25.監禁と挑発(アロイ視点)
僕とベル以外に馬車に乗っているのは、僕を拘束して見張る男、ベルを抱えて僕を威嚇する男、そして御者席に座る男の3人だ。
東門の外で馬車を乗り換えて、御者の男以外は幌のかかった荷台に乗った。外の景色が見られないので、街道をどう進んだかはわからない。わかったとしても、拘束されている状態では外部に連絡する手段がない。
とりあえず、拘束して馬車に乗せたということは、すぐには危害を加えないということだろう。
馬車の中では、余計な真似をするとこの小娘がどうなっても知らんぞ、と陳腐な言い回しで脅された。ベルが意識を失っている状態で、僕自身も縛られているのだから、手の出しようはなかったけれど、口は自由だったから、ベルの意識を戻す方法はあった。状況からして、ベルにかけられてるのは深い眠りの魔法だろう。そうであれば、僕の解毒の魔法ですぐ意識は戻せる。とはいえ、今ここで解毒魔法の詠唱をすることは、僕を脅している男が言うところの“余計な真似”に該当しそうだ。
あの場所に放り出されたティモとルドヴィはどうしただろう。何種類かの毒や麻痺を解毒できるような魔結晶はずいぶん以前にセロに渡してあったから、セロがなんとかしてくれているかもしれない。昨日までの野営ではセロの魔結晶はほとんど消費していない。その帰りにそのまま我が家に泊まってもらった形だったから、セロの手持ちの魔結晶は充実していたはずだ。
馬車に乗せられて、1時間かそれ以上。どうやら目的地に着いたらしく僕らは馬車を下ろされた。まだ眠ったままのベルは男の1人に担がれている。
拘束されたまま顔を上げると、遠くに海が見えた。街道のどこを通ってきたかはわからないが、山越えはしていないはずだ。山を越えずに、それでも海が見えるということは、あれは内海だ。東門から出て内海が見える位置ということは、東から北西に回り込む街道を使ったのだと思う。
オスロンから北……内海が湾曲している分、正確にはやや北西に当たるのだろう。馬車を下ろされた場所は人気の無い小さな村で、村人の気配はあるものの、姿は見えなかった。目の前にはその村の規模に見合わない、古いけれど立派な屋敷がある。
昔、まだ貴族の荘園制度が多く残っていた頃によくあったらしい村の造りだ。今は伯爵以上の爵位を持つ貴族が領地を持つだけで、それ以下の貴族は領地を持たず、荘園を持つ貴族も少ない。都市内と近郊に土地と屋敷を持つだけだ。国から貴族年金の支給はあるものの、貴族とは名ばかりで、体面を保つのにぎりぎりの資金繰りをしている家も多いと聞く。
目の前にある屋敷は、そういった貴族が手放した家のひとつかもしれない。九聖教の周辺調査で、絡んでいる貴族はいないと父に聞いている。そして、例の……即席麺を売っていた商会が絡んでいるのだとしたら、資金力のある商会主が悪事の拠点として買い上げるのに、街から適度に離れた古い屋敷はおあつらえ向きのように思えた。
そのまま屋敷に連れ込まれる。目隠しもされていないのをいいことに、できる限り屋敷の内部の造りを覚えようと見回す。きょろきょろするなと頭を小突かれたが、それ以上のことはされなかった。
屋敷は、村の規模の割に立派だとはいえ、オスロンにある我が家よりは小さかった。2階建て……一部には3階部分もあるかもしれない。下級貴族の別荘というところだろう。
囚われて監禁されるなら地下室かなと想像したが、連れて行かれたのは1階の奥にある物置部屋のようなところだった。ひょっとしたら地下室のない造りなのかもしれない。
物置部屋の扉の前で、男の1人が僕の縄を解き、ボディチェックのようなものをした。余計なものを持っていないか、服のポケットの隅々までチェックする。護身用の武器や魔結晶、魔道具の類は全て没収された。隣ではまだ眠り込んでいるベルも同じようにいろいろ没収されている。
「ここに入ってろ」
物置部屋の扉を開けて、男は僕の背を押した。別の男がベルを抱えて一緒に入り、床の片隅にどさりとベルの体を下ろす。雑な扱いではあるが、怪我をするような下ろし方ではなかったことにほっとする。
「俺は教主様に連絡をする。おまえは扉の前で見張りだ」
僕を拘束していた男が、ベルを下ろした男にそう言った。御者席に座っていた男は馬の世話でもしているのか、屋敷には入ってきていなかった。
「おっス。――そこの樽に水くらいは入ってるから、先客と仲良くな。余計な真似すんじゃねえぞ」
見張り役になった男は、後半の言葉を僕らに向けてそう言った後、部屋から出て行った。ガチャリ、と鍵のかかる音がする。
――先客?
