22.即席麺とグミと
「あ、確かあの店っスね。なんか乾物とかパスタとか売ってたんで、こっちの世界にもパスタあるんだなーって思ってたんスよ」
ティモが1軒の食料品店を指さした。ティモが言うように、乾物や保存食料をメインに売っているようだ。
昼前、私たちはごく普通の馬車に乗って商店街まで来ていた。クラクストン家の馬車では目立ち過ぎるので、何の特徴もない馬車を朝のうちに手配してあった。御者席に座ってるのはクラクストン家の警護をしている人だ。
「ルドヴィ、そこの角で停めて。――念のため、僕は馬車の中にいるから、セロ、後はよろしく」
アロイの言葉にセロが頷き、ティモと連れだって馬車を降りていく。
「ベルはどうする?」
「うーん、店の品揃えには私も興味あるし、一緒に見てくるよ。で、ここからならそんなに遠くないから、私はそのまま自分の店に戻ろうと思う」
「了解。一応、周囲に警戒はしておいてね」
うん、と頷いて私も馬車を降りた。
今朝、ティモの目元は少し腫れぼったくなっていたが、落ち込んでいるとか思い悩んでいるとか、そんな雰囲気はなかった。かと言って、泣いてすっきりしたという雰囲気もなかったので、多少心配ではある。どこか、感情を押し隠しているような印象なのだ。
ただ、ティモのほうから何も言わないのを、なぜ泣いたのか、今はどういう気分なのかと、問い詰める気にもなれない。それこそティモが言う「パカれない」仕草だろう。
今のティモはと言えば、冷水で顔を洗ったので目元はすっきりしている。セロが店の中に入っていくのを、少し後ろからついて行くが、口は開いていない。
というのも、おまえは何を口走るかわかんねぇから黙っとけ、とセロに言われているのだ。
「いらっしゃいませー」
店番は若い女性だった。
店の構えは食料品店としては普通よりやや大きいくらいだろう。看板にはブリュノー商会とある。
入り口はガラスの4枚引き戸になっていて、それを広く開けていた。入り口近くから、いくつかの棚や樽の上に商品を並べ、奥へと誘導する造りになっている。店内の一角にはカウンター代わりのガラスのショーケースもあり、ケースの中には乾燥パスタが種類ごとに並んでいた。どうやら量り売りをしているらしい。
「やぁ、こんちは。ここは……乾物メインかな? 俺は狩人やってるんだけどさ、山の中で手軽に食べられそうなおすすめはあるか? 面白そうな新製品があるなら試してみたいし」
セロがにこやかに店番に話しかけた。いつもよりも愛想がいい。よそ行きの……というよりも、女性向けの笑顔だろう。
ティモは余計な口を挟まないように、セロから一歩離れて店の外側に並んでる商品を見ている。
「そうですね、最近のおすすめはこちらの即席ラーメンです。大陸風の麺ですが、乾燥させる時点でもう味がついているので、そのままお湯をかけるだけでお召し上がりになれますよ」
店番の女の子が店頭にある商品の1つを手で示す。売り出そうとしている商品なのか、目立つところに置いてあった。ティモが通りすがりに見かけたというのも納得だ。
「へぇ、煮込まなくていいのか。それに味がついてるって?」
そんな便利なものは初めて聞いたと言わんばかりのセロ。
「ええ、お湯をかけて3分ほど待っていただければ大丈夫です。柔らかめがお好みであれば、軽く煮ていただいても。鶏出汁で濃いめの味がついていますが、具は入っていないので、お好みで卵やベーコンなんかを加えても美味しいですよ」
ふふ、と店番の女の子が笑う。私もティモの横に立って、店の商品を見回してみた。乾燥パスタの他には、米粉を使った麺なども売っているが、それは今までもオスロンで普通に売られていたものだ。
「なるほど、それは便利そうだ。試しに2袋くらい買ってみよう。……これって見たことないけど、最近流行りの稀人が考案したものとか?」
セロが何気なさを装ってそう尋ねるが、店番の女の子は首を傾げた。
「うぅん……どうなんでしょう、そう宣伝しろとは言われてないので違うと思いますよ」
確かに、稀人考案のものであれば、新しい稀人の味として売り出すのが普通だ。そうしたほうが売れるのだから。ただ、そうなると協会への権利登録が必須となる。
「他におすすめはあるか? 食事だけじゃなくて、甘い物や間食の類でもいい」
「あ、でしたらおすすめがあります。お客様、グミってご存じですか?」
店番の女の子が軽く手を打って、にこやかにそう言った。
「ぐえ”っ!?」
変な声を出したティモの脇腹を私が肘で軽く突く。ティモに黙ってろと言ったのは、セロの英断だった。
「グミ? 聞いたことないな。どんなものなんだ?」
そう。セロのその反応が正しいのだ。私はリナから聞いて知っている。製作途中の魔結晶がグミに似ているとリナが言っていた。けれど、生粋のユラル人であれば、グミというものが何を意味するのか、知らない人間のほうが多いだろう。
