27.夜の来訪者
「ベル、さっきの水晶玉……術式が途切れずに最後まで発動していたらどうなっていたと思う?」
手についたリオネルの血を水で洗い流しながら、アロイが私に問いかける。
「私の位置からでは刻まれてる術式は見えなかったけれど、光の走り方から見て、ずいぶん細かい術式を重ねているようだった。魂を体から引き離すところまでは成功していて、そこから先に必要なことといえば……フェデリカなら、魂の輪郭を定める術式を刻むだろうけど、彼らにそれが必要だとは思えない。体に戻れないほど遠くまで飛ばすか、それともその場で霧散させるか……」
そう呟いて顔を上げると、リオネルが青い顔をしていた。傷と失血のせいばかりとも言えないだろう。ついさっき、自分の魂がそんな危機にあったのだと言われれば青くもなる。
「あ、でも私たちは取引に必要な人質だと言っていたし、そもそもまだ実験段階だと言っていたので、そんな危ないことはそうそうされないんじゃないかなって……」
私はもごもごとそう付け足して、自分で自分のフォローをした。
「あなたたち2人は一緒にさらわれてきたのよね? 許嫁とか、そういう関係なの?」
魔法のことには興味がないのか、それともリオネルに気分転換でもさせようというつもりなのか、ナターシャが明るい声でそう聞いてきた。
「ち、ちち違いますよ!」
「ベル、そんなに慌てたらかえってあやしいよ。――もちろんそういう関係ではないんですが、そういうこととは無関係に、お互いに、相手を傷つけるぞと脅されればある程度従わざるを得ない程度には長い付き合いですね。いわゆる冒険者仲間というやつですよ」
「確かにね。仲は良さそうだし、信頼関係もありそうだけど、色恋に発展しそうな気配は感じないものね」
ナターシャが納得したように頷くが、確認するように言葉を重ねてくる。
「で、アロイくんが回復術師で、ベルちゃんは……魔法に詳しいようだけど、魔術師? アロイくんは稀人だから、ひょっとしたら魂はあたしより年上かもしれないし、さっき教主と言い争ってたのを聞いた限りでは、ちゃんと回復術を学んだようだから、その年齢で回復術師っていうのも納得だけど、ベルちゃんは? 稀人ではないって最初にアロイくんが言っていたけど、いわゆる天才少女とか、そういうやつ? だって、冒険者になれるのって13歳からじゃなかった?」
「あ、えーと……ちょっと複雑な事情がありましてぇ……」
もごもごと口ごもってしまう。確かに、私の――リナの体が14歳で、アロイは15歳……いや、16歳になったのだったか。それで長い付き合いの冒険者仲間と言われても辻褄が合わないだろう。実際、冒険者登録は13歳からだ。稀人に限っては10歳から登録が認められているが、単独で街の外に出るのが許可されるのは13歳からなのは変わらない。
アロイはちらりと扉のほうに目を向けて、少し潜めた声で話し始めた。
「隠すことでもないんですが、奴らに知られるとめんどくさいことにはなりそうです。ベルはもともと、ベルナールと言って、魂は33歳の男性ですよ。実際、昨年の夏までは魂と体はどちらもおっさ……こほん、大人の男性でした」
おっさん、と言いかけて、大人と言い直してくれたアロイに優しさを感じる。
でもそこまで言ってしまってはもう同じだよ……。
「え、でも稀人ではないんだろう?」
魔結晶の質は悪かったようだが、痛みは多少引いてきたのか、リオネルがそう口を挟んでくる。私はそれに頷いた。
「稀人ではないです。生まれも育ちもオスロンで、オスロンの王立魔導院を出た魔術師ですが、今は冒険者というよりも、魔道具屋の店主です。ただ……ちょっとしたアクシデントで、今、稀人の女の子と魂が入れ替わってしまってまして……」
「え、じゃあその体の持ち主の魂は、33歳のおっさんの体に入っちゃってるの!?」
ナターシャさんが驚いたように、そして少しの同情をにじませて言う。一応、声は潜めてくれているので、扉の外にまでは聞こえていないだろうけれど。
さっきアロイがちらりと見た扉を、今度は私がちらりと見る。アロイとは違う意味だ。
「だから、今は知り合いの研究者が、戻る方法をいろいろと考えてくれてるんですが……さっき、リオネルさんに使われた水晶玉、あそこに刻まれてた術式がいい手がかりになりそうなんですよね」
さっきの細身の男……魔術師だろうけれど、私やフェデリカより年上だった。魔導院でも見覚えはない。40歳前後で、少し顔色が悪い、背の高い男。艶のない銀髪が白髪のように見えて、ひょっとしたらそれで実年齢より年上に見えているだけかもしれない。たしか、緑色の上着を着ていた。
水晶玉の内部に普通に術式を刻むのは無理だ。刻んだ術式が模様にも濁りにも見えていたけれど、そもそも球体の透明度も低かったように思う。
――似た造りのものを見たことがあるような気がする。あんな大きな物じゃなくて……あんな複雑なものじゃなくて……そうか、母が持っていたブローチだ。樹脂を重ねて、層ごとに描いた模様が上から見た時に複雑な花に見えるように仕上がっていた。
母のブローチは金属の枠に樹脂を流し込んで平らに仕上げていたけれど、それを球体で作るなら……核になる魔石を用意して、表面に術式を刻む。そこに薄く魔道樹脂を塗って硬化させてから、下に書いた術式と繋ぐようにしてまた表面に術式を刻む。それを丹念に何度も繰り返して、上下の層のあちこちで術式同士を繋ぎあわせれば、複雑な立体魔法陣が作れる……ような気がする。
だとしたら、確かにあの水晶玉もどきは実験用サイズなのかもしれない。フェデリカが描いた魔法陣を立体にすれば、少なくともあれより大きくなりそうな……いや、立体にすることで省略できる部分もあるのか……?
