8.目覚め
「ベルナール、おまえ、明日は暇か?」
セロからそんな通信が入ったのは定休日の前日の昼だった。
「暇だよ。秋に引っ越しを予定しているから、今は素材の仕入れも控えてるし」
「だったらさ、ちょっと弓の練習に付き合ってくれないか。妖精魔法を使って試したいことがあるんだけど、魔力の流れに変なところがないか見てほしいんだよな」
「射的場って傭兵ギルドの地下だっけ? そんなとこでそんな実験やっていいの?」
セロが何をやるつもりかはわからないが、魔法を使った実験まがいのことをあそこの教官たちが許してくれるかどうか……。
はは、と通信具の向こうでセロが笑う。
「傭兵ギルドでやったら木剣でぶん殴られそうだ。狩人組合の裏にも射的場があるんだよ。さっき聞いてみたら、組合では明日、グレートベア狩りに出るのに人が出払うらしいからちょうどいいかと思ってな」
そういうことならと私は了承の返事をして、落ち合う時間を決めてから通信を切った。
昨日退院したばかりだと言うのに、セロは精力的だ。……いや、今もグレートベアの話が出ていたし、10月末の収穫祭前にグレートベアをある程度狩ってしまいたいという組合の意向もあるのかもしれない。
そうでなくとも、本来なら収穫祭に向けて狩人たちは獲物を貯め込む時期だ。魔法の保存箱に入れたり、捌いたあとに熟成させたり……肉屋でもハムやソーセージに加工するために、早めに欲しがる店が多い。
そのためにはやはり、今年は多いというグレートベアを今のうちに減らしたいのだろう。
そして翌日の午前中。私は狩人組合の入り口前でセロと落ち合った。退院直前に見舞いに行った時にも思ったことだけれど、私が10日ほど入院した時には、言われるがままに栄養を摂ったせいで、退院する頃には若干ふっくらしてしまったのに、セロは6日ほどの入院で少しだが痩せたように思う。
それをその時たまたま顔を出していたアロイに言ったら、基礎代謝の違いだとばっさり言われた。普段から体を動かしている20代男性と、積極的に運動しない10代女性の代謝を一緒にするなとのことだ。――まぁ、それはそうか。
狩人組合の中には、先日会ったヘンリエッタだけがいた。セロが軽く挨拶をしながら扉を開けたのを見て、彼女が顔を上げる。
「おはよ。早いんだね」
「早いってほどの時間じゃねえだろ。しばらく裏の射的場借りるぞ」
「リハビリかな? あ、そうだ。セロ、これ持ってって。モンテを助けた報奨金。医術院への支払いはそこから済ませてあるから」
ヘンリエッタはそう言って、小さな布の袋をセロに渡した。チャリ、と硬貨が擦れ合う音がする。
「ああ、サンキュ。――そのモンテは? グレートベア狩りにくっついて行ってんのか?」
受け取った小袋の中も見ずに、セロはズボンのポケットにそれをねじ込んだ。
セロの問いにヘンリエッタが頷く。
「グレートベア組は夜明けと同時に出かけたよ。モンテも、『馬車馬のように働け』って言われてグエンに引っ張って行かれた。ひょっとしたらそろそろ1頭目を狩り終える頃かもね。現場で血抜きして、冷却魔法をかけてからこっちに転送するって言ってたから、転送用の柵には近づかないでね」
「解体は?」
セロの短い問いに、ヘンリエッタが少し悪そうな顔で微笑む。
「こないだ入った新人たちにやらせるって言ってたよ」
「それはそれは……。“血の洗礼”になりそうだな?」
似たような表情でセロも返した。
グレートベアの成体を解体するのなら、数人がかりでも大仕事だろう。普段通りの解体なら、尻の部分を深く切って、そこから生殖腺を避けつつ下腹から喉までを一気に切り開く。腹を開けたら内臓を少し調べて、問題なさそうなら気道と食道を切断する。そうすれば内臓が上から下まで繋がったまま外に出せるのだ。
鹿やイノシシくらいの大きさであれば、手慣れた人間ならずるりと簡単に引き出せる。クマも同じだとは思うけれど、グレートベアは大きさが問題になる。なにせ成体なら、ティモ5人分以上の重さになるのだ。内臓も数人がかりで抱えて引っ張り出すことになるだろう。おそらくは全身血まみれになる。
それを想像していたので、「うわぁ……」という表情が外に出てしまっていたのだろう。ヘンリエッタがこちらを見て、ふふと笑った。
