12.村
ペコリーマンからの情報によれば少女は山道を越えた先にある村だと言う。道路は舗装されているものの、無造作に伸びた木の枝が浸食していて車で通るにはあまりに邪魔に思える。向かい側には大きな川が流れているものの、動物の存在は認められない。空は既に茜色に変わっていて急がないと不味そうだ。そもそもどれくらいの所にあるかも知らないので半分はどうしようもないが。
「いやー、あのうどんは美味じゃったのう。特に油揚げが絶品やった。人間ってなんで美味い料理作れるんやろな。病原菌作るより料理だけ作ってた方が幸せになれると思うけどなぁ」
妖怪の癖して人間の在り方を問うのはどうなのか。お前には関係のない話だろう。
「お前みたいに馬鹿な奴しかいなかったらこの時代でもまだ石を積み上げてただろうね」
「丸太小屋しか造れてない魔女が言ってくれるのう?」
人の揚げ足を取るのも上手ときた。これは陰陽師様も封印したくなる気持ちがよく分かる。
こんな奴のくだらない話は今はどうでもいい。
そういえばサバイバルナイフを貰ったけど実際どんな物なんだろう。包丁ですら殆ど握ったことがなかったし、いざって時に使えないと意味がない。持ち手の所が凸凹してて滑りにくくなってるんだ。へー、これは持ちやすいね。
試しに近くの枝に振り落としてみる。そしたらパキッて音がした難なく落ちた。悪くないと思う。もしかして結構良いのくれたのかな。律儀な人だ。今度会えたらお礼言わないと。
「実際問題それであの怪物と戦うには心もとなくないか?」
「それでも弾は残り4発しかないし別の戦い方は必要」
「君も意固地やなぁ。吾輩が協力するって言ってるのに」
こんな何考えてるか分からない奴の力なんて絶対に借りない。一度でも手を借りようものなら後で多重債務を背負うに決まっている。それならまだ猫の手でも借りた方がマシだ。
※
どれくらい歩いたのだろう。一向に村が見えてくる気配がない。辺りは真っ暗になって山の方からコオロギの鳴き声がする。さすがに虫はいるようだ。
そういえば緋水って動物が摂取したらどうなるんだろう。やはり緋人みたいになるのか、それとも効果がないのか。一応鞄の中に緋水はあるけど、野生の動物に試すほど私の道は外れてはいない。
どちらかと言えば隣にいる妖怪に飲ませたらどうなるかは知りたくもある。やはり寿命という概念がなければ効果はないのだろうか。そういう意味では私が飲んだ場合もどうなるか計り知れない。
「難しい顔をしてどうしたのじゃ? お腹でも痛くなったか?」
隣でテクテク歩きながら見上げて言ってくる。その大きな尻尾を摘まみ上げてやろうか。無論、そんな戯れに付き合ってる時間も惜しいし私は大人だからそんな真似はしない。
それからも歩き続けた。丑三つ時には早いだろうけどそう思ってしまうくらいには何も見えなくなってきた。かといってこんな道端で野宿する気にもなれない。どうせ疲れもしないなら歩いていた方がマシか。
「魔女よ、これを見るがいい」
こいつが足を止めて何やら見上げてる。視線を追うと目の前にぼろぼろの看板が山の方に立ってた。木の板で作ってあるせいか、或いは年月が経ち過ぎたせいかは知らないけど風化してボロボロだ。おかげで文字も擦れて読めない。辛うじて最後に『村』と書いてあるのだけは何となく分かった。
「ようやく到着か」
とは言っても看板の向こうは明らかに獣道でおおよそ人が行くような所には見えなかった。
だがこの貴重な手がかりを無視するわけにもいかないので進むしかない。
道は想像以上に険しくそれに雑草や蔦が至る所に伸びてる。そのせいでサバイバルナイフで刈り取りながらでないと進めない。ペコリーマンの話だと村からあの店へ行ってるのだからこんな道を通っているとは思えない。人が通った痕跡なんてまるでないし。
ああもう。生足だから雑草が肌に当たってイライラする。ジャージ履けばよかった。今更面倒くさいからこのまま進むけど。
「人間は不便じゃのう」
こいつは木の枝に乗って器用に飛び移って先に進んでる。体が小さいってお得ですね。
