40.研究②
次に目を覚ました時は無機質な部屋の中でした。体を起こすと診察台の上で寝ていたようです。部屋の中はとても狭く物という物が一切なく、当然窓のようなのもありません。壁の上に真っ黒なモニターがあるくらいでしょうか。監視でもされてるのですかね。
起き上がると急にモニターが明るくなりました。画面には五竜が映っていて気分が悪い。
『どうやら目を覚ましたようだな。手荒な真似をしてすまなかった』
そう言うわりに心が一切こもっていません。
「私をここで監禁して何が目的ですか」
『なに。君には少し我々に協力してもらおうと思ってね。君は不老不死なる薬を開発したのだとか』
やはりそれが目当てですか。
『正直私としては些か疑問でもあるがね。だがそれが真実ならば実に興味深い』
緋水を作っておいてどの口が言うのやら。
「断る、と言いましたら?」
すると五竜は画面の向こうで軽く手を叩きました。
『お姉ちゃん!』
それは雪月さんの声でした。画面には映りませんでしたが紛れもなく彼女の声です。
『君が寝ている間に地上を捜索した。彼女は君にとって何なのか。娘? 孫? 或いはただの拾い物か』
最後の言い捨てる言葉にふつふつと怒りが湧いてきます。こいつにとって人間なんて自分の研究の道具でしかないのでしょう。
『いずれにせよ、君が特別視したのだから何らかの意味がある。彼女の命は惜しくないか、魔女よ?』
どうやら雪月さんを人質にして脅しの道具にするようです。どこまでもクズなのか。
元より私に選択肢などなかったようです。
「……彼女に手出しは許しませんよ」
きっと今の私はとんでもない形相だったでしょう。けれどそんな顔を見た五竜は満足そうでした。
『ならば従うという意味でよろしいか?』
その言葉に何も返答しません。五竜はフッと鼻で笑いました。
『今からそちらに部下を送る。下手な真似するなよ? この娘の命が惜しければな』
そう言って画面はまた真っ黒になりました。
とりあえず深呼吸。こんな状況だからこそ冷静にならないと。
「絶体絶命じゃな?」
診察台に座ってる狐が語りかけてくる。そういえばこいつもいるんだった。存在を忘れていたよ。
「随分嬉しそうだね」
「今度こそ吾輩の力が必要になりそうだからな」
「残念だけどそれは杞憂だと思うけどね」
「ほう? お嬢が捕らえられてはいくら君でも奴を出し抜くのは難しいじゃろう」
「それなんだけど、多分あいつは雪月さんを捕まえてない」
「なに?」
「もし本当に捕まえていたなら声だけじゃなくて顔も見せて今にも殺すという状況を見せればいい。私が相手の立場ならそうする」
そうしなかったのはその場に雪月さんがいなかったから。そもそも、雪月さんだけを捕らえたという情報が不可解過ぎた。彼女のそばには栗香さんもいるし、栗香さんの性格なら雪月さんを見捨てるくらいなら自分も捕まる選択をする。
桜姫が持っていたあの機械なら音声を録音しておくのは可能でしょう。彼女から事前に雪月さんの声のデータを受け取っていた。栗香さんのデータがないのは、そもそも桜姫は栗香さんが生きてると思ってなかったからでしょう。あの状況下で生きてるとは思えないし、屋上から逃げたのでその後も分からなかったはず。
だから雪月さんだけを捕らえたと言うしかなかった。多分、私が緋色学会へ行くのを想定して事前に準備していた罠でしょう。そして私をうまく利用して緋水を完成させるのが奴らの目的。
「ふむ。ならばなぜ奴の命令に同意したのじゃ?」
「下手に動けば怪しまれるし、ここから出るのも難しいと思う。今は相手の隙を伺うのがいいと判断しただけ」
私自身も色々と知りたい情報もある。切羽詰まった演技に見えただろうけど、あんな奴の顔を見て純粋に腹が立っただけ。
手持ちの確認。うん、見事に何もないね。銃もナイフも薬も没収。これはますます脱走は難しそう。ここは大人しく奴らに従って地上の娘に期待しましょう。
「君の思惑通り事が運べばよいがな」
それは状況次第。考えてる内に部屋の扉が開いた。外にはガスマスクが立ってる。
手を回して出ろって言いたいらしい。
部屋を出たらガスマスクは私の背後に立って、でかい銃を突き付けてくる。こんな無防備な美少女にどこまで警戒してるのやら。
