14.陰陽道
あれから一睡もできなかったので今もずっと目が開いている。襖の向こうから雀の鳴き声がする。どうやらもう朝らしい。普段寝てるのも退屈なだけで本来は寝る必要もない。
そもそも食欲も性欲も人間の本能すらも欠如している。そりゃ人間じゃないって思うよね。
当の妖怪様は尻尾を毛布代わりにして畳の上で丸くなって眠っておられる。黙っていれば可愛いとも思えるけど、こいつにそれは無理な注文だ。そのまま永眠してくれていいよ。
このままぼうーっとしてるのも退屈なので出て行きますか。とはいってもそんなに大きな神社ではないらしく、廊下の突き当りにいけば縁側に出る。とりあえずここで朝日でも浴びて暇を潰そう。
「お姉ちゃん、もう起きてたの?」
そしたら幼い袴姿の少女が瞼をこすって歩いてた。いくら夜更かししているとはいえやはり人の身、彼女には睡眠が必要らしい。
「まぁね」
「じゃあ朝食の支度を……」
「それはいい。昨日食べたのが遅かったからまだ消化してないから。あいつの分も作らなくていいよ」
最後まで聞いてたらまた勝手されるから今度は先に釘を差しておこう。
すると彼女は私の隣に座りました。見れば見るほど華奢で幼く、今でも生きてるのが不思議なくらい。
こういう情勢の時、真っ先に死ぬのは幼い子供だと決まっている。それを嫌という程見てきました。けれどこの子は大人しそうに見えて未だにこの世界に留まっている。一体どういう因果がそうさせているのか興味はある。
「体は平気ですか?」
「え?」
「私はこう見えて薬屋を経営してましてね。巷では魔女なんて呼ばれてますけど。それはさておき、あなた相当無理をしてますよね?」
私の問いに対して彼女は小さな手で拳を握って俯くだけだった。
こんな小さな子が何もかも失って平気なはずがない。どんなに高名な人の血を引いていたとしても身も心も未熟な彼女に全てを耐えきれる道理がどこにあるのだろうか。
「あなたにこれをあげます」
「これは?」
「それを飲んだら少しだけ気持ちが落ち着くようになります。あなたは今日道案内という大仕事があるのですから、途中で倒れられても困りますので」
本当はただの睡眠薬ですけど。見た所あまり眠れてないようですし、この機会にぐっすり眠ってもらいましょう。行くのが昼になろうと、明日になろうとそれは些細な問題です。
「ありがとう。魔女のお姉ちゃん」
「どういたしまして」
「私、ずっと名前言ってなかったね。私は雪月だよ」
「良い名です、雪月さん」
名前に興味はなかったので聞く気もなかったのですけどね。
「因みに私は名乗る名を持ち合わせていませんのでさっき呼んだ通り魔女で結構です」
「名前がないの?」
「名は人を縛る呪いですからね。あまり名乗りたくないんです」
「?」
彼女にはこの気持ちがきっと分からないでしょうね。名前を名乗るというのは人と繋がりを持つということ。不老不死の私からすれば誰かと仲良くなった所で結局その人は先に死んでしまいます。なら最初から繋がりなんてない方がマシと思ってるだけです。
※昼過ぎ※
やることがなさ過ぎて廊下の上で寝そべってゴロゴロしてる。だって何もできないんだもん。薬なんて作ってたらあの子が起きたら中途半端に中断になるし、かといって出歩くのも面倒くさい。その結果、このグータラである。
「魔女のお姉ちゃん、ごめん! 急に眠たくなっちゃって寝ちゃってた!」
ドタバタと慌ただしい足音と共に雪月さんが来たようです。どうやら私の薬が原因とはこれっぽっちも思ってないようで純粋過ぎて泣けてきました。
「寝るのも遅かったですしお疲れだったのでしょう。私ならお気になさらずに」
「準備したらすぐに行くね!」
そう言って駆け足で廊下を走り去っていく。若いっていいなぁ。
私もうおばあちゃんだからそんなに走り回れないよ。
「やはりあれを連れて行くのか」
「あれじゃなくて雪月さんね」
