2.ワイバーンは西へ<1>(セロ視点)
オスロンの南東にある山の1つを朝から見まわっていた。今日の相棒はモンテだ。普段の狩りなら1人でまわることが多いが、今日は狩人組合全体で、グレートベアの調査をする日だ。不本意な遭遇をしてしまった時のために2人以上で組むことになっていた。これは、うっかり襲われたら、どちらか片方だけでも生き残って組合に知らせろという意味だ。
グレートベアは夏から秋の終わりにかけて活発になる。これは冬眠のため……というわけではない。グレートベアの半分ほどのサイズしかないミツグマなら冬眠するが、グレートベアは冬眠しない個体が多い。グレートベアは肉食寄りの雑食なので、植物が少なくなる冬には鹿やウサギを食えばいいからだ。中型魔獣とさえ渡り合えるその体格があれば、冬でも餌に困ることはないので冬眠の必要がないのだ。それでも奴らは果実や木の実も好んで食べる。だから山の実りが多いこの季節は活発になる。
数が増えすぎなければ積極的にグレートベアを狩ることはない。狩ればそれなりに肉や毛皮、脂、内臓、骨なんかも役に立つが、鹿やイノシシのほうが狩りやすいし、肉も美味いからだ。
それでも組合で今回調査することになったのにはいくつか理由がある。ここ数年、山の実りが良くてグレートベアの個体数が増えた。そして、少し前に街道の近くで目撃情報があった。オスロンの南東側には牧場も多くあるから、毎年、冬になればなにかしらの被害は出るが、それが今年は夏のうちに牛や豚が襲われる被害が出始めた。
「今日のところは頭数や行動範囲の大まかな確認だけですよね」
平地での昼休憩の時にモンテがそう言った。
モンテはまだ19歳で、初夏のグレートベア狩りでヘマをやらかした新人だ。モンテの指導役は同僚のグエンだった。18歳で組合に入ってきたモンテを1年指導したが、先月もう1人新人が入ってきたので、グエンはそちらの指導にまわった。そしてモンテは何故か俺に預けられた。
「2人じゃ狩れねぇしな。それでも街道や牧場の近くで見つけたら煙幕の魔結晶を使って追い返すことにはなってる。――この後は東の尾根まで天馬で飛んで、そこで地上に降りて、沢沿いに山を下る。気をつける点を言ってみろ」
俺の問いに一瞬、モンテは首を傾げる。
「あ。えーっと……足跡と、糞、ですかね……? あ、あと何かを食い散らかした痕跡とか、食いかけの獲物を隠す土饅頭とか!」
「周囲の木の表面も見るんだ。爪痕があったり、あいつらが背中を掻くためにこすりつければ周辺に毛もついてる」
あとは音、匂い……いわゆる気配というやつだ。
大型のグレートベアが近くにいると、奇妙な静けさを感じることが多い。周りの小動物たちが息をひそめるような、身じろぎさえもせずに何かが通り過ぎるのを待っているような、そんな静けさだ。
聞こえるものを聞き取るのじゃなく、“聞こえないこと”に気づけるかどうかだ。
正直な話、新人だということを差し引いても、モンテはあまり狩人には向いていない気がする。背格好は俺と同じくらいで、モンテのほうが少し筋肉質かもしれない。だから体格に問題はない。弓も精度はまだ甘いがド下手くそというわけでもない。
ただ、モンテには注意深さが足りていないのだ。それは深刻な……というか、狩人にとっては致命的だ。
俺たちが見まわる山は今、グレートベアの密度が高い。油断なく行動していても、遭遇する確率が高いという意味でもある。ただ、それまでにどれだけ注意深く観察していたかによって、ただの遭遇ではなく、有利な遭遇にできる――つまり、こちらのほうが早く発見できる。
俺が疑わしげに見ていたことに気づいたのか、モンテはグッと拳を握った。
「や、大丈夫ですよ! おれ、目と鼻はいいんです! 夏の初めの失敗は……あの、申し訳なかったと思います。あん時はセロさんも怪我しましたよね。すんませんでした!」
砂色の頭をがばりと思いきり下げて、何度目かの謝罪をする。
「まぁそれはもういいよ。俺のはたいした怪我じゃなかったしな。それにあの後、グエンにたっぷり絞られたろうし」
――モンテ自身にしろ、組合の誰かにしろ、大きな怪我に繋がる前に、モンテが注意深さを身につけるか、いっそ別の仕事に……いや、さすがにそこまでは口出しできないが。ただ、1年間モンテを見てきたグエンはどう思ったろう。さっき、2人じゃ狩れないとは言ったが、もしこれが俺とグエンのコンビなら2人で狩れる可能性は高いのだ。
午後の見まわりは順調に終わった。遠くにいるグレートベアは何頭か見つけたが、気取られる前だったので、こちらがそっと進路を変えればそれで済んだ。
沢に沿って山を下り、麓の森を抜けた後、モンテは早々に天馬を出した。
「意外と早く済みましたね。っていうか、やっぱり思った以上に今年は多いのかなぁ。俺は去年は見習いだったんで、よくわかんないんですけど」
「ああ、ずいぶん多い。なるべく早めに何頭か狩ることになるだろうな」
言いながら俺も天馬を出す。
――ふと、森のほうに気配を感じた。ガサリ、と森の下生えと若木が揺れた気がした。もちろん無風ではないが、風の揺れ方とは少し違う。
ガサ、ガサ、と不規則な音はゆっくりと森の奥に遠ざかっていった。目をこらすと、揺れる下生えの向こうに、毛先が銀色に光る黒い毛皮が見えた。グレートベアだろう。
ここはもう街道に近い。煙幕の魔結晶を投げるべきか……いや、遠ざかっていくなら無理に刺激する必要はないか……?
