21.接近戦
山小屋の前、少しひらけた場所でセロとアロイが天馬を出している。私も天馬を出そうと、戸口にいるフェデリカたちの横を通って外に出た。
リナはフェデリカの天馬に乗せてもらってきたのだろうし、私たちの荷物はともかくとして、問題はモモだ。成人男性の姿をしていても、分別は犬でしかないモモをどう運ぶか。正しい形で相乗りするなら、天馬は大人2人くらいまでは乗れるけれど、上空でもし予想外の動きをされたらと思うと、私やアロイの体格では押さえ込めないかもしれない。セロに相乗りしてもらうか、それとも少し深く眠りの魔法をかけて……。
天馬のメダルに魔力を込めながら、そこまで考えた時、
「ベルっ!!」
セロに声をかけられたと同時に、右腕を強く引かれた。そのまま軽く振り回される。落ち葉の積もった地面の上に、私の体はズサァと音を立てて転がり落ちた。私が事態を把握する前にアロイの声が響く。
「リナたちは家の中へ! 【癒やしの風よ、瘴気を遮る護りとなれ】!」
清浄な空気が自分を薄く包むのがわかる。
いったい何がと思って、地面に這いつくばったまま顔を上げると、さっきまで私が立っていた位置にセロがいた。私の体を引っ張って振り回し、その反動を利用して自分の体と位置を入れ替えたらしい。
「ブシュルルルゥッ!!」
セロがヘラジカの角を、すんでのところでかわして、腕で押さえつけているところだった。暗い青緑色の……エルゴリンエルクか! 昨夜倒したものよりはかなり小ぶりだ。角も2本しかないから雌だろう。昨日の雄エルクのつがいかもしれない。その特性は同じだ。周囲に毒と瘴気をまきちらす。
「【月光の盾、水晶の鎧、邪を撥ね除ける警手】!」
自分とセロ、アロイに守りの魔法をかけながら、山小屋の戸口を見る。フェデリカがモモとリナを小屋の中に押し込んで扉を外から閉めたところだった。
「【魔力よ、結晶となりて壁に】!」
扉を守るように立って、フェデリカは自分の前に魔力の壁を立てた。高等院で習う、基礎の防御魔法だ。フェデリカは研究者であって、冒険者ではない。でも、あの魔法なら少なくともフェデリカ自身と、背後の扉は守れるだろう。
「くっ……!」
セロの口から声が漏れる。エルゴリンエルクは昨夜のものより小ぶりとはいえ、一般的な牡鹿よりひと回りは大きい。角を押さえつけられたエルクは自分を捕まえているセロを頭で跳ね上げようとしているのか、鼻先をセロの腹に押しつけている。
「【不可視なる鎖、重き大地の戒め、獣を捕らえる軛たれ】」
「【光弾】!」
私の捕縛の魔法でエルクは少し勢いを減じた。そこへアロイの魔法がいくらかダメージを与える。が、まだ動く。
「ゴフルッ! ゴフルルッ!」
エルクが喉の奥で咳き込むような音を立てる。毒の唾液だ! エルクの正面にセロがいる。避けられる距離ではない。
「クソが!」
エルクが息を吸い込もうとしたその瞬間に合わせて、セロが角から両手を離す。左腕を自分の体と平行に構えて、そのままエルクに噛ませるようにして押し込んだ。エルクは唾液を吐き出す時に、口をすぼめて勢いよく吐き出す。セロの腕でくつわを噛まされた状態であれば、確かに吐き出せない。吐き出せなかった唾液が口の両脇から流れ落ちる。
「ガホアァァッ!」
――今のうちだ。
「【重き大地の戒め……重く、重く、星の力より重く】!」
動きが鈍っていたエルクの背中をめがけて重力の魔法を仕掛ける。やり過ぎると魔獣の内臓を潰してしまうので、普段の狩りでは使えないが、今は緊急事態だ。
「【穢れを払う光、癒やしの白虹】」
最初にかけた守りの魔法を越えて、セロを蝕んでいた瘴気が、アロイの魔法で薄れる。
「【重く、天より降りし隕鉄のごとく重く】」
重力の魔法に、さらに魔力を注ぐ。
「グルファァッ!」
エルクの口から、毒ではなく血が流れる。が、まだセロの腕を噛んだままだ。
「ゴフォ!」
ばきり、と嫌な音がした。エルクの背中からではなく、セロの腕からだ。
普通のヘラジカなら草食だから、その歯は平たい。けれど、エルゴリンエルクは肉食に近い雑食だ。遠目にも、エルクの牙がセロの腕に食い込んでいるのが見える。
「【崩壊せよ、圧壊せよ、自壊せよ】!」
内臓を潰すイメージで魔力を叩きつける。早く、早く!
