1.冒険者ギルドのカフェテリア
第2章開始です。よろしくお願いします。
春の終わり、もう少し晴れが続けば初夏と言ってもいいかもしれないと思えそうな季節。私はリナと一緒に冒険者ギルドに来ていた。
これから夏に向けて虫除けの需要が高まる。野営をする冒険者に向けて冒険者ギルドでもいくつか扱うというので、冬から春にかけて作り貯めていた虫除けの魔結晶をギルドに売ったのだ。その中にはリナが作ったものも混ざっていて、取引を終えていくらかの貨幣を手にすると、リナはとても嬉しそうだった。
ギルドに併設された酒場は、この季節になると店の外にもいくつかの椅子やテーブルを出して、昼間はカフェテリアのようになる。
「あ、セロさんがもう来てる。あたし、先にセロさんのテーブル行くね」
そう言い置いて外のテーブルへと向かうリナの背中に、「なに頼むんだっけ?」と声をかけると、「ホットサンドとミルクティー!」と返事があった。
冬の初めにはまだ、突然高くなった視界に戸惑って、ひょろ長くなった手足を持て余しているようだったリナも、今はもうスムーズに動ける。
32歳の独身男性である私、ベルナールの魂が、13歳の黒髪の美少女であるリナの体に入って8ヶ月。ニホンで中学生だったリナの魂が、魔法技術を要とするこの国でベルナールの体に入ってそろそろ半年が経つ。ベルナールはひょろ長い体にもっさりとしたくせ毛がアンバランスな、我ながら冴えないおっさんだ。そんな体に入ることになってしまって、リナには申し訳ない。
私たちの魂の入れ替えに尽力してくれているフェデリカは首都に戻ったままだけれど、時折、手紙が届く。いくつかの理論を試しているようだが、まだ決定的な手法を見つけられてはいないようだ。
ただ、以前はリナが使い魔の犬の体に入っていたので、人間の魂を使い魔の体に入れるのは禁忌であると……少なくとも堂々と触れ回って良いことではないという認識だったが、リナの魂が私の体に入ったことでその部分だけは解消された。だから、信頼できる相手だったり、仕事で必要に迫られたら、事故で魂が入れ替わっていると話しても問題ない、と手紙にはあった。そして、この事態については首都の王立魔導院にいるフェデリカ・ウィンスレッドが請け負っていると知らせろとのことだった。
フェデリカの手紙からは、自分が解決するんだ、という強い意思と同時に、そこいらの野良研究者に奪われてたまるもんですかという気概が感じられた。というか、野良研究者云々については、手紙にそう書いてあった。
リナを引きこもりにさせたくはなかったので、私の――ベルナールの友人たちには知らせた。普段から稀人と接する機会の多い冒険者たちだったので、告白したこちらが拍子抜けするほどあっさりと飲み込んでくれた。
リナの体が美少女なので、魂が元に戻ったらぜひとばかりに売り込んでくる男どももいたが、だいたいはセロとアロイが蹴散らしてくれた。
当然だ。
うちのリナにふさわしい男なんて、そこいらにいませんから!
カウンターで受け取った飲み物とサンドイッチの皿をトレイに載せて、私もリナとセロが待つテーブルへと向かった。
「ミルクティーか。タピオカ入りの新メニューが出てたろ。ここは稀人の本拠地みたいなもんだからな。新メニューが出るのが早い」
私が持つトレイの上を見て、セロが言う。柔らかそうな明るい金髪と薄緑の瞳、端正な顔立ちが目を引く稀人の冒険者だ。
「え、タピオカ入り!? えー、そっちにすればよかったぁ」
残念そうに言うリナに、黒い粒が入ったほうのグラスを差し出す。
「そう言うと思って、リナの分はタピオカミルクティーにしといたよ」
「やった! ベルさん大好き!」
「お、ここが冒険者ギルドか!」
カフェテリアの席のすぐ隣、ギルドの入り口で若い男の声がした。
振り向くと、濃い赤茶色の髪を短く整えた、ガタイのいい男がたくましい腕を組んで仁王立ちになっていた。
「ついに! 待ちに待った異世界てん……おっと、こういうことはあまり口にしないんだったな……」
途中で自分の口をふさいで、何やらもごもごと言っている。
「セロ……あれはなんだと思う?」
ホットサンドを2つに割って、溶けたチーズを伸ばしながら聞いてみる。
「あー……新人かな。馬鹿そう……じゃなくて、若そうだな」
セロのほうは氷を浮かべたアイスコーヒーを飲みながら答える。
「しんじん? 冒険者ギルドに新しく来たひと?」
タピオカミルクティーをストローで吸い上げながらリナがセロを見た。
「というか、稀人の新人だな。見てろ、多分おもしろい光景が繰り広げられる」
セロの言葉を聞いて、私とリナはその若い男に注目した。
こほん、と咳払いをしたその赤毛の男は、ぴ、と指を1本立てて、よく通る声で高らかに宣言した。
「ステータスオープン!」
…………。
……。
男はそのままの姿勢で動かずにいる。周囲の者も男に目を向けて動きを止める。
数秒間、ギルド前の時間が止まった。
「ぶふっ……!」
こらえきれなくなったようにセロが吹き出す。
