13.陰陽師
村の中はというと酷い有様だった。建物は倒壊し、地面は抉られ、至る所にがれき類が散らばっている。もはや原型を保っている場所を探す方が難しいくらいだった。
私が家だと思っていたのもどうやら只の瓦礫の山のようで中には人の手足とも思えるものも転がっている。何とも吐き気を催す状況だろう。
ただでさえ地震という災害に見舞われただけでなく、そこに緋水の被害もあり、そして緋人と軍隊との抗争。この村の人達は最も不幸とも言える被害を受けている。
なのに目の前を歩く袴姿の少女はどうして平然な振る舞いをしているのだろう。
「そういえば私はあの道から来たのですがあなたはこの村からは出ていないのですか?」
あえてペコリーマンの話は知らないという体を保っておきましょう。
「村から出て行くのに色々道があるんだよ。麓まですぐ行ける近道もあるし、今度お姉ちゃんにも教えてあげるね」
なんて無邪気に笑う姿は年相応に見えますがこの状況を理解しているのでしょうか。
まるで彼女と私では見てる世界が違うのではと思ってしまいそう。
あれ、そういえばあいつはどこに行った。入口に来た時は一緒だったけどあの狐の姿が見当たらない。それで見回したらすっごく後ろをトボトボ歩いてる。
「何してるの、お前」
「見て分からぬか。距離をあけてるのじゃ」
普段の厚かましさとは裏腹に今回は何かを警戒しているらしい。原因を考えるとすればあの子しかいないけど。
「何、あの子が怖いの?」
「どうにも嫌な気が漂っておる。魔女よ、あの者に気を許すでないぞ」
妖怪のお前の言葉の方がよほど胡散臭いんだけどね。人間大きなストレスやトラウマを受けた時、脳は精神的苦痛を逃がす為に現実逃避させることもある。もしもあの子は過去のトラウマから逃げる為に気丈に振る舞っているのだとしたら何とも可哀想である。
彼女は鳥居の中を潜って石段を駆け上がって行った。階段を上りきるとそこには神社が残っていた。奇跡手に倒壊していないのは神の加護か何かは知らない。村から少し離れていたのも幸いしたのでしょう。
「あなた、もしかして巫女か何か?」
「違うよ。私はおんみょんだよ」
「陰陽師のことですか?」
「そうそう、それそれ」
なるほど。それならこいつが警戒してる理由も納得できる。ん? でも確かこいつは普通の陰陽師なら怖くないって言ってたような気がする。
相変わらずこいつは離れて付いて来ている。よほど彼女が信用できないらしい。
「ただの陰陽師ではなさそうだね」
「吾輩が見えてるとなればそれこそあやつクラスでなければあり得ないぞ」
「安倍晴明?」
「うむ。とはいえ幼子は霊感に強くもある故に偶々という可能性もあるがな」
たまたまねぇ。だったらもっと近くに来てもいいんじゃない?
神社の中に招かれて畳の部屋まで案内された。電気もなく真っ暗だったけど、机の上に置いてあったランプにマッチで火を点けて明るくしてくれた。
橙色の灯が半端に照らすせいで余計に不気味になった気もするけど、まぁ気にしない。
「せっかくだからご飯用意するね。すぐ作るから待ってて」
「私は結構……」
こっちの問いかけを無視して一目散にパタパタと走って行っちゃった。
妖怪は見えるけど周りは見えないようで。おかげで妖怪狐と一緒になってしまった。
「おい、魔女よ! これを見るがいい!」
急に騒ぎ立てるから振り向いたらこいつ人の家の押し入れを勝手に漁ってやがる。さすがは妖怪。常識なんてものは存在していないらしい。
「今日の晩御飯は狐鍋で決まりだね」
「そんなのはどうでもよい! これを見るんじゃ!」
尻尾で巻物を畳に広げてる。せっかくあの子の好意をこうやって家探しするなんて、これは魔女が火炙りされても仕方ない。
こいつに言われて巻物を見たけど、ミミズが走った文字が羅列されてる。いつか見たこいつが封印されてた時の御札の文字に似ている。
「あやつはやはり安倍晴明の子孫なんじゃ」
小さな手でポンと端の文字に手を置いてる。確かにそれが事実なら凄いかもしれないけど。
「仮にあの子が晴明の遠縁だとしてもお前が怖がる理由にならなくない?」
前にこいつは晴明の子は全然怖くないって話してた。こいつが恐れてるは晴明のみ。だったら1000年も前の人間の血なんて今となったら小数点をいくつ付けても足りないくらいの血しかないだろう。
「稀に突然変異のような存在が現れるんじゃよ。それはどんな分野でもそうじゃろう?」
言わんとするのは分からなくもないが。
「あれ。でもここにあの子の名前はなくない?」
古い文字は読めないが最近のは読める。でも、そのどれもが男性の名前のように思える。あの子が少年の可能性もあるけど、顔立ちからそれはないと思う。
「そもそも陰陽師に女はなれんのじゃ」
「そうなんだ?」
その辺の事情は疎いから全く分からない。
「女の場合、大抵は巫女になるのが通例であった。これには色々説はあったが、吾輩が思うのは女に力を与えたくなかったからというのが自説じゃな。元々霊力というのは女の方が優れておる。もし仮に女の陰陽師が増えようものなら、それは一国を脅かすものになっていたじゃろう。それを恐れて奴らは女にその力が渡らぬよう努めたのじゃ」
