40.リナの進路
「……で、これはどういうことなの?」
私は姉からの質問に少しだけ首をすくませた。
6人で食事をした日から4日後には姉から通信が入った。今回は娘――私にとっての姪――の進路のことで、姪とともにオスロンに来たらしく、半月ほど滞在するらしい。訪問は店の定休日に合わせてもらったので、今日は姉がオスロンに到着してから3日目になる。
姉から通信が入った時には、リナに受け答えをしてもらった。顔を合わせればすぐにバレることではあるが、通信の段階で混乱させると説明に時間がかかると思ったからだ。
とりあえず店の定休日を伝えて、その日にいろいろと話をしよう、今は忙しいから、と手短に訪問予定だけを組んでもらったのだ。
そして姉であるアンネリースは、今、私の店にいる。私の隣にはリナ。姉の隣には私の姪に当たるエリノアがいる。エリノアは確かアロイと同い年だ。リナの2つ上に当たるのか。今年で16歳になる。少し癖のある濃い金髪を、後ろで三つ編みにしていた。
姉は確か39歳だったろうか。元の私の髪の色よりも明るい茶色の髪を、肩の上で切りそろえている。背はあまり高くなく、ふっくらとした体つきに、丸くて血色の良い頬、少し下がり気味の眉はとても柔らかな印象を与える。あくまで印象だけれど。
「つまり……その、私がベルナールなんだ」
柔らかな印象を持つ女性だけれど、弟にとって姉というのは絶対権力者だ。時には母よりも父よりも。
姉は、今はにこやかな表情をしている。どういうことなの、と聞いた声は少し冷たかったけれど。
「ベルナール叔父さん……?」
エリノアが私とリナを見比べながら、首を傾げる。少し前に中等院を卒業したらしい。
「えっと……セロからも説明してくれる?」
私は同じく店内にいるセロに助けを求めた。セロは店の入り口近くにあるベンチに腰を下ろして、先ほどリナがみんなに配ったお茶を飲んでこちらを黙って眺めていた。
姉の来訪に当たり、私は情けなくも助けを求めた。誰か、事情を知る人物に立ち会って欲しいと。とりあえずティモは入れ替わった当時の事情を知らないし、「知ってたとしても、オレが説明なんてできないっス!」と叫んだので除外された。本当はフェデリカが一番よかったけれど、姉は私とフェデリカが婚約にまで至りながら別れたことを知っている。よりを戻したのか、戻してないならどうして今もそんなに親しげなのかと問い詰められる予感しかなかったので、私が遠慮した。
必然的にセロとアロイに助けを求めることになったが、残念ながらアロイは医術院で教授との面談の予定が入っているという。
たった1人残った私の味方は、ゆっくりとお茶のカップをサイドテーブルに戻して、姉に視線を向ける。初対面の挨拶は先ほど済ませてあった。
「ベルナールの言うことは本当だよ。俺は実際にベルナールが魔法陣を使った直後に、リナの……今の体に変わってしまうのも見た。そしてリナは当初、ベルナールが呼び出そうとした使い魔の犬の体に入ってしまったんだが、異界からの魂召喚を専門とする研究者が協力してくれてね。少なくとも、犬の体からは解放されて、ベルナールの体に入った。リナは日本からの稀人で、中身は14歳だ」
セロの説明に合わせて、リナが申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
「その研究者は今も協力してくれていて、2人の魂と体を入れ替える計画も進行中だ。ただ、ベルが今の体に変わった時に、魔力枯渇で死にかけたらしいってことや、人間の魂が人間の体から出るには相当の苦労があるらしいから、事故当初から1年近くが過ぎた今もまだ実現していない」
たった1人残った味方だったはずのセロは、私の一番最初の失敗まで説明してくれる。
それを聞いて姉が私に、にっこりと笑顔を向けた。
「そう。死にそうになったの?」
「い、いや、一瞬気絶しかけただけで、そんな死にそうだなんて……」
「でも、そこまで存在が希薄になったから、異界から呼び出されたリナの体がおまえのとこに来ちまったんだろ?」
説明するセロに悪気は……いや、ひょっとしたら少しあるのかもしれない。禁猟期がもうすぐ終わるとのことで、本来なら今日はその準備をする予定だったらしいから。
姉は、ふぅ……と息を吐き出して、リナのほうに向き直った。