「名などどうでもよい。あの者がどれほど腕が立つか存ぜぬが足手まといにならなければよいがな」
「へー。昨日はあんなに怯えてた癖に今日は強気なんだ?」
「君も分かっているのだろう? あんな幼子を連れて行くリスクを考えていないわけではあるまい?」
「……まぁね。このまま放っておくよりかは目の届くところに居てくれた方が私も安心できる」
「あまり傲慢になるなよ、魔女よ。欲をかけばその瞬間から全てが崩れてゆくぞ」
こいつなりに私を気にかけてるのか? 妖怪の癖して。言わんとするのは自分でも分かってる。大事な物が増えればそれは弱点が増えるのと同じ。それで何もかもを失って死んだ人が過去にどれだけいるのだろうか。
「忠告どうも。でも生憎私は不老不死ですから欲の一切合切は捨てています。それに死ぬこともないのでご安心を」
「やれやれ。君も強情だな」
保護者でもないお前が何を言ってるのだか。それに妖怪の忠告何て毛虫以下だろうに。
「おまたせ~。ってあれ、何か雰囲気悪い?」
どうやら準備が終わったみたいで雪月さんがやってきた。見た感じは手ぶらに見えるけど何を準備してたのだろう。私が清き乙女だったらその辺も分かったんだろうけど。
「いつものことだから気にしなくていいよ。それじゃあ行こうか」
「はい」
「あーでもその前に1つだけいい?」
「何かな?」
「雪月さんの陰陽術でこいつを消せたりしない?」
真横に座ってる狐を指さしたら本人はギョッとしてた。
「さっきの根に持っておるのか!? 非礼ならば詫びよう。じゃから……」
「お前とは話してないから。ねぇ雪月さん、本当お願いします。これ悪霊らしいんですよ」
逃げようとしてたから首根っこ掴んで突き出してやった。じたばた暴れてるけど魔女に何をしても通用しない。
「ええっと。言いにくいんだけど」
「やっぱり難しい?」
「ううん。本来の陰陽術だったら可能だと思う。でも私が知ってる陰陽術はそういうのとちょっと違うから難しいと思う。それに」
「それに?」
「こんな可愛い狐さんを殺そうとしたらダメだよ、魔女のお姉ちゃん。尻尾もこんなに沢山あるしきっと珍しい動物だよ」
雪月さんがこいつを抱きしめてモフモフしてる。どうやら私は1つ失念していたようです。この子はどこまでも純粋過ぎるということを。
「そうなんじゃ。吾輩は神に仕える神聖な狐なんよ。殺すなんてご法度なんじゃ」
「ほら! この子もこう言ってるよ! やっぱり殺したらダメだよ!」
幼いから疑うというのを知らないのかな。或いはよほど周りから可愛がられてきたのか。
これなら薬を飲ます前に言った方が可能性はあったかな。
「冗談ですよ。ただの興味本位で聞いただけです。それじゃあ行きましょう」
元より彼女の性格からしてこいつを殺せるとは思っていない。あくまでこいつをダシにして彼女がどれほどの使い手かを知りたかっただけだ。どこまで使えるか、どの程度戦えるか、それが重要だ。
我ながら酷い性格だ。彼女の血が少しでも私の中にあったらこんな捻くれた性格にはならなかったのだろう。だけどあんな修羅を乗り越えてきたのだから仕方ないんだよ。そう、仕方ない……。
雪月さんに案内されて村より先の山道を歩いていた。私が通った獣道とは違って最低限歩けるだけの場所がある。とはいえ山道を歩いている、というのにいささか疑問ですが。
「私は上流を目指していると言ったつもりですが?」
普通ならば川に沿って進んだ方が到着も早くなると思う。それにいくら道があるとはいえこの道が川から逸れているならば結局時間を無駄にしているだけだ。
「川の周囲って見晴らしがいいからおっきな人やそれに野生の動物にも見つかりやすいの。もしもの時、後ろは川だから逃げ場も減るし危険が多いんだよ」
幼いように見えて随分としっかりしているようです。これは私が軽率でしたね。