薄暗い部屋の中を見回すと、確かに水を入れた樽があったのと、その奥に若い男性と女性が1人ずつ、うずくまっていた。
「君たちもさらわれてきた人?」
そう聞くと、男性のほうが頷いた。
「そうだ。おれが3日前にさらわれてきた。次の日には彼女が。――1日に1回は固いパンが出るよ。トイレはそこの片隅をカーテンで仕切って使っている」
「そろそろ、解放条件の交渉を始めるって言ってたわ。あなたたちをさらってきたことで、交渉する材料が揃ったのかもしれない。昨日、『あとはクラクストンのガキだ』って言ってたけど、あなたのこと?」
女性に問われて僕は頷いた。
「クラクストンの息子だよ。アロイという。君たちは?」
「あたしはスヴォリノフ商会で商品開発と経理を担当しているわ。名前はナターシャ」
「おれはコルドウェル商会の者で、リオネルだ。旦那様の補佐をしていた。おれたちは2人とも稀人だよ。君たちもそうかな?」
2人の自己紹介を受けて頷く。
「僕は稀人だけど、彼……彼女は違う。クラクストンの関係者というわけでもないんだけど、一緒にいたから僕への抑止力として連れてこられた感じだ。……ああ、そうだ、起こさないと。【無垢なる天の鳥の羽根、清らかなる……】……あれ?」
解毒の魔法を試そうとして、異変に気づく。めぐらせた魔力が詠唱に乗る前に散らされていく感覚だ。
あ、とナターシャが声を上げた。
そちらを振り向くと、ナターシャは小さく首を振っていた。
「この部屋は魔法が使えないようになってるわ。今のは回復魔法の1種だと思うけど、あたしたちの生活魔法も使えないの。なんていうか……魔力を外に放出しようとすると、全部どこかに吸い取られるっていうか、“なかったこと”にされるみたいな感じ」
なるほど、この部屋の誰も縄や鎖で拘束されていない意味がわかったような気がする。薄暗い物置部屋で、武器も魔道具もなく、魔法すら使えないなら確かに何の抵抗もできない。
「原始的な方法で起きるかな。効果時間次第か……。ベル、ベル! 聞こえる?」
僕はベルの頬を軽くぺちぺちと叩いてみた。リナの体相手に強く殴ることは気が引ける。
「……ん……」
ベルが小さく反応するが、まだ眠りの魔法は効いているようだ。けれど、今ので反応があったということは、もう少し時間が経てば自然と目が覚めるかもしれない。
部屋には窓もない……いや、一応あるのかな。どこからか外気が入ってくる。見回すと、小さな明かり取りの窓があった。ガラスも入っていない、窓というよりは隙間といったほうが正しいような、横長の開口だ。横幅はドア1枚分もなく、高さは拳ひとつ分よりやや余裕があるくらいか。そんな横長の窓のようなものが、天井付近の高い位置にある。
たとえば成人男性であるリオネルに肩車をしてもらえば届くだろうけれど、いくら僕やベルが小柄だとはいえ、腕1本を出すだけで精一杯の窓だ。脱出口の選択肢にも入らない。
さて、どうするか。自力での脱出は難しそうだ。せめて父かセロに僕らの居所を知らせることはできないだろうか。僕の魔法は回復系に特化しているけれど、ベルなら? いや、どちらにしろ魔法が使えないこの部屋では無理か。
「んんー……」
僕がベルの魔法のことを考えたのとほぼ同時に、ベルが小さく唸り声を上げる。
「ベル? 起きた?」
「……アロイ……? 待って……ここは……あっ! そうだ、息を止めないと眠りの魔結晶が……っ!!」
急に覚醒したようで、ベルはそう叫びながら体を勢いよく起こした。
「ベル、それはもう過ぎた話だ」
僕は手短に、馬車で移動させられたこと、ティモとルドヴィはその場に置いて行かれたけれど、セロが多分どうにかしてると思うこと、この部屋では魔法が使えないことを伝える。
ベルは部屋を見回し、僕と同じようにナターシャとリオネルに自己紹介をした。
「アロイはこんな時でも落ち着いてるね」
ベルはそう言ったけれど、これは落ち着いているというのかどうか。
「慌てても何かが好転するわけではないからね。むしろ体力を温存するならじっとしていたほうがいい」
「それはそうだけど……」
言いながらベルは居心地が悪そうに部屋をきょろきょろ見回した。
ふと、扉の外に人の気配がした。もちろんさっきの男が見張りに立っているのだろうから、もともと1人はいたのだろうけれど、急に人が増えたような気配がしたのだ。
「こちらです。薄汚いところですが、ご容赦を」
