38.即席麺の評判
ただいまぁ、と帰ってきたリナの後ろに、ティモが大きな体を縮めるようにしてついてきていた。
「あれ、ティモ?」
「あ、すんません。ベルさん、今日も忙しいのかなって思って……でもリナさんたち戻ってきてたんスね。オレ、セロさんとアロイさんに、時々様子を見に行って欲しいって言われてたんス。で、あの、ベルさんはこういうのあまり食べないかとも思ったんスけど、差し入れも持ってきてて……」
ティモが差し出してくれた紙袋には、即席麺がいくつも入っていた。
「うわ、ありがとう、ティモ! これ、こないだ買って食べてみたら意外と美味しくてさ。手軽に食べられるし、引きこもるのにちょうどよくて、昨日くらいまでほとんど毎日のように食べてたよ!」
そう言って笑うと、ティモはびっくりしたような顔をする。
「予想外っス。……でもベルさん、オレが言うのもアレっスけど、毎日じゃないほうがいいっスよ。なんていうか、栄養バランス的に?」
「帰ってくる途中でティモさんに会ったの。ティモさんはモモの散歩してくれてたんだって聞いたよ。今日も差し入れついでに、モモを散歩させてくれるつもりで来てくれたみたい。でもびっくり。途中で聞いたけど、こっちにもインスタントラーメンあるんだね」
濡らしたタオルでモモの手足を拭いながら、リナが笑う。
つまりこれで、私は部屋の片付けができなかっただけではなく、モモの散歩も他人まかせで、食事の大半が即席麺だったこともバレてしまったというわけだ。
「ティモさんのことは、さっき少しだけ聞いたわ。会うのは初めてね。フェデリカよ。ベルナールとリナちゃんの魂を入れ替える研究をしているの」
即席麺の袋を興味深そうに手に取った後、フェデリカはティモに視線を合わせて微笑んだ。
「は、はははじめまして! あ、うわ、なんか急にお邪魔してすみません!」
ティモは少しうろたえたように答える。私たち相手にはもう緊張しなくなっていたが、初めて会う相手にはやはり緊張するのだろう。
「お邪魔だなんて。気にしなくていいわよ。ここはわたしの家じゃないし、そもそもベルナールを心配して来てくれたんでしょう? ……ねぇ、それよりこの即席麺、ひとつ味見させていただいてもいいかしら。手軽に食べられるなら、研究室に常備しておけば便利よね。量を調整すればベルナールが作った湯沸かしカップでも作れそうだわ」
私ほど自堕落ではないが、フェデリカも研究が佳境に入るとなかなか研究室から出てこない。食事やお風呂のために渋々外に出てくるが、食事問題がこれで解決してしまうと、私同様、引きこもりに拍車がかかりそうだ。
リナも味見してみたいというので、私はお湯を沸かして即席麺をひとつ調理した。リナとフェデリカがそれを分け合って食べる。
「うわ、懐かしい味! インスタントは体に悪いって言って、お母さんはあまり食べさせてくれなかったけど、お母さんが出かけた日のお昼ご飯とかは、お父さんと一緒にこれ食べてたよ!」
リナが美味しそうに麺をすする。その隣でフェデリカも一口食べて頷いた。
「あら、悪くないわね。もちろん、毎日はどうかと思うけれど、手早く作れるし、体も温まるし、お腹も満たされる。帰る時には買い込んで、研究室に常備することにするわ」
私と考えることが同じだ。
「首都ではまだ、こういうものは作られてない? 即席麺もだけど、アルファ米とかインスタントコーヒーとか……要は調理済みのものを少し特殊な乾燥のさせかたをして、長期保存できるようにしたものなんだけど。食べたり飲んだりする時にはお湯を入れるだけでいい。どうやらオスロンで流行りそうなんだ」
フェデリカにそう聞いてみる。
即席麺については、ブリュノー商会に技術者がいたんだろう。技術者本人が稀人なのか、助言者として稀人がついていたのかはわからないけれど。ブリュノー商会が解体されたことで、その技術者か助言者はどこか別の商会の所属になるはずだ。
即席麺を売っている店を引き継いだスヴォリノフ商会が、その開発も引き継いだ可能性も高い。有用だと判断されれば、商工会ギルド全体の共有財産として登録されて、他の店でも同じようなものを売り出すこともある。
「首都で今流行ってるのはお菓子ね。カカオの輸入が増えてチョコレートが流行ってるわ。あと、少し変わった布も流行り始めたみたい。綿なんだけれど、織るのじゃなくて編むようにして作る布で、少し伸縮性があるのよ」