エルクが足を震わせる。がくり、と後ろ脚が力を失う。
アロイがエルクに駆け寄る。セロは空いている右手を自分の腰の後ろに回し、短剣を抜いた。噛まれたままの左手を上げて、エルクの喉を晒させる。動脈をめがけて、そこに短剣を刺した。直後、駆けつけたアロイがその短剣に重ねるように手を当てて叫ぶ。
「【邪を貫く光】!」
カッ! とアロイの手元で短剣が強い光をまとい、そのままエルクの首に穴を穿って奥の木立に突き刺さった。
エルクが声も出せずにくずおれる。セロもそれに引っ張られる形で膝を突いた。
「痛っ! ちっくしょ、いい加減離せ!」
「セロ!」
私が叫んで駆け寄ろうとするのをアロイが止める。
「ベルはまだ近づかないで。……セロ、いいかい、外すよ」
「い……っ! もっと優しく!」
「これ以上ないくらい優しくしてるよ。食い込ませすぎなんだ。……ほら、外れた」
エルクの顎からセロの腕を解放して、アロイがセロの肩を支えて立たせる。
「少し離れよう。ベル、結界の魔結晶はまだある?」
「あ、ある!」
アロイの言葉に私は慌てて、腰のポーチから結界の魔結晶を取り出した。エルクの死体をめがけて、その魔結晶を投げる。エルクの前脚のあたりに落ちたが、無事に作用したようで、エルクの死体は薄緑色の結界に包まれた。
アロイが、セロの体を半ば引きずるようにしてエルクから引き離し、近くの木の根元にもたれさせるように座らせる。
「腕はちょっと待って、まずは浄化だ」
間近で瘴気を浴びていたせいか、遠目に見てもセロの顔色は悪く、息も荒い。
「【清めの水、浄めの風、穢れを払う天の光】……」
「アロイ、腕のほうが痛ぇんだけど」
「死にたくないなら浄化が先だよ。傷からも入り込んでいて、1度じゃ消せない。【無垢なる天の鳥の羽根、清らかなる泉の清冽な水】……。よし、浄化できた。ベル、近づいていいよ。――フェデリカももう壁は消していいよ」
アロイの手元から発せられる白い光は時折、淡い虹色の揺らぎを見せる。その美しい光に少し見とれていた。見ると、フェデリカもそうだったようで、はっと気づいたように慌てて魔力の壁を消している。
「セロ! 無茶なかばいかたをするな!」
左腕をアロイに治療されている最中のセロに駆け寄って、そう叫ぶ。まだ顔色は悪いが、息は整ってきている。
「その体に傷をつけずにかばう方法が他に思い浮かばなかった。接近戦は本業じゃねえが、上出来だろ」
そう言ったセロに同意したのはアロイだ。
「上出来だよ、腕1本で済んだ。僕がいるからいけると踏んだんだろ?」
「当たり前だ。おまえがいるなら、死なない限りどうにかしてくれると思ってた。もちろんベルもな。距離さえとらせればおまえの魔法が一番、威力が高い」
合理的だろ、とセロは笑うし、アロイも頷いているけれど、私は釈然としない。私はエルゴリンエルクの接近に、放り投げられるまで気がつかなかったのだ。
「だって、君は……君とアロイは、命の重さをわかっているじゃないか」
私のつぶやきに、セロとアロイが顔を上げる。
反対に、私はうつむいてしまった。うつむいたまま、続ける。
「君たちは死んだ経験がある……死ぬかもしれないことを……なんで、こんな……」
もごもごと言いつのる私に、セロが言う。
