8.魔結晶と魔力袋
リナを引き取って半月、私は魔法屋の仕事の合間を縫って、実験を繰り返していた。魂を入れ替える方法などわからないし、今の状況のままで魂を入れ替えると私が犬になってしまうので、そちらにはまだ手をつけていないけれど。
私がしている実験は、リナの体を作り替えることができないかというものだった。黒い犬の体は、私の魔力が作り上げたものだ。本来、一度作った使い魔を作り替えたい時には、使い魔の契約を解除して獣の魂がいる世界――アネイラの中層に魂を戻し、もう一度はじめから召喚術を行う。だから、同じ魂が呼べるとは限らない。使い魔召喚の術は、個を特定するものではないからだ。死んでしまったペットの魂を呼ぶために、数え切れないほど使い魔召喚を繰り返した魔術師の話を聞いたことがある。ただ、それが成功したという話は聞いたことがない。
魔力の負担が少ない、小さいサイズの使い魔を呼び出し、その魂を現世に繋いだまま体を作り替えてみたがこれは失敗した。体の構成に手を加えようとしても、魔力が通っていかない。魂を呼ぶ前であればウサギを呼ぶ術式の途中でネズミに変えることはできたが、魂を呼んでしまってはもう変更がきかないようだ。
ならばということで、一度使い魔を呼んでから、その使い魔の魂を別の体に移し替えられないかという実験もした。結果、同じ界にいる魂は召喚できないことがわかっただけだった。
使い魔の体を作り替えるか、魂を新しい体に移し替えることができれば、リナをせめて人間っぽい姿形にしてあげられるんだけど……完成形を思い浮かべて、ふと気づいた。
「いや、これどっちにしろだめじゃん」
使い魔召喚は、あくまでアネイラの中層を対象とする。これは下層にいるのは虫や魚なので意思疎通ができないというのと、上層には人間がいるのでそれは倫理上いかがなものか、という理由だ。つまり、人間を使い魔にするのは禁忌とされている。
私の実験が成功したとしても、私の魔力で作った人間っぽい形の体に、リナという異世界の人間の魂が入ることになれば、これは人間を使い魔にしてはいけないという禁忌に触れ、なおかつ、異世界の生物を召喚してはいけないという新しい規則にも違反する。
「どうしたもんかなぁ……」
これまでは、自分の体が見つからなければ何もしようがないと思っていた。つまり、それは現実逃避だった。もちろん今も、自分の体が見つかっていないという事実は変わらないわけだが、実際にリナの魂を前にしてしまうと、やらねばという気持ちになってくる。だが、ここ数日の実験で、もし自分の体が見つかっても、私には何ひとつ打てる手がないというのが露呈してしまったのだ。
リナはというと、あれから2日間くらいは私がトイレや風呂に行くたびに、ワンワン言っていたし、時にはわざわざ魔法陣の上に乗って、いろいろまくしたてていた。
かと言って、トイレに行かないわけにもいかず、なだめすかしながらトイレに行くと、戻ってきた頃には窓辺に座って外を見ながら、ギャウゥゥン!と抗議の声を上げているのだった。あの日、悲しみの遠吠えを聞いたが、それとはまるで違う声音で、憤懣やるかたないという思いが、魔法陣に乗ってなくても伝わってきた。
それらをようやく受け入れたのか、それとも諦めたのか、最近のリナは読書に熱中している。
もともとリナはこちらの言葉がわかる。これは稀人たちがこちらの言葉を理解できるのと同じ論理だ。稀人たちはこちらの体を使っていて、魂だけが入り込んだ状態なので、体が覚えていた言語もニホン語も理解できる。リナの体は、本来は使い魔として私と意思疎通できるはずなので、こちらの言葉が理解できるし、私が読めるものはリナも読める。
そのことを伝えると、本が読みたいと言ったのだ。
普通の稀人たちのように、仕事をしながらこちらに馴染んでいくというわけにもいかないので、とりあえず本を読んで知識を得たいというリナに私は賛成した。初等院と中等院の教科書を取り寄せてそれを渡すことにした。
店が休みの日、私もリビングで本を読んでいた。これまでの召喚術に関する知識ではもう太刀打ちできないことがわかったので、もう少し専門的な知識を得るためと、魂の扱いについて、今はどこまで解明しているのか、最新の知識を得るためだ。
「ねぇ、何かあたしが読めそうな本ってある?」
ソファの上に敷いたままの魔法陣にリナが飛び乗ってそう言った。