連行された先は無人の部屋でした。入った瞬間、嫌な異臭が鼻を付き纏う。ガスマスクが明かりを点けると中は手術室のような何とも胡散臭い所でした。私の知らない機材や物が置いてあり、診察台にはまだ新しい血が付着してます。臭いの原因はこれか。
「ここにある物は好きに使っていい。ただし妙な真似をすればどうなるか分かっているな?」
ガスマスクが脅すように銃口を向けてきます。そんな脅しは今更怖くもありません。
とはいえ今は大人しくすると決めたので両手をあげて従う素振りを見せます。
ガスマスクは部屋から出て行く様子はなく、部屋にロックもかけました。なるほど、監視の意味も込めてですか。これは益々脱走できません。実際、出入り口はガスマスクが立ってる扉だけなので事実上不可能。当然地下なので窓もありません。ふむ。
ここは素直に研究をしましょうか。それにしてもあの時の経験が今になって再び起こるなんて私はとんだ大罪人のようですね。或いは余程星の巡り合わせが悪いのか。
※
それから私は研究をしていました。というのは嘘です、はい。
そもそも私は古い人間ですから現在の機器の扱いは分かりませんし、材料も蓬莱草が必要です。蓬莱草は雪月さんが持ってる鞄の中なのでどうやっても作れません。
なので部屋に置いてある物を珍しそうに観察していました。
「お前、舐めてるのか?」
案の定ガスマスクがキレました。とはいえこればかりは私だけの非ではあるまい。
銃を突きつけられても臆せず肩をすくめてやりました。
「何の指示もなくただ作れって舐めてるのはそちらでは? ここに置いてある物の扱い方も分かりませんし、研究の経過段階も知りません。好きに使えといいますが材料だってろくになさそうですし、これで何をすればいいか逆に教えて欲しいですね」
「あまり調子に乗るなよ」
今にも発砲してきそうな勢いです。銃を持つと強気になる所があの頃の軍人にそっくりです。
「私を殺すのは結構ですが、それで責任を負うのはあなたでしょうね。精々あなたが五竜の実験道具になるだけでしょう」
煽ってやったらガスマスクは大袈裟に舌打ちをして部屋にあったモニターを触ります。するとすぐに画面がついてクソじじいが画面に映りました。
『随分と難航しているようだな。魔女というのもその程度だったか』
この研究所には礼儀がある人間が1人もいないようです。実に悲しいですね。
「こんな人体実験してそうな部屋に連れ込んで研究なんて無理がありますね」
『それは君の問題だろう。それに分かっているのか? こちらには人質がいるというのを』
「あんな小手先の嘘で私を騙せると思ってるのなら、あなたも大したことなさそうですね」
そう言ったら五竜の眉が動きます。
『ふん。存外に勘はいいらしい。だが、君が非協力的ならばこちらもやむを得ない。その体を調べさせてもらう必要がある』
女の子の体を調べるなんて変態ですか。こいつ絶対今まで女にモテなかったでしょうね。
「そちらがそうするなら仕方ありませんね。その時は自害します」
『面白いことを言う。君は不老不死なのだろう?』
「そんなのが可能だなんて本気で思ってます? あの化物が死ぬように私も自分を殺す方法があります」
もちろんこれは嘘だ。そんな方法はないし、可能なら私はとっくに死んでる。
でもこいつはそれを知る確証がない。こいつも私と同じ研究者ならば不確定の事象は選択できないはず。
『その時はお前の死体を解剖してやろう』
「ご勝手に。それであなたの薬は不完全なまま終わって世が腐敗するわけですね」
私としてもこれは危険な綱渡り。こいつが傲慢な人間なら押し切る可能性はある。
けれど隙を見せたら負けるのは私だ。五竜は少し思案してる様子だった。
さぁ、どうなる?
『……いいだろう。3日時間をやる。それで成果が出なければお前を解剖する』
十分だ。それだけ時間があれば対策もできる。
『機材の使い方や必要な材料、緋水の研究についても知りたければそいつに聞くといい。よき報告を待っているぞ?』
そう言って五竜は通信を切った。随分と好待遇になったものだ。或いはあいつ自身も研究に難航している可能性がある。あいつがどれほどの地位か知らないが、少なくともトップには逆らえないはずだ。私の経験からすればあいつも誰かに急かされてる可能性があるな。
もしそうなら私にとって好都合だけど。
よし。3日もあれば優秀な娘なら行動を起こせるだろうし期待していいよね?
なら私も今のうちにできることをしなければ。




