10.悪意
大型量販店にまでやって来たのはいいけど何でか中に入れそうにない。ガラスの扉らしきものはいくつも見当たるんだけど、どこもびくとも動かない。多分電気か何かで動いていたからそれが止まって機能が停止してるんだろうね。
「困ったなぁ」
「ふむ。ガラスを壊して入ればよいのでは?」
「私は常識ある人間だよ。そんなならず者みたいな行為するわけない」
「だったらこういうのはどうじゃ?」
こいつの目が赤く光ったかと思うとガラスがひび割れて一瞬で割れてしまった。
「吾輩はならず者でも何でも歓迎じゃぞ?」
「はたから見たら私がしたことになるんですけど」
こんな力があるってやっぱりこいつは妖怪なんだね。何気にこいつの能力を初めて見た気がする。見たくもなかったけど。
起こってしまったのは仕方ないから早速中に入らせてもらう。とはいえ無人で明かりもなく何とも寂しいスーパーである。所々荒らされた形跡もあって床にはお菓子のようなのが転がってたり、別の所では商品棚が倒されていたりもする。
「魔女よ。吾輩は油揚げが食べたいのじゃ。それを所望する」
「お前、まさかその為に力使ったの」
「無論。何故吾輩に得もないのに力使わなダメなんよ」
やっぱりこいつはならず者だ。ならず狐とでも呼んでやろう。
とはいえこいつの願望も虚しく終わりそうだけど。何せ食料品コーナーには食べ物が1つも残っておらずスカスカだった。当たり前と言えば当たり前だね。こんな時、食べ物を先に買い占めるのは至極当然だ。おまけに私が山を下りたのもあの2人が来てから長い月日が経っている。食べ物が残っている方が不自然だろう。
「お。喜べ、油揚げが残ってたぞ」
「本当か!」
奇跡的に見つかったそれを摘まみ上げたらこいつもさすがに怪訝な顔をしていた。袋の中にはドス黒くなってカビている最早油揚げなのか分からない劇物が入っている。
「それのどこが油揚げじゃ!」
「パッケージにそう書いてあるし。はい」
「いらんわい! 全世界の油揚げに謝るのじゃ!」
床に叩きつけて踏みつぶしてるけど、そこまでしなくてもよくない? というかよくあんな腐った物を踏めるね。
食べ物は何もないけど衣類の所はかなり残ってる。これは助かる。着替えはジャージしかないし、いくつか拝借させてもらおう。後一番大事なのが下着。地震が起きて以来、ずっと履いてなくていい加減スースーしてて気持ち悪いんだよね。
「君、わざわざここまで来て欲しかったのがパンツなのか?」
「悪い?」
睨みつけて言ってやったらさすがのこいつも黙った。花も恥じらうも乙女がパンツも履いてないのは不味いでしょ。私は清楚だから白のこれで決まりだね。はー、やっとこの地獄から解放されたー。
さて、これでようやく本題に戻れる。ここに来たのはパンツを探しに来ただけじゃない。というか人いないなー。食べ物も残ってないならここに居座る理由もないか。これは別の所を当たった方がいいかもね。
「あ? お前誰だ?」
後ろから男の声がして振り返ったらいかにも僕はチンピラですって風貌の野郎が立ってた。
人相は悪いけど人には違いないから色々と手間が省けたね。
「やっと人に会えました。色々と聞きたいことがあるんですけど」
「あん? ていうかお前、へっへっへ。中々可愛い顔してるな。俺と楽しいことしねぇか?」
どうやら私が出会ったのは人ではなくただの野生の猿だったようです。おっと、これは猿に失礼ですか。
「楽しいこと、ですか。美味しい手料理でも振る舞ってくれるのですかね」
「それは見てのお楽しみ、だっ!」
そしたらチンピラが突如駆け出してきます。思ったより運動神経がよさそうですね。
さて、ここで困った事態発生。私は不老不死だの魔女だの凄い人みたいに呼ばれてますけど、中身は極普通の女子なんですよね。しかも長年ぐーたら生活をしてきたわけですから運動音痴もいい所です。
つまるところ、男が接近しながらこうして思考してる間にもう目の前まで来られてそれで勢いよく押し倒されるという我ながらの情けなさ。
「へへへ、近くで見たらかなりの上物だわ。久々に楽しめ……うっ」
チンピラが人の顔を見るや否、急に口元を抑えてる。はて?
