3.悪い知らせともっと悪い知らせ
服を調達してきてやるよと言ってセロは帰った。アロイは、じゃあ僕は過去の召喚事故に似た事例があったかを調べてみるよと言って帰った。
だからおまえはとりあえず眠って落ち着けと2人に言われた。
こんなんじゃ眠れないよと思いながらベッドに潜り込んだら、疲れていたのかあっさり意識を失って、気がついたら朝だった。しかもわりと遅い。
洗面所で顔を洗い、目の前にある鏡を見る。焦げ茶色のくせっ毛と濃い緑の瞳、1日分伸びた髭で少々むさ苦しい男の顔があるはずだったそこには、つるりとした白い肌、つややかでまっすぐな長い黒髪とつぶらな黒い瞳の可愛らしい少女の顔があった。ふてくされた顔をしているのに可愛らしい。くそぅ。
今日はもともと、こまごまとした開店準備くらいしか予定はない。人に会う予定がなくて本当によかった。人に……そうだよ、人に会う時にはどうすればいいんだ。会う人みんなに、実はこれこれこういうわけでと説明するのか。
最大の問題は、開店と決めた日まであと3日しかないってことだ。
アロイとセロの言うとおり、この体が彼らと同じ世界から来たものなら、これは召喚術を研究している人々にとってかなりの事件かもしれない。召喚学会に申し出るべきかな。申し出て、体が元通りになるならそれが一番いいけれど……え、いや、ちょっと待って、そもそも私の元の体は今どこにあるんだろう?
稀人たちは元の世界から魂だけの状態でこちらの世界に来て、魂が抜けた状態の体に入ると言われている。けれど、昨夜の私の体は、魂が抜ける危機だったとは考えにくい。それに普通の稀人たちは体も一緒に来たりはしない。私の体がどこにあるのかという問題もだが、リナの魂はどこにあるんだろう?
いや、待て待て。そうじゃない、まずは魔法陣の謎か?
魔法陣の作製者を追うか、それとも自分の体か、リナの魂か。何から手をつければいいのか混乱してきた。
ココココッとせっかちなノックの音がした。この叩き方は……。
「おーい、ベルナール、起きてるか?」
やはりセロだ。扉を開けると、大きな布の包みと小さな紙袋を抱えたセロがいた。
「どうせまだ薄ぼんやりしてると思って、ちょっと早いが昼メシ買ってきた。あと、これ」
布の包みをソファの上に置き、そこで広げてみせる。女の子の服が何着もあった。
「わ、すごいね」
「適当に何着か古着屋で見繕ったのと、下着は中古なんてねぇから新しいのを買ってきた。どうせおまえ、年頃の女の子の下着なんか恥ずかしくて買えないとか言い出すだろうから」
「セロ……すごいよ! なんて気が利くんだ! うわ、ありがとう!」
今はぶかぶかのシャツをべろんと着ているだけだった。下着も元の自分のものを、腰紐で無理矢理に調整しているだけだ。
「古着屋の女性と付き合いがあったから、いくつか見繕ってもらった」
「朝から手間をかけさせたね」
「貸しにしとくよ」
台所で湯を沸かし、2人分のお茶を淹れる。食欲はあまりないと思っていたけれど、セロが買ってきてくれたサンドイッチを口にすると、やはりお腹は空いていたようで、美味しく完食してしまった。
着替えてこいよと言われて、服と下着を渡された。
一度寝室に戻って、適当に選んだ一着を着る。落ち着きのある紺色のワンピースだ。裾に少しだけ刺繍が入っている。
おそろしいことにサイズがぴったりだった。昨夜見ただけでセロはこの体のサイズを把握していたのか。なんておそろしい。あんなにバタバタしていたのに……。いや、バタバタしていたのは私だけか。
「着替えたよ」
言いながら寝室を出る。
「ああ、いいね。シンプルで可愛いと思うよ」
そう言ったのは、セロではなくアロイだった。いつの間に来たのか。
「ちょっとシンプル過ぎたかな。白いエプロンドレスを上に着せると似合いそうだな。そのうち持ってこよう」
セロが不穏なことを言う。
「いやいやいや、シンプルでいいから! これ以上はいらないから!」
「ところで、悪い知らせともっと悪い知らせがあるんだけど、どっちから聞く?」
新しく淹れたお茶を渡すと、アロイが真顔でそう言った。
「え? なんだって? うまく聞き取れなかったみたいだ」
「悪い知らせともっと悪い知らせがある。とりあえず悪いほうから話すよ」
「どういうこと!?」
「最悪とは言ってないから救いはあるかもしれないぜ?」
セロはそう言うが、そういう問題じゃない。
