19.獣
「んーっ!」
いい朝です。こんなにふわふわなお布団は初めてだったものですから寝る必要のない私でもぐっすりでしたね。この狐もこのふわふわには勝てなかったらしく私の布団の上で丸くなってる。私はもう起きるから邪魔だから退け。布団を剥いだらこいつが床に落ちて変な声を出していたが気にする必要もない。
雪月さんはもう起きていて机で形代を作っていました。
「おはようございます、雪月さん」
「おはよう、魔女のお姉ちゃん」
「もしかして眠れませんでした?」
寝たら悪夢にうなされるみたいなことを言ってましたからずっと起きていた可能性があります。彼女は首を振りました。
「さっき起きたばかりだよ。暇だったから作ってたんだ」
顔を見ても隈はありませんし、その言葉に嘘偽りはなさそうですね。
「起きて早々で申し訳ありませんがすぐに出て行きます」
「分かった」
私達はここに羽休みに来たのでも、物見遊山に来たのでもない。彼女は手際よく片付けてすぐに出れるといった様子で待機してくれます。さすがは我が助手。優秀です。
「実は昨日、雪月さんに話してなかったのですが今日から同行者が増えます」
「そうなの?」
「はい。ただ変わった見た目をしていますから、もしかすれば驚くかもしれません。先に外で待っていてくれますか?」
「はい」
雪月さんが荷物を持ってパタパタって出て行った。私も行きましょうか。
昨日行った厨房に入ると、あの人の姿は……ありました。相変わらず隅の方で蹲って今にも死にそうな様子です。これだけ見ると本当に緋人なのか疑わしい所です。
「おはようございます。お迎えに来ましたよ」
「本当にいいのか? おいら、こんな見た目だから、お友達さんも驚くと思うんだな」
口を開けばこの弱弱しい態度。見れば見るほど本来の緋人とかけ離れていきます。
「それは彼女次第です。それに彼女は優秀ですからすぐに慣れると思います。嫌ならずっとここに居てくれても構いません」
そこまで言ったら彼も重い腰を上げて立ち上がりました。私に近付きたくないのか、或いは危害を加えるのを恐れているのか5mほど後ろを歩いてきます。
外では雪月さんが鞄を振って待っててくれています。私に気付いたら笑顔を見せてくれましたが、その表情は次第に曇っていきとうとう青ざめてしまいます。
「魔女のお姉ちゃん、後ろ!」
「分かっています。彼が今回の同行者です」
「ど、どうも」
緋人が照れくさそうに頭をかきながら言葉を発したので雪月さんはまたしてもびっくりしています。反射的にか、電柱の後ろに隠れてしまいました。めちゃくちゃ警戒しているようで手には形代をいくつも備えています。まぁ最初はこうなりますよね。
「魔女さん、やっぱりおいら残った方がいいか?」
「お気付かないなく。少々人見知りなだけです」
こうして3人と1匹の旅が始まりました。
東京を目指して道路を歩いていきますが、相変わらず人の気配もなく自動車も走っていません。時々見える標識を頼りに進みますがまだまだ先は長そうです。
いつもなら雪月さんが先頭を歩いていたのですが今は私のそばを離れません。ずっと後ろの方をチラチラと気にしています。同行者が緋人とは予想もしていなかったのでしょうね。
それでも私の約束を守ってくれているのですから健気な子です。
私も振り返ったら緋人の彼は覇気もなさそうに俯きながら付いてきてます。もう少し堂々としてくれてもいいのですが。少し立ち止まって彼が来るのを待ちます。
「あなたにこれを渡しておきます」
鞄から小瓶を取り出して彼に投げ渡しました。あたふたしながら何とか落とさずに受け取ってくれます。
