6.孫
今日は暇だから薬を作る。丁度貯蓄も減ってるしいい加減作らないと。薬づくりは私の日課でもあり唯一の収入源でもある。金稼ぎには興味ないが街へ行くならどうしても必要になる。
「思ったんだけどお前って何であそこに封印されてたの?」
今更ながらこの狐のことを全く知らない。興味もなかったけどこいつを知れば何とか滅する方法もあるかもしれない。
「不愛想で無口な人間やと思ってたけどようやく吾輩に興味持ったんじゃな。いやはや人とは分からぬものよ」
こう言われては聞く気が一気に失せてしまう。こいつは話の腰を折る天才かもしれない。
とはいえここで我慢しなくてはこいつの弱みすらも知れなくなる。
「ことの始まりは1000年近く前になるやろな。吾輩が調子よく境内の階段に座って鮎食べてたら急に陰陽師が何人も取り囲んできたんよ。開口一番に何度も盗みを働く狐がって言ってきてな。ひどくない? 吾輩は宮殿の中に放ってあった鮎を食べただけなんじゃ。しかも皿をいくつも並べてあって鮎も何個もあったんやで。こんなん1つくらい食べてもいいと思うやろ?」
当時の食事情はよく分からないけど少なくとも私なら後で食べるつもりだったおむすびを食べられてあったら切れると思う。
「まぁでも吾輩は妖怪やしいくら陰陽師が集まっても無駄なんじゃ。陰陽師とは言えど呪いの力には勝てないんじゃよ。あいつら攻撃は優秀やけど守りは弱くてな。じゃから適当に呪ってやろうと思ったんやけど1人だけ別格の陰陽師がいたんじゃ。名は安倍晴明と言ったかのう」
私でもその名は知ってるくらいの有名な陰陽師だ。
「普通の陰陽師やったら吾輩の力で大抵死ぬけどあいつは全く効かんし、おまけに悪霊相手に致命傷与えてくるんやで? 頭おかしいって思ったんじゃ。こっちはたかだか盗み働いただけやのにその仕打ちはあんまりやん」
一応盗みを働いたという自覚はあるのか。
「おかげで宮殿近くにあいつがおるせいで美味しいご飯にあり付けなくなって吾輩は野イチゴ生活に逆戻りなんじゃ。かわいそうやろ?」
食べなくても平気な癖にとんでもない食欲おばけだな。悪霊やめて貪食の化物を名乗ればいいと思う。
「当時は妖怪が多かったんでしょ?」
「せやね。ぬえとか悪鬼とか吾輩に及ばんけどそこそこ頑張ってる妖怪もおったんじゃ。まぁでもあいつらは人の殺し方がセンスないわな。吾輩はもっと華麗な死に方魅せれるんよ」
とりあえず陰陽師に狙われてるのは盗みじゃなくて人殺しの方に問題があると思う。
と思ったけどこいつが妖怪なら人を殺すのは日常だからそこに善悪はないのか。
「他の妖怪と手を組んで安倍晴明と戦ったりもしたけどまぁあいつは強かったわ。吾輩は面倒になってあいつが寿命で死ぬのを待つことにしたんよ。美味しい飯食えるわけでもないのに戦って傷負うなんて馬鹿らしいんじゃ。せやから50年くらい我慢したらあいつは消えてたわ」
自分が生きてる間に面倒な妖怪を退場させられたならある意味安倍晴明の勝ちにも思えるけど。
「晴明の末裔はおったけどあいつほど強くなかったから余裕じゃ。何せ吾輩は他の妖怪と違って物理的な手段は無駄なんじゃ。だって悪霊だし?」
「だったら何で封印なんかされてたのよ」
「人間ってほんまに基地外なんよ。何であんな方法思い付くのかありえんのじゃ」
「早く言え」
「吾輩の人の殺し方は君にしてるみたいに取り憑いて生気奪って殺すんやけど、ある陰陽師が取り憑かれたのを知って自分諸共封印したんよ。おかげで吾輩は長い間あそこに閉じ込められてかわいそうやろ? まぁでも封印した人間が死んでからは効力弱くなって色々遊べるようにはなったんやけどな」
それで私が封印を解いて今に至る、か。当時命を賭けて封印した人に悪い事をした。でもおかげで色々と分かった。
「雄弁は銀だったね。じゃあ私が当時その陰陽師がしたみたいに再び封印したら二度と意識も保てないままこの世から消え去るってわけだ」
死んでから効力が弱まったなら死なない私は一生その封印は持続する。やり方は分からないけど時間が無限にある私ならいつかその方法を見つける可能性だってある。
だけどこいつは思ったよりも冷静な反応してた。
「そりゃあ覚悟決まった人間が恐ろしいのは知ってるんじゃ。でもね、吾輩からしたら君はもう人間として見てないんよ。どっちかというと吾輩と同類なんじゃ。せやから君は自身の命を課してまでそんな真似するとは思えんよ。孤独に苛まれる苦痛は君も知ってるはずじゃ」
本当にこういう所が嫌い。まるで私の全部を知ったみたいな言い方をして。
お前の言う通りできないしやる気もない。そもそもこんな奴の為に自分の命を使うのがもったいないし。
