31.魂の所属
※本日2回目の更新です※
駆け寄ってくるセロの姿に一瞬気を取られた瞬間、
「【沈黙の檻、身を縛る茨】!」
魔術師の声がした。
早口で唱えられたその呪文は、目の前にいるティモだけを狙ったようで、ティモは斧を構えたまま動けなくなった。
「くっ! なんスか、これ! 体が動かないっス!!」
「【闇の停滞、沼霧の毒……】」
教主がにやりと笑いながら詠唱する。私も同時に詠唱を始めていた。
「【絡みつく茨、身を縛る鎖……】」
「【腐蝕の風】!」
「【鉄の牢……】 ……うぐっ!」
教主の魔法のほうが一瞬早く完成する。私は呪文を最後まで言えずに、教主が作り出した毒霧を吸い込んでしまった。黒ずんだ緑色の霧が、私たちがいるあたりを包み込む。
「【無垢なる天の鳥の……】 ゴホッ!」
解毒をしようとするアロイの詠唱も途中で止まってしまう。
「セロ……来るな、毒……っ!」
私の言葉に、セロは壁の手前で立ち止まる。すぐさま腰のポーチに手をやり、中から薄黄色の魔結晶を取りだした。そのまま、弓をその場に放り投げ、服の袖で口元を覆うと大股で壁の中へと入ってくる。一瞬だけ見回し、膝をついて咳き込んでいるアロイを見つけると、その背中に叩きつけるようにして魔結晶を当てた。解毒の魔結晶か。
そこで目の前にいる私ではなくて、アロイを選ぶあたり、セロは冷静だ。
「【無垢なる天の鳥の羽根、清らかなる泉の清冽な水】!」
立ち上がる間も惜しんで、膝をついたままアロイが呪文を詠唱する。
虹色にきらめく白い光があたりを包み、一気に呼吸が楽になる。
「リオネルさんとナターシャさんは今のうちに外へ! セロ、先導して!」
「【癒やしの風よ、瘴気を遮る護りとなれ】!」
私の言葉にかぶせるように、アロイの詠唱が聞こえた。
教主の次の魔法を警戒してだろう。
私も、魔法で応戦しなくては。
「【魔獣の……】」
「【我が内なる光よ】!」
私が魔力を練り上げる前に教主が障壁を張ったようだ。
「【……魔獣の哮り】!」
それでも詠唱は止めずに言い切る。衝撃波が教主と魔術師を襲うけれど、教主の障壁に阻まれてか、2人は少し足をよろけさせただけだった。
視界の隅で、リオネルとナターシャが移動するのが見えた。セロが舌打ちをしながら2人を先導するために移動する。
それでいい。本当はセロの攻撃も当てにしたいところだったけれど、さっきちらりと見たセロの顔色は悪かった。あれは、魔力が心もとないどころじゃない、魔力切れで倒れる寸前だ。
魔法の撃ち合いというのは、攻撃としても魔力対魔力だけれど、魔法に抵抗する力も魔力対魔力だ。魔力切れ寸前の人間が魔法攻撃を受ければ大きなダメージになる。
遠ざかりかけたセロが再び戻ってくる。
――だめだよ、戻ってきちゃ!
「使え」
それだけ言って、セロは自分の腰から引き抜いたベルトをこちらに放った。そのまま、再びリオネルたちと一緒に走り去る。
セロが投げてきたベルトには小さな横長のポーチが左右に2つ付いていた。
魔結晶か。助かる!
「【闇の停滞、沼霧の毒、腐蝕の風】」
教主の毒の魔法が再び詠唱される。アロイが癒やしの障壁を張っているのでさっきよりはダメージが少ない。
「【無垢なる天の……】」
「【光弾】」
光弾の魔法は、回復術師たちが使う白い光を衝撃波として飛ばす魔法だ。シンプルな分、詠唱が早い。
アロイが解毒の魔法を詠唱するより先に、教主がアロイを狙って光弾を飛ばす。
「ぐっ!」
アロイの詠唱が止まる。癒やしの障壁があるとはいえ、解毒が遅れればその分ダメージは浸透してくる。
私はセロから受け取ったポーチを開けて、解毒の魔結晶を探す。セロの基本セットなら、解毒の魔結晶は少なくとも3つは入っているはず。さっきアロイに使って……。
ふと、いやなことに気がついた。
私とアロイがさらわれた時、ルドヴィとティモは置き去りにされた。それをセロが起こしたんだとしたら、その2人に解毒の魔結晶を使ったんじゃないだろうか。
回復がいくつか、造血、簡易結界、浄化、冷気、獣除け、虫除け……くそ、解毒がない!
