7.災害
今日は最悪の一日だ。薬の材料を探しに山を散策していたら急にゲリラ豪雨に見舞われた。
靄がかかったみたいに視界が悪いし地面がぬかるんで気を抜いたら滑ってそのまま麓まで流されそう。
こういう日は今までに何度か経験している。だから下手せず動かないで雨が止むのを待つのが一番いい。雨が止むのは明日になるかもしれないし、雨が止んだとしても地面が乾くのに更に時間がかかる。でも私はいくらでも待てるからそれくらい些細な問題だ。
どちらかというと転んで服が汚れたりする方が面倒。替えの服もほとんどないし、汚れが酷いと洗うのも大変だし、破れたら縫うのも面倒くさい。それに今頃家も大雨の影響で雨漏りが酷いだろうし、はぁ困ったものだよ。
「葉に隠れて雨を凌ぎ常世を眺めるのもまた風情があってよろしゅう」
私の杞憂とは裏腹に木の上で座ってるこいつは呑気なものだ。全身ずぶ濡れで尻尾からも雫が垂れてるのに全く意に介してなさそう。妖怪って皆こうなのかな。
「雨が好きなんて妖怪らしいね」
「君は雨が嫌いなのか? 寧ろ人間の方が雨が好きだと思ったぞ」
「死の雨を前にしても同じことが言えるか見物だね」
1人の時は雨の音に耳を傾けるのはそんなに嫌いじゃないけど、こいつがいるせいでそれができないんだよ。本当にこいつは疫病神だ。
不意に頭上に大きな風が吹いて木が激しく揺れた。そのせいか鳥が一斉に飛び出して鳴き叫んでる。いやよく見たらあちこちの木から鳥が雨の中に飛び出してる。あまりに異様な光景に目を奪われた。
「熊でも出たの?」
「魔女よ。何かに掴まっていた方がよいぞ。災いの前兆じゃ」
「何をとぼけ……」
一瞬視界が左右に動いた。小刻みに揺れるから自分の足が動いていたのか足元を見たら確かに立ったままだ。
次の瞬間。
振り子のように目の前が激しく左右に揺れた。理解するよりも早く咄嗟に近くの枝を掴んだ。耳障りな轟音が雨の音すらかき消す。揺れは収まらず近くの木々がSOSを訴えるように枝を激しく振っている。
ダメだ、立っていられない。姿勢が少し悪くなったタイミングで枝が折れて泥水の波に体が流される。顔に口に不快な異物が流れ込んでくるもとにかく止まらないとはじまらない。
だけど地震はまだ収まってないみたいで濁流の如く水位が押し寄せてくる。
近くで木が軋む音がする。ああ、不味い。早く止まらないと。あれは不味い。
巨大な樹木が今にも倒れそうなのが辛うじて見えたんだ。しかもこのままだと私の流される進行方向だし。
追い打ちするみたいで振動が来てついに大木は耐えきれなくなって傾いた。ぼやけた視界が一気に真っ暗になって頭上に落ちてくる。
※
小鳥のさえずりが聞こえて目が覚めた。視界に映った空は晴天そのものでさっきまで大雨が降っていたのが信じられないほどだった。体をゆっくり起こすと周りの木々が倒れて悲惨な状況だった。私を押しつぶした大木も下流に落ちたのかどこにも見当たらない。
地面も随分と固くなってるのをみると死んでから随分と日が経ったのかもしれない。
体の方に異変は特にない。強いていえば服が泥で汚れてるし、あちこち破れていて最悪だ。
「お目覚めのようじゃ」
そして一番聞きたくない声が聞こえてしまって気分は一気にどん底。
「そんなに不機嫌そうな顔をするでない。余程吾輩に会えて嬉しいみたいじゃ」
露骨に顔に出ていたらしい。寝起きは感情が出やすいから仕方ないね。
「どれくらい寝てた?」
「ざっと日が10以上巡ったくらいかの」
思ったより死んでから日が経ってないみたい。長かった時は1月以上死んでた時があったから今回はマシかな。大木に潰されただけだから精々内蔵が破裂した程度だろうしこんなものか。
