのう」
「つまり容疑者はミスブラック、ペコリーマン、キラリン、ノッポ君、ばあやの5人かな」
「その命名は何じゃ。誰が誰か……何となく分かったんじゃ」
我ながら完璧すぎる名づけだと思います。それはさておきこの中に嘘吐きがいるわけだけどそれは誰だろうか。こういうのは逆説から考えた方が早いか。
「研究者に売り払った、と考えたならお金に目が眩んだってことだよね。その場合、ばあやとノッポ君は除外してもいいかな」
「どうだか。あの老婆は孫を可愛がってたんやろ? だったらその孫が偏屈な薬やからって売り払った可能性もあるし、あのキザったい男に限っては恋人の死とか全部でっち上げかもしれんぞ」
私からしたらばあやは幽霊説だからなー。それに嘘言ってるなら全員を疑うしかないし。
「じゃあこうしよう。緋水って不死になる薬でしょ。ということは研究するにしてもそれに近い薬である必要がある。つまりこの中だとペコリーマンに売った仮死状態になる薬が一番近いと思う」
「そんなん言ったら泣き薬かて自己防衛機能の応用やから傷の修復に発展するかもしれん。記憶の復活もそうやな。動物の言葉を理解するのも体内構造の変化という意味で似てると思うんじゃ」
「ああもう。だったらお前は誰だと思うのよ」
「吾輩か? せやなぁ。んー。ごめんな、分からんのじゃ」
結局お前も分からんのかい。別にいいけど。こんな奴に期待した私が馬鹿だった。
さて薬もできたことだし、いい加減私も腹を括らないと。
「鞄に荷物を詰めてどうしたんじゃ?」
「ここの生活もお終いにする」
「ほーん。あいつらの所へ行くんじゃ?」
「何度も言うけど私はお国様を信じない。自分の目で見て耳で聞いた情報の元で動く」
確証はない。でももしも私が作った薬が原因で国がおかしくなったのなら、それはとても悲しい。だからせめてもの手助けくらいはしようと思う。それと私の薬を悪用した奴だけは絶対に許さない。
「吾輩は何でもいいけどね。君からは離れられないし。というか元からそのつもりやったんやろ?」
「まぁね」
ずっと薬を作ってたのも備えの為。とりあえず必要な薬品類と後はプランターに植えてある蓬莱草も全部持っていこう。着替えのジャージも入れたらこんなものかな。そもそもこの家には何もないし。いや、もう1つだけあった。
床の板を一枚外すと地面に小さな鉄の箱を埋めてある。掘り出して取り出すと中には拳銃が入ってる。
「君そんな物騒なもの持ってるんかいな」
「父がくれたんだ」
父からの最初で最後の贈り物。軍人だった父がもしもの為って言って護身用に渡してくれた。私はいらないって言ったけど半ば無理矢理にね。銃の扱いなんて父と一緒に一度だけ射撃訓練をしただけ。しかもその結果は酷い有様だった。父がしっかりと支えてくれたにも関わらず発砲したら、それはもう空の彼方へ飛んで行ったし、反動で父と仲良く転んで母が心配して駆けつけて来たっけ。あれ以来銃には嫌気が差したけど言っても聞いてくれなかったんだよなぁ。
結局もしもの時が来る前に私は死んでしまったわけだけど、何の因果か死んだ私の懐にはこれが残ったままだった。女の私がこんなもの持ってるなんて流石の軍人様も見抜けなかったみたいだね。
銃弾は6発。片手で扱うのは絶対無理。私の小さな手にはあまりに大きいし重すぎる。両手で構えたとしても引き金を引くのは結構力がいる。しっかり構えたとしても反動で狙いも定まらないだろうし。それでもないよりはマシだと思う。
手入れはたまーにしてた。父が毎日のように銃の解体をしてたから何となく覚えてしまった。あの大きな銃はさすがに無理だけどこれくらいなら何とかって感じ。
拳銃は制服の内ポケットに忍ばせておこう。
……これ動いたら落ちるな。
仕方ない。この制服の外ポケットに穴を開けてそこに仕込んでおこう。これなら多分落ちない。ちょっと重いけど、すぐに使えなきゃ意味ないしね。
さて、準備も終えたし動くとしよう。この生活にも飽きてた所だし丁度いい機会だ。何より屋根のない生活というのは想像以上にキツイものがあった。どこかの誰かに恩でも売って寝泊まりさせてくれる所でも探そう。最悪野宿になっても平気だけどね。
「それで魔女よ、どこへ行く気じゃ?」
「情報を集めないとだし、とにもかくにも人と会わないといけない。今の情勢がどうなってるかも把握できてないし」
陛下と蛇女の話にしてもどこまでが本当か分からない。正直な所、緋水についても半ば信じがたい所である。その辺も含めて情報が何より必要だ。
それで麓の街までやって来たけれどそこは以前来た時と特段変わった様子はない。光景は未だ復興途中という様子だけどそのどれもが中途半端に放置されている。家を造りかけられている所、電線が直されかけている所、陥没した道路を修復途中の所。
でも何故か違和感を覚える。なんでって思ったけどすぐに答えが分かった。音がまるで聞こえないんだ。人の声は元より人工物の音すら全くない。完全な静寂が街を支配している。
ゴーストタウンなんて言葉を聞いたことがあるけど、まさかそれを日本で見る日が来るなんて。
昼間だというのに街の奥から闇が手招きしているみたいで不気味だ。街角からは今にも何かが出て来そうな気配すらある。仮に何かが出て来たとしても私には何も問題ないんだけど。
この様子なら最初に向かうべきは大きなスーパーだろうね。一見廃墟に見える街でも存外に人はいると思う。そしてこんな状況でも人がいるとすれば大抵は食料がある所だって相場が決まってる。生きるには何か食べないといけないのはいつの時代でも同じだ。そして過酷な状況になればそれは顕著になっていく。農作物を荒らす輩をこの目でどれだけ見てきたことか。
何となくだけど骨の折れる旅になりそう。