「くさっ! お前、くさ!」
乙女に向かってその言い草はあまりにひどくない? 確かにこちとら山籠もり生活でろくに身支度もできてないけど!
悲しいけどおかげで隙が生まれたのも事実。面倒くさいからこれを使おう。ポケットに手を突っ込んでそれを向けたらさすがのチンピラも顔が変わった。でも私に躊躇なんて言葉はないから思いきり引き金を引いてやる。
爆音と共に弾が発射されてチンピラの肩を貫いた。さすがにこの距離で外すほどのバカじゃなかったけど腕が痛い。本当にこいつの反動は洒落にならんな。そもそもまだ使えることに驚きだけど。
「あがぁ! てめぇ、よくも!」
口調のわりにチンピラは必死に床を這いずってもがいている。この様子だと会話もできそうにないし、さっさと退散しようかな。まだ人殺しにはなりたくない。
「ぜってぇ許さねぇ。お前は殺してやる! うがぁ!」
するとどういうことかチンピラの肩の傷がボコボコと泡を吹いて治っていくではありませんか。おまけに目がギョロと魚のように淀んで血管も浮き出て来てる。
直感的に身の危険を感じてすぐにその場を逃げた。直後、背後から人間とは思えない奇怪な雄叫びが聞こえて嫌な予感は当たったらしい。こういうのばっかり的中するのはどういう因果だろう。
とりあえず食料品棚に身を隠して様子を伺う。視界の先には先程までチンピラだったものが真っ赤な怪物に進化しているではありませんか。淡い緋色の体色に膨張した筋肉。なるほど、あれが陛下の言っていた緋水の影響ですか。
私が傷を抉ったおかげでその姿を露わにしてしまったようです。やはり銃なんて使うものじゃない。
「困ったなぁ」
ここに来て二度目の困ったさんである。しかも今度はわりと真面目に。あんなのに見つかったら死は逃れられないだろうし、最悪私の死体を好き勝手されるかもしれない。それは清楚な乙女として何としても逃れたい。
「随分と苦戦してるようじゃな」
「見ての通りね」
この悪霊狐は私が押し倒された時ですら傍観していたから手を借りるのはもっての他。おそらくこいつにとって私の生死よりも自分の利害の方が大事なのだろう。
「君、吾輩と契約せぬか?」
「無理」
急に何を言い出すんだ、こいつは。
「まぁまぁ聞くのじゃ。君がその気になってくれるんやったら吾輩の力を君に貸してやってもいい。ちょっとした代償を支払ってもらうけどな」
こいつの力は一度しか見てないけど確かに強力だろう。この状況を打開する切り札になるかもしれないし、今後を考えてもこいつの手を借りるのが一番の得策だ。
だけどね、それは私のプライドが許さないんだよね。
「弱ってる人に交渉を持ちかけるなんて来世は詐欺師にでもなったらいいよ」
こいつとお喋りしてる時間はない。今はあの怪物をどうするかが問題だ。話しによれば軍隊が束になっても勝てなかったと言う。つまり銃弾は意味をなさない。さっき見た再生力で傷を修復してしまうのだろう。
少しでも隙を生み出せれば勝機はあるけれど。何か使えそうな物は……。
そしたら棚に油と書かれた容器がいくつも残っていた。なるほど、これは使えそうだね。
後は火が必要だけどライターはどこにあるんだろう?
