33.報酬と来客
またしてもみんなでクラクストン家に泊めてもらって、その翌朝。
朝食の席につくと、先に座っていたスコットさんがおもむろに立ち上がり、私たちに向けて頭を下げた。
「ベルナール君、今回は巻き添えにしてしまってすまなかった。セロ君、ティモ君、救出に助力してもらって感謝する。もちろん、交渉の場となれば私も負けるつもりはなかったが、何かひとつ掛け違えば、私はまた息子を失うところだった。無事に戻ってこられたのは君たちがいてくれたからこそだと思っている」
「へゎっ! いや、スコットさん! 頭を上げてください! 私はそんな……」
私があわあわとする隣で、ティモも同じようにあわあわしていた。
「や、いやいや、オレはあんま役に立ってないっていうか、そもそもさらわれた現場にオレもいたのに、眠らされただけで……!」
セロは無言で……と思ったら、まだ本調子ではないようで半分眠りかけていた。
「それで君たちへの謝礼をどうしようかって、昨日の夜、父さんとも話し合っていたんだけどさ。現金を渡してはいおしまい、っていうのもなんだか他人行儀だし」
そう言ってアロイがお茶を飲む。
セロの前にはコーヒーが置かれ、その匂いでセロはやっと目を覚ましたようだ。
アロイの言葉に合わせるように、スコットさんも顔を上げて座り直し、うむ、と頷いた。
「もちろん、君たちが望むなら現金でもかまわないけれど、もっと違う方向性のものでもいいんじゃないかと思ってね。例えば、昨夜アロイから聞いたけれど、ベルナール君は今、面白いものを売り出そうとしているんだって? 湯沸かしカップだったかな?」
「ああ、セロの希望で試作したやつですね。いくつか改良点はあるんですけど、もう少しで売り出せそうです」
女性向けに小さめのサイズを作ったり、少し底面積を広げて安定性をよくしたり、改良点もはっきりしている。
「君のところでは、金属部品は荒物屋に頼んで、それを君が1つずつ仕上げているんだろう? それを私の商会のひとつで製作および販売をすることにして、君の名前で権利登録をして売り出すというのはどうだい? もちろん、君の店にも安価でまわすから、そちらでも売るといい」
スコットさんの言葉に驚く。
「ふへっ!? 権利登録? いいんですか? 登録は手間も費用もかかるのに」
それに、もともとデザイン違いでも売りたいと思っていたものだ。大きな商会で製作してくれるなら、私がちまちま作るよりもすぐに商品が揃うし、ある程度まとめて製作するほうがコストも下がるはずだ。そして権利登録されるなら、この先数年は私にその利益が入ってくることになる。
「手間も費用も、うちでやるならたいしたことではないよ。それに、話を聞くによさげな商品だ。これは私にも利のあることだから、君が承諾してくれるなら互いに良い取引だと思う」
スコットさんが頷きながら言う。
「自分が作った魔道具が、クラクストン商会みたいな大きいところで扱われるなんて、とても名誉なことだし、嬉しいです! 改良が終わったら新しい試作品をお持ちすればいいですか!?」
そう、売り上げや登録した権利の使用料が入るよりも、名の通った商会に自分の作った品が並ぶというのが、魔道具職人としては嬉しい。
「ベルはそれでいいとして、ティモは? まだ冒険者に登録したばかりだし、今なら現金のほうが助かる? それとも他に欲しいものはある?」
アロイの問いに、ティモは、うーんと唸った。
「稀人の補助金もあるんで、生活に困っているほどじゃないっス。……あ。そういえば、あの……昨夜、オレが使わせてもらった斧、あれって高い武器っスか?」
「いや、確かうちの武器庫から持っていったもので、質の悪いものではないけれど、そんなに高いものでもないよ。あの斧、気に入った?」
アロイの言葉にティモが頷いた。
「なんか、剣と盾を持つよりも、あれを構えるほうが手に馴染んだ気がしたっス」