「想像しちゃった? 気になるなら見学していってもいいよ」
「え、遠慮します……」
私は、うへへと笑ってごまかした。
この体では言えないが、魔道具店を開く前には大型魔獣狩りのパーティに入ったことが何度もある。魔獣の解体で内臓を全てきれいに分けることはしないが、魔結晶の採取は必須だ。魔獣の種類によっては内臓や骨が素材になることも多いので、グレートベアの解体もだいたい想像がつく。
「ベル、こっちだ」
セロが裏口へ向かう扉の前で手招きをしたので、笑ってごまかしたまま、それについて行った。
狩人組合の裏口から出ると、すぐ近くに射的場があった。手前が射場になっていて、何人か並べる幅がある。的場には、立て札のような的がいくつも、少々乱雑に地面に刺さっていた。確か傭兵ギルドの的はきれいに整列していたように思う。
射場に立って眺めてみるとわかるが、距離、高さ、大きさ、的の色など、いろんな的が入り乱れて立ってるので、こちらのほうが傭兵ギルドよりも実践的ということかもしれない。
「リハビリついでに2、3本は普通に射るから、おまえはちょっと離れててくれ。その線より前には絶対に行くなよ」
その線、とセロが言ったのは、射場と的場を仕切っている、ごく低い柵だ。あまりに低いのでうっかりすると踏み越えそうにもなるが、その先は危険な場所だと知らせるように、木の柵は赤い色に塗られている。
はーい、と返事をして、私はあたりを見回した。荷物から弓と矢を出しているらしいセロから離れつつ、赤い柵には近づかないように少し周囲を窺う。初めて来る場所なのでちょっと興味深い。
的場自体は丈の高い塀に囲まれているが、そこから少し離れた場所に、腰くらいの高さの柵で囲われた場所があった。結構広い。物置小屋なら2軒くらいは建つだろうか。けれど、地面は土がむき出しのままで、何も置かれていない。
ただ、柵の1辺は一部が途切れており、そこから作業小屋らしきものに続く、傾斜の緩いスロープがあった。
つまりあれが、さっきヘンリエッタが言っていた、獲物の転送先なのかもしれない。
……ん?
何か違和感を覚えて、私はその柵に注意深く近づいた。
「あ、おい。そっちはだめだぞ。いつグレートベアが転送されてくるかわかんねぇからな」
セロの声が背後から聞こえる。
が、それにしてはおかしい。
「ねぇ、セロ。おかしいよ。転送先に指定されてるなら、魔法陣と連結してる簡易結界魔法が周囲に張られてるはずなのにその気配がないよ。ていうか魔石がどこにもない」
転送の魔法陣は、魔法陣の四隅に魔石を置いて陣に魔力を込めると、その魔石に魔法が宿る。その魔石を柵の四隅の柱の上(冒険者ギルドなら小部屋の四隅)に置くのだ。そうすると転送が終わるまで、その区画には邪魔が入らないように簡易結界が張られる。
「……はぁ?」
セロが怪訝な声とともに、私のほうへ歩いてきた。私と同じような位置で足を止め、柵を見回す。
「確かに魔石がねぇな。結界も、本当なら薄緑色の光がこの柵を囲うはずなんだが……」
「そもそもどこにも魔力の気配がない。強いて言うなら、このあたりで一番強い魔法は、君の胸あたりだ。――例のテーピングだっけ? 新しい治療のやつ。それをまだつけている?」
私の問いにセロが頷く。
「ああ。もうだいたい治ってっけど、もう2、3日は貼っとけって言われてな。……にしてもおかしいな。鹿やイノシシなら普通に運んでくるが、今日は最初からグレートベア狙いだ。転送陣は最初に仕込んでから出かけるはずなんだが……」
ヘンリエッタに聞いてくる、とセロが踵を返した時、ちょうど建物の裏口が開いて、ヘンリエッタが顔を出した。片手には通信具を握っている。
「セロ! 大変! なんか事故があって……モンテが怪我をしたみたい! とりあえずグエンがモンテを連れて天馬で戻ってくるって言うから留守番お願いできる? あたしは診療所に行って回復術師さん連れてくるから!」
「はぁ!?」
あいつまたかよ……というセロの呟きが聞こえたかどうかはわからないけれど、ヘンリエッタは「よろしくね!」とだけ言って扉の中に姿を消した。
「リハビリや実験どころじゃなくなったな。悪い、ベル。今日はだめらしい」
