32.命の権利
ふわりと清涼な空気が顔に当たって、それで私は目を覚ました。
気がつくと、ティモが私の体を小脇に抱えている。
「……あれ、ティモ。さっきまで金縛りだったのに」
「あ。ベルさん、起きたっスか。金縛りは、さっきのベルさんの魔法で、あの魔術師の人が気を失ったんで、それで解けたっス!」
そっか。でも気を失った程度でよかった。なんか結構思いきり撃ってしまった気がするから、ひょっとしたら致命傷になっちゃったかもって、睡魔に負ける直前にちらりと思ったんだよね。
「ちょ、ティモ。もうおろして」
屋敷の壁に空けた穴から出て少し離れたあたりだった。ティモの隣にはアロイもいるし、セロとナターシャ、リオネルもいる。もう少し離れたあたりには、オスロンの警備隊らしき人々やスコットさんもいた。
「あ、すんません。なんか小脇に抱えるの馴染んじゃってて」
ティモにとっては私の体重は馴染む程度の重さなのか。……もう片方の手にはまだ鉄製の斧を握ってるのに?
ティモは私をそっと地面に下ろしてくれた。
「私、どのくらい寝ちゃってた?」
「5分以上10分未満ってところかな。教主と魔術師をルドヴィたちが拘束して……ほら、今、正面玄関から連れ出してきたところだ」
アロイが正面玄関のほうを向いてそう言った。
縄で拘束された教主と魔術師が玄関から出てきた。周辺には同じように拘束された者たちが座らされている。10名前後……あれで全部なのかな? 少なくとも私が見かけた人数より多いのは確かだ。
「本当は……全て部下にまかせるつもりだった」
ジェレミア教主の声が聞こえる。その声に教主のほうを見ると、教主はアロイをまっすぐに見つめていた。
よく見ると、教主と魔術師には封魔の首輪が付けられている。魔法を使う犯罪者に対して使われる魔道具だ。発声に不自由はないが、魔法は使えない。
「我々に金を出す人物が、いくつかの商会を邪魔だと言っていたが、私自身はあまり興味が無かった。ただ、金があれば信者や部下たちは喜ぶし、活動範囲も広がるから部下たちには好きにさせていた。……クラクストン商会の息子が稀人で、15歳の若さで回復術師として活躍していると聞くまではな」
諦め、怒り、いらだち、嫉妬……教主の声には様々な感情が見え隠れしているようでもあり、その全てが綯い交ぜになって逆に平らかになってしまっているようでもあって、その声音は妙に淡々としていた。
「それは……逆恨みかな?」
アロイがまるで挑発するかのように、冷ややかに言い放つ。
まるで、というか……あからさまに挑発しているのかもしれない。夕刻前に教主と初めて話した時もそうだった。アロイは多分まだ怒っている。
ふん、と教主も冷ややかに笑った。
「……家族が死ぬかもしれないと聞かされて、私は神に祈ったよ。教会で使われる正しい祈りの言葉ではなかったけれど、神様、神様、と繰り返した。当時、具体的に言葉に出していたわけではないが、多分、その後に言葉を続けるとしたら、どうか父を死なせないでください、たとえどんな姿になってもいいから、父が死にませんようにと言いたかったと思う」
そこで教主は言葉を切って、アロイとティモを見て……私を素通りして、ナターシャとリオネルを見た。
「だが、現実はどうだ。姿は変わらなかった。足が多少不自由になったくらいだった。――そして、魂が入れ替わった。私と父……ライモンドは家族になれなかった。だが、クラクストン家の息子は家族として受け入れられ、恵まれた環境でその才能を発揮していると聞いた。……その苦労知らずの顔を見てみたいと思った」
「……顔を見たご感想は?」
アロイが肩をすくめて聞く。
教主は小さく首を振った。
「想像とは違ったよ。苦労知らずの甘ちゃんで、自分の境遇に悩みひとつ抱いたことのないお坊ちゃんだと思っていたが……中身は見た目通りの年齢ではないということか」
「そうだね。中身だけでいうなら、あなたとさほど変わらない年齢だ。あなたは父親が稀人になったことで、父親を失ったと言うけれど、それなら僕は、元の家族や恋人、友人……世界の全てを失って、こちらで稀人として生きることになった」
アロイの言葉に教主が眉をひそめる。
「だから、こちらの世界の死者の体を乗っ取っても許されるというのか」