「あの斧に強化魔法をいくつか付与してもらえば、長く使えるかもね。……父さん、強化魔法の手配をお願いできますか? ティモへはそれをプレゼントしましょう」
アロイがそう言うと、スコットさんも頷いた。
「そうだね、耐久強化や防錆なんかの他に、雷属性あたりもついでにつければ面白い武器になりそうだ」
雷属性か。……確かに、火や水、毒なんかよりは使いやすそうだ。攻撃力が上がるし、魔獣や獣を仕留めても獲物を必要以上に傷めることがない。
「セロ君は何が欲しいかね?」
スコットさんの問いに、セロはコーヒーを飲みながら、ふぅん?と生返事をする。
「俺は別に……」
そう言いかけて、自分の手元のコーヒーを見て、ふと何かを思いついたようだ。
「そうだ。コーヒー豆の輸入を強化してくんねえかな。できれば南方大陸産のが欲しい。んで、ブリュノー商会を潰すんだろ? あそこで扱ってたインスタントコーヒーを作った稀人を、クラクストン商会で確保してくれないか。多分そいつはコーヒーに詳しいはずだから、そいつを確保したらいろいろ話をさせてくれ」
「……南方大陸か。確かに航路もあるし、交易もされているけれど、まだ盛んとは言えないな。わかった。投資してみよう。それで良い豆が得られるようになったら、君に優先的にまわすよ」
スコットさんがくすくすと笑う。
「ああ、楽しみにしてる」
セロもそう言って笑った。
「みんな、欲が無いね。セロとベルにいたっては、確かに父さんが多少の投資をするかもしれないけれど、長い目で見れば父さんも得をしそうな取引だ。――とりあえず、冒険者ギルドで護衛や人質救出をした場合の規定報酬分くらいは、あとでそれぞれの口座に振り込んでおくよ」
アロイの言葉に、私とティモがあわあわと遠慮しそうになったところで、
「好きにしろ」
セロがそう言って、報酬の振り込みは決定事項になったようだった。
アロイとスコットさんの感謝の気持ちなのだろうから、かたくなに断り続けるのも……というところか。それに、ギルドの規定報酬分というのなら、そんなに馬鹿みたいに高い金額でもないはずだ。それくらいなら、まぁいいかと私も納得した。
朝食を終えたところで、私たちはクラクストン家を辞した。3人まとめて馬車で時計塔の広場まで送ってもらう。そこからであれば3人とも移動に便利だからだ。
「オレは傭兵ギルドに寄って、訓練を休んだ事情を話してから宿に戻るっス」
ティモはそう言った。
「私は商店街でちょっと買い物をしてから店に戻って……多分、モモがすねているだろうから、モモの散歩かな」
ティモの野営訓練を兼ねた採集で2泊3日の予定だった。それがなんやかんやでもう6日も留守にしている。
モモの体は使い魔なので、食事も運動も必要とはしないけれど、私が意識を繋いでいないので、中に入っている犬の魂はそのままになっている。つまり散歩をしたがるのだ。
リナがいた時はリナが散歩に連れ出していたし、リナに用事がある時には私もモモの散歩をした。必ず毎日というわけではないけれど、今まで3日以上散歩をしなかったことはない。
「俺は郵便局だな。そこで手紙を書いて送れば、今日の午後の首都行きに間に合うだろうし。それが終わったら帰って寝るよ。ひと晩寝たくらいじゃ魔力がまだ足りてねぇ」
セロはあくびをしながらそう言った。
そういえば、昨夜の馬車の中でも、セロは首都行きの汽車の時間を気にしていた。
「急ぎの手紙があるの?」
そう聞いてみると、セロは苦笑しながら頷いた。
「狩人組合の連絡ミスでな。――ほら、半月前、ちょうど俺たちがティモと会った日にさ、その少し前に俺が怪我したって話をしたじゃん? 組合では一応、診療所に入院するような怪我をしたら身内に連絡することになってんだ。オスロン市内とその近郊に限るんだけどな。あん時は怪我人が何人も出て、俺もまとめて診療所に放り込まれたわけだ。俺はひと晩で出てきたし、俺の身内は首都にいるから、本来なら連絡されるはずはなかったんだが……しかもその連絡係の奴が、俺の兄貴に連絡しちまったことを3日前まですっかり忘れていやがった」
