9.紫煙
――死の間際で人格が変わって、急に前世の記憶を思い出したように見えると……稀人になる様子をこちら側の立場ではそう感じると聞いたことがある。
そして私は今、実際に目の当たりにした。セロやアロイを含めた稀人の友人たちはみんな、彼らが稀人になってから知り合った。彼らがどんなきっかけで稀人になったのかもなんとなく聞いていた。けれど、私は彼らの元の体……たとえばセロが今のセロになる前、アロイが今のアロイになる前……彼らの生前を知っていたわけではない。
モンテのこともその人となりを深く知っていたわけではない。ないけれど……少なからず衝撃を受けていた。「前世の記憶を思い出したように見える」という言葉から、もっと穏やかな印象を勝手に抱いていた。
よく考えてみれば当然の話だ。稀人は、こちらの体から魂が離れてしまった後に、ニホンで死んだ魂が入り込む。モンテの記憶や知識をこれから思い出すとしても……現時点でモンテは全くの別人になってしまったのだ。
「もらうぞ」
セロの声が近くで聞こえた。
え、と顔を上げた瞬間、持ったままだったレモン水のコップを取り上げられた。
セロはそのまま、コップの中のレモン水を一息に飲み下し、空になったコップを近くのテーブルの上に置いた。
――そうだ。私が一番部外者だ。勝手に衝撃を受けてる場合じゃない。
私は立ち上がった回復術師の男性にもレモン水を渡したあと、人々の邪魔にならないようにそっと後ろに下が……ろうとして、後ろにあったテーブルにぶつかった。ガタリとズレたテーブルの位置を慌てて直しながら、あらためて2歩ほど下がる。
「モンテの身内は?」
静かな声でセロがヘンリエッタに聞く。なんだかいろいろなものが抑制されているような声だった。ヘンリエッタはレモン水がまだ半分ほど入ったコップを両手で持って、落ち着きを無くしたままセロとモンテを交互に見ていた。
「え、あ、えっと……」
「身内はいねぇ。こいつは孤児院育ちだ」
低い声で答えたのは、グエンのほうだった。
セロが視線をヘンリエッタからグエンに移す。
「じゃあ連絡先は孤児院か?」
セロの問いに、グエンが首を振った。
「いや、中等院卒業と同時に孤児院も出てる。今は一人暮らしだよ。だから、モンテの身元引受人は俺なんだ。……俺も同じ孤児院育ちでな。獲物が多く獲れた日なんかは孤児院に持って行ってた。そこでモンテと知り合ってよ。狩人になったら肉が毎日食えるのかって聞かれて、そうだって答えたら、じゃあ自分も狩人になりたいって……」
グエンの声が少しだけ震えた。それをごまかすように、グエンは手元のレモン水を飲み干す。空のコップをセロと同じテーブルに置いた。
眠ったままのモンテをちらりと見て、グエンが続ける。
「俺はこいつが10歳の頃から知ってた。モンテが中等院を出て、見習いでここに入ってきて――セロ、おまえはあの日、俺が1年教えてモンテはアレか、と文句付けたよな」
「……らしくねぇと思ってた」
セロがぼそりと呟くように言ったのを聞いて、グエンが自嘲気味に笑う。
「ああ、らしくなかった。俺は……モンテに甘かった。俺にも家族がいなかったから……勝手に息子のように思ってた。もっと危機管理を叩き込むべきだった。ここに見習いで入る前に魔力感知を覚えさせるべきだった。俺が甘やかしたせいでこいつは……」
「うるせぇ」
グエンが最後まで言い切る前に、セロがすっぱりと、その言葉を遮った。
「おっさんの泣き言なんか聞きたくねぇんだよ。グエンが身元引受人だってんなら、“こうなった”モンテをしばらく面倒見るのはグエンでいいんだな?」
セロの確認に、グエンは頷いた。
「ああ。俺でいい」
「……おっさんを慰める趣味はねぇが、天馬で飛び始めた直後にスライム鳥にぶち当たるのは、出会い頭の事故みたいなもんだ。冒険者の間でもたまに聞く。併走してる仲間がいるなら、ごく弱い火の魔法を当てればすぐ剥がれるんだが……」