馬車で僕を拘束していた男がそう言いながら扉を開け、別の男がその戸口に立つのが見えた。1人だけ上等な服を着ている。淡い色合いの柔らかそうな生地でできたチュニックに、似た色合いの生地に銀糸で刺繍をほどこしたロングベスト。深いグレーのズボンも光沢があって上等な生地だ。明らかに1人だけ身分が違った。
見張りだった男、扉を開けた男、戸口に立った身分の高そうな男、その他に奥にもう2人ほど、荒事に慣れていそうな男たちが立っていた。
扉が開いたからと言って強行突破もできそうにない。
「……私はこういった乱暴な手段は好まないんですけれどね」
身分の高そうな男がそう言いながら、僕らを見回した。こちらが全員床に座っているせいもあって、物理的にも、そしておそらく心情的にも見下している。
「ですが、教主様。これはあちらのご意向でもあるので……」
扉を開けた男が小さな声で言う。教主……なるほど、あの上等な服を着た男が、九聖教の現教主か。
「年の頃を見るに……君がアロイ・クラクストンですか」
教主が僕に視線を合わせた。
「そうだよ。そちらはジェレミア・スクデーリでいいのかな。九聖教の教主だと聞いている」
「てめぇ、教主様に失礼な口をきくな!」
ジェレミア教主の後ろのほうで誰かが怒鳴る。
「知ったことじゃない。僕は九聖教の信者でもないしね。そもそも礼儀を云々するのなら、こんなところに拉致監禁しているほうがよほど失礼だろう」
「……アロイ、あまり相手を刺激しないほうが……」
ベルが小さな声で言って、僕の袖を軽く引く。
「なるほどなるほど」
うんうん、とジェレミア教主は何度か頷いた。
「話に聞いていたよりは傲岸な人間なのでしょうかね。それもそうかもしれません。貴族の血に連なる裕福な商会主の家で何不自由なく育ち、私塾や高等院で回復術を修めたと聞いてます。自らの努力によらない立場にあぐらをかき、勉強に集中できた。弱き者を顧みない不遜な若者といったところでしょうかね」
「なにを……っ! あなたがアロイの何を知って……っ!」
反射的に言い返したのは、相手を刺激しないほうがいいと言ったはずのベルだった。
ふふ、とジェレミア教主が微笑む。こちらを蔑むような笑みだ。
「稀人だということは知っていますよ。――稀人など、ただの悪霊憑き、そうでなければ寄生虫と似たようなものでしょう?」
ジェレミアは僕らだけではなく、ナターシャやリオネルのほうにも視線を向ける。
「なん……っ!?」
リオネルのほうが、キッとジェレミアを睨む。ナターシャも不本意そうな顔だ。
「それとも、死体に入り込んでその記憶と立場を盗む化け物と言い換えましょうか。……私は、稀人が稀人であるというだけで利益を得るような世の中を変えてみせますよ」
ジェレミアからは本気でそう思っている様子が伝わってくる。
「――それは、逆恨みかな?」
僕がそう尋ねると、ジェレミアは僕に向けて眉をひそめてみせた。
「……どういう意味ですか?」
「言葉通りだよ。別に僕らがあなたの財産を盗んだわけではないだろう。利益がどうのと言うけれど、たとえば僕は国から出る稀人への補助金は受け取ってないし、僕が私塾や高等院に行こうが、医術院に行こうが、あなたには何の関係もない。僕は僕の努力で勉学を修めているし、自ら足を運ぶことで冒険者の仕事や医術院で助手の仕事をしている。それに対して正当な報酬をもらうことが、あなたの利益を侵害することになるのかな?」
稀人であるだけで利益を得ているような人間は知り合いにはいない。違う世界で暮らさざるを得ないことに、みんな、悩んでるし戸惑っている。その中で、どうにかこうにか、自分たちの生きる道を見定めているのだ。
「……それでも、君の家が裕福だったのは君の努力ではないでしょう」
ジェレミアが僕を睨み付ける。もう少し本音を聞き出しておきたいところだ。
僕らの拉致監禁は本意ではなかったように言っていたけれど、彼からは稀人への恨みがやはり透けて見える。
「そうだね。それは父に感謝しなくては。――とはいえ、高等院では返済不要の奨学金の打診も受けたから、父がお金を出さなくても僕は今と同じ立場にいられたと思うよ。僕はね……どうしても回復術師になりたかったんだ」
病で倒れる無念さを僕は知っている。もう試せる治療がないと言われた時の絶望を知っている。もっと早く、無理矢理にでも病院に担ぎ込めばよかったと泣いた恋人の顔を覚えている。
