その後の話と様々な感慨と儚い平穏と。
第2章の後日譚(と言うほどでもないですが)。そして第3章の前日譚。
「引っ越しは10月後半か、11月かしらね」
いろいろな書類をテーブルの上に並べて、姉のアンネリースがそう言った。
「でもアンネさん、10月後半ってオスロンの収穫祭があるよ」
リナが言う。姉の言葉に頷きかけていた私も収穫祭の存在を思い出した。
「そうだよ、姉さん。私の店は収穫祭にはあまり関係ないけれど、収穫祭の時期は荷車や荷運び人も食材を運ぶ方を優先するよ」
「そう、じゃあ11月ね」
姉は頷いて、引っ越しは11月初旬と予定表に書き込んだ。
「なんか、最初はあたしが叔父さんの家に居候するだけっていう話だったのに、どんどん話が大きくなっちゃったね」
私の姪であるエリノアがテーブルの上にある書類を見て苦笑する。エリノアの見た目は7歳程度で、初等院に入学する前か、それとも1年生かというような大きさだけれど、中身は16歳の少女だ。今の体は、魔導樹脂で作った人形に私の魔力を込めたもので、おおっぴらには言えないけれど、いわゆる“人間の使い魔”のようなものだ。
――そう、中等院を卒業したエリノアが服飾学校に進みたいと思って、オスロンの学校を候補のひとつとして考えていた、というところから始まっていた。オスロンの学校に決めるなら、私の家を下宿先にしてもいいかもしれないと姉は考えたらしい。
ただ、姉を含めた実家の家族には知らせていなかったけれど、私の家にはリナがいる。部屋数は足りないが、幸い、14歳のリナと16歳のエリノアは意気投合したようなので、2人同室でもいいなら何とかなるかと考えていたところ、姉とエリノアが事故に巻き込まれた。エリノアが大怪我をして……そして、なんやかんやあって、今はエリノアの本来の体に、私の魂が入っている。
つまり、33歳の独身男性である私――ベルナールの魂が、16歳の少女の体に入っているのだ。
その直前までは、14歳のリナの体に入っていたのだから、私としてはあまり変化がないというか……いや、変化はあるんだけれど、とりあえず生死の境を彷徨っていたエリノアの魂が救われてよかったという感慨のほうが大きかった。それに、リナが本来の自分の体に戻れたのもよかった。
そして今現在、魂が抜けた状態であるベルナールの体は、アロイに頼んで、医術院で預かってもらっている。医術院であれば、より代謝を落とした状態で、安全にケアしてもらえるらしい。
夏の初めにあった一連のどたばたが終わって、私が医術院を退院したのは7月の後半だった。それからすぐ、まずは義兄が首都から駆けつけた。姉の夫であり、エリノアの父親だ。私の顔を見て、「助かってよかった、エリノア!」と叫んで抱きつこうとしたけれど、その寸前で思いとどまってくれた。姉は私の入院中に家族宛の手紙で詳細を知らせたらしく、エリノアの体の中にいるのは自分の娘ではなく義弟だと思い出してくれたようだ。
そして、義兄はあらためて「娘を助けてくれてありがとう」と私の両手を力強く握りしめた。
義兄が来てから5日後には私の両親も駆けつけた。首都で経営している紡績工場があるので、義兄と両親が揃って長く休暇をとるわけにはいかなかったようで、両親がこちらに来て2日後には、入れ替わりのように義兄は首都に戻っていった。
家族全員が揃ったのはほんの2日間ほどのことだったけれど、その2日の間に両親と義兄は、エリノアと私、それぞれの魂と体についての説明を受け入れ、リナの存在を受け入れ、エリノア自身はリナが一緒に行くならと言って進路をオスロンの学校に決めた。
そしてエリノアが本来の体に戻れるのは早くても冬、それまでは“使い魔”のような体であまり外に出るわけにはいかないという事情を鑑み、姉は私たちと共にオスロンで暮らすことを決め、ついでに、父の紡績工場で生産する布地をオスロンで売る店を経営することまで決めた。紡績工場のほうで人手を補充できれば、ゆくゆくは義兄もオスロンに引っ越してもかまわないと言った。