セロが言う駆除方法は私も知っていた。魔術師が威力調整した魔法を当てるか、妖精使いが炎の妖精を呼び出して近くに飛ばすかだ。
軽く首を振って、セロが続ける。
「だからモンテが魔力感知を使えてたとしても、空中でスライム鳥を避けられるもんじゃねぇってことだ。最後の最後で、あいつは自分自身のヘマや阿呆さじゃなく、誰にでも起こり得る事故で死んだ。その事故に、誰かのせいってことはない」
だから気に病むな、とグエンに伝えたかったのだろう。セロの思いはおそらくグエンに伝わっている。けれど、近しい人間が死んで――いや、体は死んではいないけれど――すぐに納得はできないだろう。
「じゃあ、私はこれで……」
回復術師の男性が周囲の人間に軽く会釈をして出口へと向かう。
「あ、先生。料金を……」
ヘンリエッタが引き留めるが、回復術師は首を振った。
「いや、治療行為はしていないのでね。体に異常がないかをざっと見ただけだ。今回は……残念だったね」
静かな声でそう言って、回復術師は部屋を出て行った。
……うん、そうだ。残念だった。代わりに入った魂の持ち主を非難するつもりはないし、その謂われもない。これまで通り、世間は新しい稀人を歓迎するだろうし、元のモンテを知っていた人間もいずれ……。
そこまで考えて気がついた。
セロも、“そう”だったのだ。
「ベル、眠りの魔法はどのくらい効いてる?」
「うひゃぁっ!?」
セロのことに思い至ったところで、当のセロに声をかけられ、変な声を出してしまった。
「なんだよ、妙な声出して」
「い、いや、何でもない。魔法は……抵抗なく効いたようだから、多分1時間半から2時間ってところかな」
「そうか。……じゃあ、眠ってる間に多少は記憶のすりあわせができるかもな。経験上、こういう時はたくさん寝たほうがいい。そして、眠ってる間くらいはモンテの野郎を悼んでやればいい」
後半の言葉はヘンリエッタとグエンに向けていた。
グエンは眠ったままのモンテに痛ましそうな視線を向けていたけれど、ヘンリエッタのほうは複雑な視線をセロに返した。
私は女性の年齢はよくわからないけれど、ヘンリエッタはセロと同じくらいか少し下に見える。焦げ茶色の髪を2本の三つ編みにしていて、その髪型のせいで少し幼く見えている可能性もある。
セロと同じくらいだとしたら……セロが稀人になる前と後を知っていてもおかしくない。少なくともグエンは知っているだろう。
「俺はしばらく裏にいる。モンテが目を覚ましたら教えてくれ。稀人について説明できるとしたら、ここには俺以上の適任者はいねぇだろ?」
皮肉げに、かすかに笑ってセロは休憩室の出口へ向かう。
「あ、あの……魔法で眠らせはしましたけど、普通の眠りに近いので、物音とか刺激とかあれば起きちゃうので……あの……そういうことで!」
ささやきよりは大きめの声で私はそう言って、セロの後を追いかける。私だけこの部屋に残されてもなんだか困るのだ。
休憩室から出てすぐあるのは、最初の部屋だ。事務机みたいなものが3つくらいと、書類棚みたいなものがある。奥に小さな台所があって、台所の隣に、裏口への扉があった。
私が休憩室を出た頃にはセロはもう裏口を開けて射的場がある外に出ていた。追いかけようとしたところで、肩から提げていた小さなバッグの中で通信具の呼び出し音が鳴った。
通信具を取り出して、通話用の魔石に触れる前に発信者の名前を見る。アロイだ。
『やぁ、ベル? 今どこにいるの?』
「狩人組合に……えっと……」
『教授たちへの挨拶回りから解放されたからさ、一緒にお昼でもどうかと思って君の店に行ったら、ちょうどモモと一緒に出かけるところだったリナに会ったんだよね。話を聞いたら、セロと一緒に面白そうな実験をするって言うじゃないか。実験の経過はどう?』
こうやって普通に話すアロイも稀人だ。
今のアロイとその両親は、稀人となった事実を乗り越えて受け入れている。セロとその家族もだ。モンテとグエンも……そうなれるだろうか。
「アロイ……」