ほぼ同時に、周囲の者たちも、今の場面をなかったことにしたかのように動き出した。
「あ、あれ、違うのか……VR的な……画面の隅に何かあるパターンかな……」
赤毛の男はぶつぶつとつぶやきながら、目の前で人差し指を上下左右に動かし始めた。私が薬品棚の前で、目当ての薬品を探す時の動きに少し似ている。
「……セロ、あれは……彼は何をやってるんだ?」
「メニューボタンを探してるんだよ」
答えは私の頭上からもたらされた。
振り仰ぐと、そこにはトレイにパスタとアイスティーを載せたアロイがいた。さらりとした明るい茶色の髪は耳にかかるあたりで切り揃えられ、はしばみ色の瞳を半分隠している。その佇まいと仕立ての良いコートが上品そうな印象を醸し出していた。
「メニューボタン……ってなんだい、それは」
私が首を傾げている横で、リナがふと気づいたようにアロイのほうを見る。
「それって、ゲームで設定とかスキルとか見るやつ?」
「そうそう。こういう光景はね、ごくたまに冒険者ギルドで見られるんだよ。普通はもうちょっと控えめにやるんだけどね」
言いながらアロイは、私の向かい側、セロの隣に腰を下ろした。
セロはまだ、口元を押さえながら笑っている。声こそ出していないが、肩は震えていて、ここが公共の場所じゃなかったら今頃は盛大に笑っていることだろう。
「ぶは! ダメだ、我慢できねぇ! クッソウケる! ははははっ!」
……公共の場所でも我慢できなかったらしい。
ひぃひぃ言いながらセロが涙をぬぐっているのを、赤毛の男が見ていた。
「ちょっと、セロ……。悪いよ、そんなに笑っちゃ……」
男を気にして、セロの袖を少し引いてみる。
「いや、だって、久しぶりに見たから……しかもあんな堂々と……くくくっ!」
私の言葉は意味がなかったようで、赤毛の男は少し周りを見渡すと、何かを納得するようにひとつ頷いて、こちらへ向かってずんずんと歩いてきた。
私たちのすぐ横に男が立った。テーブルの上に大きな影が落ちる。こちらが椅子に座っているということを差し引いても、その男の体は大きかった。胸板も厚く、腕も太い。なんらかの肉体労働者の体だった。彼も冒険者になるのだろうか。もし冒険者になるなら、鎧を着込んで前衛に立ってくれれば頼もしいだろうと思う。
近くで見ると、さっきセロが言ったように若そうだった。20代前半……というか、ぎりぎり20歳になったかどうかってところかもしれない。
「あの……笑ってるってことは、オレの言ってる意味がわかったんスか?」
男が低い声でセロに問いかける。怒っているというよりは、今さらながらに人目をはばかっているような雰囲気だ。見た目の迫力のわりには、口調も控えめだった。
「ああ、自分のステータスを知りたいんだろ? 自分のレベルとか適性や属性みたいなやつ」
笑いは一旦おさめて、セロが答える。その返答に男はぶんぶんと大きな身振りで頷いた。
「そう! そうなんスよ! え、知ってるんスか! ……ってことは、ひょっとして外からはオレのステータスが見えるとか、そういうことスか!?」
うーん、とセロが目を閉じて人差し指を眉間に当てる。ややあって目を開き、託宣をするかのように、眉間に当てていた人差し指を、びしっと赤毛の彼に向けた。
「そうだな。おまえは……戦士1レベル、土属性と相性がいい。ステータスは筋力とHPに極振りだな」
真顔でそう言ったセロの隣で、アロイが口を開く。
「嘘だよ」
「はぁ……え!? 嘘!? じゃ、じゃあオレの本当のステータスは? っていうか、メニュー画面はどうやったら見られるんスか!」
「ぶはっ!」
セロが再び吹き出す。
「……君は目覚めて間もないのかな。うん、健康状態に問題はなさそうだ。頑健そうに見えるし、筋力とHPに極振りと評したセロの言葉に間違いはないのかもしれない。でも、この世界にはステータスもレベルもメニュー画面もないよ」
セロの隣で、アロイがあっさりと告げる。
「はぁぁぁっ!?? え、じゃあみんなどうやって戦闘してるんスか!」
赤毛の男が周囲をもう一度見渡して――ここは冒険者ギルドなので、鎧を着た者もいるし、剣や斧を携えた者もいる――アロイに尋ねる。
「どうやって……経験で?」
アロイが小首を傾げた。
「え……経験値を貯めて、隠しパラメーターが上がるってことスか?」
セロとアロイにはわかっているようだが、そしてリナにもだいたいの見当はついたようだが、私には彼の言葉が全くわからない。
「えっと……ニホンではレベルとかステータスっていうものが、何かこう、指標のようなものとして計算されるっていうことかな? そして、それをもとに戦闘してるの? でもニホンで日常的に戦闘しているなんて聞いたことないけど……」
この場にいるただ1人の“現地人”として、彼の言葉から類推されることを聞いてみる。
「え!? え、え、ええっ!?」
赤毛の彼はなんだか混乱したようで、大きな両手でがしっと自らの頭を掴んで、天を仰いだ。
「ここ、ゲームの世界じゃないんスかっ!?」