「うん、でもひょっとしたら人手がいるかもしれないからね。私がどこまで役立つかわからないけれど、一応、見届けるよ」
力仕事や回復術では役に立たないけれど、いくつかの魔結晶は持ってるし、魔術師としてなら多少は役立てるかもしれない。
「怪我の内容はわからねぇけど……そうだな、鍋に湯でも沸かしておくか。不要になったらあとで茶を入れるか、昼メシを作ってもいい」
セロの言葉に頷いて、私たちも裏口から室内へと戻った。
セロが鍋で湯を沸かしている間、手持ち無沙汰だった私は、手近にあった水差しに水を入れて、魔法で氷を出し、ついでに近くにあったレモンを、セロに一言ことわりを入れてからいくつか拝借する。もう9月に入ったとは言え、昼間はまだ暑い。走り回ってる人々が一息つくなら、冷たいレモン水のほうが心地よいのではと思った。
1つ目の鍋の湯が沸き、セロが2つ目の鍋に水を入れ始めた時、扉の外で大声がした。
「誰かいるか!? 戸ぉ開けてくれ!!」
グエンのだみ声だった。セロは鍋もそのままに、早足で入り口に向かうとそのまま扉を開ける。
「モンテは?」
「回復結晶は使った。息もあるし心臓も動いてるが、まだ気は失ったままだ」
グエンがモンテを背負って中に入ってくる。セロとの短いやりとりの間にも、2人は足を止めずに、裏口の手前にあった別の扉を開ける。
そっと中を覗くといくつかの椅子やテーブルがあり、簡易寝台も2台あった。狩人たちの休憩室なのだろう。
グエンがその寝台の1つにモンテの体を横たえた時、ちょうどヘンリエッタが戻ってきた。
「グエンは戻った!? モンテはどう?」
私が休憩室の中を覗いているのに気づいたのだろう。ヘンリエッタは迷わず休憩室へと向かう。その後ろを壮年の男性がついてきていた。私は見覚えのない男だが、ヘンリエッタと一緒に戻ってきたということは、彼が近くの診療所の回復術師なのだろう。狩人という職業柄、組合と提携している診療所があるだろうことは想像に難くない。
グエンはモンテのそばを回復術師に譲り、その場にいる全員に聞かせるように事情を説明し始めた。
「グレートベアは1頭仕留めたんだ。俺とマルコでな。で、モンテに転送を任せようとしたら陣が動かねぇ。聞くと、魔石の下準備を忘れたって言うんだ。俺とマルコにひととおり怒鳴られて、モンテは急いで組合に戻らせることにした。グレートベアは普通には運べねぇからな」
グエンの説明に納得する。確かに、裏にある転送先には魔石がなかったのだから。
「で、そのあと?」
セロがグエンを促すと、ひげもじゃの顔をくしゃりと歪めて、不機嫌そうにグエンが口を開く。
「……少し飛んだところで、モンテがゼルブテオに襲われた。冒険者どもがスライム鳥って呼ぶあいつだ。半透明で見分けが付きにくい。ちょうどそいつが顔のあたりに張り付いたんだろうな。モンテが天馬の上でもがき始めた。モンテが飛ぶのを見送ってた新人が一番先に気づいた。モンテさんがおかしいっスよ、なんてな。あいつはいつでもおかしいだろうが、って言いながら、俺とマルコが顔を上げると、モンテは天馬の上でじたばたしているところだった。マルコが先に天馬を出した。俺も遅れて出した。2人でモンテの位置まで天馬を飛ばして……たどり着く前に、モンテが天馬からずり落ちた」
「……まさか、またあいつ命綱を」
セロが言いかけた言葉をグエンが制する。
「いや、さすがに今日は、馬鹿みたいな高さじゃなかったし、命綱もつけてた。ただ、ゼルブテオのせいで息が止まってて、慌てたんだろうな。ぶら下がったまま大暴れして、そのせいで命綱が外れた。高さはたいしたもんじゃなかったが、俺たちが地面に落ちたモンテに駆けつけた時には、モンテの息が止まってた。ゼルブテオが鼻やら口やらに入り込んでいたからな。2人がかりでそれを引き剥がして、回復の魔結晶を使いながら人工呼吸をした。少しして息は戻ったよ。心臓も途中で少し弱りかけたが、息が戻ると同時にそっちも問題なく動き始めた。ただ、落ちた衝撃でなのか、気絶したままだったから慌てて運んできたんだ」
説明を終えて、グエンは回復術師に視線を向けた。セロもヘンリエッタも、そして私も同時にそちらを向く。
