18.手紙<1>(セロ視点)
ベルたち3人と別れて、俺は狩人組合に足を運んだ。狩人組合は冒険者ギルドから少し離れて、南門の近くにある。商業区や宿場街、住宅街からも離れているのは、作業ににおいが出る皮なめし工房の近くにあるからだ。
禁猟期の今なら誰もいないかもしれないと思っていたが、扉を開けると、おっさんたちの賑やかな話し声が聞こえた。どうやら、持参した昼飯を食べながら仲間同士で話し込んでいるらしい。
「おう、セロ。おまえ、新人のお守りに行ってたんじゃなかったのか」
顔見知りの狩人が声をかけてくる。
「さっき戻ってきたんだよ。出先で若いグレートベアを見かけたから、場所を報告にきた」
答えながら、部屋の窓際にある大きな机のほうへ向かう。そこにはオスロン市周辺の大きな地図と、報告用の記録台帳が置いてある。地図と台帳をざっと見て、情報がかぶってないことを確認してから、俺は、若熊を見かけた場所を書き込んでいく。
「北東の支流のそばか。街道までは少し距離があるが……」
俺の手元を覗きこんでいたひげもじゃのおっさんが、ふぅむと顎ひげを撫でる。名前はグエン。むさ苦しいひげが見た目の年齢をわからなくさせているが、まだ40にはなっていなかったはずだ。
「親離れしたばかりのように見えた。地図のこっち側……街道と反対側のほうはすでに凶暴なやつの縄張りになってるから、そいつに追い立てられれば、若熊の縄張りは街道の近くまでいくかもしれねぇな」
そう答えると、グエンも同意するように頷いた。
「しばらく様子見をして、街道に近づくようなら駆除だな。もしそうなったら、こないだヘマをしやがったモンテの野郎を連れていこう」
モンテは俺も含めて怪我人が何人も出た原因になった男だ。その時のグレートベアは後日、被害のなかった狩人たちで仕留めている。
狩りで失敗したら、なるべく早い時期に同じ種類の獲物を狩らせる。そうしないと、苦手意識が染みついてしまうからだ。
「モンテのやつ、あれ以来、少しびくびくしてるようだからな。まだ19歳だ。グエン先輩がよぅく教えてやれよ」
俺がそう言うと、グエンは嫌そうに顔をしかめた。
「おまえも19の頃はまだ可愛げがあったのにな。おまえの親父さんが引退したばかりで少し心細かった頃だろう」
「ああ……そりゃ、“俺になる前”の俺のことだな」
「ふん、そうだな。――おまえ、親父さんとは会ってるのか。首都にいるんだろ?」
「首都で皮なめし工房を手伝ってるらしい。直に会ったのは2年前だが、兄貴が何も知らせてこないってことは、変わりなくやってるんだろうさ」
そうか、ならいいとグエンは仲間たちがいるテーブルへ戻っていった。
俺は狩人組合を出て、乗り合い馬車の停留所へ向かう。時刻表は大雑把なものしかないが、しばらく待てば乗れそうだった。
停留所にあったベンチに腰を下ろして、俺は自分が目覚めた後、街に下りてきたばかりの頃のことを思い出していた。
――5年半前、俺はしばらく1人で山小屋で過ごした後、秋が深まる頃に街に下りてきた。街で一番先に訪れたのが狩人組合だ。
稀人とかいうやつになったらしい、と報告をすると、当時居合わせた狩人たちの何人かが複雑な表情で俺を見た。その中にはまだ口ひげしかなかったグエンもいた。
目覚めてから1ヶ月半ほどかけて、セロの中の知識を吸収したし、セロの技術は体が覚えている。体の動かし方は自分なりに馴染ませたつもりだが、何か足りないところ、未熟なところがあれば、今後教えてくれると助かる、と言うと、狩人たちは意外そうな表情を見せた。
グエンが代表するようにして口を開いたのを覚えている。
「……おまえ、本当にセロか。いや……そうか、稀人になったってのはそういうことなんだな」
「そういう、っていうのがどういうことなのかはわからねぇが、この体はセロだ。中身はと聞かれればちょっと複雑だけどな」
セロの知識も記憶もある、が、日本での記憶もあるのだ。
「俺の……俺たちの知ってるセロは、そんな風にはきはき喋らなかったし、そもそも、そんなに背筋も伸びてなかった。……おまえ、そんなツラしてやがったんだな」
グエンは苦く笑った。
「あんたは、グエンって名前だったな」
