7.地理と歴史
この世界のことを知りたい、と言われてセロもアロイも少し考えるような顔で視線を交わした。
「うーん……どこから説明しようか、セロ?」
「そうだなぁ。……じゃあまずは基本からか。この世界と日本との関わりについて。この国の稀人たちは9割以上が日本人なんだが、これはなぜかっつーと、地理的にここが日本だからなんだ」
さらっとセロが言うけれど、それは私も聞いたことがなかった。
「いや、私もそれ初耳なんだけど」
「あれ、知らなかったっけ? こういう話って稀人同士でしかしねえからか」
まぁそういうことだよ、とセロは言うが、どういうことだ。
「地図を思い浮かべて……っと、リナにはわかんねえか。ベル、紙とペン貸してくれ」
「ああ、僕が持ってるよ」
セロの要求にこたえたのはアロイだった。ソファの隅に置いてあった鞄から、講義用らしい筆記具を取り出す。
それを受け取って、セロは簡単な地図を描き始めた。
「リナ、これがこの世界の地図だ。めっちゃ大雑把だけど」
言いながらセロが描いた図は本当に簡単なもので、中央に大きな大陸、その左側――地図では西側にいくつか入り組んだ半島があり、その下、南西側の大陸はぐるっと楕円を描いただけで省略されている。その分、中央の大陸の東側は少し丁寧に描かれていた。
「この国はここ。大きな大陸の東側に内海をはさんで弓形に突き出した半島だな。大陸とは南北でうっすら繋がってる感じだ。これを見て、リナはなんか気づくか?」
セロに問われて、リナは不思議そうに首を傾げる。
「日本っぽい?」
「え、そうなの?」
思わず口をはさんでしまった。私にとってはこの“大陸の取っ手”のような形は、この国ユラルだ。
「この半島が大陸と切り離されて、ついでに大小の島に分かれた列島になってるのが日本だ」
こんな感じ、とセロがユラルの隣に菱形の島とそれに連なる弓形の大きな島、横長の小さな島と逆三角形の島を描く。省略しすぎとリナが言い、だいたいは伝わるよとアロイが笑った。
アロイがもう1本のペンを出して、セロの図に小さな丸を付け加えた。
「この街はこのあたり。半島の中央部よりは少し北、内海に面しているから、僕たちの世界で言うとこのへんかな。山形か新潟かっていうあたりだね」
「ちなみにこちらの世界では、このでかい中央の大陸がカロニアル大陸、この国がユラル。俺たちがいる街はオスロンと言う」
とんとん、とペンで大陸、半島、アロイの描いた丸、と順に示しながらセロが言う。
「……じゃあユラルと日本は、違う世界なのに場所が同じってこと?」
リナの疑問はそのまま私の疑問でもあった。
リナの問いにアロイが、うーんと小さくうなった。
「これは稀人の間でも意見が分かれるところなんだよね。でもどちらにしろ正解なんてわからないんだけど、とりあえず多数派の意見として聞いてほしい」
「うん」
リナが頷く。
「こっちの世界の成り立ちって、大昔に強大な魔力を持つ何かが飛来したところが転換点になってるんだ」
そう言いながらアロイはこちらを見て、だよね?と確認してくる。
そう。ユラルがくっついてるカロニアル大陸の中央部から北西寄りの地域に何かが飛来して、そして墜落した。有人の未確認飛行物体だとも、隕石だとも言われているが、今となってはもう歴史の彼方なので正確なところはわからない。
ただ、通称“落下地点”と言われるところには巨大なクレーターができた。そしてそこから強大な魔力が噴き出した。その魔力は、当初はカロニアル大陸の西側にとどまっていたが、その後、星の大気の渦にのって世界をめぐった。世界全体がその魔力に包まれるまでそう時間はかからなかったと言う。
その時から、人類は魔法を扱うようになった。これがおよそ四千年前のことと言われている。文明が発生したと言われているいくつかの場所から、世界中に人類が広まり始めた頃だ。大陸の中でも条件の良いところでは王国が築かれ、あるいはよりよい条件の場所を求めて人類がその版図を広げようとしていた矢先に、その“何か”は落下した。
文字通り、星を揺るがす大災害だ。誘爆した火山の噴煙が、大量に噴き出した魔力とともに地球をとりまいて太陽の光を遮った。落下の衝撃が過ぎ去ってもその影響は残る。各地で始まったばかりの農業も充分な収穫を得られず、狩りで得られるはずの野生動物たちも数を減らしていた。もちろん、地震や津波で壊滅した地域もあった。人口は減少し、広がり始めていた文明はもう一度やり直しになった。
当時、“落下地点”の近くにいた人々は魔力で体が変質し、長命種となっているとも聞く。エスリールと呼ばれる彼ら――現地の言葉で永遠を意味するらしい――のことを聞くと、稀人たちは何故かみんなエルフだと言う。ちなみに極東の半島であるこの国でエスリールを見かけることはほとんどない。
「だからその飛来物が来なかったとしたら、という平行世界が僕らの世界だ」
その一言で充分に説明したとばかりにアロイが頷く。
「え? どういうこと?」
思わず聞き返す。
古代の出来事について私が大雑把に語ったところで、唐突にその平行世界だと言われても、さっぱりわからない。
むしろリナのほうが、パラレルワールド……と呟いている。13歳の少女に理解力で負けるわけにはいかない。がんばらねば。
「俺たちの世界とこっちの世界は、別次元にある同じ惑星ってことだよ。だから細かいところで共通してるんだ。平行世界だなんだっていう知識がなくても、空を見上げれば月は同じだし、星の並びだってよく似てる。だから天文で計算される暦だって似ているし、長さの基準だって似てるんだ」
だから意外と覚えやすい、とセロが笑う。ワインを一口飲みくだして続けた。
「そりゃ細かい違いはあるぜ? こっちでは30日で1ヶ月、12ヶ月で1年。冬至が1年の終わりで12月30日だ。そして1月1日までの間に5日間、年によっては6日間、新年の祭りがある。日本では冬至は12月22日だし、1ヶ月の長さは月によっては28日だったり31日だったりするだろ」
リナはセロの言葉にうんうんと頷いているが、私は少し混乱した。
――1ヶ月が28日だったり31日だったり? そんなめんどくさい暦をニホン人はみんな覚えているのか? それに冬至が22日だって? なんでそんな中途半端な日付なんだ!