文句を言っても始まらないので少しずつ進んでいくしかない。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。もう昆虫の鳴き声すらも聞こえなくなってきた。聞こえる音というのは私がガサガサと騒ぎ立てる音だけ。自然界だったら真っ先に捕食されてるだろう。私の肝は全く美味しくないだろうけど。
「はぁ。やっと出れた」
獣道から出て辛うじて歩ける道に来れた。月明りだけが薄っすらと輝いてそれだけが頼りだ。道なりをまっすぐ歩いていると何やら建造物らしき物が見えてきた。
暗くてはっきりとは見えないけど形からして家なのは違いなさそう。
自然と歩幅が早くなったけど、ピタリと止まってしまった。
誰かいる。村の入り口付近に転がってる岩に人が座っていた。ゆっくり近づくとその影は徐々に実態を見せ始める。
白と紺の袴姿の少女。淡く水色の髪が風に流されてひらひらと揺れている。少女は空を見上げて足をパタパタと動かしていた。月明りに照らされてるのもあって、神秘さがこれでもかと伝わってくる。なるほど、ペコリーマンの言ったのはどうやら比喩ではなかったらしい。
「こんばんは」
近付いて声をかけたら少女は振り返ってニコッと微笑んだ。幼いのにどこか大人びた雰囲気がある。少女は岩場から飛び降りて私の前に立った。
「旅人さんと狐さんかな? いらっしゃいませ」
その問いかけには私よりも隣のこいつの方が驚いていた。
「吾輩が見えるのか」
「どういうこと? 狐さんでしょ?」
こいつの言葉にも反応するあたり声も聞こえているようだ。一体何者なのか。
「こいつは妖怪の一種らしく普通の人には見えないそうです」
「へ~、そうなんだね。じゃああなたも妖怪さん?」
「私は普通の人間ですよ」
不老不死ではありますがね。
「こんな時間に来る人が普通の人間は無理があると思うな」
それはまぁごもっともです。
「じゃあただの人間でいいです。とはいえそういうあなたもこんな時間に起きているのですから普通ではないと思いますよ」
「寝てたら悪夢にうなされるから。それなら少しでも起きてた方がマシなんだ」
なんて声をかけていいのか思い浮かびませんね。というかそんな台詞を笑顔で言うのもどうなのでしょうか。
「この村に他に生き残りはいますか?」
「いないよ。パパもママも髭おじさんも梅おばさんも皆死んじゃった。皆おっきな人になったと思ったら怖い人達に殺されちゃったの」
その光景を想像しただけでも私の中で嫌な記憶が蘇ってきそうだ。それをこんな小さな子が経験するとは何と残酷か。そのわりに淡々としているのは心が壊れているのでしょうか。
「あなたはどうして無事なんですか?」
「わたし? わたしは、どうしてだろう。でもね、ママがある日から私の料理だけ別にするようになったの。パパも村の井戸水は使うなって言っていつも麓の店にまで買い出しに行ってたんだよ」
この子の両親は実に賢い人だったのでしょう。緋水にいち早く気づいて我が子を守り抜いたのだから。もっともこんな小さな子が1人で生きていくにはあまりにこの国は崩壊していますが。
ん? ちょっと待って。
「今、井戸水って言った?」
「そうだよ。それだけじゃなくて川遊びも禁止させられたんだ」
それってつまり川の水がすでに緋水に浸食されていたってことだよね。こんな村なら水道が普及してるとは思えないし。川に緋水が漏れていたなら川上で緋水を研究していた施設がある可能性が高い。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「いえ。ただ気になることができましたのでその調査に向かおうと思います」
「こんな時間だし明日にした方がいいよ。森の中にはおっきな人もいるから。だからわたしが案内してあげてもいいよ」
地理に詳しい人がそばにいてくれるのは嬉しいのですがこんな幼い子を連れまわすのはいささか不安があるというか。もしものことがあればこの子の両親に顔向けできませんね。
「わたしの心配なら平気だよ。おっきな人から逃げるのは得意なの。わたしの家に案内してあげる。こっちに来て」
女の子が村の方に入って手招きします。とりあえず今は彼女に従っておきましょう。どの道、手がかりが何もないのですから。