ねぇ、とフェデリカがリナに向けて言う。
「うん。えっとね、Tシャツみたいな生地って言えば、ティモさんには通じると思うけど」
「ああ、そういう生地が流行って量産できるんなら便利っスね。ボタンなしで着られる服も増えるし、寝間着とか下着にはああいう生地がやっぱ気持ちいいっスよね」
うんうんとティモが頷く。
私は実物も見ていないし、“ティーシャツ”と言われても今ひとつピンとこない。
「お土産でいくつか買ってきたから、あとで荷物整理してからベルさんにもあげるね」
リナがそう言ってくれた。
「紡績工場で機械を入れ替えるところもあるし、新しい工場も増えてきてるわ。ベルナール、ひょっとしたらあなたのお父様のところからも、そのうち届くかもしれないわね」
フェデリカが私のほうを見ながら言う。
調理済みのものを乾燥させる技術はオスロンが一歩進んでいるようだ。逆に布の種類は首都のほうが豊富らしい。同じ国内のことだし、都市同士で敵対しているわけでもないから、そのうち技術交流が進めば、ユラルの中では普通に手に入るようになるだろう。
「ところで、オレ……ちょっと気になってるんスけど……」
ティモがちらりと私のほうを見る。
「ん? どうしたの、ティモ?」
「ソファの上のアレ、何スか。なんか……オレの知らない魔法に使うものっスか?」
ティモが指さしたのは、さっき届いた2体の人形だ。ティモは少し不気味そうにちらちらと人形を見ている。
まぁ……ティモの気持ちもわからなくはない。人形というには大きすぎるし、見た目だけは石像のようだけれど、魔道樹脂製なので、つるりとした質感だ。そんなものが2体もソファに横たえられていては気になるだろう。
「えーと……」
私はフェデリカに丸投げする気持ちで視線を送る。
全員に入れ直した冷たい紅茶を一口飲んで、フェデリカは何でもないことのようにティモに応じた。
「そうね、魔法に使うものよ。魂を仮に入れておく場所にするの。これが上手くいけばリナちゃんとベルナールを元に戻せるわ」
首都で先に事情を聞いていたようで、リナに驚きはなかった。即席麺を食べ終えて紅茶で喉を潤している。
「えっ!??」
驚いたのはティモのほうだ。
私もフェデリカに話を聞いた時には少し驚いた。魔力で作った物質にかりそめとはいえ魂を入れるとなればそれは使い魔だ。ユラル人の……とくに魔術師の間では、人間の魂で使い魔を作ることは禁忌だという考え方が根強い。
稀人であるティモにその感覚は薄いだろうし、そもそもティモの元の体も漁村の出身で、魔術を修めていたわけではないのだから、ティモが何に驚いたのかはわからない。
魂を出し入れすることに驚いたのか。いや、それは例の屋敷でティモに向けてもあの魔法が使われたのだから、承知しているはずだけれど……。
「元に戻しちゃうんスかっ!!?」
そこ!?
「戻すわよ。それがわたしの仕事だもの」
フェデリカは眉ひとつ動かさずにそう答える。
「去年はねぇ、ちょっとうまくいかなかったもんね。今度のやり方なら、時間はかかるけれどうまくいく可能性がすごく高いってフェデリカさんに聞いたの」
リナは楽しそうだ。私とリナの魂と体が入れ替わっている今の状態は、お互いに不本意だ。特にリナはおっさんの体に入ってしまっているわけだから、私が言うのもどうかと思うが、気の毒である。
「もともと、私たちが入れ替わったきっかけが不慮の事故だったし、できるならすぐにでも私たちは元に戻りたいよ。ただ、今回は下準備に少し時間がかかるみたいだから、明日にでもってわけにはいかないようだけどね」
「ふへぇ……。なるほど、そりゃそうっスね。でもなんか……見納めと思うと感慨深いっスね……」
ティモが私の顔をじっと見る。
「いや、見納めって……中身が入れ替わるだけで、この家に住むのが私とリナだっていう事実は変わらないんだけど?」
「中身がベルさんで、見た目が女の子っていうのは見納めじゃないっスか!」
ティモの力説に、意外にもフェデリカが賛意を示した。
「それもそうね。――わたしはリナちゃんが気の毒だから早く元に戻してあげなきゃって思い続けてきたけれど、そう思う一方で、ベルナールはこういう姿のほうが似合っていたのかもしれないって最近考えていたところよ」