まぁでも収穫がなかったわけじゃない。こいつは口走ったけど悪霊に物理的なものは効かないって言った。それは裏を返せば精神的なものは効くかもという話。やっぱり馬鹿だったね。これは我慢したかいがあった。
「せっかくやしもっと話をしてやるんじゃ。平安京を狂わせた大妖怪、江戸で起こった飢饉の真相、蓬莱伝説なんてのもあるで。好きなの選ぶんじゃ」
江戸ってその時お前は封印されてたんじゃないのか。幽体離脱がどうとか言ってたけどそれで俗世に関われるほどとは思えない。やっぱり妖怪って嘘つきかもしれない。はぁ、めんど。
コンコンコン
丁度話の腰を折るように家の扉がノックされた。これは天命の如くのお客さんだ。
こいつを無視して扉を開けるとそこにはボロボロの着物を纏ったおばあさんが立っていた。
腰は曲がって松葉杖と言うにはあまりに弱弱しい杖を突いて懸命に立ってる姿はどこか痛々しい。
「おぉ。お若い娘さん、どうかたかしを救ってやっておくれ」
おばあさんは顔も上げずにポツリと呟いてる。どうやらボケて迷い込んだわけではないらしい。それにはあまりに不可解だけどこの際はいいか。このまま追い返すわけにもいかないし、とりあえず中に入れてあげよう。
「どうぞ」
おばあさん、基ばあやは一歩歩くのもやっとなくらいゆっくりと家に上がった。プルプルと震える仕草にどうにも不安に駆られて作業台で使ってる椅子を貸してあげた。
「ありがとうねぇ」
ばあやは重い腰をゆっくりと下げて息を切らしながら座り込んだ。まさかと思うけど介護施設から脱走でもしてきたんじゃないだろうね。おまけに椅子がないから私が立つはめになるし。
「それでどんな薬をお求めですか?」
聞いてみたんだけどばあやは息を吸っては吐いて繰り返して肩を震わせてる。どうやら老体に山登りは相当堪えたらしい。仕方がないからばあやが落ち着くまで待つことにした。
それから30分くらいしてようやくばあやが落ち着いて顔をあげた。皺くちゃになった顔面は今にも溶け落ちそうなくらいで皮もぶよぶよだ。よくもまぁ死なずにいるって思う。
私もあの薬を飲んでいなかったら今頃こうなっていたのかな。
「たかしを、たかしを救っておくれ」
まさかと思うけど認知症でも患ってないよね。たかしって誰だよ。
「事情をお聞きしてもよろしいですか?」
それでもお客さんに変わりはない。ばあやは目を閉じてポツポツと語り始めた。
「あの子が産まれた時はねぇ、それはもう元気で明るい子だったのよ。あんな可愛らしい子がこの世に来てくれて家族皆でお祝いしたものです」
まさか幼少期から全部語るつもりなのかこのばあさんは。私の予想を裏切らずばあやはたかしの誕生から逐一に語り出し、時には話が逸脱しては戻りを繰り返して、聞くにはあまりに退屈な時間が過ぎていった。口を挟むには躊躇ったのでその話を全部聞くはめになる。要はたかしはこのばあやの孫らしい。
「あの子が高校生になった頃かねぇ。今まではあんなに懐いて可愛らしかったのに急に口も聞いてくれなくてねぇ。声をかけても返事もしてくれない。反抗期なんて言葉がありますけどたかしに限ってはそんなの絶対にありえないと思っていました。あんなに素直で真面目な子がそうなるなんてこの目で見ても疑っていましたから」
それくらいの年頃は気難しい時期だし仕方ないと思うけど。私もそうだったし。親と一緒にいるのを見られるのが恥ずかしかったし、ましてや小学生の如く可愛がってくる叔母がいればなおさらじゃないかな。
でもそう言うのは大抵その時期だけで大人になればまた関係が戻るんだよね。
「そこからは家庭が崩壊していったように思います。たかしは働きもせずに家に篭るようになってしまいました。皆が心配をするもやはり返事もありません。私もあの子が心配で心配でたまりませんでした」
ようやく状況を理解してきました。だったら尚更言わなくてはならない。
「僭越ですがもしも私にその子を更生するようにお願いするならばそれは不可能です」
「そこを何卒お願い致します。私はあの子の将来だけが心配なのです。お金ならばいくらでも払います。ここにはどんな薬でもご用意していると伺いました。たかしがあの頃の真面目で素直な子に戻るようになる薬を1つ処方して頂けないでしょうか」
ばあやは椅子に座ったまま頭を下げる。無論そういう薬がないわけではない。
脳に分泌されるアドレナリンを増やせばやる気に溢れるようになる薬はある。
「ここは薬屋であって更生施設ではありません。そういうのは別の所でお願いします。それに本人が望まぬものをこちらとしても処方致しかねます」
以前惚れ薬を処方しようとした時に隣にいる悪霊狐が言った。人格が変わったその人は果たして元のその人なのか、と。仮にここで薬を処方してたかしが真面目になってばあや達が喜んだとする。けれどそのたかしは果たして元のたかしなのだろうか。