「ベル、何をぶつぶつ言ってるの?」
アロイに声をかけられて、私は自分の思考が口から漏れていたことを知った。
「あ。ごめん。さっきの水晶玉もどきの作り方を考えてたんだ。作り方自体は多分わかったと思う。そこに書き込む魔法陣をフェデリカと相談したいなと思って」
「僕らはまず、ここから助かることを考えたほうがいいと思うけどね」
軽く肩をすくめたアロイに、私も同意した。
「それはもちろん。――とはいえ、魔法無効の結界が張られてしまっては、私には何もできないのが歯がゆいところだよ。この体だと非力だしね」
「元の体なら非力じゃないみたいな言い方をするじゃないか」
「うぐぅ」
アロイのからかうような言葉には反論したかった。
いや、でも今のリナの体よりは……と思ったが、リナの体は実は運動神経がいい。少なくとも私の元の体より、いろいろと反応が早いし、手足がよく動くのだ。もちろん、小柄な体ゆえの非力は補いようもないけれど。
少し日が傾いてきたのか、もともと薄暗い物置の暗さが増した頃、ガチャリと無造作に入り口の扉が開けられた。見たことのない顔の男が、ランタンとトレイを持って入ってくる。その男の背後では、見張り役も交代したらしく、これまた見覚えのない男が戸口で見張っていた。
「メシだ。今日は一番狙ってたガキをさらえて教主様の機嫌が良かったから、贅沢にもスープ付きだ。味わって食えよ。明日の朝にゃ書状を送りつけるらしい。おまえらの親や商会の主たちが余計なことをしなけりゃ、昼過ぎには取引だ。夕方には家に帰れるさ」
床の上に無造作にトレイが置かれる。確かに、小さなボウルに薄いスープが入っている。ちゃんとボウルは4つあったし、固そうなパンも4つ添えられていた。
男は近くの木箱の上にランタンを置いて、一旦戸口まで戻ると、水を入れた小さめの樽も持ってきた。もともと置かれていたほうの水樽はひしゃくだけを残して回収されていく。一応、水も取り替えてくれるらしい。
なんだかペットの世話みたいだと思った。
戻ろうとする男に、リオネルを視線で示しながらアロイが声をかける。
「回復の魔結晶をもうひとつもらえないか? さっきの男が刺した彼の傷が深くて、まだ血が止まっていない。人質を弱らせないほうがいいんだろう?」
男は少し迷うように、戸口に立つ見張りの男に視線をやった。見張りの男が軽く肩をすくめる。
「そんぐらいはいいんじゃねえのか? 確かに取引に連れて行くのにあまり弱らせちゃ、めんどくせぇ」
「それもそうだな」
食事を運んできた男はひとつ頷いて、ズボンのポケットに手を入れて、そこから薄青い魔結晶を取り出すと、アロイに放り投げてよこした。
「ありがとう。……ちなみにこれは、教主が作ってるのかい?」
「教主様が直々に作っているわけじゃない。施療院時代の部下だか知り合いだかに作らせてたよ」
それだけ言って、男は部屋を出て行った。
アロイは受け取った魔結晶を検分するかのように、ランタンの光に透かして見ている。
「質が悪いというよりも……外科に特化していないのかもしれないな。僕が作るものとは少し色合いが違う。――リオネルさん、傷は塞がっていないのに、痛みは引いてるでしょう?」
「え? あ、ああ。そういえば。全く痛まないわけではないけどね」
アロイに問われて、リオネルが頷く。太ももに巻いてある即席包帯は、少し前に取り替えたばかりなのにまた血がにじんでいる。
「施療院製……少なくとも、施療院の技術をベースにして作られたのか。鎮痛作用は優秀なのかもしれない。こんな時でなければ違いを分析してみたいところだけれど。――どうぞ、リオネルさん。味は良くないかと思いますが、口に含んで魔力を込めれば、少なくとも血は止まると思います」
言いながら、アロイは魔結晶をリオネルに手渡した。
「ありがとう。でも、味も実はそんなに悪くなかったよ。もちろん美味しいわけではないけれど、少しだけ甘酸っぱいような、不思議な味だった」
「なるほど……組成はかなり違うのかな。むしろ例の“エリクサー”の要素が少し入ってるのかもしれない」
リオネルの返事に頷きながら、アロイはそう呟いた。
スープはクズ野菜と塩だけの質素なものだったけれど、昨日まではそれもなかったとナターシャが言う。固いパンを浸して食べられるので、無いよりはマシだと笑った。昨日までは水でふやかして食べていたらしい。
