25.うっかりの真相
フェデリカが私の家を訪れたのは、収穫祭が終わった翌日の夕方だった。ちょうど10月の最終日になる。日時は事前に連絡を受けていたので、店の休みも予定できたし、一昨日、収穫祭の4日目には雌エルクの解体もできた。セロはそのついでに、山小屋の保存箱に残っていた肉を、収穫祭の最終日のためにまとめて卸していた。
「じゃあ、話を聞かせてもらうわよ、ベルナール」
元婚約者が自宅のリビングにいるというのは、なんとも居心地が悪い。とはいえ、今さらそんなことも言っていられないので、仕方なく、私はあの日のことを話した。
――例の似顔絵の男から、最後の1枚だからと言って魔法陣を安く買ったこと。それは何の変哲もない使い魔召喚の魔法陣に見えたこと。それをこの部屋で使ったら、自分の体が女の子に変わってしまったこと。
そう、たったそれだけなのだ。
「その際、何か変わったことはなかった?」
フェデリカが聞く。同席しているセロとアロイにも視線を向けている。
「光の球が浮かんでて、それがカッと光ったら、ああなってたんだ」
言いながら、セロが私に向けて顎を動かす。
「それに、補助用の魔結晶も置いていたはずなのに、本人の魔力をかなり消費していたように見えたよ」
アロイも言い添える。
確かにそうだった。
「そのあたりは、私もあとで考えたんだ。光が強くなって、魔力をぐんと吸い取られた時に、一瞬だけど気が遠くなった。多分あの瞬間に、私の肉体がなくなって、リナの体と入れ替わったんじゃないかと思うんだけど……」
「リナちゃんはこちらに呼ばれる寸前のことを覚えていないんだったわね。呼ばれた直後のことは覚えてる?」
フェデリカに問われ、リナは首輪を後ろ脚で一度ひっかいた。カチャリ、と音がする。
「あたしも、なんだかまぶしかったような気がする。光がおさまったら知らないおじさんが目の前にいて、『なんだ、普通の犬ではないか』って言ってた。『異世界の人間が呼べると聞いたのに!』って怒ってたよ。騙されたとか、あの男めとか、そんな感じ。おじさんはそれっきりだったけど、おじさんの奥さんがきて、他の犬や猫がいる部屋につれていってくれたの」
あの口ひげの男は、自分の使い魔を呼ぶつもりだったと言っていたけれど、そもそも異世界の人間を呼ぶつもりだったらしい。まさか、人間を使い魔として呼ぼうとしたってことか?
魔法陣は一定以上の魔力を持っている人間であれば使える。複雑な術式をあらかじめ陣に書き記してあるので、魔法にさほど詳しくなくても使えてしまうのだ。召喚の魔法陣はそれなりに魔力を消費するし、異世界から何かを呼ぼうと思えば、それはもう莫大な魔力を消費するはずだけれど、あの男は魔術師には見えなかった。ただ、金に困ってる風はなく、むしろ裕福そうに見えたから、おそらく、補助用の魔結晶をたっぷりと用意したに違いない。
「その……リナを召喚した男は、異世界の人間を召喚するつもりだったのかな。そもそもそんなことができる魔法陣なんて存在するの?」
私がそう疑問を口にすると、フェデリカが少し考えるように言った。
「どこから話そうかしらね……。とりあえず、ベルナールと、リナちゃんの召喚主が買った魔法陣は、本来、人間を呼ぶためのものではないわ。あれは異世界の獣を召喚する魔法陣なのよ」
「異世界の……それは、使い魔として異世界から獣の魂を呼ぶっていうこと?」
私のさらなる質問に、フェデリカは首を振った。
「いいえ、使い魔としてではなく、異世界の獣を体ごと召喚するの。だからまぁ、目的はペットね。例の似顔絵の男はイーゴレといって、素行が悪くて魔導院を追われた元研究者よ。異世界の獣を召喚できるっていう触れ込みで、首都で魔法陣を売っていたわ。実際、変わった獣を召喚していたようよ。ふわふわで極端に小さい犬とか、変わった色の小鳥とかね。体ごと召喚するのは魔力も大量に必要になるし、成功率だって低いわ。だから、クレームも多かった。魔導院はとっくに関係ないんだけれど、元研究者っていうだけで、魔導院絡みだろうってクレームを入れてくる人間がいるのよ」
そして、少し眉根を寄せてフェデリカが続ける。
「……そのクレームの中で、人間の体が召喚されてしまったというものが1つあったわ。もちろん、魂はとっくになくて、体だけよ。本当にもう魂は離れているのか、召喚主はその体の魔力を探ってみたらしいわ。けれど、何の反応もなかった。死体でさえ、結晶化した魔力が反応するのに、その体には一切魔力がないように見えたのよ。それで、ひょっとしたら異世界の人間の体ではないかって」
つまり、それは……魔法陣から死体が湧き出てきたということになるのでは。