効果が一時的な惚れ薬と違ってこちらは長期に渡る。それを本人が望んでるならともかく、そうでないなら売るのは経営者としてできない。
「どうかお願いします。私は老い先短い命でございます。けれどあの子だけが気がかりで死ぬに死ねないのです。私はどうなっても構いません。ですから何卒お願い致します」
ばあやは何度も何度も頭を下げて懇願してくる。さすがにこれは参った。
何となく隣にいるこいつを見てみる。珍しく今回に限っては何も言ってこない。
「売ってやってはどうじゃ? 本人がここまで欲しがっておるならば何も問題はなかろう」
いつもなら私が売ろうとしたら口を挟んでくる癖に、売るのを躊躇ってたらこう言ってくる。こいつは天邪鬼に違いない。はぁ、もうどうでもいいか。このままこの家に居座られてはただでさえ面倒な悪霊が居付いているのだからこれ以上増えられては敵わない。
「分かりました。ただ薬の効果が永続する保証はないので少し手を加えさせて頂きます」
小瓶の蓋を開けてそこに塩を少々入れておいた。他意はないがもしもの為である。
「お若い娘さん、本当に本当にありがとうねぇ」
「お代は500円となります」
「あれ。お金をどこに入れておいたのでしょうか」
ばあやは着物の中を探っているがどうも財布が見つからないらしい。やはり認知症か。
「なら代金は結構です。これを受け取ってください」
「本当に助かりました。お金は必ず払いに戻りますので」
「いえ。もういいですから。これをお孫さんに渡してあげてください」
そしたらばあやは涙を流しながらお辞儀をして薬を服の中に入れると再び杖を付いて家を後にした。今までで一番大変な客だったとしみじみに思う。
「薬の中に入れたのはあれは塩か?」
「まぁね。ちょっと不可解な点がいくつかあったから念の為ってやつ」
「ほう? 聞かせてれくるかのう」
説明するのも面倒だったけどこいつも気付いてるかもしれないし確認の為に言っておこうか。
「第一にあんな年寄りがこんな樹海の中にどうやって来たのかって問題。格好も明らかに山登りに適してないし今までの客と違って体力もない。偶然ここまで来るには明らかにおかしいと思う」
「休憩しながら来たのやもしれんぞ。人間の執念を考えれば2、3日は平気で使うぞ」
それは経験談なのだろうかと聞きたかったが今はどうでもいいか。
「それであるかも分からない薬屋を目指して? それならお国様にでも頼った方が早いと思うけどね」
「頼ってダメだった後かもしれんな」
まぁ確かにそれなら藁にすがる思いでここに来るという気持ちは理解できなくもない。
「けどあのおばあさんの話しも妙に疑問があったんだよね。お孫さんがそういう生活ができるって結局な所家が裕福な証でしょ? おばあさんもお金ならいくらでも支払うって言ってたしお金に困ってるようには思えない」
働かなくていいならそこに生き甲斐でもなければ働きたくないのは当然かもしれない。
衣食住があれば人間なんて怠惰な生き物だ。私もこんな生活をしてるから毎日自堕落に生きる気持ちはよく分かる。
「じゃがあの老婆の身なりをみれば資産家とは思えんがのう」
ぼろぼろの着物を纏って手入れもろくにされてない身なり。その指摘はごもっともだ。
「そこだよ。そもそもあんな格好で出歩いてるのがおかしいと思うんだよね。そこで1つ仮説を立ててみた。本当はあの人、もう死んでるんじゃない?」
ばあやの話の中でお孫さんにいくら声をかけても無視をされるって出て来た。それって本人がすでに亡くなっていて地縛霊にでもなっていたのなら合点がいかなくもない。
それでずっと現世をさまよい続けて偶然ここに辿り着いただけかもしれない。私が不老不死になったことで霊感が強くなって死者が見えるようになったのは隣にいる悪霊が証明している。
「それにあの人が幽霊だとしたら今の時代じゃない可能性が高い。お孫さんは一体いつの時代の人なんだろうね?」
もし仮に私と同じ時代に生きてた人ならば普段から着物なのも分かる。そしてお孫さんが働きたくない理由があの戦いにあったのだとしたら家に閉じこもって徴収から逃げていたのかもしれない。
「なるほどのう。それで最後に塩を入れたのか」
死者には塩が効くとは聞いたけど真意は分からない。成仏してくれたならいいなって程度。
「中々に面白い仮説じゃが言葉の通りかもしれんぞ? 吾輩は本当に迷い人じゃと思うがな」
「へぇ? 前は惚れ薬売ろうとしたら人格が云々で否定してきた癖に今回はいいんだ?」
「恋とそれを同じにするではない。君は本当に心というのを分かっていないようじゃな」
やっぱりこいつの言うことはさっぱり分からない。けどその言葉が胸に刺さるのは何でだろう。