「だって、エリノアが行く予定の学校は3年制でしょう? 今年の入学が無理なんだから来年からになるし、だとしたら少なくともこれから4年間ということになるわ。それに、オスロンの街を久しぶりにいろいろ見て回ったけれど、首都の流行を今ひとつ取り入れられてない気がしたから、首都産の布地は商売になると思うのよ。エリノアとリナちゃんが服飾や雑貨を作れるようになれば布地だけじゃなくて製品を売ってもいいわね」
姉はこともなげにそう言ったが、それらのことを、姉も義兄も両親も、そして未成年のエリノアまで一緒になって、たったの2日間で決めてしまった。
――この家族の中で優柔不断なのは私だけなんだと思い知った2日間でもあった。
思えば、もともとオスロンで機織りの女性たちのまとめ役をしていた父が、首都で紡績工場をやらないかと誘われた時もそうだった。父と母はわりとあっさり首都への移住を決めたし、まだ幼児だったエリノアを抱えた姉と義兄もあっさりとそれについていった。私はオスロンで魔導院への入学が決まっていたのでついていく選択肢はなかったけれど、それが決まる前だったとしても、彼らほどあっさりと移住の決断をできたかどうかは自信が無い。
そして、姉も一緒に住むとなれば、今の私の家は狭い。店舗兼住宅なので生活スペースがあまり広くないのは確かだけれど、もともと私1人の店だったし、そこにリナが加わるくらいなら充分な広さだったのだ。
「店舗兼住宅を2軒維持するよりは、ベルナールの店とわたしの店を一緒にして、中で仕切る形にしたほうがいいわね。1階にお店、2階と3階でわたしたち家族と、ベルナールとリナちゃんが住めるようにしたらいいと思う。食事は一緒にとりましょう」
これからの展望として、姉はそう言った。
姉がそう口に出した段階で、それはだいたい決定事項だ。と言うか、私には反対する理由が何もなかった。
姉は私の優柔不断ぶりを熟知しているので、さっさと引っ越し先の候補をいくつか見繕い、ついでのように私に店舗部分を少しだけ確認させて、生活スペースはリナとエリノアにも確認させて、両親が首都に戻る頃には賃貸契約を終えていた。本当なら私と姉が共同で賃料を支払うという契約になるはずだったが、今の私の体が未成年なので、形式上は姉1人の契約として、両親がその保証人となった。
私が営む魔道具店と、姉が営む布地屋が一緒に入る形になるので、店舗部分はかなり広い物件だった。古い物件なので、改修工事を入れることになる。入り口を2つ作ってもらい、内部も半分ずつに間仕切りをする形になる。生活スペースは姉の希望通り、店の2階と3階だ。
姉は工事業者との契約もさっさと済ませ、私の現在の店舗兼住宅の解約手続きも済ませた。あれよあれよという間に話は進み、8月の初旬にはもう工事業者が見積もりに来ていた。
退院してから半月、様々な契約や手続きに関して、私は「いいんじゃないかな」という言葉しか発していなかったように思う。
むしろリナとエリノアのほうが、店舗や住宅の内装について、壁紙はもっと明るいほうがいいとか、こっちの床材のほうが掃除がしやすそうだとか、いろいろと意見を出し合っていた。
「なるほど、それで今は改修工事が終わるのを待ってる状態というわけだね。この店もあと2カ月か。君がここで店を開いてちょうど1年だ」
魔結晶の納品に来てくれたアロイが感慨深そうに店内を見渡す。まだ荷造りも始めていないので、店の状態に変化はないけれど、確かにちょうど1年と考えると私にとっても感慨深い。
思えば、今の店の開店準備がだいたい整ったのを機に、アロイとセロを招いて一緒に食事をしようとしていた。その食事を始める前に、私が使い魔を呼び出そうと召喚の魔法陣を動かしたのが、ちょうど去年の8月の終わりだ。
たった1年前のことが随分と遠く感じる。というより、この1年間にいろいろなことがありすぎたのだ。
1年、その間に自分の魂が2回も少女の体に入るなんて、誰が想像できる?
