23.家族(ティモ視点)
ベルさんと、そしてアロイさん、セロさんとも話して、オレは自分が家族の気持ちをパカれていなかったことに気がついた。言われて初めて気がついた。洗濯はされていたし、毎日ではなかったが手料理だって食べていた。そもそも、オレが高校を卒業するまでは家族そろって食事をとることのほうが多かった。
大学受験に失敗して、専門学校からも落ちこぼれて、中途半端な引きこもりになっていた頃から、オレが勝手にコンビニ弁当やカップ麺、ファストフードで食事を済ませることが多くなったんだ。
――君には伝わりにくくて、だからこそ君にとっては充分じゃなかったのかもしれないけれど。
そう言ったのはアロイさんだったろうか。
オレは多分、家族の思いやりを受け取れなかったんだろう。それで勝手に寂しがっていた。
でもそれと同時に、ティモの記憶や、こちらに来てからのことも思い出す。生前のティモが少しばかり拗ねたりした時には、母親は仕事も忙しかっただろうに、ティモの好物を作ってくれた。肉団子のトマトスープだ。魚ばかりが流通する漁村で、肉を手に入れてくれて、肉を叩いて、こねて、丸めて……。その作業を見ると、ティモは必ず途中から手伝った。最初は拗ねたまま無言で。そのうち、鍋で煮込み始める頃には機嫌も良くなっていて、まだ煮えていないよと母親に言われつつもスープの味見をしたりした。
父親はティモがまだ小さいうちに海で死んだ。その後は母親と2人暮らしだった。その母親が病気で亡くなって、身寄りがなくなったのは15歳の頃だった。その頃にはティモも他の船をいろいろ手伝ったりもしていたから、このまま1人で生きていくことになるんだろうなと思ったけれど、網元のおやっさんが「うちに来い」と言ってくれた。
漁村では身寄りのない子どもがいると、網元のおやっさんが引き取る。おやっさんが親父代わり、おかみさんが母親代わりになる。自分はもう15歳だとティモが言うと、おやっさんは「まだ15だろ。ナマ言うんじゃねえや」と笑った。それからずっとおやっさんの家で1部屋借りていた。たまたま、他に引き取る子どもがいなかった世代でもあったから、ティモは追い出されることもなく、でも18歳になってからはおやっさんに家賃や食費を納めた。
落ち込んだ時、寂しくなった時、おやっさんは一緒に釣りをしてくれたり、船の磨き方を教えてくれたりした。おかみさんはねじりドーナツのような揚げ菓子を作ってくれて、それにたっぷりと砂糖をまぶしてくれた。
オレがティモの体に入ってからもそうだった。おかみさんはやっぱり、砂糖をたっぷりまぶした揚げ菓子を出してくれたし、おやっさんとは一緒に船を磨いた。
それでも海が苦手で居心地が悪いなら、稀人の申請をするのと一緒に、冒険者に登録してみたらどうだ、と言ってくれた。街でうまくいかなかったら、村で船に乗らずに済む仕事を探してみるから、いつでも戻ってこいと言ってくれた。
村を出る日には、魚の切り身を焼いたのがごろりと入った大きなおにぎりを作ってくれて、そしてやっぱり、砂糖をまぶした揚げ菓子も袋に入れて持たせてくれた。
ティモが学校に行ったのは初等院だけだ。教科書だけは取り寄せて、中等院の勉強も少し自分でやったけれど、学校には行っていない。
それでも多分、ティモは日本で生きていたオレより頭が良かったのかもしれない。
……いや、そうじゃない。ティモはパカれる人間だった。他人のことを考えて行動できたし、周りの人間がティモをパカってくれていることに気づける人間だった。
――君は稀人としてこちらに来て、不器用ながら人に頼ること、相談することを知っていた。それは、君が頼ること、相談することを許されていたからだと僕は思った。
これを言ったのもアロイさんだった。
言われてオレは気づいたんだ。頼ることや相談することを知っていたのは、ヒロキじゃなくてティモだった。
ヒロキはそんなことがついぞできないまま、日本での命を終えた。
日本の家族に全く愛されてなかったとは思わない。けれど、オレが何かを失敗すると、母親は「どうしておまえはそうなの!」とキンキンした声で叫んだ。弟は何も言わずにオレを見て、ふん、と鼻を鳴らすだけだった。父親は、そもそもオレを視界に入れていないようだった。子どもの頃にはそれなりに愛されていた記憶はある。けれど、オレという人間の出来がわかってしまうと、両親の関心は弟に移っていった。
それが寂しかったのだと、ティモになってから気がついた。
