23.老婆
峠の公道を自転車で走っています。自転車を漕ぐなんて何十年振りですが、やはり徒歩よりかなり速い。頼るべきは文明でしたね。
周囲は緑豊かで平和なものです。緋人は元人間ですから、人が住んでいない所には存在していないようでこの峠では全く見かけません。おかげでのんびりと旅を楽しめます。時々吹く風が気持ちいい。
「お姉ちゃん平気? 代わる?」
後ろで落ちないように私に引っ付いてる雪月さんが心配そうに声をかけてくれます。
「問題ありません。不老不死ですから」
というかこんな幼い子に自転車を漕がせるなんて私のプライドに一生の傷が入ってしまいます。それに今の所は平坦な道ですから大事にはならないでしょう。今の私なら子供1人くらいなんのそのです。
※
はい、調子に乗りました。めちゃくちゃしんどいです。
ていうか何? なんで急にこんなにも坂道が続くわけ? ここを設計した人は馬鹿なの?
文句を垂れても仕方ないのですが、やはり不満が出ます。
私の体力では漕いで上るのは限界なので雪月さんに降りてもらって仲良く歩いています。
この坂さえ越えれば問題ないでしょう。多分。
「休憩する?」
心配そうに聞いてくれます。本当に気が利く子で嬉しいですね。
でも今は休んでられません。
何せかれこれ数時間は自転車を漕いでるのに景色が一向に変わらないからです。悠長にしていれば野宿になってしまうでしょう。雪月さんは文句を言わないと思いますがこれまた私のプライドなのです。
「というかずっと思ってたんだけどお前のせいじゃない?」
籠の中で蹲ってる狐様を睨んでやった。この私が幼女を乗せてるくらいで疲れるはずがない。絶対こいつのせいだ。
「何をとぼけておるか知らぬが吾輩は悪霊ぞ。重さなどあるわけ……」
「知るか」
摘まみ上げて雪月さんに投げ渡す。ほらみろ、やっぱり軽くなった、気がする。
「魔女のお姉ちゃんは狐が嫌いなの?」
「どうしてですか?」
「うーん。何かこの狐さんに当たりが強いと思って」
何も知らない人からすればこんな会話をしていればそう見えても仕方ないか。
別に狐は嫌いじゃないし、何なら動物は好きな方。ただそいつが例外なだけ。
「お嬢は優しいのう。吾輩の味方はお嬢しかいないんよ」
雪月さんはこいつの尻尾をモフモフして幸せそうな顔をしてる。うっかり陰陽術が発動して消滅しないかな。
「そいつは色々言いやすいだけ」
自分でもよく分からないがこいつの前だと素が出てると思う。
「もしかしてわたしの時は気を使ってる?」
「そんなわけないじゃないですか」
「ほら! わたしの時と狐さんの時とで口調違うもん! ママ言ってた。仲が悪く見える人ほど実は仲が良いって!」
いやいや何でそうなるんですかね。そもそもこいつ妖怪だし気遣いもクソもないと思うのですけど。
「まさに犬猿の仲というわけじゃ。こいつとは腐れ縁よ」
「羨ましい……。お姉ちゃん、これからはわたしにもキツく言ってくれていいから! わたしもお姉ちゃんと本音で付き合いたい!」
妙な誤解を生んでるようで困ります。大体こいつも腐れ縁とか言ってるけどまだ一年足らずなんですけど? しかも殆ど会話もしてないし。
「いいですか、雪月さん。親しき仲にも礼儀ありという言葉があります。信頼してる人ほど作法をもって接するのは人として当然です。もし仮に私が雪月さんに対して無作法を働けば信用を失っていくでしょう。それは雪月さんも同じです」
礼儀正しくて真面目な彼女だからこそ、こうして信頼して傍に置いてる。そもそもそこの妖怪は半ば無理矢理付いて来てるだけだから、本当なら今すぐにここで置き去りにしたいくらい。
「わたしはお姉ちゃんにとって特別?」
「特別です。でなければあんな約束しませんよ」
そしたら嬉しそうにして狐の尻尾に顔を埋めてます。うーん、何とも分かりやすい。
「物は言いようじゃのう」
「それが言語を使える人間の良い所だけど?」
悪い所でもあるんだけどね。
さて呑気にお喋りしてる間に坂を上り終えました。けれど溜息も出そうになりました。
広大な道がまだまだ続いているからです。
「雪月さん、次の県にはどれくらいかかりそうですか?」
彼女は狐様を下ろして地図を確認してくれます。
「うーん。ここがどこか分からないから何とも言えないなぁ。何か目印でもあったら分かるかも」
それはその通りですね。地図で見た限りでもこの峠はかなり長いようです。
あれだけ漕いだのですから8割くらいは越えてて欲しい。
「目印、ですか。それこそ向こうに家が建ってるくらいで。ん、家?」
こんな峠のど真ん中に家がありますよ。これは行ってみる価値があります。
頑張って自転車を漕いで家の前にまでやってきました。
そこは2階建ての一軒家のようでしたが、今にも倒壊してしまいそうなくらい酷くオンボロな家でした。壁も黒く変色してますし、窓も錆か何かで汚れてます。
事故物件とも言えそうなくらい年季がある家ですね。いや。よく見たら玄関の所の暖簾に宿って書いてあります。もしかしてここって民宿か何か?