『ベル? どうしたのさ、情けない声出して』
「あの……稀人が……えっと、確かに情けないけれど、私は立ち会ったのが初めてで……いや、違うんだ。私は、セロが心配なんだ」
あの場では一番冷静に話していた。グエンのせいではないことも。こうなってからのモンテの行き先のことも。モンテが目を覚ましたら自分が説明するとも言った。
ただ、私は見たのだ。一瞬よろけたセロの足を。私が見たこともない、表情を無くした顔を。元のモンテをそれほど知っているわけでもない私がそれなりに衝撃を受けたなら、よく知ってるだろう狩人組合の人間たちは……そして、実際に自分も稀人であるセロの胸中は。
『なんだか要領を得ないな。セロが怪我でも増やした?』
「……いや、違う。ごめん、うまく説明ができない。悪いけど、こっちに来てくれる? 狩人組合の裏に射的場があってさ。そこにいるから。私は今、説明するよりもセロのそばにいたほうがいいような気がするんだ」
『――わかった。裏へは外から直接行けるのかな?』
「わかんない、私は狩人組合の事務所の中を通って、台所の横にある裏口から出たから」
おそらく、どこか脇のほうに通用口のようなものはありそうだけれど、ここの構造はまだよくわかっていない。
『すぐ行くよ』
アロイの返事に私はひどく安心した。
裏口を通って射的場に入ると、セロはさっき準備しかけていた弓と矢をあらためて手にしていた。
「その赤い線から前には行くなよ」
さっきと同じ注意事項を聞いて、私はセロから少し離れて射場の隅に行った。そこにちょうどベンチがあったからだ。
セロが背筋を伸ばして弓を構える。右手には矢が3本握られていた。そのうちの2本は小指と薬指で握りこんでいて、1本をつがえる。
セロが持っているのは、セロの身長から比べればやや短めに思える弓だ。長すぎても山の中では扱いにくいし、短すぎると威力が足りないのだろう。以前、セロから聞いたことがある。若干短めだけれど、種別としてはロングボウというものに当たるらしい。造りとしては複合弓だと聞いた。木製の芯を魔導樹脂で強化していて、弾性と強度を増しているらしい。普段はさらに魔石で強化した、一種の魔道具的な弓を使うことも多いが、今日は実験のためか、シンプルな弓を用意していた。
キリ、と弦を引き絞る音が聞こえる。
「……青の5番」
セロがぼそりと呟き、直後、かすかに息を吐いて矢を放つ。
半ば反射的に、私は矢の行き先を見た。パン、と乾いた音を立てて小さな木の的が割れるのが見えた。確かに青い的だったが、数字までは見えなかった。
「赤の2番」
赤の2……赤の……あ、一番遠くに赤いのがあるけど……2番? え、この距離でセロは数字が見えてるのか?
ヒュンと音を立てて飛んで行った矢は、確かに私が見ていた赤い的を射貫いて、また的を割ったけれど、あれが2番なのかどうかはわからない。
「白の7番」
白、白……え、白い的なんてないけど……。
パン、と音を立てて割れたのは、私の視界の片隅にあった、黄色と緑の的に隠れるように配置されていた的だ。確かに、はじけ飛んだ木片には白い塗料が見えた。
「……え。セロ、見えてるの?」
弓を下ろしたセロに、私が尋ねる。
「え? 見えてねぇの?」
驚いたように逆に聞き返された。
「色は見えてたけど、数字まではちょっと……」
「エリノアは裁縫好きみたいだからな。その体は少し近視気味なんじゃねえか?」
言いながら、セロは弓を台の上に置くと、右肩をゆっくりと回した。
「そういえばリハビリだっけ。動きはどう? 見る限りは問題なさそうだけど」
と言うより、私としてはセロの精神状態のほうが心配だったんだけれど、こうやって弓を触っているほうが、セロは落ち着くのかもしれない。
「んー……まぁ、さすがにまだ少し固いかな」
ぐりぐりと肩をまわしながら、セロは的場のほうに足を踏み入れる。自分が放った矢と割った的を回収に行ったようだ。
……取り越し苦労だったのかもしれない。セロは大人だ。私よりもずっと。