記憶の中で、セロとグエンはそれなりに付き合いがあった。他に居合わせた狩人の顔をざっと眺める。
「マルコ、テオ、ランダ、ヘンリエッタ……俺のほうは記憶のすりあわせはできている。ただ、受け入れるあんたたちのほうがいろいろ複雑だろう。――しばらくは街にいるよ。何か確認したいことがあれば、通信でも入れてくれ」
少しずつ事態を飲み込み始めたのか、狩人の中には涙ぐみ始めたやつもいた。セロの体に宿った身で、セロの死を嘆く様はあまり見たくなかった。
じゃあな、と言って、逃げるように狩人組合の建物から出ようとしたところで、ヘンリエッタが追いかけてきた。
「セロ、待って。……あんたがセロなら、この手紙はあんた宛てだ。あんたの兄貴からだよ」
ざらついた紙でできた封筒を彼女は手渡してくれた。
これまで住んでいた山小屋まで郵便は配達されない。手紙はいつも、狩人組合に届いていた。
「ああ、ありがとう。後で読むよ。……じゃあな」
仕事仲間への挨拶がやっと済んだと思ったら、もうひとつ逃げられないものがあった。
どちらにしろ、落ち着いたらこちらから父と兄宛に手紙を書かなければいけないとは思っていた。
この体は生きている。けれど、彼らが知っていたセロは死んだのだ。そのことを家族に知らせないわけにはいかない。
狩人組合を出た後は、冒険者ギルドに行った。そこで稀人の申請と冒険者の登録をして、手頃な宿を紹介してもらった。あとは銀行に寄って、セロの資産状況も調べた。まだ21歳だったはずだが、狩人としては16歳から働いている。裕福とまでは言わないが、余裕がないという状況でもなかった。
いろいろと用事を済ませて、紹介してもらった宿の部屋に行く。しばらくはここが拠点だ。
魔道具の明かりの下で、俺はズボンのポケットに突っ込んでいた手紙を取り出して開いた。差出人はヴィクトル・トレメル。兄の名前だ。
互いに最近連絡をとっていなかったが元気か、という言葉から始まっていた。こちらは親父も妻も元気にしている、来年には子どもが生まれそうだ、と。
そんなことが、几帳面な文字で綴られていた。
セロの記憶の中にある兄は、勉強ができて真面目な男だった。オスロンで高等院を出たあと、法律を教える私塾に通い、首都で役人になった。父親が怪我をして狩人を引退したのは、セロが18の頃だ。その年齢で親父を養うのはきついだろうと言って、兄は父親を首都に引き取った。
そして手紙の最後には、11月の7日には親父と一緒にオスロンへ行く、と書いてあった。
「うわ、やっべ……」
思わずそう呟いた。
いや、やばくはない。やばくはないのだが、本来なら手紙でまず説明しなければいけなかったのに、それより早く顔を合わせることになりそうだ。
山を下りて来た時点で、11月3日だった。あと4日しかない。
ここから首都に手紙を出しても、早くて4日はかかる。オスロンと首都の間を結ぶ蒸気機関車が3日かかるからだ。そもそも兄たちが7日にこちらに着くということは明日には向こうを出るということだ。どうしたって手紙は間に合わない。
彼らにとって俺は、家族の死を伝える人間であり、家族そのものでもあり、家族の皮をかぶった見知らぬ人物でもある。
とりあえず、人に会うのに失礼ではない格好にしようと思って、その翌日から俺は街の中をめぐって、あらためて髪を整えたり、それなりにみすぼらしく見えない服装を選んだりした。セロ本人が持っていた服が全て、山での暮らしに適応したものばかりで、日本の常識を持っている自分としては、もう少しなんとかしたいと、山を下りる前から思っていたのだ。
そしてあっという間に4日間が過ぎた。
待ち合わせをしたオスロン駅は、5日に1度の汽車が到着したばかりで、人がごった返していた。
明るい茶色の髪で四角い顔をした、30歳くらいの男を探す。兄はセロよりも8歳上だった。そばには杖をついた50歳過ぎの男――父――がいるはずだ。
該当する2人連れを見つけて、声をかけようとして迷う。兄さん、と呼んでいいのか。親父、と呼んでいいのか。セロだったらそう呼ぶ。俺がそう呼んでいいのか。でも、じゃあ他になんて呼べばいい。兄の名前、ヴィクトルさんと呼ぶか? それとも家名でトレメルさんとでも呼ぶか?