「だから1ヶ月や1年という区切りは日本とユラルでは同じだけど、1週間という区切りや曜日の概念はないね。こっちでは店にもよるけど、単純に5の付く日と0の付く日が休みのことが多い」
アロイが追加する。
「1シュウカン? ヨウビ?」
聞いたことのない単語に首を傾げてしまう。
「7日間のことだよ。月曜日、火曜日、とそれぞれ名付けられているのが曜日だ」
私の疑問にもアロイは答えてくれたが、よけいに混乱するだけだった。なぜ7日で区切る?
ニホンのことを聞くだけで混乱してくるのに、それが同じ星の上で重なってる世界とくればもっと混乱してくる。ユラルとニホンは同じ星の同じ場所にあるけど、違う世界に……いや、そうか、これは召喚術で言う“界を越える”というやつか。この世ではないどこか、地理的に対応した場所だというだけで、界が違うのか。
私たちが召喚術で使い魔を呼ぶ時、そのもととなる獣の魂は死後の世界――アネイラと呼ばれる世界にいると言われている。アネイラには下層、中層、上層があり、下層には虫や魚の魂がいて、中層には鳥や獣の魂、そして人間の魂は上層にいるというのが通説だ。召喚術ではアネイラの中層に呼びかける。そしてそこから獣の魂を呼び寄せる。
アネイラと現世は対応しているから、ユラルで召喚すると、生前ユラルにいた獣の魂しか呼べない。アネイラと現世は重なり合いつつも、異なる世界。だから普段は触れられないし、目にも見えない。けれど何かきっかけがあれば交わる。たとえば使い魔を召喚したり、稀人という現象が起こったり、そういうきっかけがあれば。
なんとなく、腑に落ちた気がした。
「まぁでも、この世界も意外と便利っていうか、思ったより不自由がないよな」
笑いながら言うセロのセリフはいつかも聞いたような気がする。
その言葉にアロイが頷いた。
「ああ、想像してたより、ってやつだね。僕も同じことは思っていたよ。本当の中世ヨーロッパではこうはいかない」
「産業革命の前後、って感じだけど、魔法があちこちにあるし、化石燃料は魔力に変換されてるものも多いから、俺たちの世界の同じ時代よりクリーンだ。燃料の点でいえば、現代日本よりもクリーンかもな」
「え。ちょっといい? 想像してたより、ってどういうこと? 君たちはこちらの世界に来ることを想定していたってこと?」
我慢できずに口をはさんだら、セロとアロイが困ったように笑う。
「いや……これはちょっと、おかしな話なんだけどな。俺たちの世界では娯楽小説の類で、もしも異世界に転生したらっていう筋立ての話がいくつもあるんだ」
「僕もいくつか読んだよ。完全なるフィクション、つまり想像上の物語だね。ただそういう話を読むと、もし自分が転生したらなんてことをみんな一度か二度は考えるものだろう?」
アロイの言葉にはリナが頷いた。
「そういえば、学校の友達がそんなこと言ってたよ。あたしは読んだことないんだけど」
なるほど。私は物語のような本をあまり読まないので、なかなか想像はしにくいけれど、確かにそういう筋立ての架空の物語を読めば、自分でも想像してみるかもしれないと思った。
なんとなくわかってきた、と言いながらカラアゲやコロッケを食べていたリナが、ふと首を傾げた。
「じゃあセロさんもアロイさんも日本で1回死んじゃったの? ベルさんは?」
「ああ、私は生まれも育ちもユラル――こちらの世界、この国だよ」
「ベルさん……あ、えっと、ベルナールさんだっけ。……え? ベルナールさん?」
「うん、なに?」
「ベルナールさんって……男の人の名前だよね……?」
しまった、言ってなかったか!?
「信っじらんないっ! 嘘でしょ!? お父さんだってイヤなのに、見知らぬ男の人!? え、ねえ、ちょっと! お風呂とかトイレとか入ってるの!?」
私があらためて、自分の素性と年齢を言うと、リナは前脚でテーブルをばんばん叩きながらそう叫んだ。
信じられない、その気持ちはわかる。だが、お風呂もトイレも入らずにいるわけにはいかない。
「やめて! ほんっと信じら」
叫んでいた声が急に途切れる。
「キャゥン!」
一声鳴いて、そのまま魔法陣の上に伏せた。
――魔力切れだ。