矢と的の残骸を回収してきたセロは、ベンチに座っている私の隣に腰を下ろした。
「ベル、さっきのレモン水ってまだ残ってたっけ」
「あ、残ってたよ。持ってくるね」
「ああ。悪いな」
ベンチの前にはテーブルもある。セロはその上に的の残骸を並べていた。
裏口から中に戻ると、そこにはヘンリエッタとアロイがいた。さっきの通信を切ってまだそんなに経っていない。もう着いたのか。
「なるほど。……残念でしたね」
涙ぐむヘンリエッタから、アロイはもう事情も聞いたらしい。つまり、もっと早く着いていたのだ。
レモン水の入った水差しは台所で見つけた。ヘンリエッタが休憩室から持って出たのだろう。コップを用意しながら私はアロイに声をかけた。
「アロイ、早かったね。私の店からじゃなかったっけ」
「うん、家の馬車を帰す前だったからね。そのままここに送ってもらったんだ。――セロは?」
「裏にいるよ。意外と落ち着いてるみたいでね。心配することもなかったかも」
私の返事に、ならよかったとアロイも笑った。
レモン水を持って、アロイと共に射場に戻ると、ふわりと煙草の匂いがした。セロが煙草をくわえながらぼんやりと、割れた的を眺めている。
――珍しい、と思った。セロが時々煙草を吸うのは知っていたけれど、私やアロイの前で吸うことはなかったから。
「セロ。肺を痛めた直後の喫煙は、回復術師としては見過ごせないよ?」
アロイが半分冗談、半分本気で――いや、8割くらい本気かもしれない――溜息をつく。
「んぁ? ……ああ、アロイか。まぁ、今日くらいは見逃してくれ」
困ったように笑うセロの指先にあるのは紙巻き煙草だ。数年前まで煙草といえば刻み煙草をパイプで吸うのが主流だった。それよりちょっと格好をつけたい人間は細巻きの葉巻を吸っていた。太巻きの葉巻を吸う者もいるが、それはどちらかというと贅沢品だった。
煙草も、植物紙の普及で事情が変わったもののひとつだ。稀人が、煙草は紙巻きがいいと主張したのだ。植物紙の値段が下がって、様々な厚さや質感の紙が作られるようになり、3年ほど前から紙巻き煙草が一般的に売られるようになってきた。今は、フィルターというものを作りたいと腐心している喫煙者たちがいるらしい。
「まぁ、君は僕やベルと違って体も成人だ。僕自身はその効果には懐疑的だけど……精神の安定にいいんだと主張する喫煙者は多いね」
アロイの言葉にセロが頷いた。
「そうだろうな。多分、煙草を吸えば落ち着く、と自分で自分に刷り込んでるんだろう」
「安定が必要だった?」
そうアロイが問うと、セロは黙って、割れた的の破片に視線を移す。
つられて私も的を見た。パン、と軽い音で割れていたからもっと薄い板を想像していたけれど、意外と厚みのある板だった。木目が縦にきれいに入っている。この木目のおかげで、当たった位置から割れるようになっているのだろう。
「真ん中に当たってないね、珍しい」
アロイが言う。
え? あ、本当だ。3枚の的はどれも真ん中から割れているわけではなかった。左右にズレている。割れ目をよく見ると、どの高さに鏃が刺さったのかもわかる。中央より少し上だったり、下ぎりぎりだったりした。
セロは指先に挟んでいた煙草を1度深く吸い込むと、そのまま、ベンチの下に置いてあったバケツに吸い殻を放り込んだ。ジュ、と火が消える音がする。見ると、バケツには水が張ってあって、煙草の葉くずや、ふやけた紙が浮いていた。どうやら狩人の中には他にも喫煙者がいるらしい。
的の破片の横に私が置いたレモン水の水差しを手に取って、セロはコップにそれを注ぐ。さっきと同じようにほぼ一息で飲み干した。
その一連の動作を見てアロイがゆっくりと口を開く。
「……モンテのこと、ヘンリエッタに聞いたよ」
セロはアロイに目を合わせず、空になったコップを見つめている。
「――悪い。もう1本」