「それを飲めば少しは進行を遅らせることができると思いますよ」
緋人が死ぬ原因は老化にある。それを速めれば簡単に殺せるし、逆に遅くする薬も当然用意してある。この先何が起こるか分からないし、用意周到にするのは当然だ。
「こんなことしてもらっても、おいら魔女さんに何も返せねぇんだな」
「だったら私の質問にいくつか答えてください。あなたはいつからその姿になりましたか?」
「正確な日は覚えてねぇんだ。ある日、急に体に赤い斑点みたいのができたんだな。おいら、病院に行きたくなかったから親にずっと黙ってたんだ。それで放っていたらこんな姿になっちまったんだ」
まぁ仮に病院に行った所で医者には治せないでしょうし、最悪連行されてますから彼の判断は正しかったのでしょう。
「では震災の時に支給された薬は飲みましたか?」
「ああ、あれか。ネットでチラッと見たけど、でもおいら外にあんまり出ないから知らないんだな。あ。でも」
「でも?」
「前に一度だけばあちゃんが来て変な薬を持ってきたんだな。これを飲んだらお前は変われるって言って。何か怖かったから結局飲まなかったけど」
ばあちゃんに変な薬ねぇ。何か聞き覚えのある話ですね。
「普段の食事はどうでしたか?」
「飯はいつもばあちゃんが用意してくれてたんだな。でもばあちゃんの飯だけじゃ足りなくて、お菓子をよく食べてたんだ。そのせいかよく喉が渇いて家の水をがぶ飲みしてたんだな」
緋人になった原因はそれか。聞いた限りだと相当数摂取していると思う。そう考えると水道水のように緋水の摂取量が少なくて、進行が遅いと彼のようになるのだろうか?
断言はまだできませんね。統計数も彼のみだとまだ何も分かりません。
「貴重な話ありがとうございます。おそらくですがあなたのおばあさんは私の薬屋に来てますね」
「そうなのか?」
「ええ。そのおばあさん、古い着物を着て腰が曲がったように歩いてるでしょう?」
「ああ! そればあちゃんだ」
どうやらあのおばあさんは本当に実在する人物だったようです。疑ってごめんなさい。
とはいえ、彼の話は私にとってかなり有益でした。緋水の話はもちろん、この様子だと薬を売り払ってもなさそうですし、彼も白。
考え事をしていると雪月さんが私の服を引っ張ってきます。
「どうかしましたか?」
「おじさんは怖くない人?」
上目遣いで聞いてきます。普通に会話をしていましたから、ようやく彼女も少しだけ疑念が解けたようです。
楽しい旅の始まりと思ったのですが、水を差すようにして不快な銃声がしました。銃弾は数m先に着弾して金属音を鳴らして弾き飛びます。威嚇発砲ですか。
いや、違った。それは他の仲間に合図する為のものだったようです。事実、すぐに物凄い剣幕の銃声が響いたのですから。
「雪月さんこっち!」
慌てて彼女の手を引いて街角の壁に身を隠します。私達が隠れたことで銃声は一旦止みました。そうっと顔を覗かせたら数人の男女が銃を構えて見張っているようです。どうやら軍隊ではないようです。それならまだマシでしょうか。
さて、これからどうしたものでしょうか。引き返すにも進むにも、相手の様子からして追ってくる可能性は高い。特に車を持っていたとしたら徒歩の私達はかなり不利だ。
「君も分かっているのだろう?」
狐が私の耳元で囁いてくる。あえてそれを口にせずに言ったのはこの場の全員がそれを理解しているからでしょう。相手が攻撃して来た原因は十中八九緋人の彼がいたから。
普通は暴走して危険な存在だし、見たら攻撃するのは至極当然。
だったら彼に悪意がないと何とか伝える?
