3.安楽死
早朝。私は樹海の中をさまよっていた。こんな朝早くからしかも外出するなど滅多にない。基本夜行性で家からも出ない。栽培してる植物の水遣り程度はするが探索をするなんてもってのほか。そもそも何十年もの間でこの樹海を知り尽くして庭みたいなもの。それゆえ見飽きたとも言える。
だけど面倒なことに家に貯蓄していた花が切れてしまった。薬の材料程度なら放置するのだがこれだけはどうしても外せないのである。樹海の中を歩き続けて花を見つければまずは匂いをかぐ。いい匂いがすればそれを摘んで籠に入れていく。これが結構面倒な作業だ。籠一杯にするには結構時間がかかるし、樹海の中を歩いていると人と遭遇しないとは言い切れないからだ。
わざわざ早朝を選んだ理由がそれで人と会いたくないから。こんな所に見目麗しい幻想美少女がいようものならそれはもう大変なことになる。だからまぁ、人とは会いたくない。
それに上空では時々戦闘機らしきものが飛んでるし私を探しているのかもしれない。困ったものだ。
「まさか君に花を摘むなんて乙女な趣味があるとはのう」
そして当然の如くこの悪霊狐は付いて来る。朝早いのに全く眠くなさそうだ。そもそも妖怪だから寝る必要がないのだろうか。それはそれで人生が長くて退屈そうだけど。
「恋に興味がないと言っていたが本当は気になる相手でもいるのではないか?」
一体いつの話をしているのだろうか。ああ、前に来た客の話か。もう大分前だからすっかり忘れていたよ。こんな話を掘り下げるなんて余程退屈なんだろう。
そういえば昔、近所の年寄りが毎日同じ話題で盛り上がっているのを見た気がする。歳を重ねるって嫌だね。
「残念だけどこれは家に置いてる香水だよ」
「間違ってないではないか」
「お前には分からないだろうな。客が来て開口一番に臭いと叫ばれてゲロ吐かれて気絶された私の気持ちなんて」
「なんかすまぬ」
自分の匂いは自分では分かりづらいとは言うが年月を重ねると劇物にまで昇華するんだなっていういい教訓になった。私の場合は不死のせいか汗をかかないから体臭はそこまでないと思うけど服に関してはどうしようもない。だから定期的に洗濯もしないとダメだし、その為にこの花達が必要になる。
「そういえばお前って何100年も封印されてたわりにあんまり臭わないな」
「そりゃそうじゃ。吾輩は妖怪やしそこらの獣とは訳が違うんよ」
は? なにそれずるくない? 私はこんな面倒なことを定期的にしてるのに。
家に帰ると枯れた花を処分して香水の制作に取り掛かる。
「ふわぁ」
眠い。早起きしたせいか眠くなってきた。花は摘んだし後で作ろう。うん、そうしよう。
コンコンコン
寝ようと思った矢先、小屋の扉がノックされた。動物の悪戯かもしれないし一旦様子を見る。
コンコンコン
「誰かいませんかー?」
外から男性の声がする。どうやら来客らしい。ふむ、わざわざノックするなんてまさかこんな山奥までセールスの勧誘ではあるまいな。眠いがとりあえず出よう。人が来るのはレアだからね。
ドアを開けたら目の前にスーツを着た見た目30代くらいの男性が立ってた。髪の毛もワックスを決めて香水の匂いもして如何にも営業マンって感じ。
その人は驚いた様子で目を丸くしてる。来たのあんたなのに驚くのか。
「本当に住んでた」
そりゃ私の家ですし。
「ご用件は?」
「ああ、すみません。実は薬を求めてこのお店にまで足を運ばせて頂きました」
つまりはお客さんか。だったら無下にはできない。
「どうぞ」
ドアを開けてあげると男性は頭を何度も下げて中に入ってる。あなたはペコリーマンと呼ぼう。
「それでお求めの薬は?」
作業台に戻る足のついでに聞いてみる。するとペコリーマンは言うべきか迷ってる様子。こんな所まで来たのだから相当な悩みがあるはず。
「……さい」
「はい?」
「安楽死する薬を売ってください」
まさかの安楽死ですか。これはペコペコリーマンじゃなくてクタクタリーマンだったな。
「毎日上司に怒鳴られて遅くまで残業して寝て起きたらまた仕事が始まってそれでいてお金は貯まらない。同期は出世してるのに俺はまだ平。友人たちは結婚していく中、俺はまだ独身。最近思うんです。何の為に生きてるのかって。それでもう段々とどうでもよくなって死のうって思ってここまで来ました」