「まず、過去の召喚事故の件だけど、人間の体を異世界から召喚したなんてのは誰も聞いたことがない。あまり勘ぐられないようにぼかして聞いたけど、そもそも召喚事故の類というのは、犬を呼ぶつもりが猫になったとか、ウサギを呼ぶつもりがネズミになったとか、その程度らしい。あとは単純に何も召喚されない、というのが召喚で一番よくある失敗のようだね。つまり過去の事例は参考にならない」
アロイの報告をふむふむと頷きながら聞いていると、セロが疑問を口にした。
「それは異世界からの召喚ってことか? 普通の召喚術って、たとえば隣の家の猫を呼ぶようなものじゃねえんだろ?」
「それは僕よりベルナールのほうが詳しいかな」
2人の視線を受けて、私は頷く。
「そうだね、召喚する時の呪文というわけじゃないけれど、決まり文句のひとつとして“界を越えて来たれ”というのがある。召喚というのは、セロの言うように隣の猫や犬を呼びつけるようなものじゃなくて、簡単に言えば死んでしまった獣の魂を借りるものなんだ。だから召喚で呼ぶものっていうのは魔法生物みたいなもので、本物の犬や猫とは違うよ」
学生時代に受けた召喚術の講義を思い出しながら説明を続ける。
「実際に呼んだものはさわれるし、毛並みを堪能したりもできるけど、彼らは寿命からは解放されている。彼らの魂が帯びている魔力が、我々に毛並みを錯覚させると言われてるね。そしてこの世界に実体として作り出しているのは召喚した術者の魔力なんだ」
「んじゃ、異世界からの召喚ってのは?」
「それが今もっぱら研究されていることだけど……さっき言った、死んでしまった獣の魂たちがいると言われてるのは、次に行く場所が定まるまでたゆたってる場所だ。普通の召喚はそこから“界を越えて”呼ぶんだけど、稀人の場合も君たちの魂がその場所にいて、こちらで誰かの魂が抜けた後に、その魂と交代するようにして体に引っ張られるんじゃないかって言われてる。だから、異世界人の魂も同じ場所にあるなら同じ術式の召喚術で呼べるんじゃないかっていうのが今の理論だよ」
「なるほど、召喚術ってのはうっすらわかった。で、アロイ。もっと悪い知らせって?」
アロイがちらりとこちらを見る。
「待っ」
まだ心の準備が。
制止をかける前にアロイが話し始めた。
「異世界からの召喚を当面のあいだ禁止すると先月、召喚学会で決まったらしい。王立魔導院も絡んでいて、許可なく異世界からの召喚を行った者は厳罰に処する、と」
「は?」
「数日前に各所で告知も済んでいたらしいけど、ベルナールは知っていた?」
「し、しし知らない!」
告知……? 告知が出るとしたら、魔導院の他には、アロイが通ってる高等院か、セロがよく顔を出している冒険者ギルド、あとは魔法陣やその素材を売っている店あたりか。アロイもセロも専門外だから気づかないだろう。私が最近、開店準備で顔を出していたのは家具屋や内装業者で……確かにそうだ、魔法関係の場所には半月以上立ち入っていない。
「禁止された理由ってのは?」
セロの問いにアロイが答える。
「稀人がこっちにくるタイミングっていうのがさ、こっちの体から魂が抜けたあとって言われてるだろ? 研究者たちもそういう時を狙うから、熱心なやつは医術院に張り込むんだよ。医術院ではもちろん怪我人や病人をできるだけ助けたい。研究者は魂が離れたら即座に召喚術を行いたい。まぁ、衝突はあるよね。実際、少し前のことだけど、もう魂が離れた頃合いだろうって研究者たちが押しかけた直後に、癒やしの術が間に合って患者が一命を取り留めたことがあったらしい。それが患者の家族が立ち会っていた時で、無礼だのなんだの大騒ぎだったようだよ」
「まぁ、それはそうだな。死ぬ前に葬儀屋が棺桶持ってくるようなもんだ。身内にしてみりゃたまったもんじゃねぇ。あくまで稀人は偶然だから受け入れられるんだろうしな」
確かにそんなことがあったのなら……いやいやいや、さっき厳罰って言った?
「あのぅ……アロイ、意図的にじゃなくて事故でこうなってしまった場合も厳罰かな……?」
「事故だと証明できれば情状酌量の余地はあるかもね」
「そ、そそそうだよね、それなら」
「証明できねえじゃん」
「むぐぅ」
変な声が出た。
ふと、アロイが思い出したように言う。
「あれ、ベルナール、開店の予定日いつだっけ」
「そうだ、こないだチラシ配ってたよな?」
「あと3日だよ!!」
半ば自棄になって答えると、わーお、と2人の声が綺麗に重なった。