姉が店を見たがったので、私とリナ、姉と姪の4人は今、店内の素材取引用のテーブルを挟んで、向かいあわせに座っている。
「リナさん、ごめんなさいね、うちの弟がよけいな召喚をしたせいで巻き込まれてしまったんでしょう?」
「え! あ、あの……でももともとは、近所のおじさんが違法な魔法陣を使ったことが原因だって聞いたし、ベルさんが同時に召喚の儀式をやってくれなかったら、あたしの魂か体のどっちかはもっと変なところに飛ばされただろうって言われたし……あの、いいんです」
あわあわと手を振りながらリナが言う。
「それで今は、2人で暮らしているの?」
「はい、元の体に戻ってもこのまま一緒に暮らそうって言ってくれてて……。アンネリースさん、あたしみたいなよそ者がいきなりいてびっくりしたかもしれないけど……あの……」
リナがちょっともじもじとする。
「アンネでいいわよ。――別にベルナールが誰と住もうがそれはどうでもいいし、自分が巻き込んでしまった女の子の生活は、ちゃんと面倒を見るべきだもの。ただ、わたしはあなたがベルナールの姿をしていたから、ベルナールが歳の離れた少女と一緒に暮らしているのかと思ってびっくりして……あ、でも、元に戻ったら結局そうなるのね……?」
むむ、と姉が腕を組んだ。
「何を想像しているのかわからなくもないけど、私とリナはそういうんじゃないからねっ! セロも、今ここにいないけどもう1人の友人のアロイもちょくちょくここには顔を出すし、妙な考えを抱いたら、行動に移すより先にその2人に私が殺されるよ!!」
殺されるというのは少し大げさだったかもしれないと思ったけれど、ちらりとセロを見ると、真顔で深く頷いていた。
「アンネさん、あたしは……なんかわけもわからないうちにこっちの世界に来ちゃって、最初は犬の体でどうしよう、ってちょっと悲観的になっちゃったけど、それでもベルさんは家族になろうって言ってくれて……あの、あたし、元の世界にいるお父さんとお母さんにはもう会えないし、ベルさんは親戚のお兄さんみたいだなって……その……ああ、あたし何言ってるんだろ。まとまってなくてごめんなさい」
感情の赴くままに話しているけれど、たった1人の味方はセロではなくリナだった。
リナの話を聞いて、姉は少し涙ぐんだようだ。
「そう……そうね、稀人は前の世界と断絶されて魂ひとつで渡ってくると聞いたもの。リナさんは……今のベルナールの体がもともとリナさんのものなら、そんな年齢でご両親と別れたのよね。……ごめんなさい、エリノアがもしそんな目に遭ったらと思うと……」
ぐすり、と姉が鼻をすする。姉は元来、こういった人情に弱いというのもあるが、自分の娘とリナを重ねたのだろう。
姉の隣に座っていた姪、エリノアは黙って話を聞いていたが、どうやら私とリナの体と魂が入れ替わっていること自体は納得したようだ。
「えっと……じゃあ、ベルナール叔父さんに見えるこっちの人がリナちゃんってことでいいの?」
「うん。あたしがリナです」
「ベルナール叔父さんの見た目をしているのは複雑だけど……でも、あたしたち、歳も近いよね。稀人で同世代って珍しいから、いろいろ話も聞きたいな」
エリノアはそう言ってくれた。ありがたい。リナはこういう事情だったから、同世代の友人というものがいなかった。エリノアが友人になってくれれば嬉しく思う。
「それで、セロさん。他にも少し聞きたいんだけど、いい?」
そう言って姉は、店内のベンチにいるセロのほうを振り向いた。
「どうぞ、何なりと。俺ならベルが積極的に話さないことも話してやれるぜ?」
姉の意図を察したのか、セロがにっこりと笑った。
姉はテーブルから離れて、セロの隣に腰を下ろす。
「あなたから見てどう? ベルナールのお店は上手くいってる? このお店を開いたのは知っていたけれど、手紙のやりとりしかなかったから……ものすごく大きな隠し事もしていたみたいだし、他に隠し事がないのかも気になるわ」
姉の言葉にセロが頷く。
「店の経営自体は……そうだな、こないだまでは、大儲けはしていないが赤字も出してない、まぁまぁ上手くいってるってくらいだったろうと思う。ただ、少し前に事件に巻き込まれてね、ベルもさらわれたり殺されかけたりしたが、その事件の解決後、ベルが作った新しい魔道具を大手の商会に買ってもらえて、その販売が軌道に乗りそうだ」
事件に巻き込まれた云々は言わなくてもよくないっ!!?