「すみません。小さいからと少し不安に思っていましたが安心して案内を任せられそうです」
「普段山に住んでないとあんまり意識しないよね」
これは私が樹海に住んでたなんて口が裂けても言えそうにありません。
実際、雪月さんの足取りは私よりも余程軽そうで歩きにくい山道を実家の庭のように進んでます。寧ろ私の方が足を引っ張ってるような気がしてきました。
この坂道は年寄りには少々きつくないですかね。
ずっと先を歩いていた雪月さんでしたが足がずっと止まっていたので何とか追いつきました。彼女は木陰に隠れていたものですからさすがの私も異変だと分かります。
近くの木に隠れて先を見たら、どうやら茂みの奥に緋人が徘徊しているようです。どうしてこんな山の中にいるのか分かりませんが、面倒極まりないですね。
「迂回しますか?」
来た道を戻るなんて考えたくもないけどこの状況でリスクを冒すメリットもない。
雪月さんは首を横に振って袴の中から何やら取り出しました。人の形をした紙切れのように見えます。
「形代か」
形代……。確か陰陽師が使う武器、いや道具? ともかくそれで何かするみたい。
雪月さんは形代を指で挟んでジッと空を見上げてる。いや、見てるのは空じゃなくて木?
それから暫く待っていると少し強い風が吹いた。それで木の枝も揺れて葉が振り回されてる。すると雪月さんがパッと形代を手放した。形代は風に流されてまるで吸い込まれるようにして緋人の方へと飛んでいく。
「ぐおおぉっ!」
緋人の前を勢いよく通り過ぎた形代に釣られて、緋人がそれを追いかけて走り出した。
血眼になって追ってる姿はあの時スーパーで戦った時の緋人とそっくりだ。
「効果は長くないから今の内に」
「はい」
とは言っても緋人の姿はすでになかったので難なく通り越えられたのですが。
それでも彼女は周囲の警戒を怠らずに注意深く進んでいます。これは私も見習わなくてはならないかもしれません。
敵がいないのが分かると雪月さんは胸を撫でおろして深呼吸をしました。
「驚きましたね。陰陽術とは敵の注意を引く術も使えるのですか」
私なんかよりもよっぽど魔法使いに見える。彼女は照れくさそうに手を振っていました。
「そんな大したものじゃないよ。ほら、これ」
雪月さんが裾から形代を取り出して見せてくれます。先程は気付かなかったのですが何やら先の方が赤く滲んでいるのに気付きました。けどその正体はすぐに私でも分かりました。
「これは血、ですか」
「うん。あのおっきな人は血の匂いに釣られやすいの。だから血を塗った形代を飛ばしたらそっちに走って行くんだよ」
よく見たら彼女の指に絆創膏がいくつも貼ってありました。準備に時間がかかっていたのはこれを作る為だったのでしょうか。余計な想像してごめんなさい。
「ふぅむ。陰陽師は風水を操る者とも言われる。その年であれだけの風向きを理解するとは何とも得難いものよ」
だからずっと葉の揺れを観察していたのですか。人とは本当に見た目で分からないものです。
「私なんて全然。全部パパに教えてもらったことだから」
「ならあなたのお父さんは相当優秀な陰陽師だったのでしょうね」
「うん……」
褒めたつもりだったのですけど今にも泣きそうな顔をされちゃいました。
この子の前で両親の話はタブーかもしれませんね。陰陽師として優れていてもまだまだ子供。
「雪月さんが望むなら私をママって呼んでもいいですよ」
「えぇ……」
これにはさすがにドン引きされました。いや、自分で言ってあれですがヤバい人だなって思いましたけど。
「君はどちらかと言えばババァではないのか?」
「は?」
こんな純朴で可憐なババァがどこにいるか是非聞きたいものですね。
「それ何となく分かるかも。魔女のお姉ちゃんっておばあちゃんみたいな温かさがあるんだよね」
これはおむすび発言がかなり失言だった模様です。もうおばあちゃんでいいですよ。
わたしゃクタクタです。