「許す許さないの問題ではないと思うね」
アロイも冷たく言い放つ。
トゲトゲとしたやりとりに、私は思わず口を挟んだ。
「あ、あの!」
アロイと教主の視線が同時に私に向く。声を上げてから、あまり考えがまとまっていなかったことに気づいたけれど、注目を集めてしまってからではもう遅い。ティモとセロ、ナターシャとリオネルもこちらを見ていた。
「……ニホンでは稀人という現象は認知されていないようだけれど、ユラルでは……いや、ユラルに限らずこの世界全体で稀人現象は認識されていて、でもそれを人工的に召喚しようとする実験はあまり上手くいってないようで……だからその、なんていうか……」
思考が散らばりかけて、少しわたわたとしてしまう。
ぽん、と後ろから肩に手を置かれた。振り仰ぐとセロの顔が見えた。
「落ち着け」
「……うん。――あの、だから私が言いたいのは、稀人という現象は誰かが望んだからとか、誰かが許したからとか、そういう次元の話ではないと思うんだ。降る雨や雪に対して、あなたは『自分は雪が降ることを許していない』なんて言わないだろう? 雨や雪なら、季節や雲の流れ、風に含まれる湿気で多少は判断できる。けれど、誰がいつどこで、稀人として生を得るのか、今はまだ誰にもわかってないんだ」
教主が私から視線をそらしたのが見えた。
かまわず、私は続ける。
「――こちらの世界に体だけを残して離れてしまった魂も、ニホンで命を落として魂だけでこちらに来た稀人たちも、誰もかれも望んだ結果じゃないんだ。でも、だからこそ私たちは受け入れなければならないんじゃないかな。人が人として生きることを肯定するのなら、前を向くために受け入れなければならないんだ。どんな形であれ、命が続くのは……たとえ誰かにとって不本意な形でも、その命は、自身が思うように生きる権利があるんだ」
「ふん、若者の主張かね。……くだらん」
教主は私の方は見ずに、力のない声でそう呟いた。
……そうかもね。私もあまり若くはないんだけれど。
私の背後では、セロが口を開く。
「あんたは興味ねぇかもだけど……ライモンド・スクデーリは大工を引退した後、木工品作りから、木製のマネキンを作るようになった。その縁から革の上着を仕立てる店で働くようになって、今じゃ共同経営者だ。俺の馴染みの店でね。日本でよく見たデザインだから、話を聞いたことがあった。――あんたは許してないのかもしんねぇけど、ライモンドも、あいつはあいつなりに、思うように生きているってことだろ」
セロの言葉にも、教主は小さく「ふん」と言っただけで、そのまま、警備隊のほうへと連れられていった。
屋敷には2台の幌馬車があって、九聖教の面々はそれぞれに警備隊の監視付きで、その幌馬車に詰め込まれたようだ。
クラクストン家や他2つの商会の混成であるらしい、民間の警護の人々も2台の幌馬車と天馬とで来ていたようで、人質となっていた私たちも幌馬車に乗せてもらう。座席もない幌馬車だが、一応床には厚手の布が敷かれていた。
私とアロイがまず乗り込んで、馬車の奥のほうへと詰めると、ティモが見覚えのある荷物を持って乗ってきた。
「アロイさん、これ、屋敷の中で見つけたアロイさんの荷物っス。ベルさんとアロイさんが没収されたっぽい魔道具や魔結晶もまとめて置かれてたんで、適当に鞄に詰めて持ってきたっス」
「ああ、ありがとう。没収されたのはあまり貴重なものでもなかったけど、そういえば鞄のほうには天馬や通信の魔道具とかが入ってたかな」
アロイが鞄をチェックする。私の荷物はさらわれた現場に落としてきたように思うから、それはあとでスコットさんに聞いてみよう。
ティモから少し遅れて、セロも乗り込んできた。
「セロは天馬じゃなくていいの? 持ってるんでしょ?」
そう聞いてみると、セロは苦笑した。
「持ってるが、今の状態で天馬に乗ったら5分で落ちそうだ。――おまえら、腹減ってるか? 今、向こうの馬車に乗った人質2人にも渡してきたんだが」
言いながら、セロはリュックの中から保存袋を出し、そこからサンドイッチを2つ取り出した。私とアロイに手渡してくれる。
「さっきまでは特に空腹は感じてなかったけど、今ここでほっとしたらお腹がすいてきたところだ。ありがとう」