その光景を想像して、なんとも言えない気持ちになる。せめて向こうの世界で、家族の目の前で消えたのでなければいい。いや、これはリナの体にも言えることなんだけれど。
「まさかその魔法陣は……イーゴレが作った魔法陣は、獣と人間を区別しないってことなのか?」
私の質問に、フェデリカは難しそうな顔で頷いた。
「結果的にそうなってしまった、ということでしょうね。もちろん、イーゴレの書いた術式があやふやだったのもあるわ。でも、アネイラの状況が良くないのが一番の原因かもしれない。――リナちゃんはアネイラのことを聞いたことがある? こちらで言う死後の世界のことよ。アネイラは3層に分かれていて、上層に人間の魂、中層に獣の魂、下層に虫の魂が存在すると言われているわ。そして、この世界に稀人が来ることを考えると、上層のさらに上に、稀人たちの死後の世界があるんじゃないかって言われているの」
そういえばリナにそういう説明をしたことはなかったかもしれない。リナが読んでいた教科書にも少し載っていたと思うけれど。
「その、死後の世界の状況が良くないって、どんな風に?」
リナが質問する。私もフェデリカの答えを待った。
「簡単に言うと、上層があふれてるのよ。そのせいで、層を隔てる境目がゆるくなって、界を越えやすい状態になってしまってるの。上層とさらにその上の層との境目もね。これは原因の特定が難しいのだけれど……ひょっとしたら、稀人たちの世界で死者が多く出るようなことがあったのかもしれないわね。例えば戦争とか、疫病とか。そうやって向こうであふれた魂が、アネイラの上層に流れ込んできて、そこでも受け止めきれずに上層から魂があふれて……という形なんじゃないかと推測されてるわ」
世界は繋がっているから、とフェデリカは肩をすくめた。
そうして、講師が生徒の顔を確認するように、私、セロ、アロイの順に視線を投げる。
「従来の使い魔召喚のように、中層にいる獣の魂に狙いを定めて呼ぶのならあまり問題はないけれど、イーゴレの魔法陣は不完全ながらも、異世界まで術式が届くわ。しかも“体”を呼ぶものよ。境界があやふやな状況で、そんな強引で不完全な術を使えば、もちろん結果もあやふやだわ。結果的にイーゴレの陣は、異世界の獣か人間か、どちらかを呼んでしまう、とても不安定なものになってしまった」
「そんな馬鹿な。異世界の人間を体ごと呼ぶなんて……だって、それができないから、稀人召喚をする時は、人間の体に人間の魂を呼ぶんだろう?」
人間の魂は人間の体にしか呼んではいけない。人間を使い魔にするのは倫理上問題があるからだ。だから稀人は、この世界の人間の体が死に瀕しているところに呼ばれる。それを体ごと呼べるというのなら、話は全然違ってくるのだ。
フェデリカが頷く。
「稀人召喚だって、成功率はお世辞にも高いとは言えないけれどね。イーゴレの魔法陣だって、生きた状態で異世界の人間を召喚できた例はまだ発見されてないわ。魂のない状態で呼ばれたものは、例のクレームの後の調査で他に4件見つかったわ。逆に、魂だけが召喚された例もあるかもしれないわね。でも、体がなければその魂は行き場を失って、やがてアネイラに還っていく。まぁ、このあたりはわたしの研究内容に関係してくることだけれど」
つまり、リナの召喚主――あの口ひげの男は、本当に異世界の人間を召喚したかったのか。それで召喚されてきたのは犬だ。それも異世界の犬ではなく、魔力で作られた使い魔の体で、しかもそれは自分の魔力ではなかった。その上、イーゴレを探して魔法陣を買った場所に行ってみれば、異世界召喚を行った罪で一度は警備隊に連行される羽目になった。確かに、リナを手放したくなっても不思議ではない。
「魔法陣の怪しさはわかったけれど、でもそれがどうして、私のところにリナの体が来ることになったんだ。私は犬の使い魔を呼ぶつもりで、そうイメージして魔力を込めたはずなんだけど」
そもそもの発端となったあの日の夜、私は確かに黒い犬をイメージした。
そうね、と小さく呟いてフェデリカは私をじっと見つめたあと、ゆっくりと口を開いた。
「イーゴレの魔法陣の不完全さと、アネイラの状況の危うさは説明した通りよ。その上で……ベルナールが使い魔を召喚したタイミングと、もう1人の召喚主がリナちゃんを呼んだタイミングが、奇跡的に一致したんだと思うの。ベルナールの魔法で使い魔としてモモが呼ばれて、その男の魔法でリナちゃんが呼ばれる。異世界の獣か人間を体ごと呼べると聞いていた男は、使い魔としての入れ物――この場合は体のことね。それを用意していなかったんでしょう。入れ物がなくて、本来ならそのまま還るはずのリナちゃんは、イーゴレの陣で体も呼ばれてしまっていた。リナちゃんの魂と体は、界を越えたのよ」