「……私もそうでしたよ。途中で断念せざるを得ませんでしたが」
苦い顔で言うジェレミアに、僕の顔が思わず笑みの形を作る。
「自分で諦めたことを他人のせいにしないでほしいな」
「君に何がわかりますか。生活の苦労をしたこともない君に」
ジェレミアから少しずつ余裕がなくなってくる。
「僕だって知っている。高等院で中途退学した友人が何人もいるからね。けれど、それと同時に、死に物狂いでお金を稼いで復学した人間がいることも知っている。中等院を出た後、ずっといくつもの仕事を掛け持ちして、時には冒険者稼業で危険な仕事もこなして、自分で学費を貯めて、30歳を過ぎてから高等院に入ってきた友人だっていた。――あなたはそれをしたのか?」
「私は……高等院を中途退学した後、教会の施療院で身を粉にして働いて……」
自分の境遇を言いつのるジェレミアに、僕はかぶせるようにして言葉を続けた。
「それを学費に充てた? 違うだろう? そこで出会った九聖教で、自分の体験を話して周りに哀れまれて、それで満足したんじゃないのか。可哀想に、と言われるのは心地よかった?」
ああ、いけない。言い過ぎだ。でも止まらない。
――哀れむことも、哀れまれることも、麻薬だ。あの患者さん、若いのに可哀想ねと話す、看護師たちの立ち話を聞いた。自分は可哀想なのかと思った時、病に抗う気持ちが削り取られるようにすり減っていった。それを恋人に話すと、そんなことを考えてる暇があるなら、私が作ってきたゼリーでも食べなさいと怒られた。恋人も家族も、誰1人、僕のことを可哀想だとは言わなかった。それが、とてもありがたかった。哀れみに浸ることはただの思考停止だと彼らは知っていたし、僕も彼らからそう教わったのだ。
「……アロイ」
ベルが再び袖を引く。が、それは少し遅かったようだ。
「てめぇっ!!」
教主の横に立っていた男が、僕の頭に向けて拳を振り下ろした。ガツッと固い衝撃に、一瞬頭の芯が揺らぐ。そのまま両肩をつかんで立ち上がらされて、みぞおちにも強烈なのを食らった。
「うぐっ!」
殴り方が下手だ。男の拳があばらに当たって、骨がきしむ。僕ももちろん悶絶するほど痛かったけれど、あれでは拳のほうも痛かっただろう。
その場に膝をついた僕を見下ろしてジェレミアが言う。
「……そのくらいにしておきなさい。それはまだ交渉材料に使うのだから。それに、あとでやりたい実験もありますしね」
さっきまで顔を歪めていたジェレミアだったが、今はもう取り繕ったような微笑を浮かべていた。
ジェレミアたちが立ち去って、再び扉に鍵がかけられる。
その場にうずくまった僕の肩に、ベルが慌てて手を添えた。
「アロイ! 大丈夫!? どこか折れてない?」
「……折れてはいないと思う。ただまぁ……結構痛かったね。それに最初の一発は脳が揺れた感じがしたよ。……ちょっと、横になって念のため安静にしてようかな。今は回復魔法が使えないわけだし」
脳震盪の後はあまり動かないほうがいい。普段なら、魔獣討伐なんかである程度攻撃を受けたら、すぐに自分に回復魔法をかける。けれど今はそれができない。
ベルは物置の隅に積んであった古い麻袋のようなものを並べて重ねてくれた。
「なんか、毛布でもあればよかったんだけど、とりあえずここに横になってよ。……なんだってあんな、相手を挑発するようなことを言ったのさ」
ありがたく、麻袋の上に体を横たえながら、僕は考えた。挑発したかったというより、あれはごく自然に口から出てしまったからだ。
「……僕は、ずっと怒っていたのかもしれないよ」
「え?」
「僕だけならまだしも、ベルも巻き込んだろう。それに、さっきはティモやルドヴィも巻き込んだ」
まずはそれが怒りその1だ。
「……それは、そうだけど……」
ベルが唇を尖らせる。
「それにあいつは、稀人全体を化け物扱いしている。それは、僕を受け入れてくれた今の両親に対する侮辱だと思った。父さんと母さんは……言ったんだ。もちろん複雑な気持ちだけれど、この体と記憶が生きてそこにあることは救いだって」
それが怒りその2だ。
……ああ、くそ。やっぱり殴られたところが痛むな。みぞおちからズレたところを殴られた。あばらにヒビでも入ったかもしれない。
自分が荒事に向いていないことは百も承知だけれど、これからはもう少し筋トレくらいしたほうがいいのかもしれない。
薄暗い物置、がさついた麻袋の上で、僕はそんなことを思った。