アロイがそう笑ってサンドイッチを受け取る。
そういえば、私もお腹がすいている。魔力が残り少ないのも合わせて、なんだか全身のエネルギーが不足しているような気になってくる。
ローストビーフがたっぷり入ったサンドイッチは、肉の味付けも確かだったし、パンも上質なものだ。クラクストン家で用意してくれたものだろう。
セロはリュックから水筒も取り出した。中には冷たい紅茶が入っていて、それもありがたい。
「ああ……サンドイッチ、美味しいね。あとは魔力さえ回復してくれれば言うことないんだけど」
思わずそう呟く。
アロイが私の首筋に手を当て、次にセロの首筋にも手を当てる。ん、と眉をひそめて、アロイはセロの手をとった。
「ベルは倦怠感と頭痛ってところだろうけど、セロのほうは手も冷たくなってる。ずいぶん魔力を消費したみたいだね」
「ああ、おまえらの馬車を追うのに、昼に魔力切れまで追跡したからな。その後仮眠して回復した分も、さっきここに到着してからのいろいろでほぼ使い果たした感じだ」
セロの言葉を聞いて、教主が書状を出すよりも先に、屋敷に助けが来たことに納得する。私たちをさらった馬車を探して、行き先を妖精で追ってくれたのか。
「魔力切れに対しては、回復魔法はあまり役に立たないんだよね。血のめぐりをよくすれば多少マシになるかなっていうくらいで……」
アロイが残念そうに言う。
「エリクサーがありゃいいんだけどな」
セロが笑った。
その言葉に、リナと話していた時のことを思い出す。
「ああ、ゲームのエリクサーは、魔力と体力を全部回復してくれるんだっけ? 確かに、そういう霊薬があればありがたいね」
ふふ、と笑った私に、セロが真顔で言った。
「いや、九聖教のエリクサーだよ」
「……あの、ぼったくりのやつ?」
ぽかんと口を開けた私に、セロが頷く。隣でティモもぶんぶんと首を振って頷いていた。
「そうっス! エリクサーはいざって時に役立つんスよ! なんせHPもMPも全回復なんスから!」
「いや、全回復はしねえよ」
セロはティモにそう突っ込むと、でもな、と言ってこちらを向いた。
「さっき、作戦の途中で魔力が足りなくなって、ティモがエリクサーをくれたんだ。俺はベルの話を聞いていたから、エリクサーが何かに効くなんて信じちゃいなかったけど、まぁ別に毒でもねぇしと思って飲んだんだ。そうしたら……俺の体感で1割そこそこだけど、魔力が回復した。少なくともそれを飲んだ直後は倦怠感と頭痛が少しマシになった」
「え?」
「本当に?」
私とアロイの口から同時に疑いの声が漏れる。
全回復じゃなかったんスか……とティモはうなだれているけれど、魔力を回復する手段は休息しかないと言われていたのに、九聖教のエリクサーが効くなんて予想外だ。
少なくとも、数年前に私が分析したエリクサーはただの健康ドリンクだった。多少、血のめぐりをよくしたり、体を温める効果が期待できるかもしれない、という程度の。
「……エリクサー、あるよ?」
言いながら、アロイがポケットからエリクサーを2本取り出した。そうだ、私も持っている。結局私たちは魔法を使っていたので、小瓶を投擲する暇がなかったのだ。
アロイは1本をセロに渡し、自分も1本を手にして、蓋を開けて匂いを嗅いだ。
「ベルが作った原液を薄めたような匂いだけど……」
「お、ありがたい。おまえら、屋敷からかっぱらってきたのか?」
私もポケットからエリクサーを取り出したのを見て、セロが聞く。
「かっぱらったというか……厨房に置いてあったから、ちょっと拝借してきたというか……」
もごもごと言う私に、セロが笑う。
「それを、かっぱらったって言うんだよ」
「まぁ入手の手段はともかく……本当に魔力切れに効くの?」
私はまだ疑っている。この数年の間に改良でもしたんだろうか。でも魔力切れに効くとなればもっと広まってもいいと思うんだけど。――いや、九聖教のあの売り方ではあまり広まらないか。
アロイは慎重に、小瓶から数滴手のひらに出して、舌先で舐めている。
「……うん、少なくとも体に悪いものは入ってないようだよ」
だろ?と言いながら、セロは小瓶の蓋を開けると、一息に飲み干す。