私はパンを半分ちぎって、ナターシャに渡す。
「ナターシャさん、よかったらこれを。私は家を出る前にちゃんとした朝食を食べてきているし、体も小さいので半分で充分です。大人が1日にこのパン1個では、今まで足りなかったでしょう?」
ナターシャは私から受け取ったパンを、そのままリオネルに渡す。
「それなら私より1日先にさらわれてきていたリオネルに食べてもらうわ。怪我人はちゃんとエネルギーとらなきゃ」
「じゃあ、ナターシャさんには僕が半分差し上げますよ。僕もベルと同じで、朝食はしっかり食べたので大丈夫です。それに回復術師なので、一応、自分の体内のエネルギー量くらいは把握してますから」
アロイも私と同じように、固いパンを半分ちぎってナターシャに渡した。
「あら、ありがとう。……本当にいいの? 正直、お腹はすいているから助かるけれど、あなたたちだって成長期じゃない」
「大丈夫。こんな時ですから、助け合いですよ。日本の病院で、検査前に絶食させられたことを思えば、なんてことはない」
そう言ってアロイが笑う。
固いパンを少しむしっては薄いスープに浸して、私たちはゆっくりと食事をとった。冒険者の仕事で街の外に出た時の帰路は、こんな食事になることも珍しくない。私もアロイも、こういう質素な食事には慣れていた。
それに、さっきの男の言葉が正しければ、明日には取引になるのだ。スコットさんが、あいつらの要求を素直に丸呑みするとは思えないけれど、私たちの身を無下にすることもないだろう。
食事を終えて、ランタンの光の中、私たち4人はぽつりぽつりと、ゆるやかに話し合った。ジェレミア教主の狙いが何かとか、この屋敷には何人いるんだろうかとか、そういったようなことだ。
ジェレミア教主の生い立ちについては、私とアロイが、スコットさんから聞いた話を要約して伝えた。
「稀人を恨みたい気持ちは……わからなくもないね」
リオネルが呟く。思わず顔を上げた私とアロイの視線に気がついたのか、リオネルは小さく笑って付け加えた。
「おれの家族もおれを恨んだからね。息子の顔をしてるのに、おまえは息子じゃないって言われたよ。おれだって日本で、おれの弟がいきなり稀人になったら、おまえは弟じゃないって言いそうだ」
リオネルの言葉に頷きながら、ナターシャも小さな声で言う。
「あたしの母親は……あたしが稀人になったってことに気づかないまま亡くなったわ。病気の母と2人暮らしで、街外れの果樹園の近くに住んでいたんだけれど、近くにちょっとした崖があってね。買い物に出た時にそこから落ちちゃったのよ。頭を打ったんだと思う。あとは、手首を少しひねってた」
「じゃあ……頭を打ったことは言わずに?」
私がそう聞くと、ナターシャが頷いた。
「うん、そうね。ナターシャ本人の記憶が……こう、どどっと流れ込んできたのよ。稀人っていう存在のこともナターシャが知っていたから、そのまま何食わぬ顔をして家に戻って、母親にはつまずいて手首をひねっちゃったって、それだけを言ったわ。それからひと月くらいで母親は亡くなって……多分、最後までだませたと思う」
「打ち明けようとは思わなかった……?」
アロイの言葉にナターシャは笑った。
「だって、母親が遠からず亡くなることはわかってた。そんな時に、娘の魂のほうが先に逝ってるなんて知らせたくなかったのよ」
私は、稀人がもたらす知識はユラルのためになると思っていた。いや、今もその考えは変わらない。けれど、こうやって個人単位で見れば、誰かが亡くなって、その代わりに稀人が生まれる。それはとても残酷で悲しいことなのだろう。
だから、ジェレミアが言っていたこともわかる。稀人にならなければ、死者はただ死者でいられた。遺された者はその死を嘆くだろうけれど、それは自然の摂理だ。
もちろん、稀人転生おめでとう、なんて言うつもりはない。ないけれど、私のように遺族ではない人間から見れば、アロイもナターシャもリオネルも、そしてセロもティモも。稀人として転生してこなければ、私と彼らに接点はなかった。2度目なんてないほうが普通なのかもしれないけれど、アロイやセロの気持ちを知っている私からすると、彼らが2度目の生を得られてよかったと……そう思うのだ。
「お、ここか。見つけた」
……?