「ぐがあぁぁっ!」
もう少し待ってくれませんかね。空気読めない人は嫌われますよ。
とにかく逃げるついで油をばら撒こう。そしたら怪物君が派手に転んでくれた。よしこれなら、って立ち上がるの早いよ。不味い追い付かれる。
「うがあぁぁっ!」
怪物に足を掴まれてしまった。おまけに宙づりにしてパンツを拝むとはとんだ変態野郎だな。
冷静になれ、私。この状況を打開する方法は今の手持ちで何ができる。
ああ、そっか。発火するのにライターなんていらないじゃん。もっと便利なものが手元にあった。的が大きくなったおかげでさっきより当てるのは超簡単だ。
「消えろ糞野郎」
今度は手加減無用で頭を狙って発砲してやった。銃弾は脳天をぶち抜いて弾が床に転がっていく。そして全身油まみれのこいつはすぐに燃え上がって雄叫びと同時に私を解放してくれた。銃弾のような単発の攻撃よりは火のように全体を攻撃する方が効くみたいだね。
怪物はその場に倒れたけどボコボコと再生を続けている。このまま逃げてもまた追いかけてくるのだろう。だったらこの場で倒すしか方法はない。
鞄から小瓶を1つ取り出して蓋を外して中の液体をこの怪物の口に流し込んだ。すると怪物はさきほどまでの雄叫びとは打って変わってもがき苦しむようにしてのたうち回り出した。次第にその気力も失って最後にはピクリとも動かなくなってしまった。
死んだ、よね?
「ふぅ。何とかなった」
さすが私。これが天才魔女の実力ですよ。
「ほう。まさか1人で倒してしまうとは驚きじゃな」
自分でも驚いてるよ。何もかもがその場しのぎの連続だったしそもそも戦闘経験なんて皆無だもん。
「不死の怪物を殺すとは最後に飲ませた薬に何か秘策があったのか?」
「うん。陛下の話を聞いた時から疑問に思ったんだよ。もしも緋水の影響が日本全国で出ていたなら今頃あちこちにこの化物が暴れ回ってるって。しかも死なないなら騒ぎが収まるはずないよね」
いくら山で生活しているとはいえそんな騒ぎが起きたら嫌でも耳に入るはず。けど山から見た街は静寂そのものだった。そして実際街に来て化物なんて殆ど見当たらなかったから私の予想は正しかった。
「こいつらは不死なんかじゃない。ううん、おそらく普通の傷や怪我は治すんだろうけど、それはつまり心臓に大きな負担をかけるはず」
どんなに風貌が変わったとしても中身が人間のままなら命を繋ぐのは心臓の役目。そして心臓が動けば動くほど体への負担は大きくなる。
「こいつらはきっと寿命には勝てないんだよ。だからさっき飲ませたのは老化を早める薬ってわけ」
おそらく怪物になると心臓が激しく動いて一気に老化が進行し、それですぐに寿命が来て尽きてしまう。だから街は静寂そのものだった。
「じゃあ君が薬を作り続けていたのもこのためか?」
「可能性の1つとして準備してただけ。結果的に正解を引いただけだよ」
「ふぅむ。どうやら吾輩は君を侮っていたようじゃ」
「私はお前の力を借りる気ないから」
「それならば致し方ない。じゃが吾輩はいつでも歓迎するから君の頭に選択肢に留めてくれると嬉しいで」
そんな選択肢あってないようなものだけど。ともかく難を逃れられたけど肝心の成果が一切得られなかったのが残念極まりない。
それに……。
「人、殺しちゃったな」
いくら怪物になったとはいえこの手で殺めてしまった。薬師として何とも恥ずべき行為だろうか。この何とも悼まれない感情は気分を悪くする。父はこんな心中で戦い続けていたのか。
「この程度で根をあげるなら山に帰ったらどうじゃ?」
「まさか。それこそありえないね」
私の旅は始まったばかりだ。寧ろここで試練を与えてくれた神様に感謝するよ。おかげでこの先はもう少し冷静でいられそうだから。
……とりあえず次の街に行く前に香水も拝借していこう。