29.脱出
「ベル、アロイ」
セロの妖精と話した後、しばらく経ってから再びセロの声がした。
細長い窓を見上げると、小さな風妖精がそこに浮かんでいる。
「今から窓をめがけて矢を撃ち込むから、10秒以内に射線から外れろ」
え。10秒以内?
えっと、窓があの位置だから……?
「リオネルさんはそのままで大丈夫です。ナターシャさん、少しだけ僕のほうに。ベルもだ。もっと壁に寄るか、その場に伏せて」
アロイの言葉を信じて、私はその場に伏せた。
直後、私の頭上で、ひゅんと風を切る音がして、窓の正面にある壁にカツンと何かが当たった。
アロイがそれを拾いに行く。セロの矢だ。
「なるほど、鏃の代わりに魔結晶をくくりつけたのか」
アロイが持っている矢の先端には、小さな革袋がくくりつけられていて、中には魔結晶が入っているようだ。
「とりあえずそれで怪我人を動けるようにしておけ。この後すぐ……そうだな、10分以内には上の部屋の魔道具を壊す。上の部屋で大きな音がすれば、それが合図だ。同時に正面玄関と裏口から、こっちの手勢が攻めることになってる。おまえらは盾にされないように上手くやれ」
風の妖精がセロの声でそう伝える。
「了解」
アロイの返事を聞いて、風の妖精はすぐに消えた。
セロは魔力が心もとないと言っていた。おそらく、妖精を維持していられないのだろう。
アロイは革袋の中から魔結晶を手のひらの上に出す。薄青い魔結晶が1つと深紅の魔結晶が2つだ。
「僕の作った回復と造血の魔結晶だ。造血はすぐには効かないだろうけど、回復の魔結晶、これがあればリオネルさんも走れる」
アロイは3つの魔結晶をリオネルに手渡した。
「自分で言うのもなんですが、これは本当に美味しくないので、魔法無効の結界が切れてから、手で魔力を込めたほうがいいです。握りしめて、準備をしておいてください」
アロイの言葉に頷いて――そしてリオネルは3つともまとめて口に放り込んだ。
「……うわ、本当だ。これは味の改良を求めたいところだね」
リオネルが盛大に顔をしかめる。
「え、な、なんでですか!?」
私が驚いてそう問いかけると、リオネルは顔をしかめたまま唇の端を上げた。
「タイムロスはないほうがいい。君たちの仲間もそう考えてこれを届けてくれたんだろうから。――あ、傷が塞がってきたようだ。これ、すごい効き目だね」
リオネルが足の包帯をほどく。見ると確かに傷はもう塞がっていた。
「君たち2人は魔法を使うんだろう? ナターシャは体術が使える。おれが一番足手まといになりかねないから、せめて動けるようになっておかないと」
リオネルの言葉にアロイがくすくすと笑った。
「味を知らないからできたことかもしれないですね。ここから戻れたら、味は改良しておきますよ。口に含むものではないとはいえ、こういう事態がないとは言えない」
「10分以内って言ってたわね」
ナターシャは立ち上がって肩を回し、ストレッチを始めた。
「この体ではまだあまり鍛えてないのよね。とりあえず若くて体が柔らかいのと、どこも怪我をしていないっていうのが救いかな」
「ベル、結界が切れたらまずは扉をまるごと吹き飛ばしてくれる? できれば扉の外の見張りも巻き込むように」
アロイの言葉に私は頷いた。
「わかった。アロイはどうする?」
「僕はまず、自分の脇腹に回復魔法をかけるよ」
肩をすくめたアロイに、そういえば殴られていたっけと思い出して私は苦笑した。
部屋の真ん中よりやや扉に近い位置に立って、私は魔法をイメージする。
火の魔法で扉を燃やし尽くすのは簡単だけれど、燃やしてしまっては私たちが出る時に困る。火以外のほうがいいだろう。
手っ取り早いのは衝撃波……威力のある風を叩きつけるか。切りつけるイメージではなくて、塊をぶつけるイメージだ。私は体内の魔力をゆっくりとめぐらせ始めた。まだ放出はしない。いつでも放出できるように、寸前で留めておく。