外傷はないようだから、傷を洗うためのお湯は必要なかったけれど、モンテの顔にはゼルブテオのねとねとした液体がまだついているし、顔や体も土で汚れている。その汚れを拭き取るのに役立つだろう。
そこまで考えて、私は自分がレモン水を作っていたことを思い出す。小さな台所に戻って水差しといくつかのコップをトレイにのせた。
聞く限り、モンテはあまり重傷には思えない。ただ、天馬から落ちた時にもしも頭を打っていたら……と思うが、そこは回復術師が診てくれるだろう。
レモン水とコップを持って休憩室に足を踏み入れると同時に、寝台からモンテのうめき声が聞こえた。よかった、意識が戻ったみたいだ。
「モンテ! 大丈夫かよ、おまえ!」
最初に声を上げたのはグエンだ。寝台のそばに座っている回復術師の背中ごしに、セロもモンテを見る。
「あれ……おれ……なんかすっごく頭痛くて……いや? さっきよりは痛くないかな……」
ぼそぼそとしたモンテの声が聞こえる。どうやら大丈夫そうだ。
「とりあえず一安心ですね。レモン水作っておいたのでどうぞ。冷たくてすっきりしますよ」
私はレモン水をコップに注ぎわけ、室内にいる人たちに配ってまわった。
「わぁ、ありがとう。気が利くね!」
ヘンリエッタもほっとしたようだ。
「お、嬢ちゃんすまないな。いや、命綱があってよかった。あれのおかげで落ちる高さがだいぶ減ったからな」
グエンも笑ってコップを受け取ってくれた。
そしてセロにもコップを渡そうとしたところで、モンテの次の声が聞こえた。
「……っていうか、ここどこですか。病院じゃなさそうだけど……おれ、家に帰る途中で……あぁ、そうか、きっと途中で倒れたんですね。すみません、おれのスマホから家に連絡してもらえますか。妻がきっと心配してるんで」
私とセロの動きが止まった。
――私は、モンテと直接会ったのは、医術院での聞き取りの時だけだ。けれど、その時のモンテとはしゃべり方が違う。
コップを持ったまま、私はすぐ近くにいたセロの顔を見上げる。
「……は」
疑問形でもない。大声でもない。先に口だけが開いて、一瞬の無音のあとに小さく「は」とだけ言ったセロ。その顔は驚くほど無表情だった。
一瞬、セロがよろけたように見えた。支えようとして、コップを持っていない手を差し出したが、セロはよろけかけた足をその場でぐっと踏ん張った。
「え、な、何言ってるの、モンテ? あんた独身じゃない」
うろたえるヘンリエッタの横で、グエンがゆっくりとセロに視線を向けた。
「すまほ、って……おまえも前に言ってたな?」
セロが一歩前に出る。モンテの体に他に異常がないかを検索している回復術師の隣に立った。
「あんたのスマホ……iPhoneか? それともAndroid?」
セロの言葉はまるで呪文のようだった。聞き覚えがない。
「iPhoneです。少し前の型ですが……あ、そうだ。顔認証なのでおれの顔の前に持ってきてもらえれば」
セロの呪文は、モンテには通じたようだった。
「あんたの荷物だが……手元になくてね。名前と自宅の電話番号、言えるか?」
「はい。ソウマショウゴです。電話番号は0XのXXX……」
「わかった。すまないがまだ治療が残ってる。これから少し眠くなるけど、気にしないで眠ってくれ。起きたらまた詳しく話をしよう」
「わかりました。……見た感じ、外国の方なのに日本語お上手ですね。……ん、日本語……?」
モンテが混乱しそうな頃を見計らって、セロは私のほうを振り向いた。眠らせてくれ、と小声で言う。
「【柔らかな絹、甘やかな腕、眠りを誘う霧】……」
私も聞き返すことはせず、素早く詠唱をする。すぐにモンテの顔の近くに白い靄が現れ、モンテは抗わずに目を閉じて寝息を立て始めた。
「ふぅ……」
回復術師の男性が顔を上げる。ひととおり、調べ終えたのだろう。
「軽い脳震盪を起こしていたようですが、異常はありません。他に怪我もないようです。今日1日安静にしていれば問題はないでしょう。……体のほうは」
体のほうはとわざわざ付け加えたのは……多分、ここにいる全員がわかっている。
たった1度会っただけの私にも、モンテの口調が変わっているのはわかった。そしてセロが言う、まるで呪文のような言葉に対して会話が成り立っていた。
モンテは……稀人になったのだ。
1カ所誤字修正(20260315)




