5.美少女店主と黒い犬
各方面に何の進展もないまま、3日が過ぎた。その間、仕入れ先と時々話をして、あらためてセロとアロイが冷静だったことを知る。仕入れ先に連絡をとる時に、「ベルナールの姪のベルです。叔父は行方知れずですが、冒険者ギルドには知らせてあります」と言えばだいたいは事足りたからだ。子ども相手に取引はできない、と言うような相手にはセロが間に立ってくれた。そうせざるを得ないという言葉にも、そのほうが話が早いという言葉にも今なら頷ける。
開店を遅らせることも考えたが、いつまで延期すればいいのか、めども立てられないことを考えると、“叔父さんが行方不明”のままで開店してしまったほうがいいと思い切った。「美少女店主っていい宣伝になりそうだし」とアロイが言い、「健気に可愛くやってりゃ売り上げもよくなりそうだぜ」とセロが言った。そういう売り方がしたいわけではないが、話題性はあるなと自分でも思ってしまった。
いざ開店すると、事前にチラシを配っていたことと、セロやアロイ、ナタリーが冒険者ギルドで行方不明のベルナールとかわいそうなベルちゃんについて知らせてまわっていたことで、滑り出しは上々だった。
店を開いて日が経つにつれ、自分がこの生活に馴染んでしまっていることに気がつく。もともと目標として魔法屋を掲げていて、それを達成できたのだからもちろん嬉しいことではあるけれど……あるけれど!!
時々、叫んでしまいたくなる。
「私はおっさんなんだーっ!!」
近所で騒がれてもいやなので、実際には叫ばない。叫ばないけれど、心の中では1日2回は叫んでいる。だっておっさんだもの。
美少女が心の中でそんな葛藤を抱いているとは知らず、外側の事情だけを知っている客は「ベルちゃん偉いね」などと言ってくる。
「これさぁ……ずっとこのままなのかな」
開店して1ヶ月。気軽に魔法陣を開いたのは夏の終わりだったけれど、今はもう秋だ。
回復結晶の納品に来たアロイと、素材を売りにきたセロ相手につい愚痴ってしまう。もちろん2人だって答えは知らないだろう。2人は顔を見合わせて、軽く肩をすくめた。
「ベルナールの体のほうも、魔法陣屋のほうも続報は入ってきてねえな。魔法陣屋は以前にもうさんくさい陣を売っていたらしくて、冒険者ギルドに手配書が出てたぜ」
「魔法陣屋が見つからないのはともかくとして、ベルナールの体が見つからないのは困るね。召喚の時に何らかのアクシデントはあったんだろうから、それで座標がずれたり置き換わったりすることはあり得ると思うけど、そんなに遠くに飛ばされたのかな」
2人とも言わない。そして私も言わない。
リナの体だけこちらに来ていて、しかもこの体が“死んでいない”ことを考えるなら、私とリナの体が、位置も含めて交換されてしまったかもしれない可能性がある。つまり、リナの意識を持った私の体は今、セロやアロイの故郷であるニホンにあるかもしれないのだ。
「おっと、客だな」
入り口のガラス戸の向こうに人影を見つけてセロが言う。
直後にちりんちりんと扉に仕掛けた鈴が鳴った。
「やぁこんにちは。使い魔の解除用の魔結晶はあるかね」
半開きの扉から左半身だけをのぞかせて、声をかけてきたのは40代くらいの口ひげの男だった。どこかで見たような気がする。
「はい、いくつかございます」
返事をすると、そうかと言って、右手に持っていたらしい縄を引っ張る。その先にいたのは黒い大きな犬だった。
「いや、こいつなんだがな。異世界から使い魔を呼べますなんていう嘘八百のふれこみに騙されて、呼んでみたら単なる犬だったんだよ」
思い出した。私と同じ男から魔法陣を買って、翌日に騙されたと路上で声を上げて警備隊に連れて行かれた男だ。
黒い犬は入り口のあたりで抵抗している。こっちへ来い、おとなしく言うことを聞けと男が言っているが、一向に聞く様子はない。口に出した命令すら聞かないなんて、それは使い魔じゃないのでは?