「ふふ、お菓子なんですよ。少し柔らかいキャンディのような……グニグニとした噛み心地が面白いと、子どもから大人まで人気ですよ。うちの店でも売り始めたばかりなんです」
こちらです、と女の子が示してくれたのは、カウンターの上にある大きなガラスのキャンディポットだった。その中に、赤やオレンジ、黄色、紫などカラフルな粒がたくさん入っている。大きさは確かに魔結晶と同じくらいだった。
「へぇ、これは色で味が違うのか?」
セロがカラフルなキャンディポットを興味深そうにのぞき込む。
「混ぜて販売していますが、それぞれ色ごとに果物の味がしますよ。量り売りでお売りしています」
「面白そうだ。それも1袋くれ」
「はい、ありがとうございます」
「ところで、グミってどういう意味なのかな。大陸の言葉?」
グミを袋に入れている女の子に、セロが問いかける。女の子はわかりません、と首を振った。
「意味はわからないんですけど、これを作った人が『これはグミだ』と言ったらしいですよ」
「へぇ。……このグミも、即席ラーメンもこの店のオリジナルなのかな。他の店で見たことねぇけど」
「そうです、取り扱いは当店のみです。――あ、お客様、コーヒーはお好きですか?」
「ああ、よく飲むよ。この店でも扱ってるの?」
「当店では、即席コーヒー粉末を扱っております。こちらは売り始めたばかりのものなんですよ。ご一緒にいかがですか?」
「い”んっ!」
またティモが変な声を上げる。私はさっきよりも強めに肘で突いた。
いつだったかセロが、インスタントコーヒーがあればいいのにと呟いていたことがある。多分それのことだろう。製造を試した人間がいるらしいが、普通に煮詰めて粉末にするだけでは、香りも味も全くなくなってしまって、ただの苦い黒い物体になってしまったと聞いている。香りを損なわず、味も保ったまま、お湯や水にちゃんと溶けるようにするにはかなりの工夫がいるはずだ。
そもそも、コーヒー豆そのものが少し前までは流通が不安定だった。土地柄、紅茶や緑茶を好む人間のほうが多いというのもある。やっと安定して流通するようになってきたかなという頃合いで、それを即席粉末にしたいと考えるのは、もともとそれに親しんでいた……つまり稀人なんじゃないだろうか。
もちろん、可能性の話でしかないけれど……判断して調査するのはスコットさんだ。
「即席ってことは、さっきのラーメンと同じでお湯を入れるだけでいいってことか?」
インスタントコーヒーか、とは言わない。顔色ひとつ変えずに興味深そうに質問を重ねるセロを見て、スコットさんとアロイが2人揃って、情報収集係としてセロを指名した理由がわかる。
ここはセロに任せてよさそうだ。
インスタントコーヒーを見せてもらうのに店の奥へと行くセロを見て、私はティモに告げた。
「じゃあ私の出番はなさそうだし、自分の店に戻るよ」
「あ、ベルさん、送っていくっスよ」
「いいよ、そんなに遠くないし、まだ昼前だ。危ないことなんてないよ」
「で、でも、ベルさんは女の子っスからっ!」
「違うよ!?」
「見た目はそうっス! セロさん、オレ、ベルさんを送っていくっス!」
店の奥にいるセロへとそう声をかけて、ティモは、フンと鼻息をひとつ漏らしてこちらを見た。なんだか妙にやる気だ。
馬車は少し離れた場所に停まっている。
馬車の横を通り過ぎながら、私は馬車の窓越しにアロイに小さく手を振った。御者席に座るルドヴィさんにも軽く会釈をする。
さっきアロイは、周囲に気をつけてと言っていたけれど、商店街のこのあたりが賑わうのは昼過ぎから夕方にかけてだ。午前中はむしろ人通りが少ない。近辺の商店も店を開けたばかりの時間だろう。襲ってきそうな危険人物が近くにいればすぐにわかる。
御者席の横を通り過ぎる瞬間、足もとでコンと小さな音がした。
小さな魔結晶が落ちている。夜空のような深く暗い藍色。
――落ちている? いや……どこかから飛んできた?
「息を止め……っ!」
反射的に私がそう叫ぶ間にも、魔結晶から白い蒸気のようなものが噴き出して、私とティモ、御者席のあたりにとどまる。
睡眠の魔結晶だ。しかもかなり強力な。
そうだ。私もアロイに作って渡したじゃないか。私がアロイに渡したものは指向性を持たせたものだけれど、これは周辺にただ噴き出すだけのものらしい。
私は口を手で覆って息を止めたが間に合わなかった。私の指示を聞き取れなかったらしいルドヴィさんとティモが先に崩れ落ちる。私も膝から力が抜けた。眠気というよりも意識の喪失だ。
「ベル!? ティモ!?」
馬車の窓からアロイの声が聞こえる。私の意識はもう朦朧としているけれど、アロイの動きを手で制した。
そしてそれきり、私の意識は暗闇に包まれた。




