30.魔法対魔法
「ティモが近くまで来てるってことは合流したほうがいいのかな」
私がそう呟くと、アロイは、ちょっと待ってと言った。
「厨房なら、食材の搬入やゴミ出しのための裏口があるかもしれない。ナターシャさん、リオネルさん、裏口ってありそうですか?」
アロイの言葉を聞いて、ナターシャとリオネルが厨房を見回す。私も明かりの届く範囲内を見回してみたが、見つからない。
「あったよ。……でもこれは……」
リオネルの声に残りの3人が集まる。
――確かに裏口はあった。ただし、扉の前には木箱が積まれていて、しかもその木箱には保存食や穀類の他、エリクサーの材料とおぼしきものが詰まっている。簡単に動かせそうもない重量だ。魔法で吹き飛ばすにも、単純に質量が多いし、飛び散るものが多すぎる。
「これは……まぁ確かに、秘密のアジトのようにして使うなら開口部はあまり多くないほうがいいからね」
アロイが小さくため息をついた。
ナターシャが壁の向こうに耳を澄ませるようにして頷く。
「さっき確か、正面玄関と裏口から攻めるって言ってたわよね。でもこっちの裏口の外では人の気配がしないように思うわ。少なくともこの扉が攻められてる感じはしない。ってことは、外側にも同じように何かが積んであって、使える裏口ではないって判断されたんじゃない?」
斥候の心得はないというが、ニホンでは警備の仕事をしていたという彼女の視点は鋭い。
「ベルさぁぁんっっ!! アロイさぁんっ!!」
ティモの声が先ほどよりやや近くなる。
アロイと私は厨房の扉を細く開けて、少しだけ顔を覗かせた。
私の魔力の壁は、物置へと続く短い廊下と、玄関ホールから厨房へ続く直線廊下の継ぎ目に、私たちが通れる分だけの隙間を空けて立てた。つまり、玄関ホールからこちらへ向かって進んでくると、魔力の壁に気づかない場合、廊下の突き当たりが物置への曲がり角のように見えるのだ。もちろん、近くまでくれば隙間があるのはわかるし、他の内壁とは素材がまるで違うので、気づくのはたやすいけれど……。
「人質さんもどこっスか!? 2階に上がったっスか!?」
ティモは気づいていない。
「ティモ、こっちこっち」
私は廊下に立てた魔力の壁を解除した。
ティモにしてみれば急に通路が増えたようなものだ。
「ふへっ!? ベルさん! アロイさんも! 他の人質さんもいるっスか!?」
「いるよ。そっちの状況は? ティモは単独でここまで突っ込んできたの?」
周囲を見回しながらアロイが聞く。
「ルドヴィさんと他の警護の人たちが玄関ホールで敵の人たちを食い止めてくれたっス。あと、2階にまわって教主を探すチームもいて、警察……えっと、オスロンの警備隊の人たちは外周の備えと、一般の村人たちに危害を加えられないようにしてるっス」
「OK、じゃああたしたちはあなたと一緒に外に出れば、あとは警備隊が守ってくれるのかな」
ナターシャが聞くとティモが頷いた。
「そうっス。ただ、裏口は反対棟の端なんで、こっちから脱出するんなら、このへんの壁を適当にベルさんにぶち抜いてもらえって、セロさんが言ってたっス」
なるほど。
私は、厨房から出てすぐ目の前にある、廊下の壁を見た。構造的にこのすぐ外は屋外だとアロイが教えてくれた。外壁と内壁が重なっているぶん、さっきの物置の壁よりは厚いだろうけれど、若干魔力を多めに込めればぶち抜けるだろう。
「わかった。じゃあちょっと集中して魔力を込めるから、その間、周囲を頼むよ」
ティモにそう言うと、ティモは銀色の斧を構えて、力強く頷いた。……斧?