小さな小さな窓の外を、一瞬、光がよぎったような気がした。
その直後、ごう、と空気を切り裂くような音がする。火球か何か……力強い魔法の気配だ。
「アロイ、来るよ!」
私がそう叫んだ直後、バリンと上階の窓が砕かれる音がした。ほぼ同時に、ドン!と上階の床が揺れる。火球というより、火をまとった岩塊の魔法だったのかもしれない。
例の魔道具が、上階の部屋のどこに置かれていたかはわからないけれど、小さな隕石みたいなものに部屋を貫かれれば、ひとたまりもないだろう。
「【湧き出ずる泉、癒やしの白虹】」
アロイの回復魔法が聞こえる。私もほぼ同時に詠唱を始めていた。
「【大いなる魔獣の哮り、天翔る竜の咆哮】!」
ゴッ!と大きな空気の塊を、扉に叩きつける。目に見えない衝撃波だが、イメージを練り上げたことが功を奏したようで、鍵がかかっていた扉は鍵ごとどころか、周囲の壁ごと吹き飛んだ。
「ぐはぁっ!!?」
ついでに見張りの悲鳴も聞こえた。
扉と壁の残骸を踏み越えて、私たち4人は物置部屋を出た。扉の外にいた見張りが完全に気絶しているのを確認する。
目の前には2階へ続く階段があり、その手前にある廊下は少し進んだ先で左右に分かれている。
「裏口は位置がわからない。とりあえず正面玄関に向かおう」
ここに連れてこられた時、私は眠っていたので屋敷の内部はわからない。でもアロイにはわかっているようだ。
「教主からの書状がアロイの家に届く前にここがわかったってことは、ここの出入りもある程度監視できてたのかな。さっき教主と魔術師を見てからしばらく経ってるけど、まだこの屋敷にいると思う?」
小走りに廊下を進むアロイの後ろについていきながら、そう尋ねる。
「ここを拠点にしてるなら専用の部屋がありそ……あ、ヤバいな。見つかったね」
アロイは返事の途中で顔をしかめる。
「てめぇらっ!!」
廊下の曲がり角から男が2人、走ってくる。屋敷の異変を感じて人質を確認しにきたのだろう。よく見ると、先頭にいるのは最初に見張りをしていた男だった。
アロイと私が一瞬、足を止める。
その脇を、私のすぐ後ろにいたナターシャが走り抜けた。
「ナターシャさんっ!?」
「【光弾】!」
私が叫んでいる横で、アロイが短く詠唱する。アロイの手元から小さな白い光が飛んで、先頭の男が手に持っていた短剣を弾き飛ばした。
ナターシャが先頭にいる男に向かっていく。短剣が弾き飛ばされたことに一瞬ひるんだ男の襟をナターシャがつかむ。走っていった勢いのまま、男と体の位置を入れ替える。ちょうど反転して、遅れて走ってくるもう1人の男に背を向ける形になった。
そこからまた、今度は見張りの男の懐に潜り込むように、襟をつかんだまま体を反転させる。
「せいっ!!」
男がこちらに背中を向ける形になったのでよく見えなかったけれど、ナターシャが腰を落として、姿勢が低くなったと思った次の瞬間には、ぐん、と男の体が浮き上がった。そして、ちょうどそこへ走り込んできたもう1人の男に向かって放り投げる。
うわお。あれがジュウド? ナターシャがニホンでやっていたというやつか。女性としては一般的な体格のナターシャが、どちらかといえば大男である見張りを放り投げる様は見ていて痛快だった。
「ナイス背負い投げ」
アロイが呟く横で、私はさっき扉を破った魔法の威力を調整していた。
「【魔獣の哮り】!」
握りこぶしくらいのサイズをイメージした衝撃波を、ナターシャが投げた男と、その男の下敷きになってもがいている男の頭にそれぞれ撃ち込む。死なない程度に……でも、しばらくは脳震盪でも起こしていてもらおう。
アロイが弾き飛ばした武器と、下敷きになった男の武器を、リオネルが回収した。2人が持っていたのは、室内で取り回しのしやすい短剣だ。
無いよりはマシだと言って、リオネルとアロイがその短剣を持つ。
「その角を曲がってまっすぐ行けば玄関ホールだ」