いや。私と雪月さんがいたにも関わらず発砲してきたのだから、話し合いの通じない相手の可能性が高い。
やはりここは迂回するしか……。
「魔女さん。ここは先に行ってくだせぇ」
緋人の彼が立ち上がって言いました。
「やっぱりおいらがいると、皆の迷惑になるんだな。だから、おいらがあいつらの注意を引くんだ。その間に行って欲しいんだな」
実際そうするのが最適なのでしょう。この場を切り抜けるならそうするしか方法がない。
それに彼は緋水の影響で不死にもなっている。簡単には死にはしない。
けれど本当にそれでいいのでしょうか。私は人として道を踏み外していないでしょうか。
雪月さんが震える手で私の袖を握ります。緋人相手に臆さない彼女も銃を持った相手はさすがに怖いようです。その時、前に狐が言った言葉が蘇る。
『あまり傲慢になるなよ、魔女よ。欲をかけばその瞬間から全てが崩れてゆくぞ』
もし欲を出してどっちも助けたいと願えば、きっとどっちも失うんだろう。
こんな狐の戯言は毛頭信じたくない。でも、私が選ぶとしたら。
「すみません。お願いしてもいいですか?」
「ああ。ここはおいらに任せて、行って欲しいんだな」
緋人の彼は物陰から飛び出して行った。すると凄まじい銃弾の雨が彼を襲う。私は何も見なかったことにして、雪月さんの手を引っ張った。
「行きましょう。彼の勇気を無駄にしないためにも」
有無を言う前に走り出した。
これでいい。これでいいんだ。
緋人と人を天秤にかけたら、人を選ぶのは自然じゃないですか。
ここで彼が助かったとしてもいつか理性をなくして怪物にならない保証もない。
欲しい情報も手に入ったし、彼と同行するメリットもない。
きっとこれが最善。私は正しい。
……。
なのにどうしてこんなにも胸が痛むのですか。
不老不死になったはずなのに。
心なんてなくなったはずなのに。
銃声は未だ止まず、不意に足が止まった。回り道をしたおかげで相手の側面に来たみたい。
あいつらの顔を見た。銃を乱射してまるで狩りを楽しんでるように見えた。その表情がいつか見た、忌々しい連中と重なる。思わず雪月さんの手を離す。そして銃を構えた。
「いいのか、魔女よ?」
その言葉の真意を理解するまでもない。
「私はいつだって人間の味方だよ? 獣を助ける道理はない」
きっと母ならこんな連中でも優しく手を差し伸べたのだろうけど。
母さんごめんね。私、利口じゃないから母さんみたいにはなれない。
路地裏に似合わない銃声が一発響き渡る。銃弾は奴らが隠れてる車の装甲を貫いた。
瞬間。
車が爆発して一瞬で火を舞い上がらせた。その突然の事態に悲鳴をあげており、同時に銃の雨もピタリと止んだ。
すぐに来た道を引き返す。すると道路の向こうに緋人が1人、仰向けで倒れていた。銃弾をいくつも受けたせいか全身がボコボコと再生を繰り返している。
彼は私に気付いてゆっくりと顔を動かした。
「ああ、魔女さん」
どこか哀愁の漂う言い方だった。
「あいつらならもういませんよ。何とかしましたから」
安心させる為に言ったつもりでしたが、彼は何も言いませんでした。
「なぁ、魔女さん。お願いがあるんだな」
「私にできることなら」
「おいらを、殺して欲しいんだな」
彼は虚ろな目で空を見上げたまま言った。
彼自身も分かっているのだろう。このままだといずれ自分も他の緋人と同じように理性がなくなってしまうことに。
今の私に緋人を救う手立てはありません。不甲斐ないこの上ないですが。
私は黙って鞄から小瓶を取り出しました。
「あなたの勇敢な行動のおかげで私と彼女は助かりました。ありがとうございます」
「はは、は。礼なんて初めて言われたなぁ。でも悪い気がしないんだな。これならばあちゃんの言う通りにしてれば良かったんだ。魔女さん、もしばあちゃんに会えたらおいらがごめんって言ってたって伝えてくれねぇか?」
彼の最後の頼みに黙って頷きます。そして小瓶の蓋を外して、薬を彼に飲ませました。
少しすると彼は苦しそうにしましたが、すぐに動かなくなってしまいました。
私は神も仏も信じませんが、せめて彼が安らかであるのを願います。
「行きましょうか」
「あの。魔女のお姉ちゃん、1つだけわがまま言っていい?」
「なんですか?」
「おじさんのお墓、作りたいの」
私は静かに頷きました。