中等院までの教科書はもう読み尽くしてしまったようだ。
これは以前、アロイにも聞いたことだが、ニホンの学校というのはかなり詰め込んだ教育をするらしく、数学や理科などの理系教科は、初等院に通う年齢――向こうでは小学校だ――でこちらの中等院までの全てを習うようだ。リナはこの数日で主にこちらでの物の単位やお金の数え方などを教科書から学んでいた。
魔力の扱いや初級魔法の使い方は興味深く読んでいたようだが、使い魔の体ではあまり意味がない。魔法陣に乗ったり魔道具に触れたりして、勝手に魔力を吸われることはあっても、使い魔が自分から魔法を使うことはできないからだ。
「これは? 召喚術の……新しい可能性?」
私が読んでいた本の表紙をのぞき込んで、リナがタイトルを読み上げる。
「これはちょっと専門的な本だけど、魔法や召喚術の初級向けの本が何冊かあるよ。読んでみる?」
「うん、読んでみる。魔法関係は、実際にあたしが使えるわけじゃないけど、向こうになかったから面白い。ね、魔力を溜める臓器? ってどこにあるの?」
本を探しに行くために立ち上がったところでリナに問われて、私は自分の心臓のあたりを指さした。
「心臓の右下にくっついてるんだよ。心臓から血が送り出される時に、魔力もいっしょに体をめぐるから。心臓が止まると魔力が動かなくなってそこで固まる。それが固まりきったものが魔結晶だ。生物由来のものは魔結晶と呼ばれて、植物や無機物由来のものは魔石っていわれるよ」
「魔結晶ってアロイさんが持ってきてたやつ?」
そういえばつい先日もアロイが追加分を納品にきて、リナがそれを見ていた。アロイが納品した分のいくつかは、外に出る仕事が続くからとセロが買っていった。
「アロイが納品してくれたのは回復魔法を込めた魔結晶だね。うちで売ってるものは他にもいくつか種類があるけど、魔法を込めた結晶は、生物由来の魔結晶を材料にするんだ。採取したままの魔結晶はゆがんだ形をしているけど、魔法を込めると柔らかくなる。術師がそこでついでに丸く転がして形を整えるんだよ」
「ベルさんも作れるんでしょ? 見てみたい!」
本よりそちらに興味が移ったらしい。
私とリナは店の作業机のほうに移動した。リナは言葉の通じる魔法陣を口にくわえて自分で運んできた。
引き出しの中に入っている、何も込めていない空の魔結晶をいくつか取り出して机の上に並べる。
「白い……半透明の石っていうか、お母さんが持ってるイヤリングのムーンストーンに似てる。血と一緒にめぐるっていうから、血の色をしてるのかと思ったけど違うんだね。体の中にあったものって考えるとちょっと気持ち悪いかも」
リナが前脚でちょいちょいと魔結晶を触る。
「魔力を溜める部分は臓器というより、膜でできた袋状のものなんだ。魔力袋って言われてる。中に溜まった魔力が結晶化したら外の膜は剥がして洗い流すから、これは純粋に魔力の塊だよ。このあたりの小さいのはニワトリかな。もうちょっと大きい……このへんが豚。だいたいは家畜や、狩人がとってくるイノシシや鹿の魔結晶が素材として出回ってるよ。魚も大きいやつの魔力袋なら魔結晶として使えるサイズだから、市場や料理店なんかから回ってくることもある」
サイズも形も様々な白い魔結晶を机の上で転がして見せた。
実際に作っているのを見たいとリナが言うので、売れ行きのよい獣除けの魔結晶を作って見せることにした。
数種類の薬草や魔獣の分泌物、鉱石の粉なんかを練り合わせて、“獣除けの素”を作ってある。それを手元にある器に注いだ。とろりとした粘液は緑がかった錆色をしていて、少しだけツンとした刺激臭がある。
器の中に、ニワトリサイズの小さな魔結晶を3つ入れる。とぷんとぷん、と粘性の音を立てて石が沈んでいく。私はその器に手をかざし、自分の体をめぐらせた魔力を手のひらに集めた。
「【見えざる茨、虚ろなる魔獣、融解せし石巌】……」
私が呟くごとに、器の中が緑がかった錆色から茶色になり、濃い橙色へ変化する。
「わぁ、色が変わってく。それに、ちょっとぼんやり光ってる」
「【邪を退ける界となれ】」
手のひらに集めた魔力を最後に器の中に向けて放出する。器の中の光が強くなった。
かざしていた手をよけると、器の中には橙色に染まった魔結晶が3つあった。さっきまでそれを覆い隠していた粘液はすっかり魔結晶に吸収されてしまっている。