「セロ! なんだ、久しぶりに見たらずいぶんすっきりしてるな。見違えたぞ」
迷ってるうちに、向こうから見つけられた。
兄は快活に笑って俺の肩を叩く。兄の横で親父も、ほう、と言って頷いていた。
「えっと……2人の宿は?」
そう聞くと、兄は頷いた。
「ああ、予約はしてある。だからまずは先に昼飯でも食おう。どこか行きたい店はあるか。オスロンは久しぶりだから、新しくできた店があるならそこでもいいが」
兄はそう言いながら、駅前の通りを見渡した。
「……俺もまだ入ったことはないけど、時計塔の広場の向こうによさげな店を昨日見つけたよ」
これは本当だ。街をめぐっている中で、込み入った話もできそうな、ほどよく静かそうな店を見つけてあった。
「そうか、じゃあそこに行ってみよう」
店に移動して、適当に注文を済ませる。店員に聞いてみると、店のおすすめは魚料理だった。白身魚をトマトで煮込んだものだと聞いた。俺と兄はそれを頼み、父は鹿肉のシチューを頼んだ。
「久しぶりだが、元気にしていたか。それにしても、身なりがずいぶんと変わったな。女でもできたか」
男兄弟の気安さからか、兄は最後の言葉を少しからかうような声音で言った。
「あの……そのことも含めて、俺から話があるんだ」
お、と言って兄は居住まいを正した。ただ、顔は少しにやけている。ひょっとしたら俺に恋人でもできて、結婚の報告をされるとでも思ったのかもしれない。
ちらりと父を見ると、そちらはもともと厳めしい顔をさらに厳めしくして、疑うような目でこちらを見ている。
「俺は……」
なんと切り出したものか迷う。
どうした、と兄に促され……そして、決めた。
「俺は、セロの体だけど、中身はセロじゃない。あなたたちが知るセロの魂は、9月の半ばに旅立った。俺は、日本での記憶を持つ……いわゆる、こちらで言う稀人だ」
そう言い切って、2人の顔を見る。
2人は無言でこちらを見ていた。表情は固まったように動かない。
料理が運ばれてきた。トマト煮込みの良い香りがする。軽く焼いたパンも添えられていて、こんな時でなければとても美味そうだった。
「……変だと思っとった」
先に口を開いたのは父だった。ぼそりとそう呟いて、俺の前に運ばれてきた料理を見ながら続ける。
「身なりも変わったが……セロはトマトが嫌いだった」
その言葉に、兄が驚いたように俺と料理の皿を見比べた。
「そういえば……」
父は、自分の目の前に運ばれてきた鹿肉のシチューを食べ始める。
それを見て、兄もふぅ、と小さく息を吐き出した。
「……まずは食べようか。冷めてしまう」
時々、カトラリーが皿に触れるわずかな音がするが、静かな食事だった。
「稀人、とは……その、おまえの……いや、あいつの体の……セロの記憶を全て引き継いでいるというのは本当なのか」
静寂を破ったのは兄だった。
俺は食事の手を止めて答える。
「隅々まで全てかどうかはわからないけど、だいたい引き継いだと思う。……すぐに連絡しなかったのは申し訳なかった。こちらも急なことで少しばかり時間が必要だったし、体の記憶をある程度引き継がないと街に下りるにも……」
「いや、それはそうだろう。だから連絡が遅れたのはかまわない。おれもまとまった休暇がとれるのは今くらいだったからな。……稀人とは、ニホンで死んでしまった人間の魂が、こちらで死んでしまった人間の体に入ることだと聞いている。君にも自分の死を受け入れる時間が必要だったろう」
パンをちぎりながら兄はそう言って、そのパンを口に運び、しばし迷ってから続ける。
「……おれはいつも、おまえに……セロに言っていた。そのだらしない髪を切れと。街に出る時は服もそれなりのものを着ろと。人と話す時は人の目を見ろ、背筋を伸ばせ、顔を上げろと……」
同じようにパンをちぎって、俺は頷いた。
