50.交渉
鴉天狗に追い返されて私達は来た道を引き返してる。あまりの徒労に溜息が出そうだったけど、娘達は何も言わなかった。栗香さんと陽菜葵さんも妖怪が見えてないだろうけどさっきの状況で何となく理解したのでしょうか。
空が暗くなってきました。やはり山登りは時間も多く使う。これなら狐の言う事なんて無視してさっさと東京へ行けばよかった。これからは妖怪なんて当てにしない。
風が強くなってきたのか周囲の木々が揺れてザァーッと音が響く。あれだけいた鴉の声も聞こえなくなり闇が迫っているようです。夜の山は危険。早く街に帰った方がいいでしょう。
自然と歩幅が早くなったのですが雪月さんが私の手を握ってきます。
「お姉ちゃん。なんか嫌な感じする。風が泣いてる」
風が泣く? それは一体どういう意味でしょうか。私には陰陽術の用語は分かりません。
けれど勘のいい彼女の言葉におそらく嘘はない。慎重に進みました。
そして彼女の言葉の真意はすぐに分かりました。道端に人が立っている。
強面で白髪をオールバックにして、髭が生えた男。スーツを纏い、腰には異様に長い得物を下げている。形状からして刀に見えるけど栗香さんの持つ日本刀に比べて明らかに長い。まるで物干し竿のようだ。
「まさか首相がお出迎えとは驚きましたね」
私は娘らを静止させてから前に進みました。強面の男、富士は表情を一切変えずに厳格なまま私を見ている。
「元より、いずれ相まみえる予定であった。少し予定は狂ったが」
富士は特段驚いた様子も殺意を持った様子もない。けれど一切の油断はできなかった。何せこの男こそが今回の騒動の黒幕なのだから。
「それで私を殺しに来たわけですか。わざわざスパイまで送り込んで」
富士はチラリと陽菜葵さんの方を見る。
「そいつには一切の期待はしていない。だが君の居場所を知るという最大の功績を働いてくれたようだ」
なるほど。彼女のスマホにはご丁寧に細工してあったようです。だからこの場に現れたわけですか。正直言って最悪過ぎる展開です。
今でこそ富士は敵意を見せてませんがこいつが黒幕ならば五竜同様に緋水で自身を改造してるに違いない。五竜ですら相当厄介だったのにこの男は一体どれほどか。しかも武器を所持しているならばそれも考慮しなくてはならない。娘を守りながらできるのか?
富士は特段動く様子もなく手を後ろに回しました。
「そう警戒せずとも君と争いに来たわけではない。私は君と交渉しに来た」
急に何を言い出すんだ? 新手の罠か?
何も答えずに睨んでいると富士は腰の物干し竿を目の前に放り投げた。
「これで少しは信用できるか?」
「できないと言ったら?」
すると富士はスーツの上着を脱いでそれも放り投げます。服からは何やら派手な銃が飛び出していました。
「これで私の武器はない。聞く耳はあるか?」
一体何を考えているんだ? 本当に交渉に来たのか?
しかし武器をいくら捨てた所で緋人ならばそれも意味はない。でもどちらにせよこの状況は私にとって不利だ。きっとこいつもそれを承知でわざとこんな真似をしている。
心の中で舌打ちがしたくなりました。
「話すだけ話せ」
ポケットから銃を取り出して奴に構えます。富士は特に焦った様子もなく語り出した。
「なに、簡単な話だ。魔女よ、我らの仲間になれ」
何を言うかと思えばまたそれか。私はどこまでもおかしな連中に好かれるようです。
「その件は既に答えが出ています。まさか五竜が死んだのをご存知ない?」
「あいつは少し我が強すぎた。あれでは我が目的には少々足りない。とはいえ五竜は十分な功績を残したが。それはさておき、彼と比べても君は実に優秀な人材だと思うがね。目的の為ならば非情にもなれる。淡々と仕事を全うする。是非とも私の元で働いて欲しいものだ」
自分の部下が殺されたって言うのに何だこの態度は? やはり罠なのか?
けれど何を言われた所で答え何て決まってる。
「どんなに詭弁を並べられても答えは絶対ノーです。私が国の為に働かないって聞いてません?」
富士は私を見据えたままジッと睨んでいる。脅しなのか? 承諾しなければ娘が殺される? くそ、どうすればいい。
「魔女よ。君は一体何の為に戦っている?」
「なに?」
「五竜を殺しここまでやってきた。並大抵の覚悟ではないだろう。ならば今一度問おう。君の信念とやらを」
「信念、ね。そんなものありませんよ。私はただお前のような腐った連中が気に食わないだけです」
戦う理由なんてそれだけで十分だ。世界平和とか日本の為とか、そんな信条は持ち合わせていない。狂った役者を舞台から蹴落とす。それが私の信念だ。
すると富士は呆れたような顔をした。
「まるで子供だな。或いは君の精神はあの時から止まっているのか?」
或いはそうかもしれない。けれどこの答えは私自身が出した答えだ。
富士は私に背中を見せて空を見上げた。なんだ?
「ならば私が君に理由を与えてやろう。我が崇高な目的を聞くがいい」
聞くつもりもないがこのまま発砲していいのかも躊躇われる。なにせ奴が油断してるようには一切見えないからだ。栗香さんも日本刀を構えてるが前に出るのを躊躇っている。
それだけこいつの実力を身に感じているのだろう。
「私はね、日本の現状に憂いていたのだよ。GDPの低下、出生率の減少、少子高齢化、複雑化していく法令、政治に興味を失くす若者。たった1つの議案を可決させるのにどれだけの時間が必要になる? 挙句、自分の利得を優先させる輩ばかりが増えるようになってしまった。ああ……なんと嘆かわしい」
富士は両手を広げて天に祈るようにしていた。こいつは一体何を言いたいんだ?