「ってことは、セロが怪我をして入院したっていう知らせだけがお兄さんのところにいって……?」
私がそう言うと、セロが頷く。
「そう、そのまま続報もなく兄貴と親父が半月以上ずっとやきもきしていたらしい。3日前に兄貴から手紙が来てさ。次の便で俺からの手紙が来なければ、親父がオスロンに来るってよ」
「なるほど、それで次の便に間に合わせようとしていたのか」
ふむふむと頷く私の横で、ティモも納得したように頷いていた。
「都市と都市の間はまだ、手紙に頼ってるのが面倒っスね。ここから首都までって、汽車でどのくらいかかるんスか?」
「2日半から3日ってところかな。馬を走らせるよりは速いけど、毎日運行してるわけじゃないしね」
私がそう答えると、なるほど、とティモが頷いた。
「5日に1度でしたっけ」
そうなのだ。1便逃せば、次は5日後だ。だからどうしても、次の便を待てない急ぎの時には、街道の途中に点在する小さな町や村で馬を乗り継いで駆け抜けることもある。タイミング良く馬を乗り継げるかという問題と、それを駆け抜ける本人の体力勝負ではあるけれど。
じゃあまた、と互いに挨拶をして、私たちはそれぞれの目的地へと向かった。
私は商店街の途中にある薬品店で、例のエリクサーを分析するための試薬をいくつか買って、あとは食料品店でモモが気に入っているソーセージを買う。これはいわゆる、ご機嫌とりのための賄賂だ。私の昼食の分もついでに買った。
店に戻ると、客らしき男性がガラス戸を覗きこんでいるのが見えた。『数日、臨時休業します』の旨は張り紙しておいたけれど、自分でも思ったより長引いてしまったのだ。あのお客さんも、「まだ戻ってないのか」なんて思って覗きこんでいるのかもしれない。申し訳ないことをした。
「すみません、その店の者です! 営業の再開は明日からの予定なんですが、何かお急ぎでご入り用ですか?」
私の声に明るい茶色の髪をした男性が振り向く。白髪交じりだ。50歳過ぎだろうか。年齢の割にがっしりとした体つきをしているが、右手には杖を持っていた。足が悪いのかもしれない。
「ああ、買い物ではなく、店主に用があるんだが、ベルナールさんというのは……」
「あ、えっと……男名前と見た目が一致してないかもしれませんが、私がベルナールです」
ちょっと失礼します、と言いながら私は、扉に挟まっているいくらかの郵便物を手に取り、店の扉の鍵を開ける。鍵を持っていることが店主の証というわけではないけれど、少なくともこの店の者であることは伝わるだろう。
「数日留守にしていて、埃っぽいかもしれませんが、中にどうぞ。どういったご用件でしょう?」
買ってきた物を店のカウンターに置くと、部屋の奥のほうからワン!という声が聞こえた。その後すぐに、カチャカチャと床を走る音。作業スペースと店内を仕切るカーテンも勢いよく突っ切って、モモが走ってくる。
「モモ! 遅くなってごめん! でもちょっとステイ!」
モモは不満げに、それでも私の足もとで立ち止まって、その場でお座りをした。そして恨みがましい目で私を見上げてくる。
「賢い犬だな。……ベルナール……さん? すまん、勝手にもっと年上の大人かと思っとった」
杖をついた男性が少し困ったように笑った。
「まぁ……事情がありまして……一応、中身は大人です」
私の記憶にはない男性だ。足が悪い年配の……ひょっとして、ジェレミア教主の父であるライモンドだろうか。足が不自由になって大工を辞めたと言っていた……いや、でもライモンドなら70歳近いはずだ。
「わしはトレメルというもんだが……うちの息子がよくこちらに顔を出していると聞いてな」
トレメル。聞いたことがある。
息子……?
……あっ!?