フェデリカがわけのわからないことを言う。そういえば、似たような主旨のことをセロとアロイも言っていたような気がする。
「元は……えっと、今のリナさんの姿がベルさんなんスよね?」
リナと私を見比べながら、ティモはフェデリカにそう聞いた。
「そうね。リナちゃんの魂が入ってくれたおかげで、昔のベルナールよりはおしゃれになったし、姿勢も良くなっているけれどね」
フェデリカにそう言われて、リナを見る。
首都で買ったのだろう、見慣れない服を着ていた。濃紺の細身のズボンに、淡い水色の薄手のシャツ。背筋も伸びていて、元が自分の体だったとは思えないほど、すっきりとして見える。
「なんにせよ、今の状態は惜しがるような状態じゃないよ。私はともかく、リナが気の毒じゃないか」
そう言うと、リナは足もとの黒い犬を撫でながら、うーんと首を傾げる。
「みんなが思うほど気の毒とか、可哀想っていう、悲しい状態ではないよ? ベルさんがあたしの体に慣れたように、あたしだってベルさんの体に慣れてきたところだし。……ただ、これはフェデリカさんがきっとなんとかしてくれるはずで、期間限定の現象だと思ってるからなのかも。それに、やっぱり自分の体に戻れれば嬉しいけど、それはベルさんの体がイヤだからってわけじゃないよ」
私を責めないための言葉かと思いきや、リナは本当にそう思っているようだ。なんとなく、セロのことを思い出す。女性の魂のほうが、体に対する適応力が高いのだろうか……。
ゆるく波打つ長い赤毛を、肩越しに背中に払いのけながらフェデリカが口を開く。
「本来、稀人になる人たちも、器としての体と相性のいい魂が選ばれているはずだから、ひょっとしたら、ベルナールのほうは魂と体が合っているかもしれないのよ。ただ、リナちゃんのほうは魂だけで弾き出されて、仕方なく、最初は犬の使い魔の体に入ったでしょう? そこから出て、そしてまた仕方なく、ベルナールの体に入った。奇跡的に、リナちゃんの魂もベルナールの体と合っている可能性はあるけれど、その確率は低いわ。魂と体が合っていないのは不自然な状態だから……」
「え、何か不都合があるってこと?」
私の質問に、フェデリカは小さく肩をすくめる。
「あるかもしれない、くらいね。何もわからないのよ。なにせ前例がないんだから」
ただ、とフェデリカは続ける。
「何もわからないけれど、あまり何年も放置しないほうがいいとは思うわ。だから今回で解決するために万全の準備をしてきたつもりよ。――こっちに2日早く着いたから、私も時間の余裕があるの。リナちゃんがあの人形を魔力で染めるのを手伝うわ。まずやり方を教えるところからだけれど」
「えー、じゃあさ、フェデリカさんもこの家に泊まれば? 宿を予約したって言ってたけど、予約したのは明後日からの宿でしょう? 今日と明日は泊まるところないんじゃない?」
リナの提案に、フェデリカはちらりと私を見た。
「私はかまわないよ。リナが私と一緒に寝ればリナのベッドが空くから、フェデリカが使うといい。私が自分の人形を染めるのを見せながら、フェデリカがリナに解説してくれればわかりやすいかもしれないし」
私の返事に、フェデリカはしばし迷ったようだが、最終的に頷いた。
「そうね、そのほうが効率的ね。あとは、まだ準備段階とはいえ、セロさんとアロイさんには状況を説明しておきたいわね。あの2人はずっと気にかけていてくれたでしょう?」
それには私も同意だ。あの2人には迷惑も心配もたっぷりかけた。
「セロは魔獣退治に出かけてて、いつ戻るのかは聞いてないんだ。アロイはオスロンにいるけど、今、論文をまとめていて忙しいから……でも、あとで一度通信を入れてみるよ。息抜きがてら顔を出してくれるかもしれないし」
そう言うと、ティモが手を挙げた。教師に対する生徒のように。
「オレ、さっき冒険者ギルドでセロさん見かけたっス。何人かの冒険者の人たちと一緒に、ギルドの2階に上がってく後ろ姿を見ただけっスけど、間違いないっス」
……ん? 2階?
「受付カウンターの奥にある階段のとこで見たんスけど、あの上って何があるんスか?」
「2階は……ギルド長とか、幹部の部屋がある、かな」
――つまり、ギルド幹部からの呼び出しじゃないか。……セロのやつ、何やったんだ!?