アロイはそう言うが、曲がり角からちらりと覗いて見ると、ドンドン!とかバキ!という音は聞こえてくるが、正面玄関はまだ破られていないようだ。そして正面玄関には何人か集まっている。
「このまま突っ込むわけにはいかなそうだよ」
曲がり角から頭を引っ込めて、私はアロイにそう言った。
「反対側の角のすぐ先は厨房だよ。おれが連れてこられる時に、そこから料理が運ばれるのを見たんだ」
リオネルがそう言って、私が覗いた角とは反対側を指さす。
「こんな遅い時間に厨房には誰もいないんじゃない? 料理の匂いもしていないし。いたとしても下働きが1人か2人よ」
ナターシャが言う。
「わかった。じゃあ一旦、厨房に隠れよう。僕らが人質として盾に使われないように、と言われてるからね。味方が屋敷内に入り込んでから合流したほうが安全だろう」
アロイの提案にそれぞれが頷いて、私たちは反対側の角を覗きこんだ。
確かに曲がり角からすぐ側に扉が1つある。そしてその先は廊下が行き止まりだ。つまり、玄関ホールから厨房へは直線の廊下で繋がっていて、厨房の手前に短い廊下が接続されている形だ。それが私たちが捕らえられていた物置と、2階への階段に続く廊下だった。
ただ、玄関ホールと直線で繋がっているということは、厨房の前でもたもたしていたら見つかってしまう。
――あ、そうだ。
「【白き月光の盾】」
透明度の低い魔力の壁を、廊下の幅いっぱいに立てた。これで少なくとも、玄関ホールにいる奴らからの視線は遮れる。
もちろん、壁そのものは見えるだろうけれど、幸い屋敷の内壁は白漆喰だ。厨房に続く廊下の突き当たりが多少手前になったとしても、玄関での喧噪に気をとられている中、違和感に気づく者はいないだろう。
「厨房に誰もいなきゃいいわね」
ナターシャが先に立って厨房の扉に耳を当てる。
「……あたしが斥候の技を持ってればよかったんだけど、そういうのはからきしなのよね。でも人の気配はなさそうよ?」
「ベル、念のため、魔法の用意はしておいて」
私はアロイの言葉に頷き、ナターシャにも視線を向けてもう一度頷いた。
「……開けるわよ」
――幸い、厨房は無人だった。かまどの火も既に落とされた後のようで、ひっそりとしている。
「【夜道の懐中電灯】」
ぼそりとリオネルが呟いて、小さな明かりを魔法で生み出す。
「君たちの魔力はやつら相手にとっておいてほしいからね」
リオネルがそう言って笑った。明かりを呼び出す呪文が、リナが考えたものと少し似ていて、多分それがニホン人の感性なんだろうなと思った。
「ねぇ、これってエリクサーかしら」
薄ぼんやりと明るくなった厨房で、ナターシャが小声で言った。
リオネルが明かりを近づけると、確かにそこには薄青い小瓶が箱に詰めて置かれていた。エリクサーの原液が、茶葉や薬草、シロップを煮詰めて作られることを思えば、厨房に在庫が置いてあることにあまり違和感はない。
「この扱いを見ると、やっぱり資金源としては些細なものなのかもしれないね。どうする? 何本か持って行く? 回復薬としては役に立たないだろうけれど、少なくともガラス瓶に液体が入っているんだ。投擲武器としては使えるかもよ」
アロイがそう提案する。
確かに、投擲武器として考えるなら、細長い小さなガラス瓶は持ちやすく投げやすい。
「邪魔にならない程度にポケットに突っ込んでおこうか」
私の言葉にそれぞれが頷いて、2~3本ずつポケットにねじ込み始めた。
その直後、玄関ホールのほうからひときわ大きな、バキン!という音が聞こえた。同時に男たちの声が大きくなる。
「玄関が破られたようだね」
リオネルがそう呟くのにかぶせるようにして、野太い雄叫びが聞こえた。
「ベルさぁぁぁぁんっっ!! アロイさぁぁぁんっ!! どこっスかぁぁぁ!!!?」
「ティモだ」
「ティモだ」
私とアロイが同時に呟いた。