「これでだいたい完成かな」
机の上、脇によけてあった大理石の作業板を手元に引き寄せる。厚みは指1本分くらい、両手のひらを並べた分くらいの広さの作業板だ。その上に器から取り出した魔結晶を3つ置く。
「さわってみるかい? 柔らかくなってるよ」
リナにそう言ってみると、そっと前脚を伸ばした。肉球の部分でふにっと触れる。
「わ、不思議。さっきまでプラスチックみたいな感じだったのに、ちょっとぷにぷにしてる。グミみたい」
「グミ?」
「こういうお菓子があったの。甘くて果物の味がしてね。食感がぷにぷにしてるの。……これを丸めるの?」
「そう、こうやってね。形が揃っていたほうが見た目がいいからっていうだけで、丸めなくても効果は一緒なんだけど」
大理石の板の上で柔らかい魔結晶を転がす。ころころとさせると、いびつだった魔結晶はなんとなく丸くなっていった。手を離すとまだ柔らかい魔結晶は自重で少しだけ扁平になる。これが一般的な魔結晶だ。これで1時間ほど置いておくと固くなって持ち運びできるようになる。
「木型のようなものを用意して、少し変わった形に作る術師もいるね。四角とか三角とか。五芒星……星の形を作ってる知り合いもいたな」
ふんふんとリナが納得したように頷く。込める魔法によって適切なサイズがあることや、人によって素材の配合が微妙に違ったりすることなんかも教えると、興味深そうにできあがった魔結晶の匂いを嗅いだ。
「さっきの薬は変な匂いがしてたけど、これは匂わないね」
「魔結晶に吸収される段階で、素材が魔法として変換されていくから、匂いはなくなるよ」
「ふぅん、いいなぁ。あたしも作ってみたいなぁ」
リナが、作業机にあごをのせてうらやましそうに言った。犬の姿でそれをやると妙に可愛らしく見える。
「人間の体だったら作れたかもしれないけどね」
私がそう言うと、リナは残念がった。
魔力はあるが、使い魔の体は魔法を放出するような作りにはなっていない。
「……あれ? ねぇ、なんでベルさんは魔法が使えるの?」
「え。なんでって?」
「だって、その体、あたしのでしょう? あたしの体に魔力袋なんてないと思うんだけど」
机にあごをのせたまま、リナは首を傾げる。
「ああ、それね。この体のお腹をさばくわけにもいかないから、推測になっちゃうんだけど……」
そう、リナの疑問はもっともなのだ。
私がこの体になってしばらくの後、そういえばと私も気づいた。それまでの習慣通りにいくつかの魔道具を使ったり、台所で発火や浄水の魔法を使ったりしていたが、なぜ使えるのか疑問に思った。
聞けば、稀人たちの故郷では魔法というもの自体がないという。ということは、彼らの肉体には魔力袋が備わっていないか、発達していないんだと思われる。こちらでは、赤ん坊の頃から周囲が使う魔力に反応して魔力袋が育つと言われている。周囲から無意識に取り込む魔力が多ければ魔力袋はよく育つし、魔力袋が育てば自分でも魔力を扱いやすくなり、魔力袋はよりいっそう育つ。
「私がこの体になった時は、召喚術を使っている途中だったから、周囲には自分の魔力がたっぷりとあったんだ。こちらの世界では、人間の体は周囲の魔力を少しずつ吸収する。空気や水に含まれる環境魔力もあるけど、それよりも自分の魔力が一番吸収しやすいんだ。召喚術を使った時に、いつもより魔力を大きく吸い取られて意識が薄れた感じはしたから、その時、一時的に自分の魔力袋がなくなった……つまり、私の体がなくなったんだと思う」
あの日の夜のことを何度か思い返してみて、私はそう結論づけたのだ。魔法陣の上に光の球が浮かんでいて、それがまぶしい光を放ったところだったから、セロとアロイからは見えなかっただろう。
「そして同時に君の体が私のところに召喚されてきたんだろう。周囲に残っていた自分の魔力を私が再吸収して、それを溜めるために体の中に魔力袋が作られたんじゃないかと思う。普段は魔力なんて必要な分しか出さないから、周囲に残っている状態にはならないんだけど、あの時はずいぶん余分に吸い取られたからそのせいで……」
「ちょっと待って!」
聞き捨てならないというように、リナが制止の声を上げる。
「……はい」
「じゃあ、あたしのお腹の中に、あたしが知らないうちに勝手になにか作られたの!?」
「いや、お腹じゃなくて胸のあたりに……」
「信じられない!」
「ゴメンナサイ」