36.訓練
高層ビルが立ち並び、至る所に店が見受けられます。道路も対向車線を含めて6車線もあるのですからどうやら県の都心に来たようです。
見渡す限り緋人がいる様子はありません。このまま平和な旅が続けばいいのですがそうもいかないでしょう。それにこんな場所なら絶対どこかにいる。
栗香さんの方を見ます。彼女は異常なまでに警戒心を見せて周囲を見張っています。
さすがにこのままではまずいですか。ここは人肌脱ぎましょう。
「ここで抜き打ちテストを始めます」
急な私の発言に雪月さんと栗香さんが何事という感じで振り返りました。
「こういう場所で注意すべき所はいくつあるでしょう。では栗香さん」
「え、急すぎ」
「有無は言わせません。答えてください」
「ええと。まずはあの角や信号のある交差点、それにお店の中」
悪くない答えです。緋人がいると仮定した時、出会い頭となる場所は常に念頭に置く必要があるでしょう。
「雪月さんは他にありますか?」
「ん~。屋上? あとはマンホール」
いいですね。さすがは我が相棒です。
「いい答えです。敵は常に地上にいるとは限りませんから空から降ってくるかもしれませんし、地面から這い出てくる可能性もあります。特にこういう都心部ではその確率も上がります」
だからこそ特定の箇所ばかり警戒するのではなく広い視野が必要になります。特に高層ビルなんて近付けば屋上なんて見えません。遠く離れてる今だからこそそうした場所も注意できます。
「さらに言えば緋人以外の可能性として友好的でない人が現れる可能性もあります。そうした場合、さらに注意すべき箇所は増えるでしょう」
私が栗香さんを見ると彼女は申し訳なさそうに委縮します。
とはいえ人間の場合、緋人よりは無闇に攻撃はしてこないと思いますが、万一敵対した時のリスクは計り知れません。以前それを考慮せずにとんでもない目に遭いましたからね。
「では第二問。あの交差点で緋人を1体見つけたとします。栗香さんならどうしますか?」
「んー。1体だけなら倒す?」
「なるほど。雪月さんはどうですか?」
「逃げる」
彼女の即答に私は小さく拍手をしました。
「雪月さん正解です」
「逃げていいの?」
栗香さんが首を傾げながら聞いてきます。
「寧ろ戦うという選択は最終手段であって、基本は逃げるのが鉄則ですよ。最初の話と繋がりますが戦っている最中に別の緋人が来たら危険は増えるばかりです」
緋人が1体いるなら10体はいると思え、ですかね。
「生き残るというのは如何にしてリスクを避けるかにあります。だから戦わずにして逃げるのは何ら恥でもありませんよ」
彼女に武士道精神でもあるなら別ですがそうでないなら基本は逃げてもらいたい所です。
「街中で銃を撃って緋人と遊んでた奴が言うと説得力があるのう?」
狐がものすごく嫌味っぽく言ってきたので首を掴んでやりました。あれは状況が悪かったから仕方ない。狐が暴れるので雪月さんに渡します。
「では第三問。基本は逃げるとしてもそうは言ってられない状況があります。では栗香さん、万が一緋人と敵対した時、どう戦いますか? あくまでイメージでいいので自分の中で思い描いた戦い方を言ってください」
指を曲げて何となく緋人の真似をして今にも襲ってやるぞーというポーズをします。
「ええっと。首を狙う、かな」
なるほど。彼女の日本刀なら首を落とすのも容易かもしれません。けれどそれは普通の人間が相手だった場合です。
「緋人の大きさは2m以上もあります。栗香さんの体格を考えると首を狙うのは難しいでしょう。とはいえ落とせればかなり有利になりますけどね」
「それなら、足」
「はい正解。基本緋人と戦う時は足を狙ってください。機動力が落ちれば戦闘も楽になりますし、逃げるのも可能になります。因みに腕を狙うのも案外悪くありません。攻撃手段が素手か精々噛みつく程度なので」
そもそも日本刀ならどの部位も切れるでしょうから、攻撃さえ決まれば有利になるのは確かです。
雪月さんはこれらを意識してかは分かりませんが狙ってしてるんですよね。形代を使って視界の妨害や足の阻害。やはり幼女は天才でしたか。
「で、でも実戦でそんな動きできる気がしない」
「なら試しましょうか」
タイミングよく交差点付近で緋人が1体立ち往生しています。
「えぇ? さっきは逃げるって言ったのに?」
「実技テストが残ってるんですよ。雪月さんはここで残ってもしもに備えてください。あれは私と栗香さんで何とかします」
雪月さんは頷いて物陰に隠れます。栗香さんも荷物を置いて私と一緒に遊歩道から歩いていきます。相手は明後日の方を見ていてこちらに気付いていません。本来であればここで奇襲して一気に仕留めるのが一番です。けれど今回は栗香さんの克服も兼ねての戦い。私が活躍してはいけない。
栗香さんの方をチラッと見ます。いつでも日本刀を抜けるように手を添えてますが、その手が震えてるのが分かります。やはり実戦は早いですか。けれどそうやってズルズル先延ばししていては彼女の為になりません。
ここは1つ体を張りましょう。
「私が敵を引きつけますので栗香さんは隙を見て攻撃してください」
「で、でも魔女。私本当に動けるか分からない……」
「最悪は私で何とかしますので安心してください。では」
栗香さんを置いて前に進みます。丁度手ごろな石ころがあったのでそれを掴みます。
それで思いきり投げてやりました。そしたら運よく緋人の頭に命中。
私としては地面に落ちた音で気付かせる算段だったのですが。
「おおぉぉぉっ!」
案の定、ご乱心になって私に向かって突進してきます。
すぐにサバイバルナイフを抜き取って、いやこいつ何か速くない?