私の時代ですら男尊女卑の風習は強かったし、当時となったら尚更か。その理由が寝首をかかれたくないってのが何とも滑稽だけど。
「ようやく理解したよ。本来女を陰陽師にはしたくなかったけど、世がこんな風になってそうも言ってられないからあの子の両親が身を守る為にその力を授けた、と」
それならこいつがあの子を異様に警戒してる理由も納得できる。
「お前はやっぱり馬鹿だな。自ら墓穴を掘ったんだからね。あの子にお前を退治してもらえば晴れて私は自由の身になるわけだ?」
「しょ、正気か魔女! 君と吾輩がどれだけの苦楽を共にしたと思っておる! それをたったひと時の気の迷いで吾輩を滅するなど言語道断にもほどがあるぞ!」
こいつと一緒に過ごして1年くらいしか経ってないし、そもそも助けてもらった覚えもない。私からしたらうるさい狐がいなくなって清々する。
「そ、それにじゃな。今吾輩を滅ぼそうものなら今後の君の旅も支障が出ると思うぞ。この先あの化物がどれだけ出るかも分かるまい。そんな中で君の力だけで旅を続けるなど困難極まりないぞ」
いつもなら余裕な態度のこいつがこれだけ必死に訴えるのだからこれは相当な弱みだな。
それに私も今ここでこいつを滅する気はない。こいつの力を借りる気は毛頭ないが選択肢として常にあるだけで心の余裕が保たれる。それにあの子がこいつを滅するだけの力があるかもまだ分からないし、そもそも行ってくれるかも分からない。
だから今はこの脅しの材料が手に入っただけでも良しとしよう。
そうこうしてる内に廊下から足音が聞こえたから慌てて巻物を押し入れに片付けた。まだ盗人の魔女にはなりたくありません。
「おまたせ~。あれ、何かありました?」
畳に倒れ込んでる私を見て心配してくれたようです。
「ちょっとこいつが暴れるものですから捕まえてたんです。お騒がせしました」
こいつの尻尾を掴んで持ち上げたらバタバタと暴れてる。
「お腹空いてたのかな。はい、これ」
彼女はトレーを畳に置いてそこには味噌汁、おむすび、沢庵と揃っていた。こいつを解放してやったらガツガツと食いつく始末。あんなに疑心暗鬼だったくせに飯は食べるのか。
私の分も机に並べてくれて、彼女は手を合わせて味噌汁を啜り始めた。どうやら毒は入ってなさそうに見えるけど。
「あ。もしかして嫌いな物入ってた?」
心配そうに聞いてくれる。ここに並んでる料理で嫌いな物はない。味噌汁の具もわかめと大根とシンプルで美味しそうな香りがする。おむすびに至っては私の大好物だ。
何よりあんな時代を生きてきたから食べれる物なら文句はない。
けれど私が気にするのはそこではない。水の入ったコップを見つめる。これらの調理方法が果たしてどういったものなのか、それだけが気がかりだ。
「えっと。水は麓の飲料水を使ってるから平気だよ? 井戸水はずっと使ってないから」
その言葉に嘘はないのでしょう。けれどその飲料水に緋水が含まれていない可能性は否定できない。この狐はそこまで考えているのだろうか。
「ごっ、ごめんね。勝手に作ったからもしかして怒ってる?」
オドオドと怯える彼女を見てると何だか申し訳なくなってきました。はぁ、仕方ない。どうせこの前の地震で吸い物を啜ってるのですから今更気にしても意味ないかな。
「いえ。こちらもせっかく用意して頂いたのに失礼な態度をして申し訳ありません。ではありがたく頂きます」
手を合わせて早速おむすびを頬張った。
これは……。
「美味しい」
まず米の水加減。おむすびを作る際にもっとも大事なのはお米の炊き方でしょう。水が少なければパサパサして食べる時に米粒が零れるし、かといって水が多いと今度は米がべたべたして不味くなる。水加減を乗り越えた先に待つのは塩の分配だ。こいつが曲者でおむすびの大きさに対して適量をかけるのだがこれが中々に厄介だ。常に一定であればいいというわけではなく、握る時に如何に全体に塩が巡るかが重要でそれを適宜判断しなくてはならない。そして最後の難関が握り方だ。水、塩と乗り越えても最後に握るという単純かつ最難関の技術の壁が待ち受ける。何度も握ればいいというわけではなく、そもそも握り過ぎればせっかく全体に配分された塩がまた別の所に行ってしまい偏りができて、その部分だけが塩辛いという現象が起こる。それらを考慮して熱々のご飯を持ちながら形を整えつつおむすびにさせるのは至難の業。因みに熱いのが嫌だからといってご飯を冷ましてから握るのはもってのほかで、かといって手袋などの防護手段を使うのも個人的には邪道だ。素手で握ったおむすびこそが至高なのだ。
「お口にあって何よりです」
「ええ。このおむすびは至高の一品です」
「おむすびって何だかおばあちゃんみたいな言い方だね」
えっ、今っておむすびって言わないんですか?
確かに私の実年齢を明かせばおばあちゃんでしょうけど。
でも、彼女がこうも無邪気に笑ってくれるなら例えこれが毒でもいい気がしてきました。