「あの……それは使い魔ですか?」
「そのつもりで呼んだんだが、何をどう試してもわしの言うことを聞かん。魔力をよくよく調べてみたら、わしの魔力とは似ても似つかぬもんだった。だから魔法陣が嘘八百だったんだよ。えい、こっちへ来んか!」
男が強く縄を引いたことで、黒い犬はやっと店の中に入ってきた。ぐるぐるとうなり声を上げながらこちらをにらみ、そしてすぐに声がやんだ。黒い瞳がじっとこちらを見つめてくる。
「あ、おとなしくなりましたね。でも使い魔じゃないのなら、解除用の魔結晶は効果がないかと思います」
「やはりそうか……。どうするかな、どこかに売り払うか」
黒い犬はこちらを見つめたまま、一歩二歩と近づいてくる。攻撃的な様子はない。ただ不思議そうに私を見つめ、ややあって、何かの確信を得たかのように、ワン!と一声、とても嬉しそうに鳴いた。
「ワン! ワンワン!」
鳴き始めると止まらない。何かを熱心に訴えるようにして、ワンワンと鳴き続ける。繋がれた縄の許す限りで、ぐるぐる回りながら。
「可愛いですね。私も犬が好きなんですよ」
言いながら私は犬の前にしゃがんで、犬に手を伸ばす。
そう、黒い犬を使い魔として召喚しようと思っていた。大きめの体、中途半端な長さのふわふわの毛皮。想像していたのは、ちょうど今目の前にいるような犬だ。
伸ばした手が犬の毛並みに触れて、その感触に驚いて手を引っ込める。
「おや、噛まれたかね」
「あ、いえ、違います。……あの、この子、私に売ってもらえませんか?」
そう言った途端、犬はこちらの言葉をわかっているかのように、ワフ!と嬉しそうな声を上げた。いや、わかっているのだ。私の推測通りなら、この犬は私たちの言葉を理解している。
交渉すると、郊外に牧場を持っているというその男は、魔獣除けの設置型魔道具と交換ならと言ってくれた。設置型魔道具の売値は安いものではないが、私は自作出来るので素材の仕入れ代金を考えるとそう高いものでもない。なにより見本用に作ったものが在庫としてあるのだ。それと犬を交換してもらうことにした。
「偶然入った店だが、いい取引だったよ」
「こちらこそ」
ちりりりんともう一度扉が音を立てて、男が店を出て行く。
その姿が見えなくなった途端、犬はワフワフと私にまとわりつき始めた。飛びかからんばかりの勢いだ。
「おい、ベル? おまえは犬が喜ぶ匂いでも出してんのか?」
「聞いて! 2人とも! これは手がかりだ!」
「犬が?」
来客中はカウンターの奥で静かにしていてくれたセロとアロイが犬を見に店内に出てくる。
「この犬の体は、私の魔力でできているよ!」
あらためて犬の前にしゃがみこみ、毛並みをわしわしと撫でる。手のひらから、じんわりと自分の魔力の片鱗を感じる。
これは、あの日呼ぶはずだった黒い犬だ。
「つまり、おまえはその犬と意思疎通できるってことか」
「もちろん!」
犬の体に触れたまま、私は魔力を通して意識の回路を開こうとする。魔力が浸透していく感覚があり……そしてそのままふつりと切れた。
「……あれ?」
もう一度同じことをやってみるが、また同じところで魔力が途切れる。こちらの出力が切れるのではなく、犬のほうでそれ以上は受け付けない、壁のようなものを感じる。
「それで、その犬はさっきからベルに何か言いたいようだけど、なんて言ってたのさ」
アロイがそう聞いてくるけれど、私は首を振るしかなかった。
「犬の体は間違いなく私の魔力でできているんだけど、途中から魔力が通らない」
「あのゴタゴタの時に呼んだ犬だろ? 不完全だったんじゃねえの?」
「ワンワン!」
その可能性もある、とセロに答えかけたところで、犬が何かを訴えるように鳴き始めた。犬の前にしゃがみこんだままだった私にのしかかってくる。
「うわ!」
大きな犬に体重をかけられて、尻餅をついた。その勢いで両足を開いてしまう。当然、エプロンドレスとスカートはべろりと大きくめくれ上がった。
「ベル、はしたないよ」
アロイに言われて慌ててスカートを戻そうとしたら、それより早く黒い犬が前脚でスカートを整え始めた。
「ワン! ワォン!!」
えーと……これは? もしかして!?
「ちょ、ちょっと待って。確か、動物の言葉がわかる魔法陣がある!」
慌てて立ち上がり、カウンターの奥の棚をごそごそと探す。引き出しの奥に目当てのものを見つけ、犬の前に戻ってくる。
黒い犬に魔法陣を見せて、説明する。これでもし私の想像通りじゃなかったらとんだ茶番だが、今はそうも言ってられない。
「いいかい、この魔法陣の上に乗ると君の言葉が私たちにわかるようになる。爪で破いたりしないように慎重に乗ってくれ」
犬が頷いたように見えた。
大きめのハンカチサイズの魔法陣を犬の前の床に広げると、犬はゆっくりと魔法陣の上に足を進め、そこで行儀良く座って見せた。犬の体に対して魔法陣は少し小さかったが、中央でお座りをするとちょうどよくおさまった。
黒い犬がおもむろに口を開く。
「あたしの体、返してよ!!」