スポーツ選手か何かと思うくらいのダッシュで一瞬で距離縮められてそのままタックルが。
ぐはー、めっちゃ痛い。いや、痛すぎる。うん、これは痛い。
おまけに弱ってる私に向かって拳を振り下ろしてくる。
だから痛いってば。不老不死って分かってなければ絶対に死を悟ってた。
雪月さんが形代を構えて飛び出しそうだったので首を振って静止させます。
だって私は最初から戦うつもりがないんですから。これでいいんです。
人間、いやあらゆる動物というのはその本来の力を抑えて普段生活しているそうです。
そして窮地に陥るとその真価を発揮するのだとか。崖から落ちそうになった時、クライムも懸垂もできない人が生還するように。猛獣に追われた草食動物が全身のバネを奮い立たせるように。
それが無為に終わることもある。けれどその潜在能力はきっと力だけに限らない。
死地に赴いたり、戦火に飛び込んだりする勇気もまた潜在能力。きっと父もそうだった。
私は栗香さんを信じてます。確かに彼女は緋人とはまともに戦えない。あの倉庫で無力な彼女を見ましたから。けれど同時に彼女の勇敢さも知っている。あの研究錬で矢を放って私を助けてくれたこと、あの絶望の状況で私と雪月さんを救ってくれたこと。
きっと彼女は誰かの為にならその刃を振るえる。その恐怖を克服できる。
なんて考えてる内にめっちゃボコられてる私。いい加減やめてくれませんか。
このままだとお腹に穴が空きそう。あーいたいー。死ぬー。
「やめろ……。やめろぉぉぉぉ!!!」
栗香さんが目の色を変えて走ってきます。
どうやら私の勘は正しかった。ただ彼女は試合は知ってても殺し合いは知らないようです。
そんな叫んだら自分の居場所を教えるようなものですよ。
あーほら、緋人が気付いた。これはまずい。雪月さんに合図を送ります。
私も動かなくては。駄目だ、殴られ過ぎて体が動かない。
やばい、栗香さんが……。
緋人がその拳を振り下ろした時、栗香さんは突如足を止めた。突然の動きに緋人が呆気にとられる暇もなく彼女は抜刀して足を両断。さらに首も刎ねた。
いやすごいな。何今の動き。
そういえば弓道部の部長で道場通いだったんだっけ?
なら弓道の集中力と道場での経験。それらが彼女の潜在能力を限界まで引き上げたのでしょうか。そうだとしてもすごいけど。すごいしか言ってないな、私。すごい。
「はぁはぁ。終わっ、た?」
「まだです。薬を奴に」
栗香さんはポケットから薬を取り出して緋人の口に刀を突きさして無理矢理飲ましてます。
中々えぐいことしてますが。
すると緋人は死んだようでぐったりしました。
「お姉ちゃん! 栗姉! 大丈夫!?」
雪月さんが心配そうに駆けつけてきました。
「ええ、見ての通り無事です」
「全然無事じゃないよ。無茶し過ぎだよ」
雪月さんが私の顔にハンカチを当ててくれました。
傷が痛むからやめてくださいー。
なんとか立ち上がって、栗香さんを見ます。彼女も緊張の糸が切れたようで地面に座り込んでました。
「栗香さん、実技テスト合格です。おめでとうございます」
「魔女って本当むちゃくちゃ」
それはいつものことなので仕方ありません。
「では旅の再開と行きましょうか」
「えっと、それなんだけど」
栗香さんが申し訳なさそうに見上げてきます。
「なんでしょう?」
「腰が抜けて立てない」
どうやら彼女にはまだまだ経験が必要なようです。でもこの一歩はきっと大きな一歩になったのは違いないでしょう。




