2.美少女と魔法陣
「え、ちょ……は? な、ななななんでこんなことに……」
さっきから、なんで、という言葉しか出てこない。
「えーと、想定外、ってことか?」
「そうらしいね。我らが友人がロリコンではなかったことを喜ぶべきか……」
窓ガラスに映る自分を見つめて立ち尽くす私の背後で、セロとアロイがさほど動揺もなく会話を続けている。
「ところでセロ、このギョーザも“荷揚げ通り”にある店?」
「そうそう、ちょうど通りかかったら焼きたてでさ。思わず買っちまった。アロイ、そっちのワインとってくれる?」
会話どころじゃない。平然と食事も続けている。
「な……いや、これ、どう……」
どうしたらいい、と振り向いた。
その動きで、かろうじて腰に引っかかっていたズボンとパンツがまとめて落ちそうになる。
「うわ、わわ……えぇ……どうすんの、これぇ……」
もともと着ていたシャツが長めだったので、今の体格ではワンピースに見えなくもない。ズボンは脱いでしまうことにしたけれど、下着はそうもいかない。幸い、紐で腰周りを調整するタイプだったので、ごそごそと紐を結び直した。
「そんな可愛い女の子になってんのに……色気もクソもねえな……」
「でも色気があっても困るよ、セロ。中身はベルナールだよ」
「ちょっと待って! 2人とも! 私はこれ、どうしたらいいんだ!?」
今まで生きてきた中で一番悲痛な声が出るはずだったのに、可愛らしい女の子の声しか出てこない。
「とりあえず、君がさっき呆然としている間にざっと体内の異常を検知できる魔法はかけてみたよ」
水出しのお茶に魔法で出した氷を入れながらアロイが言う。
「よかったね、ベルナール。その体は健康体だ。何の問題もない」
「いやいやいや! 問題あるよね!?」
「まぁ、まずはメシでも食ったらどうだ。さっきので魔力を多めに使ってるように見えたし、腹も減ってるだろ。これ、美味いぞ」
セロが差し出すカラアゲは確かに美味しそうだった。セロと同じようにワインにも手を伸ばそうとして、はたしてこの体で飲んでいいものかどうか迷う。結局、アロイと同じお茶にした。
「……魔法陣が原因だと思うんだ」
食べ物と飲み物を口にすると、少し落ち着いて考えられるようになったと思う。
「そうだね。僕もそう考えていた」
アロイが同意してくれる。
「いや、俺にはさっぱりわからん。つまり、どういうこと?」
「うん、だから僕たちとは違う意味で……まぁ、確認しようか。ベルナール、記憶に問題はなさそう? 他に、“その体”の記憶はある?」
アロイに問われてなんとなく天井を見ながら自分の生い立ちを考える。
子どもの頃のこと、冒険者をやっていた頃のこと、この家を借りる手はずをした頃のこと……うん、覚えてる。ただ不意に、別の記憶が混ざった。
「リナ、と呼ばれたかな」
リナと呼ぶ声は優しい雰囲気だったと思う。大人の女性の声だったから、母親かもしれない。新しい制服、汚さないようにね、と。
「アロイ、セロ、セーラー服っていうのは制服のこと? なんか、紺色の……胸元が三角になった上下揃いの服なんだけど」
「ああ、女子の制服だな。俺が転生する前はブレザーを見る機会のほうが多かったけど、見た目からして中学生、こっちで言う中等院くらいだろうし、中学校ならセーラーも多いかもな」
ワインを片手にセロが頷く。
「そういえば、ブレザーのほうがよかったのに、とも言っていた」
記憶を思い出しながら私が呟く。
「ん、つまり……つまり?」
と、セロがアロイに顔を向けて小首を傾げる。
「つまり、そういうことだ。僕らと、この美少女の体は同じ世界の出身だよ。しかも、見た目からして日本だ」
「稀人ってわけでもないのか。いや、稀人ではあるのか?」
「うーん、元の体の……リナちゃんだっけ? リナの記憶もあるようだから、そういう意味では稀人かな」
セロとアロイはそう話し合っているが、リナの記憶はどうにも薄ぼんやりしていて、日常のシーンや母親らしき人物に呼びかけられていることが時々ふわりと思い浮かぶくらいだ。忘れかけている夢を思い出すように、記憶をたぐってもその糸の先はふつりと切れてしまう。
「リナの記憶は、何かの役に立つほどしっかりしたものじゃないみたいだ」
夢を思い出すことに疲れて、椅子の背もたれに体重を預ける。
「まぁ、俺も転生したては多少ぼんやりしてたよ。元の世界の記憶がしっかりあるから、視界に映るものが急に変わって戸惑いもしたし、俺の場合はじんわりと体のほうの、つまり“セロ”としての記憶を思い出していった感じかな」
「僕はわりと早くからこっちの記憶はしっかりしてたね。この体が置かれた状況もわかってたし、でも日本で命を落とした自分の状況もわかってた」
「人それぞれか。私ももう少し馴染んだら多少はリナの体のほうのこともわかるかな」
とりあえず、少し落ち着くしかないみたいだ。
「なんだっけ、もともと使い魔を呼びたかったんだっけか?」
ワインを片手にセロがこちらを見る。私もテーブルの上のギョーザに手を伸ばした。
「そう。店を開くにあたってさ、相棒的な? 番犬としても役立ってくれるかなと思って。使い魔として感覚を共有すれば、留守番も任せられるかもだし」
「僕は回復魔法専攻だから召喚術には詳しくないけど、使い魔召喚の魔法陣って自分で作るんじゃないの?」
そう聞いてきたのはアロイ。
「うーん、自分で作る人もいるね。私も自分で作れなくはないけど、今日は露店でいい感じの、魔法、陣……が…………ああっ!!」
「なんだよ、急に」とセロ。
「多分、魔法陣が原因ならそれを売っていた露天商が何か知ってるんじゃないかってことに今気づいたんじゃないのかな」とアロイ。
それ! それそれ! しまった、落ち着いてる場合じゃなかった!
「え、今頃? でも今日いた露天商って、俺がここに来る途中に店じまいしてた一団だよな? もう首都方面に移動するから、今日の蒸気機関車で発つって聞いたけど」
さらりと重要な情報を言い出すセロに、アロイが聞き返す。
「首都に向かう最新型の蒸気機関車?」
「そうそう、今日の夕方、時間的には少し前に出発したやつ。大きな街同士がやっと線路で繋がったけど、まだまだ運行は5日に1回とかだったっけ」
は……?
「それでも物流はずいぶん便利になったよね」
「俺たちのいた世界のように、地下鉄だの飛行機だのはないけどな。でもまぁ、変な言い方だけど、想像していたよりは便利だ」
「ああ、わかるよ、その感覚」
2人は普通に会話しているけれど……待って?
「いやいやいや、待っ……待って! じゃあ私が露店で最終便で魔法陣の商人が蒸気機関車??」
「ベルナール、落ち着いたほうがいい」
「そうだな、今あわてても結果は変わらねえぞ」
「私が魔法陣を買った露天商はもうこの街にいないってこと……?」
「そう」
「そう」
2人の返答が揃った。