「……知っている。いつもそう言われていたことをセロは覚えていたよ。でもセロは自分に自信がなかったし、自分の顔が好きじゃなかった。小さい頃に女みたいだとからかわれたのをずっと気にしていた」
セロ本人はこのことを家族に話したことはなかった。だから兄に髪を切れとか顔を上げろと言われても、何かぼそぼそと呟いてごまかしていた。
「知っている、か。――覚えているとは言わないんだな。それにしても、そんなことをずっと気にしていたなんて……言われなきゃわからないだろう」
苦く笑った兄の横で、スプーンを置いた父が口を開く。
「セロは……どうやって死んだ?」
そう、それをこの2人に伝えるのが俺の一番の義務だろう。
「……少し離れたところまで狩りに出ていて、3日ぶりに山小屋に戻るところだった。嵐の中で、雨から逃げるように小屋まで走る途中、すぐそばの木に雷が落ちて、おそらく雷の力が地面を伝ったんだろう。体に火傷なんかはなかったが、多分それで心臓が止まった。破れ鐘のように大きな音に驚きはしたが、その後は一瞬だった。苦しまなかったと思う」
そう告げると、父は何度か頷いた。
「そうか……雷には気をつけろと言ってあったんだがなぁ」
ぼそりとそれだけを呟いた。
グラスに入った水を一口飲んで、俺は口を開いた。
「……俺も、前の人生は不本意な終わり方をした。仕事も何もかも途中だった。いきなり見知らぬ環境と見知らぬ体に、魂だけを放り込まれたような状況で、正直これで何をしろって言うんだって感じではあるんだけどさ。……山小屋にいる間に多少は考えたんだ。少なくともこの体が生きているなら、この体ができることからやっていこうって。だから……俺はこっちの世界の死生観や法律には疎いんだけど、こういう場合は、セロが持っていた財産なんかは家族が遺産として受け取ることになるんだろうか? そうだとしても、できれば山小屋と狩りに使う道具は俺に買い取らせてもらえないかな。山小屋の資産価値がわからないから、分割払いになるかもしれないけれど」
俺がそう聞くと、法律に詳しい兄が小さく頷いた。
「稀人に関しては、基本的には互いの話し合いで解決する。稀人になるということは、魂の死であって肉体の死ではない。だから、役所に死亡届が出されることはないんだ。つまり、それは遺産という扱いにはならない。それでも魂が違えば、それは本人ではないという家族の主張も理解できる。なので、話し合いが決裂した場合は、財産の5割ずつを双方が受け取るという解決の仕方をするが……」
そこまで言って、兄は口元を手で覆った。その手が少し震えている。
「いや……すまない。そう、法律ではそうなってる。ただ……自分の家族のこととなると……」
声も震えた。
兄と、無言で食事を終えた父にも、必要なのは時間なのだろう。
父が椅子からぎこちなく立ち上がった。テーブルに立てかけてあった杖を手にして、兄の肩を軽く叩く。
「……わしは狩人組合に顔を出してくる」
「あ、ああ……わかった」
答えた兄の声は涙声だった。
「申し訳ない。俺のほうも話を急ぎすぎた。……俺もしばらくは街にいるし、通信具もセロのものをそのまま持っているから、何かあればそっちに……」
俺も椅子から立ち上がって、財布から3人分の食事代を出そうとした。
「……おれが払うからいい」
涙目で、鼻水まで出しているくせに、兄が俺を制した。
「いや、この店に連れてきたのは俺だし、稀人申請で補助金ももらってるから……」
それでも数枚の銀貨を出そうとした俺の手を、兄が止める。
「おれは、兄貴だ」
力強いその言葉を聞いて、日本にいる妹のことを思い出した。同じ状況なら俺も……いや“私”も妹に同じことを言ったかもしれない。「私はお姉ちゃんだよ」と。
「そうか……うん、そうだな。ありがとう、ごちそうになるよ。……兄さん」
俺がそう呼びかけると、兄は何かをこらえるように眉根を寄せ、目を閉じた。