いつの間にか、魔術師の手元には水晶玉がある。さっき教主が毒の魔法を詠唱している間に拾い上げたのだろう。
じわじわと体を蝕む毒霧の中、アロイはところどころ咳き込みながらも、小声でゆっくりと解毒の魔法を詠唱していた。
ティモはまだ動けないでいる。あの魔法は解毒では解除できない。私が解呪しないと……!
魔術師は水晶玉を左手に掲げ、咳き込む私たちに向けて詠唱を始める。
「【ほどかれる結び目、巻き戻される邂逅……】」
これは……!
魂を引き剥がす魔法だ。今ここには私とアロイ、ティモの3人がいる。3人相手に一度に魔法をかけられるのか……いや、魔術師は空いた右手を上着のポケットに入れている。夕方に物置で魔法をかけられた時と同じだ。補助の魔石を握りしめているなら3人相手でも可能だ!
この状況を逃れられる可能性を考える。たとえばルドヴィたちが玄関ホールでの戦闘を終えて駆けつけてくれるか。それとも2階で教主たちを探しているというチームが階段を下りて駆けつけてくれるか。
――他人まかせの手段しか思いつかない。
だめだ。……諦めちゃだめだ!
「【崩壊する……檻……、溶解……する……氷】」
私もアロイの解毒に合わせて、苦しい息の下、解呪の詠唱を始める。
「【ユラルのものではない魂よ、死者の体から離れよ】!」
当然、魔術師の詠唱が完成するほうが早かった。
「う……っ」
ティモの手から斧が滑り落ちる。床に落ちてゴン、と鈍い音が響く。
「……くっ」
膝をついていたアロイが、その場に両手もつく。
そして2人の体から輪郭のぼんやりとした白い光が浮き上がり始めた。
「汚らわしい稀人どもめ。その魂、消し飛ばしてくれる」
教主がにやりと笑う。魔術師もその隣で水晶玉を掲げたまま、くくっと笑った。
――先にティモの解呪から始めればよかった。そして、水晶玉も魔術師も教主も無視して、例えば煙幕か、魔力の壁でも立ててさっさと逃げればよかった。
あの水晶玉を前にして、私が迷ったばかりに……。
…………。
……。
……あれ? 私はいつまで意識があるんだ?
「……ん?」
思わず呟きが漏れる。
「ん?」
私の呟きに呼応するかのように、魔術師と教主からも小さな疑問の声が漏れた。
私は自分の両手を見た。魂が抜ける気配はない。じわじわと浸みてくる毒霧で体調は最悪だけれど……動ける。
私はセロのポーチから回復の魔結晶を手に取った。軽く魔力を込めると、少しだけ体調がマシになる。
意識を失ったティモとアロイの体を見る。そして、その上にふわふわと漂う、ぼんやりとした白い光の玉を見る。
簡易結界の魔結晶も取り出した。これは私が作ったものだ。私とリナが魂を交換しようとした時も、フェデリカは私たちの魂がどこかへ飛んでいかないように結界を張っていた。つまり……結界は効果がある!
簡易結界の魔結晶にも魔力を込める。ふわ、と音もなく薄緑色の半球が広がって、私とアロイ、ティモの体をまるごと包んだ。もちろん、漂っている2人の魂も。
「……なんだ? 小娘! おまえは稀人じゃないのか!?」
教主の困惑の声がした。
その隣で魔術師が悔しげに言いつのる。
「まさか! その年齢で私の魔法を破り、それだけの魔法を駆使するのだ。稀人に決まってる!」
私はさっきの魔術師の詠唱を思い出す。
――巻き戻される邂逅……ユラルのものではない魂よ、死者の体から離れよ……。
そうか!
私の魂はユラルのものだし、私の体は死者の体ではない!
彼が組み立てた魔術の前提条件から、私は外れてるんだ。
さっきの魔結晶で回復したおかげで、少しなら息が続きそうだ。
「【大いなる魔獣の哮り、天翔る竜の咆哮】!」
物置の扉と壁をぶち抜いたのと同じ魔法を、教主と魔術師に叩きつけた。
ゴッ!と空気が鳴って、2人はそのまま後ろにある壁まで吹き飛ばされる。
ごろり、と水晶玉が魔術師の手から落ちた。
同時に、ティモとアロイの魂がそれぞれの体に戻る。
「坊ちゃん! ティモさん! ベルさんもいますか!?」
少し離れたところからルドヴィの声がする。複数人の足音も聞こえた。
ふひゃー……疲れたぁ。
私はその場に座り込み、そのままぱたりと床に倒れ込んでしまった。
――眠い。あと頭も少し痛い。これ、若干魔力切れかな。
「アロイ……あとよろしくぅ……」
それだけ言い残して、私は睡魔に負け……そうになって、自分が何かを忘れているような気がした。なんだっけ、さっき何かやりかけて……。
そうだ。ティモの金縛りを解呪してなかった。
それを思い出したけれど、結局私は睡魔に負けた。