「それよりも君が寝てる間に中々に面白いことになっておるぞ」
こいつが指さした方角を見る。木が倒壊したおかげで見晴らしがよくなっていているから街の方がよく見える。私の視力だとはっきりとは見えないけど何となく察しはついた。
「だったら今日は街に行こうかな」
どうせ家も潰れてるだろうし何よりこんな汚れた服を着ているのが嫌だ。人と関わるのは癪だけど衣食住の2つを失ったんだから背に腹は代えられない。
「人の不幸を見に行くとは君も素質があるのう」
こんな奴は無視してさっさと山を下りよう。
久しぶりに街の方に来たけど案の定の光景だった。どこもかしこも木くずと鉄くずの山になっていて、至る所にゴミが散乱してる。電柱は斜めに倒れ、自動車はひっくり返り、道路の真ん中にベッドは横たわっている。新築らしい家は倒壊せずに済んでるけど2階の窓に丸太が突っ込んでいたり、別の家の屋根には自販機が転がってる。
道の真ん中を堂々と歩いていたけど人の気配は殆どない。見かける人は大抵自分の家の掃除をしていて忙しそうだった。
「おい、魔女よ。向こうから良い匂いがするぞ」
今度は何だと思ったけど確かに美味しそうな香りが鼻を刺激する。釣られて香りの元へと歩いたら学校の運動場らしき所で多くの人が集まっていた。
特に中心になってる所では迷彩服を着た人が炊き出しを行っていてそこには行列ができている。
「やっぱり帰る」
「何でじゃ!? 目の前にうまそうな飯があるというのにか!? 君も何も食わずして腹が空いておろう!」
お前も私も何も食べなくても平気だろと突っ込む気力すらない。何より軍人にはいい思い出がないから関わりたくないというのが本音だ。
帰ろうと踵を返したら目の前におさげの若い女性が立っていた。私を見て驚いた顔をしている。これは面倒になると直感して通り過ぎようとしたけど遅かった。
「生きてたのね。あぁ、よかった。こっちに来て」
私の反応をよそに無理矢理手を引っ張られる。最近こんなのばっかりな気がする。
迷彩服の人達の前まで連れられてそこに集まる人の視線を釘付けにしてしまう。私しか見てない所を見るに本当に隣にいるこいつは誰にも見えないらしい。
「その子は……」
「生き残りだと思います」
「そうか。本当によかった」
どうやら汚れた私の恰好を見て勘違いをしているのだろう。いや間違ってはいないだろうけど。
「あなた、ご両親は?」
「もう亡くなってます」
その一言にその場の全員が同情するように目を伏せてた。事情を説明する気にもなれないし、説明した所で理解できないからこれでいい。
「着替えを用意します。それとプールの方にシャワーがありますからそこで体を洗うといいですよ。それとこれを」
迷彩服の人が大きな鍋からオタマでカップにスープを注いでくれた。豚汁のように見える。
それに加えておむすびと菓子パンも渡してくれて、着替えもすぐに用意してくれた。
「何か困ったことがあったら遠慮なく言ってください」
何とも親切なことだ。どうやらあれから軍隊は心を入れ替えたらしい。もっと早くそれに気づいて欲しかったけど。
プールの方に向かう足取りのついでに豚汁を一口飲んだ。あまりに熱くて舌が火傷しそうだったけど冷えた体には丁度いい。調理された料理を食べたのなんて何年、いや何十年振りだろうか。この温かさを知ってしまうと元の生活に戻れなくなってしまいそう。
「魔女よ。吾輩もそれが食べたいぞ」
丁度いい所にこいつが騒いでくれた。食べ物全て押し付けてさっさとプールの所に向かう。
こいつは器用に無数にある尻尾で物を運んでる。便利な尻尾だな。
「全部欲しいなんて言っておらんが。いくら吾輩でもそこまで食欲お化けではあるまいて」
「私はその味を覚えてしまうのが怖いからいい。全部食べていいよ」