唐突に聞こえた声に私は思わず顔を上げた。きょろきょろと見回す。
だって、聞こえた声は、ここにいるはずのない人間の声だ。
「……セロ?」
アロイが言う。私と同じように部屋の中をぐるりと見回し、そして、換気口のような細長い窓に目を留める。
窓辺には小さな光の妖精と、そのすぐそばに風の妖精がふわふわと漂っているのが見えた。
「おまえら無事か。他の人質も……」
風の妖精からセロの声がする。同時に光の妖精が動いて部屋の中にふわりと舞い込んでくる。
「あ、セロ! だめだ! 部屋の中は……」
私が思わずそう言いかけた瞬間、光の妖精がふっと姿を消す。
「うわ、なんだ今の。急に視界が……クソ!」
「セロ、ここは魔法無効の結界が張られている。だから風の妖精はそのまま、そこから動かさないで」
アロイが風の妖精に向かってそう声をかける。
光の妖精で視界を共有して、風の妖精で音を共有する。だからさっきまでは、セロは私たちの姿を視認して声をかけていたのだろうけれど、今は声だけになってしまった。
「ちょっと今は魔力が心もとなくてな、新しい妖精は飛ばせない。おまえたちが知る限りの情報を教えてくれ。こっちはスコットが人数を揃えて、その屋敷を襲撃するつもり満々だ」
光の妖精は消えてしまったけれど、声だけでも外と繋がったことがわかって、あの小さな妖精がとても頼もしく思えた。魔力が心もとないと言っていたのは本当だろう。さっき消えた光の妖精も、声を伝えてくれる風の妖精も、普段のセロが飛ばすものよりかなり小さい。
「僕とベルの他に先客が2人。スヴォリノフ商会のナターシャと、コルドウェル商会のリオネルだ。リオネルが怪我をしているけれど、それ以外は無事だ。屋敷にいる人数はわからないけれど、この部屋に連れてこられるまでに見た顔を数えると、少なくとも9人。夕方までは教主もこの屋敷にいた。今もいるかどうかはわからない。明日の朝、書状をそちらに届ける予定らしい」
アロイがセロの妖精にそう伝える。
私はその隣から付け加えた。
「連中の中に、緑の上着を着た40歳くらいに見える細身の魔術師がいる。白髪のような銀髪の男だけど、彼は殺さずに捕縛してほしい。彼の知識と水晶玉に用がある」
「わかった。それはスコットに伝える。そっちで何か必要なものはあるか?」
セロの声に私とアロイは顔を見合わせる。
「リオネルさんの怪我が治りきってないし、出血も多かった。できれば回復と造血の魔結晶を……」
アロイが言いかけたそれを、私が止める。
「待って、アロイ。上の階の部屋にある魔道具を壊してもらうほうが確実じゃない?」
「そうか、それなら僕が直接、回復魔法をかけられる。――セロ、この部屋の真上の階はどんな外壁だった? 窓はあった?」
アロイの問いに、セロの妖精が答える。
「さっき妖精が外壁を1周したが、確か、あまり大きくないベランダがあって、上品そうなガラスの掃き出し窓があったはずだ。おまえんちの窓よりは安そうだった」
「それは、君がいる距離から、矢で撃ち抜けそうな窓? いっそ上の階を燃やしてくれてもかまわないんだけど」
アロイが物騒なことを言う。けれど確かに、火矢でも撃ち込んでもらって、燃やしてくれれば魔道具は壊れる。
「上の部屋に魔法無効の結界を作り出してる魔道具があるんだ。それさえ壊してくれれば、私たちも動けるよ」
私がそう言うと、心なしか、風の妖精が頷いたように見えた。
「了解。こっちで検討する。――少なくとも今晩中にはどうにかする手はずで動いてる。おまえらもそのつもりで待ってろ」
妖精はセロの声で喋っている。小さくて可愛らしい、羽の生えた少女のような見た目だけれど、その声を聞くとなんだか、不敵な目つきでにやりと笑っているように思える。妖精の顔なんて見えないのに。
「これで助かりそうだね、ベル」
私が心の中で思い描いていたセロの笑みよりは、もう少しだけ優しい笑みをアロイが浮かべる。
伝達を終えた風の妖精が、きらりと魔力の残滓を残して消えた。
誤字修正(20250419)