おそるおそる姉の反応を窺う。姉は少しばかり目を見開いたようだけれど、一度ぎゅっと目を閉じると、小さく首を振った。
「そう、でもまぁ、巻き込まれたくらいならいいわね。ベルナール自身が誰かを巻き込むよりずっといい」
「なるほど、あんたは見かけによらず肝の据わった姉さんのようだ」
セロが姉を見て頬をゆるめた。
「試したの? 悪いひとね」
「試したのは本当だが、嘘は言ってない。――まぁ、俺から見てもベルナールはそれなりにうまくやってると思うよ。最初は服装もだらしないまま店を始めようとしてたし、それでも自分1人を養う分ならなんとかなるかと思っていたんだが、リナを引き取ることになって……でも、あんたも見てすぐわかっただろう。ベルナール自身は放っておいたらだらしなく過ごしがちだが、ベルナールの体にリナが入ってることで、ベルナールの見た目がまずちゃんとした。部屋の掃除や洗濯もリナがこまめにやっているようだ。こないだ、リナがひと月ほど留守にした時はひどかったぜ? 部屋は散らかり放題で、本人はあの可愛らしい女の子の体で、風呂はろくに入らない、ぼさぼさの髪のまま何日も着替えず、栄養の偏った食事ばかりをしていた」
セロの言うことは事実だ。……事実だから困る。
「まぁ……っ!! それはもうリナさんなしじゃまともに暮らせないってことじゃないの!」
姉が口元に手をあてて、そう声を上げた。
「そう思う。だから……俺が言うのもなんだけど、あいつらがお互いの体に戻っても、今のまま暮らさせてやってくれないかな。血のつながりのない男女が一緒に暮らすのは不自然かもしれないが、年齢も離れていて、体と魂が入れ替わったまま長く過ごしたせいか、互いに対する感情は本当に家族のそれだと思う」
セロの言葉は、なんだかひどく優しく響いた。これはアロイもおそらく同じだが、私のことだけなら辛辣に言うのだろうけれど、リナが絡むと2人ともとても優しい。
「そうね……。実際、最初はベルナールの印象がずいぶんと変わっていて、新しい恋人でもできたのかな、なんて思っていたんだけれど、リナさんの魂が入っているからなのよね。んもう、リナさんには感謝してもしきれないわよ。あんなにもっさりしていた弟を、とてもすっきりさせてくれたんだもの」
それに、と姉はセロを見て微笑んだ。
「わたしはあなたにも感謝しているわ。あなたみたいに素敵な友人が側にいてくれるならわたしも安心。もうお一人の……アロイさん? その方にも会ってみたいわね」
そう言うと、姉はベンチから立ち上がって店内を見渡した。
「ベルナール、このお店、いいじゃない。店があまり大きくないから品揃え豊富とまではいかないけれど、いいものが揃っているわね。冒険者にも、普通の市民にも需要がありそうなのもいい。――本当は、あなたの暮らしぶりをもっと見てから考えようと思っていたんだけど、可能性のひとつとして聞いてくれる?」
姉がカウンター越しに、私に聞いてきた。
「何の可能性?」
「エリノアの進路よ。中等院を卒業して、次は高等院に行くか、進みたい道があるならどこか私塾でも……と思っていたんだけれど、この子、服飾をやりたいって言うのよ」
「服飾……えっと、服を作るってこと?」
聞き返した私に姉が頷いた。
「服だけじゃないかもしれないけれど、要はお裁縫とか装飾のデザインとかそういうことね。もちろん首都にだってそういう学校は多くあるけど、絹織物はオスロンのほうが有名でしょう? だからオスロンにもいい学校があるのよ。エリノアの希望によってはオスロンの学校に通わせることも考えていて、それならあなたの家にやっかいになろうかなって思っていたの」
カウンターの上に並ぶ小物をいくつか手に取って見ながら姉が言う。
「エリノアが私の家に下宿するっていう形で?」
「ええ。もちろん、エリノアの分の生活費は仕送りするつもりでいるわ。とはいえ、まだ学校を決めたわけではないから、本当に可能性だけど。……ね、エリノア」
母親に声をかけられて、エリノアが頷いた。
「ベルナール叔父さんはきっとだらしなく暮らしているからって、あたし、お母さんに料理とか掃除とか仕込まれたんだよ。でもさっきリビングのほうも見せてもらったけど、すごく綺麗にしててびっくりした」
私たちの会話に食いついたのは、リナだ。
「お裁縫とかデザインの学校がオスロンにもあるの!?」
そういえばフェデリカに言われていたっけ。ひょっとしたらリナはそっち方面に興味があるかもしれないって。
「リナちゃんもそういうの好き?」
エリノアに問われて、リナが頷いた。
「うん、好き。こないだ首都に初めて行ってね、首都で見たお洋服とかバッグのデザインが素敵だったなって! ああいうの作ってみたいって思ったの。あの……日本で見ていた服とかも、ひょっとしたら再現できるかなって」
少し恥ずかしそうに言うリナに、エリノアが嬉しそうな声を上げる。
「そっか、稀人だもんね! 稀人のデザインは新しくって受け入れられやすいって聞くよ。えー、いいなぁ、ね、一緒に勉強したいね!」