「アロイもいるし、俺は別に死ぬつもりはなかったけど……って、さっきもこれ言ったな。確かに、死ぬつもりがなくても死んじまうことはあるけどよ。まぁ、俺は俺なりに責任感じてたんだよ。おまえの魔法はともかく、体はリナのだろ。さっきぶん回して、あらためて思い知ったけど、華奢で軽い。とてもエルクの一撃に耐えられるような体じゃない。そんなのを山に呼びつけた責任は俺にある」
「僕も、セロの選択は正しいと思ったよ。ベルが、ベルナールの体で怪我をするなら勝手にすればいいけどさ。あとから僕が癒やすにしたって、リナの体にはなるべく傷をつけたくない」
だろ? とアロイが微笑む。
――そうか。それはそうだ。彼らはリナの体を守ってくれたのだ。
「ごめん……いや、ありがとう」
「美少女にお礼を言われるのは嬉しいもんだね。――セロ、治療終わったよ。結局、1日遅れでフラグ回収したね」
「まだあのフラグ生きてたのかよ。……ん、まだ治ってなくね?」
セロが左手をゆっくりと握り、またゆっくりと開く。
「治ってるよ。痛くないだろ」
「痛くはないけど……なんか、動きが鈍いっていうか痺れてるような気がするんだけど」
セロは文句を言うが、見た目には治っている。なにせ、ずっとエルクに噛ませていた腕だ。セロ自身の血とエルクの血で汚れていたし、毒で変色もしていたのが、汚れも含めて綺麗になっている。
「それはしょうがない。3カ所折れてたからね。2~3日は違和感が残るよ。でもちゃんと繋げたし、神経も傷ついてないから、しばらくおとなしくしていれば元通りだ」
そっか、と言いながらセロが立ち上がり、尻をパタパタと叩いて落ち葉を払う。さっきの、青い顔で息も絶え絶えといった姿を見ているので、アロイの治療の技術にあらためて感服する。
「……あきれた。セロさんが頑丈なの? それともアロイさんの腕がいいの?」
近づいてきていたフェデリカが、私と似たようなことを考えたらしく、感嘆混じりの声でそう言った。
「後者だね。まだ15歳だけど、医術院でも期待の新星らしいよ」
私の言葉にフェデリカが、今度こそ感嘆の声を上げる。
「セロさんとアロイさんについて情報を集めていたけれど、2人とも名前を出せばすぐに情報が集まったわ。目立つ理由にも納得ね」
頷くフェデリカに、セロが反論の声を上げる。
「アロイはともかく、俺は別に目立ってねえだろ」
「あなたは女性からの情報が多く集まったわよ。何人もの女の子と付き合っているようだけれど、悪い噂があまりないのは不思議ね」
「おっと……そんな情報まで集めてるなんてな」
セロはもちろん、アロイも、自分の情報については否定しない。2人にとっては事実でしかない。
「ところで……」
そう言って、フェデリカが山小屋のほうを振り返る。
「ちょうどいい場所に窓があって、一部始終を見ていたみたいよ、あの子」
フェデリカの視線を追って振り返ると、ぷるぷると小刻みに震えているリナと目が合った。
私の頭の上からセロが呟く。
「……ベル。リナへの説明はまかせた。俺はほら……あ、まだ傷が痛い!」
「え、セロ、ずるい!」
さっき、もう痛くないって言ったばかりじゃん!
言いながら振り向こうとした矢先、アロイがすっとセロの横に立つ。
「まだ傷が痛いだなんて、癒やし手として責任を持って看病しないと。だからリナはまかせたよ、ベル」
「いや、アロイもずるくない!?」