そこで一度、フェデリカは手元のお茶を飲んで喉を潤した。
隣に座るリナの頭を軽く撫でて、後を続ける。
「ただし、魔結晶で補充していても、その男本人の魔力が足りなかったんでしょうね。その男のもとでは、リナちゃんの体はこの世界に出られなかった。でもすぐ近くで豊富な魔力を持った人間が、同じタイミングで同じ魔法陣を使っていたのよ」
「それが私……?」
私のつぶやきにフェデリカが頷く。
「あなたの魔力にリナちゃんの体は引っ張られたけど、それを実現させるためにあなたの魔力はたっぷりと吸い取られて、一瞬だけ存在が希薄になったのかもね。リナちゃんの魂と体の両方を召喚するには、あなたの魔力全部でも足りなかったっていうことよ。希薄になって、魂が離れかけたあなたの肉体は、リナちゃんの体を呼び出した直後に弾き飛ばされた形だと思うわ。同時に入れ替わるようにして、あなたが使い魔の体のために差し出していた魔力は、その男のもとにいって黒い犬の形をとった。モモは、本来正しく呼ばれたはずなんだけど、行き先を見失って……まぁ、こういう言い方もどうかと思うけれど……余っていた入れ物に入ったのね」
……それも私だ。私の体だ。
「わかるような……わかんねぇような……」
ぼそりと呟いたセロに、隣のアロイが同じようにぼそりと呟く。
「多分、混線というか……2人が合同で召喚したことにされたのかな」
「リナとモモ、2種類の召喚を、ベルとあの口ひげマンの2人が合同で? そんで、魔力の負担割合に応じて、辻褄が合うように分配された的な?」
「辻褄なんてひとつも合ってないけどね」
ぼそぼそと交わされる2人のやりとりに、リナが小首を傾げる。
「つまり、混ざっちゃったってこと?」
「ずいぶん大胆な混ざりかただよね」
アロイが肩をすくめてリナに答えた。
「っつか、ベルはなんでそんな、自分が薄くなるほどの魔力を差し出してるんだ」
セロが呟く。その言葉にアロイも頷いた。
「それはベルのうっかりだよ。途中で魔力の流出を止めればいいのに、多分、あれぇ? なんで? とか思いながら、引き出されるままに魔力を流してたんだろうね」
「馬鹿だろ」
「馬鹿だね」
低い声だとはいえ、2人の会話はしっかりと聞こえている。私にも、フェデリカにも。
フェデリカが、そうなの? とでも言うようにこちらを見る。
「……そうだよ! あれ、使い魔召喚ってこんなに魔力使うんだっけ? って思ってたよ!」
「あなたそれ、いつか魔力枯渇で死んでもおかしくないわよ。あ、でも死にかけたから体が入れ替わったのよね。――死ななくてよかったわね」
「そんな大げさな……」
そう言いかけて、思い直す。
危険な状況になるほど魔力が流れ出たら、さすがに気を失って魔力が止まるはずだが、実際、あの日の私は意識を失いかけた。
つもりがなくても死んじゃうでしょ、とリナの声が脳裏に蘇る。本当だ。死ぬつもりがなくても、あの日の私は死んでもおかしくなかったのかもしれない。
「それで、他にもいくつか話があるのだけれど……」
フェデリカはそう言って、テーブルに肘をつくと、物憂げに眉を寄せた。
「どうしたんだ、フェデリカ。そんなに難しい話なのかい?」
私がそう聞くと、眉を寄せた顔のまま、フェデリカは顔を上げて私をにらむ。
「この部屋に漂う、暴力的ないい匂いは何なのよ!」
そう問い詰められて、私はそっとセロに視線を移す。アロイもちらりと隣にいるセロを見上げているし、リナもだ。モモだけはさっきからずっと暖炉の前で寝ているけれど。
「あー。わりぃわりぃ、俺だ。シマイノシシのロース肉をな、醤油と赤ワインで味付けして、今、仕上げにローストしてる途中なんだ」
セロが手を挙げて言う。
フェデリカが来たら深刻な話になるかもしれないのに、こんなに食欲をそそる匂いをさせていていいのかと私も言ったんだけれど、立派なロース肉の塊を見たらそれ以上言えなくなってしまったのだ。
「……ニンニクも使っているでしょう?」
フェデリカが言う。うらめしげに聞こえる。
「多めに」
セロがにっこり笑って答える。
「フェデリカ……お腹すいてるの?」
おそるおそる聞いてみたら、またにらまれた。
「お昼抜きだったのよ!」
フェデリカはそれしか言わなかったけれど、お昼抜きになってしまった理由は、ここに来るためだったのだろう。
「あの……よかったら、この後の話については、夕食を食べながらということで……」
複雑な表情で提案した私に、フェデリカも複雑な表情で頷いた。