「ウッス!」
「……あれ、ティモ。斧?」
アロイも私と同じ疑問を抱いたようだ。
昨日までは直剣と小ぶりの円盾だったが、今のティモは鉄製の両手斧を抱えている。刃部分の根元は適度に中抜きしてあって、多少の軽量化はされているようだけれど、長い柄まで全て鉄製の斧は見るからに重そうだ。だが、ティモはさほど重そうにはしていない。大きな武器には軽量化の魔法も付与するのが一般的ではあるけれど、斧はその重さが威力となることが多いので、軽量化も最低限の付与しかされていないはずだ。
「あ、これ……扉を破るのに剣と盾じゃどうしようもないからって、ルドヴィさんが貸してくれたっス。他の人が使いたがらない重いやつが残ってて……でも、オレ的にはそんなに気になる重さじゃなかったんで、借りたっス!」
いや、多分それ、普通の人は気になる重さなんだ。
漁で網を引いていたというティモは本当に力持ちなんだろう。
「【大いなる魔獣の哮り、天翔る竜の咆哮、木々を薙ぎ、岩を貫け】!」
めぐらせた魔力を一気に解き放つ。ゴッ!と、さっきと同じような音がして、けれどさっきよりは外壁の抵抗もある。が、直後にメリッと外壁の建材が崩れる音がした。大ぶりの煉瓦が、半分砕けながら崩れ落ちていく。
「穴、開いたよ。出られそうだ」
壁を確認して私が振り向くと、ちょうど2階から教主と、緑色の上着を着た顔色の悪い魔術師が駆け下りてきた。
互いに互いの状況をつかむために見つめ合ったのは、ほんの数瞬。
先に動いたのは顔色の悪い魔術師だった。
「【何物をも通さぬ強き盾を】」
素早く詠唱され、私が開けた出口が魔力の壁で塞がれてしまった。
「――人数的にはこちらが不利ですが、あなたたちもこれでは袋小路ですね」
教主が片眉を上げて、少し笑った。
他人の魔法を打ち破るのは……例えば20歳くらいまでなら、単純に年齢差と言われている。年上の魔術師の魔法は、年下の魔術師では打ち破れないと。それは、魔術を学んだ年数によるという認識だ。けれど、20歳を過ぎてから先は、個人の才と研鑽、何に特化しているかという資質による。
向こうは私を14歳くらいの少女と思っているだろう。多少大きな魔法を使えるようになったばかりで、それなりの戦力にはなっても他人の魔法を打ち破れるような年齢ではないと。
私は黙って、彼の立てた魔力の壁に手を添わせた。探るように魔力を放出する。
魔力の壁には、魔力の起点がある。上だったり下だったり真ん中だったりするけれど、薄く魔力を走らせれば、その壁が作られた起点がだいたいわかる。
彼の作った壁は、真ん中よりやや下に起点があった。
――助かる。真ん中より上だったら私の手が届かない可能性があった。
「【固き壁の瓦解、固き魔力の融解、固き繋がりの綻び】……」
私は、魔力の壁の起点に手を当てて、呪文を呟く。一瞬の抵抗の後、半透明だった壁に細かいひびが入り始めた。
「……馬鹿なっ!?」
魔術師の声が聞こえる。
うっふふふん、見くびらないで欲しい。私の中身はもう33歳になるし、魔導院でも成績は悪くなかった。冒険者稼業だってそれなりに続けてきたんだ。研究室で魔法陣だけを書き続けてきただろうインドア魔術師に、実戦の魔法勝負で負けるわけにはいかない。
ピシッ!と音がして、壁のひびが大きくなった。
魔術師が悔しげな声を上げる。
「さては……クラクストンのガキのついでにさらったが、おまえも稀人か!」
違うけど……答える義務はないな。
「【虹は救済せず、巡りは滞り……】」
教主の声がする。聞いたことのない系統の詠唱だ。
「なんか、ヤバげっスか!?」
詠唱の途中で、壁に手を当てている私と教主との間に、斧を構えたままティモが割り込んだ。
「……まさか! 【癒やしの風よ、瘴気を遮る護りとなれ】!」
アロイが早口で呪文を唱える。あれはよく聞く。私の魔法障壁が物理的なものを主に防ぐのと違い、アロイの障壁は邪気や瘴気――つまり、敵対する意思による物理以外の攻撃を防ぐ。
「【魂の光よ、黒く染まれ】!」
教主の呪文が完成した。
直後、前にいた3人――アロイとティモ、ナターシャだ――が、同時にうめき声を上げる。
「う……ぐぅっ!」
ナターシャは片手で胸元を強くつかんでいる。
「く……ぐはっ……!」
ティモは盛大に眉をしかめて、その額からは一気に汗が噴き出している。けれど両手に握った斧は手放していない。