セロはそう断って、テーブルに置いてあったブリキの煙草ケースから煙草を1本取り出す。口にくわえる前に、ぼそぼそと妖精魔法の詠唱をする。セロの指先に小さな小さな火蜥蜴の姿が現れた。炎の妖精だ。あらためて煙草を口にくわえ、その火蜥蜴を近づける。ちろりと蜥蜴が舌を出すと、煙草の先に火がついた。
空に昇っていく細い紫煙を見ながら、セロが呟くように言った。
「俺はさ……グエンと違ってあいつと昔なじみだったわけじゃない。あいつは組合に入ってまだ1年と少しだ。友達なんて呼べる間柄でもなかった。ただの、手のかかる後輩だった。だから別に俺は動揺してるわけでもないし、そんなにショックを受けてるわけでもない。もっと言えば、悲しんでやれるほどの付き合いでもなかったんだ」
セロが手元の煙草を吸い込むと、チリチリと紙と葉が燃える音がした。
私とアロイは黙ってセロを見つめていた。その視線に気づいていたかはわからない。
ただ、とセロは言った。視線は指先の煙草だ。
「こうやって煙草を吸い込むと……ああ、これはアロイに言ったら怒られっかもしんねえけどさ、肺の奥まで煙を行き渡らせると、右胸が少しだけひりつく。――たった1週間前だ」
1シュウカンという単位は以前にも説明を受けた。7日間のことで、ニホンでは馴染みのある区切りらしい。
「なるほど……無力感か」
アロイが言う。それを聞いて私もなんとなくわかった。
ほんの7日、1シュウカン前。セロは命がけでモンテを助けたのだ。そうして、実際にモンテは助かった。セロよりも早く回復して、現場に復帰した。
そして今、モンテの魂はどこにもいない。
「自分のスマホで家に連絡してくれと言われて、力が抜けそうになった。結局、助けられなかったのかと思った。それがやけに悔しかった。それに……俺は“セロ”の記憶が馴染んでから組合に顔を出したけど、俺の報告を受けてヘンリエッタやグエンはどう思ったんだろうかなんて……5年以上も前のことが妙に気になったりな。モンテが5年前の俺なんだと思うと、あの場に居づらかった。……後輩が稀人になったってぇのに、悲しむより先に、1週間前の行動が無駄だったのかとか、同僚にとっては自分もこうだったのかって思っちまう、その冷たさにちょっと嫌気が差したっていうか……」
セロには珍しく歯切れの悪い言い方だ。けれど、言わんとすることは私にもわかる。
「本当に冷たい人間は、自分の冷たさに嫌気が差したりしないよ」
私はそう言って、空になったセロのコップに再びレモン水を注いだ。
そのコップをずい、とセロの前に差し出して続ける。
「……器が壊れなかったからこそ、新しい水を注げる。私は、君たちのような稀人が生まれることを……ニホン人の魂がこちらの世界の体に入ることを、そんなに悪いことじゃないと思っているんだ。そもそも誰かの意思で無理矢理入れ替わるわけでもないんだしね。ユラルのためになるとか、新しい技術とか、そういうことではなくてさ。だって、稀人たちにとって、まだ終わらないんだというのは……それはひとつの救いではない?」
「……救い?」
聞き返してきたのはセロではなくアロイだった。
「うん。……いや、これは私の願望なのかもしれないけどさ。世界が変わってもまだ生きられる、前の世界で終わってしまっても、まだ続きがある。それを生きようとする意思の力を君たちからはいつも感じる。もちろん、私は稀人の当事者ではないから、見当外れなことを言ってるかもしれないけど」
おまえに何がわかる、と怒られるかもしれない。
私はアロイとセロの顔をちらちらと交互に見た。
セロはチリチリと燃える煙草の先を見つめ、ややあってそれをさっきと同じようにバケツに放り込んだ。
「ふん、まぁ……俺があいつの命の恩人だっていう事実は変わらねぇか」
セロがかすかに笑う。
「そうだよ、だから……」
元気出して、と言おうとしたところで、建物の中から怒鳴るような声が聞こえた。
「ンだよっ! それっ!? おれは死んでねぇだろ!? 帰れるんだろ!? ふざけんなよ! 戻せよ、今すぐ!!」
モンテの声だった。