セロの言葉を信用しないわけではないけれど、なんとなく私とアロイはセロの様子を見守ってしまう。
セロは胸元に手を当て、ゆっくりと深呼吸をした。
「うん、さっきと同じだ。もちろん全快なんてしねえけど、胸のあたりが少し温かくなって、魔力がめぐるような感覚がある」
実際、セロの顔色が少しだけ良くなったように見える。アロイが再び、セロの手を取る。
「……さっきより少し温かくなってる」
驚くアロイと私は顔を見合わせ、同時に頷くと、手元のエリクサーを飲み干した。
「うわ、ほんとだ。じわっとだけど、魔力が回復するのがわかる。え、アロイ、これってひょっとしてすごい薬じゃない?」
「これは……ベル、戻ったら明日にでももう一度解析してくれない? 僕のほうでも解析してみるけど、ベルは以前にも調べたことがあるだろうから、以前のものとの違いも合わせて調べてくれるとありがたい」
アロイの言葉に、私はもちろん頷いた。
「まぁ、多少楽になっても、街まで天馬で帰れるほどの魔力はないけどな」
セロは気怠げにそう言って、馬車の中の囲い部分に背中を預けて仮眠の姿勢をとる。
そのまま目を閉じて仮眠を……と思いきや、急に何かを思い出したように目を開けて身を乗り出した。
「そうだ。忘れるところだった。首都行きの汽車が次にいつ出るか、おまえら知ってるか」
「え、いつだっけ」
さらわれたり戦ったり助けられたりで、汽車の日程なんか頭から飛んでいる。
アロイとティモの顔を見ても、2人とも自信なさげに首を傾げるだけだった。
「――首都行きなら明日の昼過ぎだよ」
そう言いながら、スコットさんが馬車に乗り込んできた。
「そうか、ならいい」
セロはそう言って、再び目を閉じて仮眠の姿勢をとった。
スコットさんは身をかがめたまま荷台の奥まで来て、アロイの隣に座る。本来なら幌馬車の荷台に直に座るような立場の人ではないけれど、さっきまでは警備隊の人たちといろいろ話をしていたようだから、アロイと話す時間がなかったのだ。
「アロイ、無事でよかった。ベルナール君も」
スコットさんはアロイの肩を優しく抱く。
ジェレミア教主がなんと言おうと、そこには家族としての愛情があった。
「ありがとう、父さん。大丈夫、言葉が通じる分、魔獣相手よりは……」
そう言いかけて、アロイは教主のことを思い出したのか、苦く笑った。
「……いや、まぁ、人間相手のほうが面倒なこともありますね」
「ティモもありがとう。魔法を遮ってくれたり、斧で威嚇してくれたり、私はずいぶん守ってもらったよ」
私がそう言うと、ティモは、いや、とか、あの、とか言いながら顔を赤くした。
「オレなんかあんまり役に立たなかったっス」
「そうやって自分を卑下するのはよくないよ。少なくとも私は守られたと感じたんだから、それは受け取って欲しいな」
「……は、はい。いや、ホント……よかったっス。みんなが無事で」
それは本当に。
人質として扱われている間は命の危険を感じてはいなかったけれど、屋敷を出る直前の攻防はちょっと危険だったかも。
特にあの魔術師の……。
……!
「スコットさん! あの魔術師が持っていた水晶玉のようなものは確保してありますか!?」
「ああ、ルドヴィが持っているよ。警備隊のほうにはうまく話しておくから、あとで受け取るといい。君はあれを調べたいんだろう?」
スコットさんがそう言ってくれる。
やった! 次にフェデリカがオスロンに来るまでにいろいろ調べなきゃ!
「助かります!」
サンドイッチを食べてお腹も満足して、エリクサーのおかげで頭痛も軽くなった。例の水晶玉の入手のめども立った。
安心したら、あらためて睡魔が襲ってくる。さっきと違って抗えないほどの睡魔ではないけれど、むしろさっきと違って抗う理由もない。
私は、一足先に眠り込んでいるセロによりかかるようにして、眠りについた。
幌馬車は、クラクストン家の馬車ほど板バネは効いていないけれど、御者席に座っている人は馬をゆっくりと走らせてくれているらしく、すぐにお尻や腰が痛くなるほどの揺れ方ではない。荷台の床に敷かれている布も厚みがあって、座り心地は悪くなかった。
がたんがたん、と馬車が不規則に揺れるたびに、私の眠りは深くなっていった。