私の時代にもそういう人はいたよ。きっと真面目な人なんだろうけど。真面目が故に限界を迎えたんだろう。
「魔女さん、お願いします。俺はもう楽になりたいんです。この社会で生きていけません」
見事なお辞儀。よほど訓練されてるな。
「今の会社が無理なら転職を考えてもいいのでは?」
「もうかれこれ10以上は転職してます」
それで全部ダメだったのか。
「俺はダメな人間なんです。言われたことも満足にできなければ融通も効かないし、はぁもう死んだ方がマシだって思う」
ペコリーマンに自虐スイッチが入った模様。人間成功体験がないと自分に自信がなくなるもの。この人はきっと辛い毎日で完全に自信を喪失したのだろう。
「そういう毒薬はないこともない」
「本当ですか!?」
私自身も死にたいと思ったことは少なからずある。一生死ねない体というのに嫌気をさして自分を殺そうとした。でも無理だった。どんな苦痛も毒も眠りから覚めると無傷になってる。だから死ぬことを諦めるしかなかった。
「ただ気になる点があります。死にたいだけならわざわざここに来る必要ある?」
本当に追い詰められた人っていうのは突拍子もなく向こう側へ飛ぶ。でもこの人はまだ理性があってあるかも分からないここに足を運んだ。
ペコリーマンは俯いた。
「首吊りも飛び降りも痛そうじゃないですか。だから痛みもなく眠るように死ねるならって思ったんです」
実際めちゃくちゃ苦しいよ。だったらなるべく苦しまず死ねる薬を提供してあげよう。
私にこの人の人生を決める決定権はない。できるのは望む物を売ってあげるだけ。
「死に恐怖を感じられるならまだ正常だと思うがのう。思うがこやつには組織に属するというのに向いていないだけではなかろうか。地方の田舎にでも行って百姓にでも精を出すと言いじゃろう。或いは自分だけの店を構えてみるのもよかろう。どうせ死ぬならやりたいようにやって死んだ方がお得じゃぞ?」
相手に聞こえていないのに助言するこいつは何を考えているのやら。私に通訳しろって言いたいのか?
「どうにもあなたに憑いてる悪霊は農家になれと仰っているようです」
「あ、悪霊? い、いやでも農業なんて知識もないし大変だって聞くじゃないですか」
「前者はともかく後者に関しては問題ないと思うけどね。だってこんな山奥にまでそんな恰好で登って来た人、あなたが初。おめでとう。そんな動きにくい格好でよくここまで来れたね。息も切れてないし相当体力あるよね」
ずっと残業やらで働いてたからか、或いは営業か何かで走り回っていたのかは定かじゃない。でもあなたが頑張ってきたことは無駄ではなかったと思うよ。
棚から小瓶を1つ持って来た。
「あなたに必要なのは体を休める時間かもしれない。これを飲んだら3日は目を覚まさない。というか仮死状態になる。それで目が覚めてもまだ死にたいと思うならまたおいで」
「で、ですがその間会社を休んで迷惑に……」
思考が完全に染まってるなぁ。こんな時にも会社の心配とは恐れ入った。
「それを言うなら今日はどうしたの?」
ペコリーマンが黙り込む。平日の真昼間からスーツ着て登山に来る物好きなんているまい。
大方会社に行かずに当てもなくここに来たんだろうね。或いは本当に自殺するつもりだったか。
「ありがとう、魔女さん。俺、これを飲んでもう一度考え直してみる」
「それがいいと思うよ。死ぬなんていつでも出来るんだから」
私にはできないけどね。そしたらペコリーマンの目に光が宿った。生きる希望が見つかったみたい。
「お会計は500円となります」
「安くないですか?」
「身の上話を聞かせてくれたからサービスって奴かな」
お金なんてあっても用途がほぼないし。でもタダで渡したら客も不安になるだろうから、形式上もらってるだけ。
ペコリーマンはワンコインを置いて何度もお辞儀をして、扉の前でも頭を下げてお礼を言って出て行った。我ながらいい仕事をした気がする。
まぁでも、これでダメだったなら致し方ないけどね。精々死なないことを願っているよ。