こいつが何か言う前にシャワールームに入った。服を着てたとはいえやはり全身泥まみれになっていた。でもあんな死に方をしたのに傷1つないのが不気味過ぎて怖い。まるで新品の体を用意されたかのようなそんな気分だ。私は本当に私なのだろうか。
なんて考えた所で答えが出ないのはお決まりだ。さっさと体を洗って帰ろう。
ていうかこれどうやって水を出すの? これかな? うわ、あっつ! 逆だ逆。つめたっ! ああもう! 私は現代人じゃないんだからちゃんと説明くらい……あ、よく見たら小さく書いてあった。私バカかもしれない。
悪戦苦闘しながらも何とか体を洗い終えて着替えを拝借しよう。2着あるみたい。片方はジャージのようだけど、もう片方は制服? カーディガンっぽいのと白いシャツにスカートが入ってる。私を学生と勘違いしたのかな。
さすがに下着までは用意してくれなかったみたい。無念。とりあえず制服の方に着替えてみた。我ながらに似合ってるように思う。というか可愛いね、これ。やっぱり街に来て正解だった。
シャワールームを出たら例の如くあいつがパッと現れてくる。
「これ美味かったのじゃ! もう一杯頼めんかのう。君なら皆可哀想って言って寄越してくれるのではないか?」
いつのまにか豚汁を飲み干してあってさすがの食欲お化けだな。
「もう帰る。これ以上ここに長居する理由もないよ」
「残念。おっとこっちは食べておらんから安心してよいぞ」
「本当にいらないから。別に食べたからって恨んだりしない」
「なら半分ずつというのはどうじゃ?」
菓子パンの袋を尻尾で器用に破って颯爽と半分に千切ってる。半分ずつって菓子パンかおむすびかって意味の半分じゃないのか。しかも千切り方下手くそだし明らかに私に寄越す奴のサイズ小さいし。おまけにお前の毛が混じってそうで不愉快だ。
「妖怪の癖に人間に媚び売って大丈夫なの?」
「君は人間じゃないから問題ないんじゃよ。普通の人間にこうはせん」
それはそれでちょっと悲しい気持ちになる。どうせ言っても聞かないし一口サイズの菓子パンを受け取って口に放り込んだ。甘くてゴマ風味。これはあんパンだ。いやこれ甘すぎるな。甘い、甘すぎる。私としてはもう少し薄味の方が好きだけど。
隣のこいつを見たら満足にそうに頬張ってるから私の感覚がおかしいのだろうか。
まぁ、でも誰かと一緒に同じのを食べるのって久しぶりだし案外悪くない味かもね。
運動場に戻ったら炊き出しの所は相変わらずの行列が出来てる。もう用はないから帰ろうと思った矢先、私の近くに迷彩服の人が駆けつけて来た。
「君、君! さっき聞き忘れてたんだけど大きな怪我や持病はない?」
「別にないですけど」
そもそも私にその概念は存在しないからね。
「それならいいのですが一応これを渡しておきます」
迷彩服の人が試験管のような小瓶を取り出して渡して来た。中の深紅の液体が入っていて血みたいで不気味だ。
「これは?」
「緋水と言って怪我でも病気でも何でも治す薬です。今回各地で被害があってその復興支援として政府が支給したものです」
「なんでも?」
「はい。骨が折れた人や心臓に重い病気があった人もそれを飲んだらたちまちに回復したとの報告が各地でありました。おかげで今回の災害規模にも関わらず死傷者は少なく済んでいるんです」
「そうなんですね」
「体に問題がないなら飲まなくても大丈夫ですがもしもの時はそれを飲んでください。それでは失礼しました」
そう言って迷彩服の人は颯爽と走り去って行った。
怪我も病気もなんでも治す薬、か。真っ赤に染まってドロドロに映るその液体は見てるだけで吐き気を催す。緋水ね、本当にそんなものがあるのかこれは調査しないといけないかもしれない。