「あたしも、この世界に来てちょうど1年だね。――ね、アロイさんも来たなら休憩にしない? ベルさん、お茶淹れてよ。あたし、ティモさんとエリノアちゃん呼んでくる」
作業スペースで在庫の片付けをしていたリナが顔を出した。
「そうだね。昨日買った新しい茶葉を使おう」
「ティモも来てるの?」
ぱたぱたと部屋の奥に走って行くリナを見送りながらアロイが言う。
「うん、屋根裏にも素材の在庫をいくらか置いているんだけど、そのあたりは引っ越す時まで使う予定がないから、ティモに荷造りをお願いしてるんだ。市内の商家の雑用っていう名目で冒険者ギルドを通しているから、ちゃんとティモの実績にもなる」
昨日買ったのは、大陸産の茶葉に桃の香りをつけたものだ。果物としての旬が終わる頃にこの茶葉が出回り始める。私はこれが好きで、毎年この時期を楽しみにしているのだ。
「今日はお姉さんは?」
アロイの問いに、私はコンロで湯を沸かしながら答える。
「工事業者と打ち合わせかな。店舗はもう工事が始まってるけど、2階と3階はまだ打ち合わせ段階なんだ。家の強度を上げる魔法陣と、階層ごとにまるごと清掃する魔法陣を書いて渡してあるから、その分安く済みそうだと言っていたよ」
「どっちの魔法陣も、家具がない状態じゃないと使えないんだっけ。でもそれがあれば古い物件でも不便はなさそうだね。――ん、いい香りだ」
くん、と小さく鼻を動かして、アロイが微笑んだ。
「よーっす、仕入れに来たぜー」
ちりりん、と店の扉につけた鈴が鳴るのと同時に聞こえたのはセロの声だ。
「浄化と獣避けと……なんだ、アロイもいんじゃん。しかもいい匂いもしてる。ひょっとして、俺、ちょうどいいところに来た?」
セロの言葉に、まだカウンターの横に立っていたアロイが笑う。
「ああ、まさにベストタイミングだ。僕が納品に来ていて、今ちょうどお茶を淹れているところ。仕事用の魔結晶の仕入れかい? 回復と造血のご入り用は? そうだ、簡単なものだけど解毒もある」
「そっちはこないだ、おまえにたくさんもらったからまだあるよ。――ベル、獣避けの魔結晶もだけど、その原料の在庫ってあるか? もしあればカルガナ草の乾燥したやつを2束ほど譲ってもらいたい」
セロが言うのはかなりきつい匂いのする香草だ。薬草とも毒草とも言い切れない、微妙な成分しかないが、匂いだけはきつく、その匂いは獣が嫌う。獣避けの魔結晶の原料になるが、獣避けの効果が薄いと感じた時にはその草をちぎってまき散らすと効果を補える。
「あるよー。ちょっと待って。ちょうどお茶の葉が綺麗に開いたところだ。まずはこっちでお茶にしようよ」
私がそう言った時、ちょうど奥からリナが、ティモとエリノアを連れて戻ってきた。リナはきちんと、ティモに手を洗わせたらしい。
午前中に姉とエリノア、リナが3人で一緒に作っていたクッキーも、皿に載せて持ってきた。完全にティータイムだ。
エリノアの姿を見て、セロはたった今、自分がくぐってきた扉をもう一度開けて、外に“休憩中”の札をかけた。ついでに、エリノアの姿が見えないように、店の入り口のカーテンを半分だけ閉める。エリノアの姿はなるべく外に見せないほうがいい。セロもそれはわかっているので、こちらから言わずとも気を遣ってくれる。
そしてアロイと、アロイから話のさわりだけ聞いたらしいセロの視線を受けて、私は店の引っ越しにまつわる話をし始めた。
つまり、話の内容の8割は姉の決断の話で、1割はリナとエリノアのセンスの話、残り1割が私のささやかな希望の話だ。私の希望は作業スペースや、接客カウンターの造りの話なので、「今の造りを引き継いでくれればいいかな」で済む話だったが。
そしてこれは誰にも言っていないことだが、姉が生活空間の使い方を決めた時に、当然のように私とリナを一緒に考えてくれたのが、とても嬉しかった。リナとエリノアの仲の良さを考えれば、リナを姉一家の空間で暮らさせることもできたのだ。
姉は私から見ても面倒見の良い女性だ。異世界から来た身寄りの無い少女であるリナが、もし今の生活に少しでも不自由していれば、エリノアの妹として引き取ることに躊躇はなかっただろう。なのに、私とリナを“家族”として考えてくれた。
――こんな個人的な感慨を口に出すのも恥ずかしいので、これは姉にはもちろん、リナにも、アロイにもセロにも言ってないけれど。
8月の下旬に入ってすぐの頃。私たちはこんな風に平穏な時間を過ごしていた。