それが真実かは分かりませんが、仮にそうだったとしても繁盛してなかったのは確かでしょう。立地はよさそうに見えますが。ともあれ、今の私達にとっては渡りに船です。
「お姉ちゃん。もしかしてここに入るの?」
私が自転車から降りたものですから雪月さんがすっごく嫌そうな顔をしてます。
「暗くなってきてますし寝泊まりする所は必要です」
現在地が分からない以上、街に着いてから探していてはそれこそ朝になります。そんな道草を食うのは面倒です。それでも雪月さんは狐を抱えてジリジリと後ろに引いてます。陰陽師なのに怖いのが苦手なんですか。
「幽霊なんていませんよ。それに居たとしても大したことありません。そこの悪霊がいい例です」
「それもそっかー」
「おい」
狐様は不服そうだったけど事実だもの。彼女が納得してくれたので玄関を開けます。
開けます。
いや、開かないんだけど。なにこれ、かたっ!
もしかして鍵閉まってる? そんなはずは。
「こっちは疲れてんだよ!」
力一杯横に押したら何とか開きました。どれだけ錆びてたのやら。
それで早速お邪魔させて頂きます。入って早々居間に到着しました。
どうやらここは普通の宿と違って、あくまで個人宅で寝泊まりできるという感じでしょうか。だったら人はいないでしょうね。こんなにボロボロですし。
すると雪月さんが私の服を強く引っ張ってきます。それでそうっと指を差すものですから目で追うと、居間の奥にある椅子に年老いたおばあさんが俯いて座っていました。力が抜けたように項垂れていて、その様子からして死……。
「なんだ? お客さんかい?」
急に顔を上げて喋り出すものだから一瞬心臓が止まるかと思いました。
雪月さんに至っては小さな悲鳴をあげています。
「おばあさん、明かりくらい点けてください。心臓に悪いです」
「電気なんてとうの昔に止まってますよ」
それで椅子から立ち上がってそこで気付きました。ボロボロの着物を纏って腰の曲がった歩き方。以前薬屋に来たばあやに違いない。
「おや。あなたは薬屋の娘さんかい?」
どうやらまだボケていないようで私の顔を覚えていたようです。
「知り合い?」
「ええ。以前客として来てくれたんです」
まさかこんな所で住んでるとは思いませんでしたが。まぁ人のこと言えませんね。
「今日はここで泊まらせて頂きたいのですがよろしいでしょうか」
「構いませんよ。何もない所だけどゆっくりしていってください」
ばあやは杖を突きながら台所の方へと歩いていきます。家の中をウロウロするわけにもいかないので居間で休ませてもらいましょう。丁度ソファがあったのでそこに腰を下ろします。
ばあやが熱いお茶を淹れてくれましたがさすがに無闇に手をつけるわけにはいきません。雪月さんが飲もうとしたので一旦静止させます。
「おばあさん。このお湯はどうやって?」
「心配しなくてもその水は山で汲んだ新鮮な水だよ。私もずっと飲んでるけど平気です」
その山の中に研究所がある可能性はゼロではない。事実、ばあやのお孫さんはこの水のせいで緋人になったのだから油断はできない。
「失礼を承知で聞きますがこの水が原因でお孫さんが変貌したのではないでしょうか?」
「たかしを、知っているのですか?」
ばあやはゆっくりと顔を上げた。正直話すべきか迷うけど、彼との約束もあるのでここは正直に話しましょう。
「ここに来る前に彼と出会いました。それもあの緋色の姿となった状態です」
「たかしは、たかしはどこにいるんですか!?」
そういえば家族に追い出されて家を出たと彼は言ってました。でもばあやだけは彼の味方だったのかもしれません。
「残念ながら……」
そう言うとばあやハンカチを取り出して顔を埋めてしまいます。嘘でも生きてるなんて言えばきっと今すぐにでも出て行ってしまうのでしょう。何せ私の家にまで来るくらいですから。
「彼のおかげで私と彼女の命は救われました。彼の最期は安らかだったと思います。人助けも悪くない、と仰ってましたから。それとあなたにごめんと伝えて欲しいと言伝をあずかってます」
「あぁ……ああ……」
ばあやは呻くように泣き崩れてしまいました。よほど可愛がっていたのでしょう。
それから気の利いた言葉も思いつかず、ばあやが泣き止むのを待ちました。
半時間くらいしてようやく泣き止み、顔をあげてくれました。
「あの子を看取ってくれてありがとうございました。あの子の最期が孤独ではなかったと知れただけでもよかったです」
ばあやは落ち着いた口調で話してくれます。
「お気になさらずに。不躾で申し訳ないのですが彼の件でいくつか聞きたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
「この老いぼれで答えれることなら構いません」