俺が迷ってる間に、モンテはもうかなり上空まで天馬を走らせていた。モンテは何故か、必要以上に高いところを飛びたがる。ナントカと煙は高いところへ……というやつか。
「セロさーん? 何かありましたー?」
煙幕にはグレートベアが嫌がる匂いも含まれている。
俺は自分も天馬にまたがり、少しだけ浮き上がらせる。そして、森と平地の境界のあたりに煙幕の魔結晶を投げ込んだ。
よし、これで……。
安心しかけた矢先、ゾクリと背中が粟立つような気配を感じた。急いで周囲を見回す。
……違う、グレートベアの気配じゃない。何かもっと大きな……強い、むき出しの魔力が近づいてくる感覚。
――地面じゃない。上だ。
直感に従って、上空をぐるりと見回す。午後の……夕刻にはまだ早い時間帯の、色の濃い青空。雲は少ない。風は東から吹いている。かなり上にいるモンテの天馬。東にはユラルの背骨と喩えられる山脈。北にはオスロンの南門がある。西側は少し離れて内海だ。
何も……いや、東の山脈の手前に赤黒い何かが浮いていた?
慌てて視線を戻すとその赤黒いものは、最初に見つけた時よりも大きくなっている。赤黒い、横長の飛行物体。動きはかなり速い。まるでグライダーのような滑空をする……。
初めて見るその姿に、認識が少し遅れた。
「モンテ! 下りてこい! 早く!」
声が届く位置まで俺の天馬も宙を走らせる。手振りも交えて伝えるが、モンテは天馬の手綱を引いてその場にとどまった。
あンのクソ野郎! 緊張感が足りてねぇ!
「え、どうしたんですか、セロさん!?」
聞き返すな! 行動しろ!
「下りろ! 急げ! ――ワイバーンだ!!」
ほとんどの天馬は白からグレーの淡い色で作られる。あんな赤黒い天馬はない。それに、天馬ならもっと羽ばたく。1度の羽ばたきであれほどの距離を滑空する天馬なんかいない。
天馬以外で空を飛ぶあの大きさのものと言えば……いや、まだ遠くにいるのにあの大きさだ。天馬の倍以上はある。そして、まだやっと視認できるくらいの距離なのに感じる魔力の圧。ワイバーンかドラゴン以外にあり得ない。どちらも実際に見たことはないが、もしそうじゃなかったとしたら、それはそれで“未知のやべぇもの”だ。
俺の言葉に、ワイバーン!?と叫んでモンテはぐるりと周囲を見回した。
――馬鹿野郎、その動きが余計だ! てめぇはあの魔力を感じねぇのか!?
ワイバーンの飛行速度は速かった。モンテの脳に「下りろ」の言葉がようやく浸透した時には、もうワイバーンはすぐ近くにいた。天馬のものよりもゆったりとしたリズムの、翼膜が空気を打つ音が聞こえる。
モンテがやっと高度を下げ始めた時、ワイバーンの巨体とすれ違った。俺のいる位置まで風圧が届く。ゴウッと鳴る風に煽られて天馬が体勢を崩す。それを立て直した時、モンテが天馬から落ちるのが見えた。
あいつ……! あの高さまで飛ぶくせに命綱も付けてねぇのか!
モンテと天馬が別々に落ちてくるのを見て、俺はモンテが落下するほうへと向かった。完全に受け止めればこっちの被害のほうが大きいが、腕か足か、それともせめて服の端でもつかめれば、落下の勢いは少し殺せる――と、一瞬のうちにそう考える。
ぶわりと、モンテの頭のあたりに赤い膜が広がったように見えた。赤いマフラーなんてしていなかったはずだが……。
ばっ、と……生温かい液体がしぶきのように俺の顔に飛んできた。間違いようもない血の匂い。モンテのやつ、ワイバーンと交差する瞬間に、翼の先の爪にでも引っ掛けられたか。
モンテは気を失ってるらしく、頭から落ちてくる。その体の斜め下に近づくようにして、俺は右手でモンテの右腕をつかんだ。つかむ瞬間に、俺は自分の天馬の手綱を少しゆるめた。天馬の手綱は引けばその場に留まろうとする。さらに引けば鼻面が上に向くので上昇しようとする。だがゆるめれば、ゆるやかな下降に入る。
「【風の妖精! 下から強い風を吹き上げろ!!】」
ベルナールには大雑把だと言われる詠唱……詠唱というほどのものでもない。俺は妖精にただ呼びかけた。
※長すぎて2つに分けたので後編は近日中に公開します