「うん!」
エリノアとリナはすっかり意気投合したようだ。
「あら、じゃあエリノア、迷ってたようだけどオスロンの学校にする?」
姉の問いかけに、エリノアは頷きかけて……少しだけ迷う。
「うー……えっと、オスロンの学校を見学してからにする。ね、叔父さん。リナちゃんはいつ元の体に戻れるの?」
エリノアが私のほうを見た。
「さっきも話していた研究者の人の都合次第ではあるけど……一応、今、研究が大詰めでね。今考えてるやり方がうまくいけば、半月以内には戻れるかもしれない」
フェデリカは魔導院の出張ついでに来ているが、その仕事が終われば実験を始められる。
「ほんと!? じゃあ、学校見学したらまたこっちに来てもいい? リナちゃんにも学校のこと教えてあげたいし」
「いいよ、リナと仲良くしてあげてほしい」
エリノアと私の会話を聞いて、リナが遠慮がちに私の袖を引く。
「……ベルさん、あたし、そういう学校に行ってもいい? 本当は魔法のこととかもっと勉強したほうがベルさんの助けになるんじゃない?」
「行っていいよ、もちろん! リナは行きたい学校に行っていいんだ。それに、リナが服やバッグを作れるようになれば、私がそれに魔術を付与してこの店に並べてもいい。エリノアと2人で、どっちが素敵なものを作れるか競争してみるかい?」
それいい!と、リナとエリノアの声が揃った。そのまま目を見合わせて、きゃぁ素敵!と2人は互いの手を合わせた。
2人のその様子を見て、姉も微笑む。
「ベルナール、あなたがちゃんとリナさんの保護者をやれているようでよかったわ。でも、さっきセロさんが言っていたような、命の危険があるようなことはなるべく避けなさいね。年若い子どもの保護者になるということはそういうことよ。あなたの命はもうあなただけのものじゃない。――本当は、今までだって避けて欲しかったけれど、あなたは学生の頃から冒険者仕事に精を出していて……セロさんも冒険者でしょう?」
姉は言葉の最後でセロを振り向いた。
「ああ、狩人と兼業だけど」
「冒険者の仕事は、しばしば危険と隣り合わせよね。だからわたしはベルナールが魔道具の店を開くと聞いてほっとしたの。まぁそれでも素材の採集なんかには出かけるんでしょうから、まるっきり安全ってわけではないとわかっているけれど……。オスロンは首都よりもずっと、冒険者という仕事が身近だわ。それは周囲に魔獣の脅威が多いということでもある。だから……」
なんとなく、姉が迷うような仕草を見せる。
やがて、姉は「うん」と頷いた。
「ベルナール、久しぶりに会って、姿は変わっていたけれど、それ以外は無事でよかったわ。あなたは変なところで意地っ張りで、お店がうまくいかなくても、何か大きな病気や怪我をしても、わたしたちにはそれを知らせないでいそうだったから」
「それは……そう、かもしれないけど」
そんなことないよ、とは言えない。
「いいのよ、それがきっと男の意地なんでしょ? ――今はそんな姿だけれどね」
歳の離れた姉には全てを見透かされていそうで、それが少し気恥ずかしくもある。
私が黙っていると、姉はにっこりと笑って付け加えた。
「でも、あなた自身のことはともかく、リナさんのことで何か困ったらいつでもわたしに連絡してきなさい。――まだしばらくオスロンにいるから、また来るわ。エリノア、そろそろ戻るわよ」
「はぁい。またね、リナちゃん」
「うん、またね、エリノアちゃん」
リナとエリノアはすっかり打ち解けたようで、互いに軽く手を振りあっていた。
店を出て行った2人を見送って、セロもベンチから立ち上がる。
「おまえは必要以上におびえてたようだけど、いい姉さんじゃねえか」
「いい姉さんなのは否定しないよ。ただ……弟というものは姉を前にすると言いたいことも言えなくなってしまうことが多いんだ。助かったよ、いてくれて」
「まぁ、理解してもらえたようで何よりだ。それに、リナの進路も決まったようだしな」
セロがそう言いながらリナのほうに視線を向ける。
リナもテーブルから立ち上がってカウンターの近くに来た。
「うん! フェデリカさんの今回の実験が上手くいったら、あたしたち、元に戻れるんでしょ? ほんとは、体が元に戻ってからいろいろと相談しようと思ってたの」
「姉さんが、エリノアのためにオスロンの学校のことも調べてるだろうから、あとで資料を回してもらうよ。服飾系の学校はオスロンでも1つじゃないから、リナも自分で選ぶといい」
「ベルさん、ありがとう! じゃあ、あたし、人形に魔力貯めてくる!!」
やる気に満ちあふれたようにリナはそう言って、小走りで奥の部屋へ向かった。
「……セロ、ありがとう」
「何が? おまえが死にかけたこととか殺されかけたことを正直に話したこと?」
「――私とリナが家族だと言ってくれて」
そう言うと、セロは「ふん」と言って小さく笑った。
誤字修正(20250419)