「ぐ……けほっ! 【無垢なる天の鳥の羽根……清らかなる……泉の清冽な水、湧き出ずる泉……癒やしの……白虹】!」
アロイは青い顔で血を吐き出しつつも、解毒と回復の魔法を合わせ技で詠唱した。
「は、はぁ……っ!」
ナターシャは苦しみから解放されたようで、肩で大きく息をしながら膝をついた。
アロイは口の中に残っていたらしい少量の血を、廊下に吐き出して、袖口で口元を拭う。
「教主……ジェレミア……今のは回復魔法の逆流だろう。人間相手にその魔法を使うなんて……おまえに回復術師を名乗る資格はない!」
アロイが断罪するようにそう叫ぶ。教主は、ふっと小さく笑った。
「この魔法は詠唱に少し時間がかかるのが難点ですね。おかげで、癒やしの障壁を許してしまいました」
アロイたち3人が回復したのを見ていたのか、顔色の悪い魔術師が上着の懐から水晶玉のようなものを取り出す。中心の濁ったあれは……。
あれを今使わせるわけにはいかない。
どうしよう、出口に立てられた壁はもう少しで壊せるけれど、一旦、手を離して麻痺の魔法でも詠唱するべきか……。
「させるか!」
迷う私のすぐ横で、たまたまナターシャの後ろにいたことで、先ほどの教主の魔法から逃れていたリオネルが動いた。ポケットに入れてあったエリクサーの小瓶を、魔術師に向けて投げる。
その投げる姿勢はあまり見たことのないものだった。少し横を向いて、一度胸元で抱きしめるように両手で小瓶を持ち、左足を上げると同時に小瓶を持った右手を引いて、大きく左足を踏み出しながら小瓶を投げつける。投げられた小瓶は放物線を描く暇もなく、おそろしいスピードでまっすぐに魔術師の手元に向かい、水晶玉もどきをたたき落とした。
「リオネルさん……野球経験者ですか」
アロイの言葉に、リオネルが苦笑する。
「高校までやってたけど、レギュラーにはなれなかったんだよ。でも、チームのバッティングピッチャーをやっていたから、コントロールには自信がある」
つまり、ニホンで何らかの経験者ということか。ナターシャとは違うジャンルの。
「そっちもだ……!」
リオネルはもう1本のエリクサーを取りだし、今度は教主に向かって投げる。ちょうど頭に向かって飛んでいった。教主はすんでのところでかわしたが、体勢を大きく崩して魔術師のほうにもたれかかった。
「うぉぉぉぉっっ!!」
ティモが大きく斧を振りかぶって、教主と魔術師に突撃する。体勢を立て直そうとする2人に迫り、すぐ手前の床に思いきり斧を叩きつけた。
ドゴンッと大きな音を立てて斧が床にめり込む。すぐに斧を引き抜いて構えなおし、ティモが2人を睨み付ける。
「殺すなとは言われてるっスけど、怪我をさせるなとは言われてないっス」
教主の魔法を受けた余韻が残っているのか、ティモの額には汗が浮いているし、顔色もあまりよくない。けれど、大きな斧を振り回せるだけの膂力を見せつければ威嚇としては充分だろう。
――ティモの顔色が良くないのは、あれが精一杯の虚勢だからなのかもしれない。
ニホン人は人を殺すことに慣れていないという。もちろん私だって慣れているわけではないけれど、冒険者なんていう仕事をしていれば幾度かの経験はある。自分の安全と天秤にかければ、結果的に相手が死んでしまうということはあるのだ。そして今、ティモは私たちの安全と、自分の中の葛藤を天秤にかけて、それでも斧を構えて前に出ていてくれる。
自分の武器で誰かを守ってみたい、とあの日のティモは言った。今、私たちはティモに守られている。
――今のうち!
私は、魔力の壁に当てていた手に最後の魔力を込めた。ビシビシッと大きくひびが広がり、次の瞬間にはバキン、と音を立てて壁が割れる。さっきまで分厚くそそり立って、私たちの行く手を塞いでいた壁はガラガラと崩れ、崩れたそばからキラキラと魔力の残滓だけを残して外気に散っていく。
「ベルさん、壁が割れたんなら早く外へ! オレが最後に残るっスから!」
ティモが斧を構えたまま、じりじりと数歩分下がりながら叫ぶ。けれど、私は迷った。
――さっきの魔術師が落とした水晶玉もどき。あれを手に入れなくては……!
その時、壁の外からセロの声がした。
「そこか! ベル! アロイ!」
振り向くと、弓を片手に走り寄ってくる姿が見えた。
今日は1時間後くらいにもう1回更新します!
なぜなら、ほんとは1本にまとめるはずだったのが、文字数が多くなっちゃったから!
誤字修正(20250419)