「セロのお父さんですか!? は、初めまして! そうです、セロはよくうちに来ます。というか、さっきまで一緒にいました」
「さっきまで? ――いや、わしはセロが怪我をしたと聞いて……少し前にオスロンに着いてな。狩人組合に行ったら、そこにいたヘンリエッタが平謝りに謝りよってな……あの小娘……」
ああ……セロがさっき言っていた、連絡ミスをしたという狩人か。
ぼりぼりと頭をかきながら、セロのお父さんが続ける。
「まぁそれで、セロの怪我っつーのは誤解だったとわかったんだが……そもそもオスロンが近くなってから、ずっとセロに通信を入れていたのに全く繋がらん。あいつの部屋に行っても留守のようでな……困っておったところだ」
通信……セロは荷物を無くしていないはずだけれど……と思って、はたと気がついた。セロは昨日の昼に一度、魔力切れで意識を失ってると聞いた。通信の魔道具は普段、持っているだけで、持ち主の微弱な魔力を受け取っていて、受信可能な状態になっている。でも本人が魔力切れになると待機状態は途切れる。その後はある程度まとめて魔力を送り込まないと再起動しないのだ。セロはきっとまだ通信の魔道具を再起動していない。
そしてついさっきまでセロは時計塔の広場にいた。郵便局に寄ってから帰ると言っていたから……見事にすれ違ったわけだ。
「あ、あの……多分もうそろそろセロも部屋に戻るかと。でもトレメルさん、首都からの汽車は今日は着いてないはずですけど、どうやって……」
「ああ、行商人の馬車に途中まで乗せてもらってな。その後は、天馬で休み休み山越えをしてきた」
トレメルさんは何でもないことのように言うけれど、それはかなりの強行軍ではないだろうか。
「天馬で!」
休み休みというのなら、不可能ではない。ただ、1日で進める距離は限られてるから途中で野営の必要があるけれど……でも、そうか、そういえばセロのお父さんは元狩人だ。引退したとはいえ、天馬の扱いも野営もお手の物だろう。
「さっき、セロから話を聞きました。お兄さん宛に誤解のある手紙が届いたから、次の便までに返事を送らないとお父さんがこちらに来るって……セロの返事を待たずに来たんですね?」
なんとなく……なんだろう、嬉しくなって、私は微笑んだ。
「……まぁな」
むすっとした顔を見せてはいるが、心配でたまらなかったのだろう。
私は、昨夜の馬車の中で、アロイの肩を抱き寄せたスコットさんの姿を思い出していた。そして、今朝のスコットさんの言葉も思い出す。「私はまた息子を失うところだった」と言った、あの言葉を。
トレメルさんも、セロを見つけたら肩を抱くだろうか。オスロンまで来る道中は、また失うのではと怖れていただろうか。
稀人の息子と、それを受け入れた父親。
ジェレミアとライモンドが得られなかったものだ。そのこと自体を責めるつもりはない。リオネルやナターシャだってそうだった。家族に受け入れられる稀人ばかりではない。
でも、それを知っているからこそ、スコットさんがアロイに見せた愛情や、セロのために首都から何日もかけて駆けつけるトレメルさんの行動が、とても尊く思える。
自分の友人であるアロイとセロが、家族に受け入れられていて、本当によかったと思える。
「セロもそろそろ部屋に着くはずです。眠そうにしていたんで、早く行ってあげないと寝てしまいますよ」
「……あんたは、セロの嫁候補か?」
「へぅゎっ!? ち、ちちち違いますっ! 絶対に違います! 友人です!」
ふむ、とトレメルさんが頷く。
「まぁ、まだ年齢が足らんか。……うん、とりあえずセロの部屋に行ってみることにするか。いろいろとありがとうな。あと、これからもセロをよろしくな」
「はい。……って、違いますからね!?」
わかったわかったと笑いながら、トレメルさんは、杖を使っているとは思えないほどシャキシャキと歩いて出て行った。
違いますからねーっっ!!?
そしてもう客がいないことがわかったのだろう、モモがあらためて不満の声をあげた。
「ワン!! ワンワン!」
「ごめん! モモ、ほんとごめん! 先に散歩行く? ソーセージもあるよ?」
私はそっとモモの首輪に魔力を流す。モモは簡単な単語しか言えないが、シンプルな意思疎通なら可能だ。
「サンポ! 海まで行く!! ソーセージ食べる!」
モモが叫ぶようにそう言った。もう一時の我慢もならない、といった雰囲気だ。
どっちもか! しかも海までか!
私はソーセージが入った袋を手に持ち、モモの首輪にはリードをつけた。
今日は海まで散歩して、海辺でお昼ご飯だ。天気が良くてよかった。
――まぁ、昨日までばたばたしていたのだから、今日はこれくらい平和な感じでいいのかもしれない。
スコットさんをはじめとした商会主たちとオスロンの警備隊は、九聖教の解体や、ブリュノー商会の関与の証明をこれからやっていかなければいけないのだろう。ブリュノー商会をどうにかするとしたら、そこの従業員たち――これは稀人以外の人もだ――の新しい勤め先の手配も必要になる。
もう私が関与できるような状況ではないし、こんな考え方は甘いのかもしれないけれど、いろいろなことが、なるべく穏やかに進めばいいなと思った。