「急に首相らしくなるなんてまだ日本再生とか考えてるの?」
煽るように言ってやった。
「無論。寧ろ、この現状こそが我が計画の一部だ」
この現状だと? 国民が全ていなくなった現状に何の計画性がある?
「複雑化されたシステムをどう直せばいいのか? 木の根が腐っているとは知らず次々と枝に乗って行く人間。もはや日本を再生するにはこれしか方法がなかったのだよ」
「くそったれですね。それで日本国民を全滅させて一からやり直そうって? 馬鹿げてますよ」
やはりイカれた人間にはイカれた思想をお持ちなようだ。
「で? 国民がいなくなって次はどんな手があるんですか首相様?」
これだけ人がいなくなった所で再生なんて無意味だ。それどころか各地のインフラも文化も全て駄目になったわけだし、これでは建て直し所ではない。
「確かに君の言う通りすぐには日本を復活させるには難しいだろう。先進国と謳われていたが暫くは後進国となる。だがそんなものは些細な問題だ。何せ我々はあの戦争を生き抜き、復活した経験があるのだから」
なるほど。謎の根拠はそれが原因ですか。確かに爆弾落とされても生き残ったんだから日本という国は相当しぶといでしょう。でもね、それをお前が語る資格はない。
「お前がそれを口にするな。何も知らない癖に。後ろで悠々と指示を出すだけの癖に。それで犠牲になったのは誰だ? 戦いたくもなかった無実の人ばかり。無関係の国民が争いに巻き込まれた。その死をお前が語るな!」
怒りのあまり銃弾を一発放ってしまった。だが富士はそれを見てもいないのに難なく避けてしまった。やはりこいつも化物の仲間か。
「君が怒るのも無理はない。だが、君も心の中では思っていたのではないか? あの戦いに勝利していれば結果が違ったと」
「何を、言ってる?」
「私は同じ過ちをするつもりはない。今度こそ完全なる勝利を導こう」
「お前まさかやる気なのか?」
富士は何も言わずほくそ笑んだ。そこで私は合点がいってしまう。
ああ、なんて最悪なんだろう。私の薬が皮肉にもあの戦いの続きになってしまうとは。
「もはや核など時代遅れの兵器となるだろう。そして世界中の人間が我々日本を恐れ敬うだろう。我々こそが不死の力を持つ者。この世界を掌握する!」
一瞬凄まじい眩暈に襲われそうになった。五竜の研究でレベル3以上の人間を集めていたのも全て戦争の駒集めのためか。本当にどこまでクズなんだ。
「お前、馬鹿か? お前らが作った緋水で本気で世界を狙えると思うなら笑いますよ」
今の現状でも銃火器で殺せるのですから世界の掌握なんて夢物語でしょう。こいつがどれほど腕が立つか知りませんが、核の炎に耐えれるとも思いません。
すると富士は振り返ってこちらを見てきました。
「だからこそ君の力が欲しいのだよ。レベル5の不死者よ」
はぁ。私ってどこまでも争いを好む連中にモテるらしい。こんな紛いの体にどこに魅力があるのでしょうか。
それに仮に私の不老不死の薬があったとして、それで世界を敵に回しても勝てるとも思いません。私の力だと普通に死は免れないのですから。死んでる間に適当に拘束されたり、なんなら火山の中に捨ててもいい。たったそれだけで終わるのにこいつはどこからそんな自信が溢れてくるのでしょう。
「答えなら最初に言いましたが?」
こいつの話を聞いて決心がついた。私は二度と争いなんてしたくないし御免です。何より、両親が命を賭けて守ったこの国をこんなイカれた奴の思想で全てが壊されるのが我慢できません。
「決意は固い、か。だがね、君がそう言うのは想定していた。だからこういうのはどうだろうか?」
富士がスマホを取り出して優雅に叩く。隙だらけなのに銃が撃てない……。
富士はスマホをこちらに向けてきた。
『私に電話して何か用?』
この声は桜姫!?
「ああ。魔女の説得に少々難航してな。そこで君の力を借りたい」
『別にいいけど、電話で何させるの?』
「以前君に会いたい者がいると話しただろう。その女が今魔女と共にいる」
不味い! これはすぐに電話を止めさせなければ!
銃弾を撃ったけど富士は腕を動かすだけで弾を避ける。くそっ。
「姫様!? その声は姫様!?」
案の定、陽菜葵さんが食いついてしまう。
『あ~。あなたが私に会いたいって子? かわいい声だね~』
「ああ! 姫様! ヒナ、姫様に会いたいの!」
『うんうん。いいよ。じゃあさ、そのおじの言う事聞いたら会ってあげてもいいよ』
その桜姫の言葉を聞いて陽菜葵さんが振り返る。その手にはピストルが握られていた。
ああ、最悪だ。本当に最悪。
「協力感謝する」
『ちゃんと報酬渡せよ』
「言われずともな」
富士は通話を切った。このまま2人と戦うのは非常に不味い。けれど富士は腕を組んで動く様子がなかった。戦いを静観する気か?
考えてる暇もなく陽菜葵さんが発砲してくる。慌てて近くの茂みに飛び込んで木に隠れた。
「雪月さんと栗香さんも隠れてください!」
後ろに居た2人も指示に従ってくれる。今日という日は本当に最悪な日です。
本当に妖怪なんかに耳を貸すんじゃなかった。