「彼の話しによれば、彼がああなったのは大量に水道水を飲んだ為に体に異変が起きたと仰っていましたが、それは本当ですか?」
もしそれが事実なら彼が飲んでいた水と同じのをばあやも飲んでいるならば今頃緋人になっているはずだ。私にはどこか食い違いがあるように思える。
案の定、ばあやは首を横に振った。
「いいえ。あの子がああなったのは私達の責任なんです」
「伺ってもよろしいでしょうか」
ばあやは話すか迷っている様子で、それにどこか手が震えていました。
意を決したのか口を開けてくれます。
「魔女さんは緋色学会をご存知ですか?」
「緋色学会、ですか?」
世間と隔絶されていた私には俗世の情勢など皆無に等しい。雪月さんの方を見ると彼女も知らないのか首を振ってる。
するとばあやが立ち上がって、棚に積まれてあった新聞を1つ持ってきて渡してくれました。それを広げるとその見出しには『緋色学会発足』の文字と白髪で丸い眼鏡をした白衣の男の写真が大きく載っています。
政府は今日、緋色学会の発足を決定いたしました。最高責任者には五竜元医療従事者が選ばれました。五竜は数々の医薬品開発の研究に大きく貢献し、主に緋水は災害支援や復旧にも多大な恩恵をもたらしたとして政府は彼を最高責任者として任命したと決定いたしました。
五竜の経歴は……
と緋色学会とそのトップの男の内容がずらずらと書かれている模様です。最後まで読もうと思ったのですが途中で手が震えて読めなくなりました。恐怖ではなく、怒りで。
こいつが。こいつが私の薬を利用したのか。おまえのせいでどれだけの人が……。
「お姉ちゃん」
雪月さんに声をかけられてハッとします。気付いたら新聞がしわくちゃになっていました。
「緋色学会については大体理解しました。それとお孫さんとどういう関係が?」
「当時、緋色学会は世間から大きく取り上げられて救世主や国の希望だともてはやされていました。今思い返せばそんな都合のいい物があるはずないと、私も気付くべきでした」
何となくどういう状況だったかは理解できます。確か震災直後に緋水によって傷ついた人を助けたのですから、そうした声が全国各地で広まったのでしょう。
「緋色学会は全ての国民を救済する、その理念を掲げてテレビでも報道されていました。私は、そんな彼らを信用してしまったんです」
ばあやは辛そうに俯きます。
「あの子が家から出ないものですから彼らにお願いしてあの子が変われるように支援してもらおうと思ったんです」
そういえば彼は私の薬を変な薬だと怪しんで飲まなかったって言ってた。それで諦めきれなかったばあやが最後の手段として緋色学会に頼んだ、と。時系列的には問題なさそうです。
「あの子を緋色学会に連れてそこに入れようと思いました。最初は嫌がっていましたが、問診を受けた後は何事もなさそうにしていたので私も特に疑いもせず、寧ろ良い所だと思っていました」
「待ってください。緋色学会は誰でも入れるんですか?」
「はい。全ての国民の救済、その為に誰も拒まないとそう聞きました」
段々と話が胡散臭くなってきた。よくよく考えたら緋水で緋人にさせるのが目的にしても、水道水に緋水を混ぜたくらいでそう簡単に緋人になるわけがないんだ。水道水なんて人の口に入るまでに凄まじい過程を踏んでるんだから、そこに緋水を混ぜるにしてもそれこそ大量の成分が必要になる。前に雪月さんの村でこの仮説を否定したのに私バカだな。
ともかく緋色学会が先導して国民を緋人にさせていたなら納得できます。救世主だのもてはやされていたなら、誰も疑わずに困ったら助けを求めたでしょう。
「1つ気になる点があります。お孫さんと会話をした時、一度も緋色学会については言及されませんでしたよ」
緋水が原因だと世間では分かりきってるのだから、それを先導した緋色学会が悪なのは間違いない。ならそんな胡散臭い組織へ行った経験があるなら、それを真っ先に疑うはず。
けれど彼の口からは一言も出てこなかった。
「そうなんですか? 私もあれからあの子とまともに口を聞いてませんから、その辺はわかりかねます」
うーむ。胡散臭い組織なだけあって情報隠蔽もお手の元らしい。
「最後に1つ。おばあさんは私から買った薬はまだ持っていますか?」
するとばあやは棚の引き出しから小瓶を1つ持ってきてくれました。
私の薬を持ってるというなら、ばあやは緋色学会との繋がりはなかったようですね。
つまり彼女も白。それだけが一番の気がかりでした。
「貴重な話ありがとうございました」
お辞儀するとばあやも座りながら頭を下げてくれる。
本当に貴重な情報だった。色々あって頭の整理は追い付かないけど、とりあえず緋色学会が全ての元凶だというのは分かった。話しが少しずつややこしくなってる気もするけど、これがお国様の仕事と思ったら納得です。