最低限の愛情はあった。オレから手を伸ばさなかったことも原因のひとつだったかもしれない。オレは確かに寂しかったけれど、寂しいという感情を家族にぶつけたこともなかった。
オレが寂しいと……今はこんなことで悩んでいるんだと、もっと早い内に家族の誰かに相談していれば、家族がオレへの関心を失う前に何かできただろうか。お互いにもっとパカりあえていたら、もっと違う形の家族になれていただろうか。
日本でのヒロキと、その家族。生前のティモと母親、おやっさんとおかみさん。物質的には日本での暮らしのほうが豊かだった。けれど、ティモは寂しくなかった。
オレは……なんというか、そういうことを知らずに生きて、そして死んでいったヒロキを……自分自身を哀れんでしまった。
唐突に涙を流し始めたオレに、3人とも深く追求しないでいてくれた。
自分が可哀想で泣いたなんて、恥ずかしくて言えない。
*****
じわり、とオレの胸元から温かなものが広がるのがわかった。胸から腹へ、そして次第に全身に広がる温かさと、体の中で何かが整えられていく感覚。さっきまで動かなかった指先が動く。そう気づいた次の瞬間には、頭の中がクリアになる。
「……い、おい、ティモ! ルドヴィ!」
セロさんの声だ。
緊迫感に満ちたその声に急いで目を開ける。セロさんが両手でオレと、隣に倒れていたルドヴィさんの胸元に魔結晶を置いて魔力を込めているのがわかった。セロさんは何故か目を閉じていた。
ほろり、とオレの胸の上で魔結晶が崩れる。薄い黄色の魔結晶だった。
「2人とも起きたか。ルドヴィはスコットに連絡。ティモは荷物と俺を抱えてここから少し離れろ。さっき通ってきた小さい広場のベンチあたりでいい。俺は今、光の妖精と視界を共有して馬車を探してる。街じゃ情報量が多すぎて目を開けていられねぇ」
セロさんの指示に、一瞬、頭が混乱しかける。けど、もう1回言ってくださいなんて言える雰囲気じゃない。
えっと……そう、ここから離れる! セロさんを抱えて!
オレは慌てて起き上がり、セロさんの腰をぐっと抱えると、そのまま片手で肩に担いだ。
周囲を見回す。
――馬車がない。ベルさんがいない。ルドヴィさんは通信具で連絡を取り始めた。そうか、馬車がないってことはアロイさんもいないんだ。なんだっけ、足もとから急に白い煙みたいなのが上がって……いや、そんなことを考えるのも後だ。
オレたちの周囲には、ベルさんの荷物とセロさんがもともと持っていた荷物、そしてさっきの店で買い物をした袋が落ちている。空いているほうの手でそれらを拾う。
きらり、と道の上で何かが光った。銀の鎖と……深い青色の四角い魔石。冒険者証だ。以前にセロさんに見せてもらったのと同じ。これは、ベルさんのだろうか。それも拾ってズボンのポケットにねじ込んでおく。
「もたもたすんじゃねえ。早く移動しろ。さっき買い物をした店が絡んでたらややこしいことになる」
何かあったのかと、通りすがりにちらちらとこちらを見る人は何人かいたけれど、まだ人通りはあまり多くない。移動するなら、確かに今のうちだ。
通信具を耳に当てていたルドヴィさんと視線を合わせ、2人で頷いてから小走りに移動を始める。本当なら全速力で走りたいところだけれど、荷物はともかく、セロさんまで担いでいるのだから、そんなわけにもいかない。いや、重さだけで考えれば、セロさんは豊漁だった日の船の保存箱より軽いけれど、肩に担いだまま走って、がっくんがっくんさせてしまうのは申し訳ないと思ったからだ。
指示された広場に移動するうちに、さっきの指示の内容が頭にしみこんでくる。
そうだ。セロさんは光の妖精と視界を共有していると言っていた。馬車がなくて、アロイさんやベルさんの姿が見えないってことは、馬車ごとさらわれたのか。アロイさんが狙われてるらしいのは、昨日の話で理解していたけれど、ベルさんまで連れて行かれたのはどうしてだろう。
広場のベンチにセロさんを下ろす。
「……見つけた。多分あれだ。ルドヴィ、スコットに知らせろ。東門から馬車が出ようとしてる」
「了解、伝えます。……そのまま追えますか?」
ルドヴィさんの言葉に、セロさんが苦笑する。
「無茶を言いやがる。もうさっきからいろいろ流れ込みすぎて頭がガンガンしてるってのに。……追える限りは追うよ。ただ、距離が離れればそのうち接続は切れるぞ」
「うちの警護の連中が馬車で東門まで行きます。我々もできればそこに合流してほしいとのことです。――馬車を調達してきます。ティモさん、セロさんを頼みます」
ルドヴィさんがそう言ってオレを見る。
「は、はい! 頼まれたっス!!」




