54.逃走
緋人に追われながら夜の都を駆け回る。その数はあり得なくてかつての研究所の比ではない。おまけに野次馬も増えてそいつらもきっと桜姫の手先なのだろう。全てが敵に見える。違う、全てが敵なんだ。
でもいつもならすぐに緋人に捕まる私でもあいつらは追いついていない。それ所か周囲の連中もワーワー騒いでる。手を抜いてるのか?
理性がある分、この状況を楽しんでいるのか? 或いは私達が女だから生け捕りにしたいのか。そもそも桜姫もなんで逃げた? 私が邪魔ならここで殺せばいいだろうに。
走り続けていると不意に街中にあるサイレンからブツッと音がする。
『皆~ひめこんだよ~。盛り上がってるね~』
桜姫はまたしても安全圏から声を響かせて来た。
『魔女さんは今、どうして私が本気を出さないんだろうとか、皆が手を抜いてるのに疑問を持ってるよね。私は優しいからその疑問に答えちゃうぞ♪』
変な効果音と共に耳障りな声が不快すぎる。
『魔女さんは古い人だから知らないんだろうけど、今って流行り廃れがすごく早いんだよね。この前流行ってたのが今日では忘れられてる。今流行ってるのは明日には無関心なんて日常。これがどういう意味か分かる?』
声が大きいせいで聞きたくもないのに嫌でも耳に入ってきます。くそ。
『皆、娯楽や刺激に餓えてるんだよね。堅苦しい法律に縛られて、腐った社会に縛られて。奥底眠る獣の本能を押さえつけてる。だから私が最高の刺激を与えてあげた。ふふ。人って悪い事って思ったら誰もしないけど、悪い事でもそれが日常なら誰も悪いって思わなくなるんだよ? 今のこの状況、悪いって誰が思うかな?』
ある種の洗脳か。実際生きる為に盗みを働いたとしても、それが法を犯していても仕方ないと言い聞かせる。寝床を求めて空き家に押し入るのを良しとするのか。きっと個人でなら罪悪感もあったでしょう。けれど周りがしているから自分もいいと錯覚する人の心理を彼女は巧みに操った。やはり彼女は危険過ぎる。
『この前の学園のライブも結構好評で~。あ! 魔女さんに応援コメント来てるよ! 魔女頑張れ~だって! ほらほら、皆も応援してあげて! 私も応援するよ!』
こんな状況すらも桜姫にとっては娯楽の1つでしかないのですか。そしてそれに対して疑う人はこの街にはいない。いいや。きっと疑う人はいた。けれどそういう人は今の私みたいに吊るし上げられて晒され排除された。結果、東京には桜姫の信者しか残らなくなったのか。或いは彼女を讃えることで身を守っているか。どちらにせよ、状況は不利に違いありません。
後ろの道路からも横の歩道も前の店からも、どこからでも敵が湧いて来る。乾いた笑いすら出てきません。足を止めました。これ以上走るのは無駄かもしれません。
何より陽菜葵さんを抱えて走るのも限界がある。
この数秒のロスだけで一瞬で囲まれてしまいました。栗香さんはバックパックを地面に下ろします。
「魔女。陽菜葵は私が連れていく」
なるほど。筋肉のない私が抱えるよりはマシですか。
「私は戦えなくなるからこれを使って」
栗香さんが日本刀を渡してきます。剣もまともに使えない私に何とも無茶を言います。
この場に栗香さんが2人いればよかったですね。なんて文句を言っても仕方ありませんけど。黙って刀を受け取りました。
周囲を観察します。少しでも逃げれる場所がいい。店の中で籠城する? いや、緋人の腕力ならいつかは崩壊する。マンションに入って階段で戦う? いずれ屋上へと逃げて退路が断たれるか。けれど直線的な逃げは分が悪い。ちらりと細くて狭い一本道を発見しました。
「あの路地裏を目指します。道は私と雪月さんでなんとかします。栗香さんは走ってください!」
「おっけ!」
「やる!」
全力で駆け出します。けれど当然走った先には緋人化したレベル3の連中が立ちふさがります。私はポケットから薬を取り出しました。
「先に忠告しますけど、この薬は肌に触れるだけで即死しますよ?」
そう言って投げつけました。そしたら連中はそれを嫌って避けます。
やはり。理性が下手にあるせいで私のハッタリも効くようです。そしてこいつらには死への恐怖もある。
薬をいくつも投げました。
「そんな単調な攻撃当たるかよ!」
くっ。ハッタリは通用してもこいつらはレベル3。動体視力や運動神経が増幅してるので薬を投げた程度では無駄ですか。けれど直線的な薬は急に紙に包まれて軌道を変えました。
「なっ!」
敵も驚いたようで更に身を引きます。雪月さんが私が薬を投げたタイミングで形代で進行を変えてくれたようです。合図もしてないのに合わせてくれるのなんて最高ですか。あとで一杯撫でます!
ビビった連中が後ろに引いたおかげで道があいた。栗香さんがダッシュして先に入ります。私と雪月さんも続こうとするも後ろから緋人が飛びかかってきます。慌てて雪月さんの手を引いて先に行かせます。
そして抜刀。
栗香さんみたいにうまくできませんが、それでも日本刀。奴の脇腹を切り裂き致命傷になり叫んでます。
その隙に路地へと走ります。
よし、ここなら。
狭い路地であれば相手も複数侵入できません。ならば日本刀を持つ私の方が有利。
「舐めんじゃねーぞ、こら!」
そしたら銃を構えてきました。前言撤回。
緋人が銃使うなんて反則では?
慌てて太いパイプの後ろに身を隠して難を逃れるも敵が亡者の如くやってくる。
私が動けないでいると後ろから大量の形代が視界一杯に飛んできます。
形代に視界が奪われた連中はその場に転んでいきました。
「お姉ちゃん!」
「雪月さん、最高です!」
彼女の手を取って走ります。
路地裏は複雑に入り組んでいまして右へ左へととにかく動きます。このまま先の道路へと出たかったのですがその先を緋人が走ってるのがチラリと映って栗香さんの足が止まる。
ダメだ、このままだと撒けない。
「どこかへ身を隠しましょう」
栗香さんが丁度近くのマンションへと入っていきます。私と雪月さんも後に続きました。
「とにかく上へ行きましょう」
2人が頷き階段へと走ります。外から桜姫の信者の怒号が響いています。ここが見つかるのも時間の問題でしょうか。今度こそ絶体絶命、ですかね。




